第45話 いつか猫に会いに行こう

 それから数十分が経過した頃には、楓華は普段通りの落ち着きを取り戻していた。


 お互いに次の話題をどう切り出せばいいか分からずに困っていたのだが、和樹が沈黙に耐えかねてテレビをつけた際に動物関連の番組が放送されており、ちょうど、猫カフェの特集が始まっていた。


 それを視界に捉えた楓華の口角がほんのりと弧を描いたような気がしたのでそのままにしておくと、いつの間にか楓華の頬の色は戻っていたようだった。


 猫カフェの特集が一段落して画面が別の話題に切り替わった時には、すっかり元通りだ。


「面白かったか?」

「はい。やっぱり猫はいいですね。あの愛くるしい姿は、画面越しでも十分な破壊力を秘めいるんだなと再確認できました」

「破壊力て。まぁ、満足できたならなによりなんだが」


 やけに饒舌じょうぜつに返答する楓華は、つい先程までぎこちない雰囲気だったことなど忘れてしまったのかと思うほどに爽やかな笑みを浮かべていた。


「猫カフェ……いつか行ってみたいものですね」

「行ったことないのか?」

「以前に1度だけ、姉妹3人で行こうかなと計画していたんですけど、なかなか都合が合わなかったので断念したんです」


 楓華の話によれば、琴音と紗夜は仕事や学業の合間合間の時間を使って楓華に会いに来ているとのことだったので、都合が合わないのは仕方のないことだろう。


 なら俺と行くか、と言おうと思ったが、流石にそれは遠慮される気がしたので言葉を飲み込み「そうか」と返す。


「和樹くんが猫を苦手でなければ、ぜひ一緒に行きたかったのですけれど」

「え?」

「駄目でしたか?」

「あ、いや。俺でいいのかなと」

「和樹くんだからいいんです。安心できますし、きっと楽しいと思います」


 無垢な微笑みを浮かべつつ、楓華はこちらに視線を向けてくる。


「そ、そうか」


 唐突に向けられた愛くるしい眼差しから目を逸らしつつ、なんとかそれだけ切り出すと、楓華は満足気に穏やかな表情でクスッと小さく笑った。


「和樹くんって、すぐに顔を赤らめますね」

「……慣れてないんだよ。女子にこういうこと言われるの」

「こういうこと?」

「……なんでもない」

「そ、そうですか」


 雑にはぐらかされて楓華は渋い顔をしているが、こればかりはどうしようもない。


 素直に、恥ずかしいからやめてくれ、と面を向かって言ってしまえば、それはそれで更に恥ずかしさが増してしまうだろう。


 やるせない気持ちがふつふつと湧き上がっくるので、近くに並べていた雑誌を手に取り、意味もなくペラペラとめくって感情の波が過ぎ去るのを待つ。


「あの、和樹くん」

「……なんだ?」


 頬の熱が冷めるのを待っていると、楓華が指先で腰の辺りをつんつんと触ってくるので、こそばゆい感触にさいなまれつつも楓華の方へと視線を向ける。


「その……一緒に猫カフェ、行きませんか」


 私は和樹くんと行きたいです、とおずおずと呟く楓華に、和樹はしばらく言葉を返せなかった。


「本当に、俺でいいのか?」


 やっとのことで出てきたのは、再確認の問いかけの言葉。


「……同じことを言わせないでください。和樹くんだから、いいんです。2人なら、きっと楽しめますからっ」

「べ、別にいいけど。……でもいいのか? 琴音さん達と行かなくて」

「これからは年末年始に向けて更に忙しくなると言っていたので……しばらくは帰って来れないそうです」


 残念そうにしゅん、と肩を落とす楓華。


 楓華としても琴音や彩夜に長い間会えないのは、やはり寂しいと感じてしまうのだろう。


「それで、あの、いいんですか?」

「断る理由もないしな。一緒に行こうぜ、猫カフェ」

「あ、ありがとうございます」

「いえいえ」

「でも、ここら辺に猫カフェってあったっけ?」

「少し遠いですが、電車で行けば」


 流石と言うべきか、下調べは既に済んでいるようで、楓華は比較的近場で交通のアクセスがいい場所をいくつか画像付きでメッセージアプリに送ってくれた。


 同時に、可愛らしい猫が所狭ところせましと店内を動き回っている動画も送信されていた。


「……すげぇ可愛い」


 思わず感想を呟くと、楓華はふふん、とどこか誇らしげな眼差しで和樹を見ていた。


 その表情が猫の動画よりも可愛らしくて、つい「可愛い」と言ってしまいそうになったがぐっと堪えた。


『えっと確か、せっかくのかわ──あっ』

『……思い出しましたか』

『いやっ……ごめん。無意識で』

『……む、無意識、ですか』


 つい先程の会話で地雷を踏み抜いたばかりなので、軽率に可愛いとは思っていても言わないようにしなければ、と楓華に気づかれない程の小さいため息をついた。


「とりあえず、それまでに俺は猫嫌いを少しでも克服した方がいいよな」

「そうですね。……あの、気になっていたのですが、和樹くんはどうして猫が苦手なんですか?」

「まぁ、色々あってな」

「その、和樹くんの気にさわるようなことでないのであれば、詳しくお聞きしたいのですが」

「別に気に障るってわけじゃないからいいけど……くだらない理由ばっかりだぞ?」

「構いません。そこに和樹くんが猫を好きになるヒントがあるかもしれませんし」

「それもそうか」


 楓華の言うことも一理あるな、と頷いてから、和樹は過去の経緯を思い返してみた。


「えっと、どれから話そうか」

「どれからって、いくつもあるんですか」

「ま、まぁ。……すまん」

「謝る必要はありませんよ。とにかく、話してみてください」


 こちらに体を向けて聞く準備ができたことを視線で合図してきたので、和樹は自分が猫を苦手になるまでのきっかけを話し始めた。


「小学生の頃にさ、公園で遊んでた時に猫を見かけたんだ。その時に興味本位で撫でてたんだけど、反撃されて手を引っかかれてさ」

「……それはそれは」


 昔のことを思い出しながら、和樹は自身の右手の甲を眺めた。


「結構深くやられたからその傷が全然治らなくて、風呂に入る時とかに激痛に耐えなきゃいけなかったんだ。しかも利き手だったからさ、飯を食う時とかにも支障が出て」

「それで嫌いになったのですね」

「嫌いというよりは、近寄ったらまた引っかかれるかもしれないって思っちゃうから足がすくむというか……苦手なことに変わりはないけど」

「ふむふむ」


 話す前から分かりきっていたことだが、こういった話は聞いている側としては退屈だっただろう。


 ましてや楓華にとっては彼女の好きな生き物を、和樹がどういった経緯で苦手になったのかを話しているのだから、場合によっては不快に感じてしまう可能性もある。


 せっかく楓華が家に来てくれているのにそういった時間を与えてしまっていることに、和樹は少しだけ罪悪感を抱いてしまっていた。


「……しょうもない理由だったろ?」

「しょうもないとは思いませんよ?」

「いや、実際しょうもないだろ」

「人って、意外と些細なことで好き嫌いが決まったりしますからね。でも、その経緯をくだらない、しょうもないなんて言葉でまとめて否定するのは、よくないと思います。それに、和樹くんは自分のことになるとマイナスな言葉を使いがちです」

「そうか?」

「和樹くんは、私が子供の頃に遊んでて怪我をしたからバスケが嫌いだ、って言ったとして、それをくだらないと思いますか?」

「そんなの、思うわけないだろ」


 当たり前だろうが、と返せば、楓華はこちらをじっと凝視してきた。


「つまりはそういうことです」

「どういうことなんだ」

「くだらなくなんかないですよ。ちゃんとした理由と経緯があるのなら、私はそれをくだらないなんて思いません。……自分の発言をおとしめるような言葉を使うのは止めてください」

「……き、気をつけるよ」

「いえ。……こちらこそ、偉そうにすいません」


 和樹から見て、楓華は何故か少しばかり機嫌を損ねているようだったので、大人しく了承しておくと、楓華は表情をほんのりと和らげた。


『……こちらこそ。俺なんかでよければ』

『……また卑下してますね』


 同時に、以前楓華に言われたことを思い出す。


 この前にも、自分に対してマイナスな言葉を使って、楓華に少しだけ叱責されてしまったことがあった。


 和樹は基本的にネガティブな思考なので、意識せずともそういった言葉が出てきてしまうのだ。


 そのことに申し訳なさを感じていると、楓華がこちらをじいっと見ていることに気づいた。


「とにかく、和樹くんは少しずつでいいので、猫に慣れる機会を増やしてみるのはどうでしょう」

「まぁ、そうだな」

「今度、おすすめの猫スポットを教えるので、一緒に行ってみますか?」

「スポット……そんなのあるのか」

「私が勝手にそう呼んでるだけですけどね。猫がよく集まっている場所で、通学路の途中にあるんですよ」

「へー。気づかなかった」

「ふふっ。私の猫に対する観察眼は伊達じゃないんです」

「そりゃすげぇ」

「……えへへっ」


 そうでしょう、と誇らしげに微笑む楓華に、和樹はそっと苦笑をこぼす。


「それじゃあ、今度そこに案内してくれるか?」

「もちろん、喜んで案内させてもらいます」

「おう。よろしく頼む」

「楽しみです」

「俺が猫のことを好きになるのが?」

「確かにそれもあるんですけど」


 猫のことを好きになることを楽しみにしているのだろうと思って返答すると、楓華は和樹に顔を見せるように上を向いた。


「前から和樹くんとは、猫の話をいっぱいしてみたいなって思ってて……それが叶うかもしれないと思うと、凄く嬉しくて」


 そんなことを呟いて、口角を緩く上げた楓華が、慈しむような笑顔を浮かべてそっと足を胸元に抱き寄せる。


 その様子があまりにも可愛らしくて、言葉には出さないように気をつけながらも「……嬉しいのか」とかすれた声で返した。


 楓華のこういった発言は、やはり心臓に悪かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る