第35話 姉がやってきた(2)

「……えっと、どうして和樹くんが?」


 予想はしていたが、インターホンを鳴らされて家から出てきた楓華はきょとんと首をかしげて困惑していた。


「なんか暇そうだから私たちが拾ってきた」

「琴音姉さん……本当なんですか」

「楓華がお世話になってるからそのお礼をする、っていうのを付け加えれば本当だね」

「なんでそんな急に……」


 髪を緩く纏めたピンクベージュのルームウェア姿の楓華は、そんな姉たちの返答を聞いて、目に見えておろおろとしていた。


「……俺、やっぱり帰っていいですか?」

「どうしてよー。あっ、女の子の家は初めてで緊張しちゃってる感じ?」

「確かに初めてですけど、そうじゃなくて」

「そんな遠慮しなくていいから。ほら上がって上がって」

「……いやだから、楓華に迷惑が」

「へー。九条くんにはそう見えるんだ」


 逆にどう見えるんだ、と楓華を見れば、人差し指をちょんちょんとくっつけながら、頬を赤く染めていた。


「……案外嬉しいのかもよ?」


 琴音が和樹にだけ聞こえる大きさで囁いてきたので、和樹はぐっと息を詰まらせた。


「ねぇ楓華、いいよね? 九条くん家に上げても」

「え、えっと……」

「九条くんに自分で作った手料理食べてもらうんじゃなかったっけ?」

「そ、それは……そうですけど」

「それなら、絶好のチャンスだと思うけど」

「……私は、和樹くんさえよければ」


 楓華が細々と呟くと、琴音はその返答が来ることを予測していたかのように「ふっふっふ」と頬を緩ませ、和樹をちらりと見る。


「聞いてた?」

「……まぁ、一応」

「それで、帰る? 帰らない?」


 琴音からは「答えは1つしかないよね?」といった試すような視線が、彩夜からは「さっさと諦めな」といった視線が送られて、和樹はうぐぐと弱々しくうめく。


 遊びに行きたい、という和樹の小さな野望は、ここでポッキリと折れた。


「……お邪魔させてもらいます」


『……私は、和樹くんさえよければ』


 和樹が帰ると提案したときの楓華の残念そうな表情。


 あんな顔でそんなことを言われては、こちらが折れるしかないだろう。


「私は2人がどんな運命的な出会いをしたかを聞かせてほしいなぁ」

「そんなロマンチックなものでもないと思いますけど」


 後悔先に立たず、とは今の現状のような場面を指すのだろう。


 やはり無理やりにでも帰っておけばよかった、と悔やみつつ、和樹は自分にしか聞こえないように声を絞って「帰りてぇ……」と呟いた。


「お、いいね。それ私も気になってた」


 廊下の隅で髪をポニーテールに纏めていた彩夜もちらりと顔を出し、琴音と目を合わせるとにへらと不気味な笑みを浮かべる。


「それじゃ2人とも、リビングに行こっか」


 ──────


「え……なに。普通に泣けるんだけど」

「九条くんって意外と男前なのね」


 それから2人には和樹と楓華がこれまでにどのような経緯で友達となったのかを道筋を話す羽目になった。


 流石に買い出しの帰りに楓華が泣いたことは伏せるべきなのでは、と思ったが、楓華いわく「変に誤魔化すとかえって面倒になります」とのことだったので、とにかく全てを話した。


 隙あらばあれやこれやと質問攻めにされたので、ようやく解放された時には、和樹と楓華は地味に疲弊していた。


 これならやはり帰ってしまったほうが楽だったとは思ったが、楓華は2人に和樹のことを何度か話していたらしいので、どのみち今日のように突然捕まって洗いざらい成り行きを伝えることになっていただろう。


「九条くん。その、改めて言わせてほしいんだけど」

「はい?」

「……ありがとね。私たちもできる限り楓華が楽しい生活を送れるように努力はしてるつもりだったけど……」


 そう言って、琴音は深々と頭を下げた。先程のふんわりとした雰囲気は消え去っており、その表情は暗く、真剣な眼差しだった。


「私からも。多分、アンタが居なかったら楓華はもっと傷ついてたと思う。……本当に、ありがとな」


 それに続くように、彩夜も落ち着いた声でゆっくりと頭を下げる。


「いえ、そんな。俺はその場に偶然居合わせただけで……」

「でも、助けてくれたのは事実でしょ。普通は、見知らぬ女の子を家に連れていこうなんてしないと思う。でも九条くんはしてくれた。楓華に手を差し伸べてくれた」


 琴音はそう言って、再び頭を下げた。


「そんな大袈裟な……」

謙遜けんそんしなくていい。結果的にアンタは私たちが出来なかったことをしたんだ。むしろ胸を張ってくれていいぐらいだ」

「……そういうもんなんですかね」


 和樹としては、特別なことをしたつもりはない。和樹の持ちうるすべで、楓華を手助けしただけだ。


 それは胸を張れるようなことではないと思っているし、仮にそうだとしても和樹にはその実感がない。他人にお節介を焼いてしまうのは幼い頃からの癖なのだ。


「……さて。暗い話題はここまでにして、ここからは少し気楽にいこっか」

「……そうだな」

「……うん」


 重々しい雰囲気を少しでも明るくしようと琴音が声を上げると、彩夜も楓華も、瞳に輝きを取り戻した。


 きっと琴音は、この姉妹の中でのムードメーカー的な存在なのだろう。


「ねぇ九条くん。お腹は空いてる?」


 壁掛け時計で時刻を確認すると、時計の針は午前11時を迎えようとしていた。


 空腹とまでは言わないが、この時間帯はいつも小腹が空いてくる。


「そこそこですかね」

「楓華の手料理、食べてみたくない?」

「……えっと、食べてみたいです」


 琴音の前で遠慮することは先程のやり取りで無駄だと理解した和樹は、自分の欲望に従っておくことにした。


「……だってよ? 楓華」

「わ、わかってます。……ちゃんと練習通りに作ればいいのです」


 琴音が和樹と楓華に対して交互にニヤニヤと不敵な笑みを向けている気がするのだが、気のせいだろうか。


(……なんか嬉しそうだな)


「あ、そうだ。手料理と言えば……前に俺が風邪を引いたときに肉じゃがとかを楓華が作ってくれたよな。あれ凄く美味しかった」


 和樹が何気なく楓華に話しかけると、楓華らこちらを振り返らずにびくりと肩を震わせた。


 それと同時に、琴音と彩夜が和樹へと視線を向ける。


「……ごめん、それ聞いてないんだけど。いつ頃の話かな?」

「10日ぐらい前だと思いますけど」

「確かその時ってさ、私たちも1度帰ってきてたよな」

「だね。……楓華、ちょっとこっち来て」


 和樹から見ても明らなほどに琴音と彩夜の表情が変化したので、何かマズいことを言ってしまったのだろうか、と楓華を見やると、楓華は頬を膨らませて和樹を睨んでいた。


 どうして今それを言っちゃうんですか、とでも言いたげな表情だ。


「九条くん、私たち少し話してくるからさ、テレビとか観て時間潰しといてくれる?」

「……わ、わかりました」


 そう言って奥の和室へと姿を消した3人を眺めながら、和樹は「……今のって、言わないほうがよかったのか?」と静かに呟いた。




〘あとがき〙

 どうも、室園ともえです。

 今回も読んでくださった方々、本当にありがとうございます(毎度毎度同じ形で鬱陶うっとうしいかもしれませんが、心から感謝しています)


 今回から数話は天野家の姉妹のエピソードになります。きちんと彼女たちを掘り下げる話になっていますので、ぜひ楽しみにしてくださると嬉しいです。


 もしよろしければ、フォローや応援、感想など、お願いします。


 それでは、また。

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