第35,5話 怖くて、嬉しくて
楓華は琴音と彩夜に連れられ、部屋の真ん中で正座をさせられていた。
部屋に立ちこめる沈黙が痛いと感じてしまう。
いつもは温厚な2人が、少しだけ恐ろしく見えてしまうのは気のせいだろうか。
(悪いのは私なんですけどね……)
実際に悪いことをしたのは楓華なので、これからどんな説教をされようと、文句は言えない。
彩夜が扉を閉めた後、琴音が楓華の頭をぽんぽんと撫でて問いかけてきた。
「ねぇ楓華。本当に1人で作ったの?」
「……ち、違います」
「でも九条くんはさ、『楓華が作ってくれたよな』って言ってたよね?」
「……ご、ごめんなさい」
楓華が細々とした声で頭を下げると、琴音は楓華の銀髪をわしゃわしゃと掻き回した。
「そんなにかしこまらなくていいの〜!」
「へみゅぅ!?」
「うひゃあサラサラだぁ……羨ましいぃ」
「……ね、
唐突に両手で髪を撫でられ、楓華は情けない声を出してしまう。
楓華はあたふたとしながらも、乱れた髪を整えつつ、琴音と彩夜に視線を向けた。
「琴音の言う通り、私たちは別に怒ってるわけじゃないんだ。ちゃんと理由を話してくれれば、余程のことじゃない限り怒らない」
「そうそう。お金を盗んだとか、誰かをボコボコにしたってわけじゃないんだから」
「……うん。あ、ありがとうございます」
楓華がこくりと頷くと、琴音と彩夜は安堵したようにその場に腰を下ろした。
聞く準備ができたということだろう。
楓華はゆっくりと、これまでの経緯を話し始めた。
「……1週間ほど前、和樹くんが体調を崩して早退したというのを体育の合同授業の際に耳にしました。なので、私は放課後、和樹くんの様子を見にいったんです」
「やっぱり、恩を返したかったの?」
「……はい。彼の役に立てるのなら、少しでも手助けしたくて」
「いっぱい助けてもらってるもんね」
「和樹くんは『気にしなくていい』って言ってくれるんですけど、でも……小分けしてでも返したかったから──」
「だから、嘘をついたのか?」
楓華の言葉を遮るように呟かれた彩夜の言葉に、楓華は無言で、首を縦に振った。
──楓華は、本当は自分で料理を作ることが苦手だ。
最低限自分が食べるのに困らない程度には作れるが、それを人に食べさせるとなると自信は持てない。
それに、楓華の料理の腕の乏しさは、琴音と彩夜のお墨付きだ。今まで幾度と挑戦してはいるが、その度にダメ出しされている。
なので、琴音と彩夜が楓華の家を訪れたときには、そんな楓華を心配して1週間分程の作り置きを冷蔵庫に入れておいてくれている。
楓華はそれを、和樹に渡したのだ。
「でもな、楓華。恩を返したいからって、それで嘘をつくってのは良くないだろ?」
ぐぅの音も出ない彩夜の正論に、楓華は肩を縮こまらせる。
「……分かってます。でも、きちんと、栄養のあるものを食べれるほうがいいと思って」
「それで、私たちが楓華のために作っておいた料理を和樹くんに渡したってこと?」
「ちゃんと自分で何度か試作をしたんですけど……案の定、お世辞にも美味しいと思える
本当は、後で言うつもりだった。
その機会がなかったわけではない。以前スーパーで和樹と話した時に、チャンスは存在していた。
『この前の作り置きであんなに美味しかったんだから、出来たてはもっと美味いんだろうな。一度でいいから食べてみたい』
本来なら、ここで告げるべきだった。
自分は本当は料理が不得意で、あれは私の姉が作り置きしてくれていたのを渡しただけだったんです、と。
嘘をついてごめんなさい、と。
しかし、楓華は嘘に嘘を重ねてしまった。
『……いつか機会があれば』
真実を告げることが、できなかった。
ズルをしたとはいえ、和樹が自分のことを必要としてくれたことが、どうしようもなく嬉しかった。舞い上がってしまった。
自分の中に芽生えた甘い誘惑に、抗えなかった。
しかし、結果として楓華は、琴音にも彩夜にも、そして和樹にも申し訳ないことをしてしまった。
俯いた顔を、上げることができない。
「なるほど、そういうことだったんだね」
「まぁ、だいたい理解できたな」
琴音と彩夜は楓華の説明に納得したのか、互いに見つめ合ってこくりと頷いた。
「だからこの前、急に『料理を教えてほしい』って連絡をしてきたんだな」
「……はい」
「『今度は、ちゃんと自分の料理を食べてもらうんです』って張り切ってたもんね」
「そんなことっ! ……言いました、けど」
琴音と彩夜には「友人に作る」としか伝えていなかったのに、何故か2人はその友人が和樹であることに気づいていた。
(確かに……2人には和樹くんの話ばかりしていましたけど)
転校して早々に、彼に情けない姿を見られたこと。
購買のパンを一緒に食べたこと。
買い出しに付き合ってもらったこと。
引っ越してきて、初めて心から信頼できる友人ができたこと。
2人に学校で何があったかを訊かれると、大抵、和樹の話をしていた気がする。
そんな彼の、役に立ちたくて。
それから数日間、楓華は琴音と彩夜に無理を言って、料理のコツについて教えてもらった。
いつか料理を作る機会が訪れた時に、胸を張って「楽しみにしててください」と言うために。
最初はなかなかに酷かったが、回数を重ねる度、少しずつ、着実に上達していった。今となっては、まだ琴音と彩夜には及ばないものの、自他共に納得できるほどの料理を作れるようになった。
「……まぁ、今回は不問にしといてやるか」
「わぁ、彩夜姉が優しい……」
「おい琴音……私はいつだって親切だろうが?」
「なら九条くんにも優しくしてあげてよ」
「自慢じゃないが、私は男に免疫がないんだ。ある程度慣れるまでは口が悪いんだよ」
「それのせいで離れていった男は今まで何人だっけ?」
「15、いや16人……ってうるさい! 余計なお世話だ!」
目の前で繰り広げられる軽口の言い合いに楓華が困惑しているのを察したのか、琴音と彩夜がこちらを振り向いた。
「とりあえず、これで話は終わりだな。あんまり九条を待たせるのも気が引けるし、そろそろ戻ろうぜ」
「そうだね」
「え……でも、私は」
楓華がしたことには許されたのか、と訊こうとすれば、琴音が楓華の頬を柔く撫でた。
「そういうとこ」
「……え?」
「なんでも深刻に考えないの。私と彩夜姉は許したんだよ。決して褒められたものじゃないけど、楓華なりに理由があったんだから、責めたりなんてしない」
「で、でも」
「……甘やかされてる、って感じちゃう?」
1人暮らしを決意したのは、親から距離を置くためというのは、表向きの理由だ。
それとは別に、琴音と彩夜にこれ以上楓華が負担をかけないようにする、という2人には話していない理由がある。
もう大丈夫だよ、私は1人でも心配要らないから、自分のやりたいことをやってください、と心から笑って言えるように。
甘やかされていては、そんな理想は夢のまた夢だと自覚してしまう。
図星をついた琴音の言葉に、楓華は黙って俯いた。
「確かに言われてみれば、私たちは楓華を甘やかしてるよ」
「なら──」
「それはね、私たちなりに楓華に楽しい生活を送ってもらえるように、っていう想いでやってるの」
琴音はふにふにと楓華の頬をつまみながら、真剣な眼差しを向けていた。
「だから、そこまで悩まない。いつまでもうだうだ言ってると、九条くんに嫌われちゃうよ?」
「……べ、別に和樹くんのことは何とも」
「はいはい。分かった分かった」
琴音は楓華を
「はい、それじゃあこれで話は終了! はい解散!」
「おー」
彩夜の気の抜けた返事と共に、琴音が扉を開ける。
「九条くんにいいとこ見せないとね」
「……だ、だからそういうのはやめてください!」
「ははっ、楓華は今日も可愛いな」
「出た……彩夜姉のシスコン」
「え、なんで私引かれてんの」
「楓華のこと好き過ぎじゃない……?」
「……琴音も大概だと思うけどな?」
やけに緊張気味な楓華に、琴音と彩夜は軽口を交わしながら、にこやかな笑みを浮かべるのだった。
※今回から諸事情によりあとがきは近況ノートに書きます。お手数お掛けします。
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