第30話 置き去りの感情

「あ」

「えっ、か……和樹くん」


 放課後、和樹は期末テストの対策をするべく近所の図書館を訪れていた。


 本来は校内にあるラーニングスペースで真治に勉強を教える予定だったのだが、どうやら真治は由奈に自分の成績が悪いことを隠していたらしく、それをうっかり和樹が口を滑らせてしまったのだ。


『和樹から聞いたよ〜? 今回赤点取ったら別れろって言われてるってどういう事?』

『ち、違うんだ。今日から本気出すから』

『真治さ、そう言って実際にやってたことって、ある?』

『……1度たりともございません。あっ、待って、絞め技は駄目! 折れるだけじゃ済まないって!』

『誰が美少女脳筋ゴリラじゃい!』

『がへぇっ!』


 その一連のやり取りの後、和樹もその隣で勉強していたのだが、真治が半泣きになって参考書と睨み合っている姿がいたたまれなくなり、適当に理由をつけてその場を後にしたのだった。


 かと言って全く勉強しないのも気が引けたので、帰り道の途中にある図書館に寄ることにした。その図書館にはかなり広い自習室があるので、静かな空間で黙々とテスト勉強をするには最適の場所である。


 そういった経緯で図書館の自習室に向かえば、今朝ぎこちない会釈を交わした少女が一足先に訪れていたようで、どこか空いている席はないかと辺りを見渡す際に目が合った。


「……こんばんは」

「……ど、どうも」


 ぺこりと挨拶をすれば、鈴を転がすような声で今朝と同じようにぎこちない会釈をされる。


(……き、気まずい)


 辺りを見渡せば和樹と同じ高校の生徒だけでなく、他校の生徒やパソコンと睨み合いをしている社会人で席が埋め尽くされていた。


 どこか座る場所はないかと探していると、楓華の手前の席が偶然空いていることに気づいた。


「……どうしたんですか」

「あ、いや……意外と人が多かったから、どこに座ろうかなと」

「……私の向かいの席、空いてますけど」

「ま、まぁそうだけども。……座らせてもらってもいいか?」


 もちろん、目の前の空席に和樹が座るために許可が必要なわけではない。


 しかし、楓華のまとう無言の圧が、図書館の特有の雰囲気と相まって、易々やすやすと座っていいのだろうかと一抹いちまつの不安を感じてしまう。


「そんなにかしこまらなくても。……なんですか。私を避けてるのですか」

「……今朝の楓華だって俺のこと明らかに避けてたと思うんだが」

「あ、あれは、その。……いたたまれなくなったというか、何というか」


 周りに聞こえないほど小さな声で囁く楓華の表情は固く、目線は意図的に逸らされていると分かってしまうほどにせわしなく泳いでいる。


 今の楓華にはどんな言葉をかけても失言になりかねないな、と和樹は席に座り筆箱や教科書といった勉強道具を並べ、テスト勉強に取り掛かった。


 楓華もその和樹の様子に安心したのか、それとも不満に感じたのか読み取れない素振りをした後、再度勉強を始めた。


 カリカリカリカリと、シャーペンの細い芯がノートの空白を埋めていく音が、静かな空間を満たしていく。


 向かい合って勉強しているだけだというのに、試験当日かと勘違いしてしまうほど、楓華の纏う空気は、かなりの緊迫感を感じさせた。


 しかし、それと同時に、僅かにそわそわしているようにも見えた。期待しているような、我慢しているような、そんな表情。


 参考書の問題を解いているのかと思えば、ちらりとこちらの顔色を伺うように視線を向けて、和樹がそれに反応すればすぐさまびくりと体を震わせてノートをぴらぴらとめくっては戻る作業を繰り返す。


 その所作のぎこちなさを見て、和樹は1つの結論にたどり着いた。


(多分、楓華も昨日の事を結構気にしてるんだろうな)


 和樹が楓華にしてしまった事を思い出して夜な夜なもだえていたように、楓華も和樹にされたことを思い返して後悔していたのかもしれない。


 知り合って数週間の隣人に、心の奥底へと抑え込んでいた内情を打ち明けただけでも、我に返って後悔するには十分だろう。


 出来ればないことを祈るけれども、『なんで私があんな奴に……死にたい!』と部屋でのたうち回っていた、というのも可能性としてはないわけではない。


 しかし、そもそも距離を置きたいのであれば自分の近くに空席があったとしても座らせたりしないのでは、と取ってつけたような理由で不安をまぎらせつつ、和樹は広げていたノートに問題を解き始める。


 昨日の真治との勉強会の成果もあってか、和樹が苦手としていた2次関数や図形の性質の分野の問題は思いのほかすらすらと解くことが出来た。


 とはいえ、参考書の後半の応用問題となると、好調だった解答ペースも徐々に落ちてしまい、とある問題に差し掛かったところで思わず鉛筆を置き、首を傾げた。


(……この系統の問題、苦手なんだよな)


 和樹の目の前に突如立ちはだかった、難問という名の大きな壁。今の和樹の学力では、これを攻略することは難しいだろう。


 悩んでいても仕方がないと思い、解説書を取り出して解法を見たが、いまいち理解が出来ず、そっと深く息を吐いた。


 解法には基本的に最低限の経緯しか記されておらず、「どうしてそうなるのか」については基本的に自分で考えるしかない。


 和樹の持っている解説書は殆どがそういうタイプのものだ。


 さてどうしようか、と頭を悩ませていると、丁度顔を上げていた、というよりは和樹を覗いていた楓華と目線が合った。


「あの……」

「ん?」

「……これ、使ってください」

「お、おう」


 そう言って手渡されたのは、見覚えのある1冊のノート。表紙を見れば「数学メモ」と丁寧な字で書かれてある。


「……付箋ふせんを貼っているところを参考にすれば、理解しやすいと思います」

「いや助かる。でもよく分かったな」

「何がですか」

「俺が悩んでるって」

「……あんなに露骨にため息を吐かれれば、私だって気になってしまいます」

「勉強の邪魔になってたみたいでごめんな」

「……いえ、そんなことは」


 和樹がお礼を伝えると、楓華は分かりやすく体を揺らして、白銀の横髪をくるくると指に巻き付けていた。


『……まぁ、強いて言うなら勉強を、特に数学を教えてほしいかな。この前みたいにさ』


 同時に、昨日、楓華に伝えた言葉が脳裏をぎる。


(……気を遣ってくれたのだろうか)


 僅かに申し訳なさを感じつつ付箋が貼られているページを開けると、分かりやすい解説と共に、右上にもう1枚メモ用紙程度の大きさの紙が挟まれていた。


 以前に和樹が熱を出して楓華に看病された際に、枕元に置かれていた置き手紙と同じ柄の紙だ。


 四つ折りにされていたそれを開くと、丁寧な丸文字で短文が書かれてあった。


『先程から避けるような態度を取ってしまって、ごめんなさい。今朝も何を話せばいいのか分からなくて、逃げてしまいました。もちろん悪気があったわけではありません。ただ、私の情けない部分を見られてしまって、思い返す度に恥ずかしくて』


 その内容を読んで、和樹はほっと胸を撫で下ろした。


「ならよかった」

「……よかったじゃないです」


 心の中で呟いたつもりが声に出ていたようで、楓華は頬に恥じらいを浮かべながら小さな声で返事をしてきた。


「俺はてっきり嫌われたのかと」

「嫌うわけがありませんよ。むしろ和樹くんのことは好ましく思っていますし」

「……ごめん今なんて?」

「……早く勉強しないと、閉館時間になってしまいますよって言ったんです」


 周りに迷惑にならないように小声で話していたので、楓華の声の一部を聞き取ることができなかった。


 絶対違うこと言ってたよな、と和樹が指摘すると、「……知りません」と不機嫌そうにそっぽを向かれてしまい、その後自習室を出るまで一切口をいてもらえなかった。




〘あとがき〙

 どうも、室園ともえです。

 読んでくださった方々、本当にありがとうございます。


 今回は、複雑になってしまった互いの感情を整理していく話となっています。


 これから、どのように接するべきなのか。その過程を楽しみにしてくださると嬉しいです。


 まだまだ語彙が拙いので自分の中のイメージを文章として書き起こすのは慣れておりません。「ここ間違ってるなぁ、怪しい表現だなぁ」など、ご指摘も頂けると助かります。


 もしよろしければ、フォローや感想、応援や星レビューなどお願いします。


 次回は10月2日に投稿予定です。


 それでは、また。

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