第29話 彼女の名は、心音由奈

 楓華の過去について語られた翌日、和樹と楓華の関係性は特に変わることはなかった。


 登校する際にたまたま姿を見かけたが、目が合うなりぺこりとぎこちなく会釈えしゃくされるのと同時に、そそくさと逃げられてしまった。


 ただ、その端正な顔が不思議と赤く染まっていたような気がする。


 しかし、他にはこれといった変化はなく、顔と名前を知っている程度の隣人という現状に変化は生まれていない。むしろ、和樹としてはそれが望ましいのだけれど。


 当然、期待も落胆もしない。


 唯一変わったことといえば、期末試験までの貴重な時間のタイムリミットが1日減ったということぐらいだろう。


 気だるげに教室に入るなり真治の姿があったので何となく声をかけた。


「……おはよう」

「おー和樹。なんだ? 顔色死んでるぞ」

「……昨日あんまり寝てないからな」

「お前が徹夜とか珍しい」

「そういうお前はどうなんだ。昨日はちゃんと勉強したんだろうな」


 昨日は結局寝落ちこそしたが、その頃には日が昇りかけていたので、ほんの数時間程度しか睡眠を取れていない。


 今朝も洗面所の鏡で自分の顔を見た際に「うわぁひでぇ顔」と思わず呟いていたので生気に欠けた顔をしていることは分かっていたが、こうして面を向かって言われると少しだけ腹が立ってしまう。


 その仕返しに恐らく殆ど進んでいないだろうテスト勉強の進捗しんちょく状況を聞けば、「教科書は開いたぜ」とふざけた返事が返ってきたので軽く頭を小突いておいた。


「……いてて。でも大丈夫だぜ和樹。昨日の俺は『明日から本気で頑張る』って言ってたんだ。だから今日から俺はちゃんと勉強するに決まってる」

「お前のその無駄な自信は一体どこから」

「私は喉から」

「やかましい」


 朝からボケをかます暇があったら英単語の1つでも覚えとけ、と真治に突っ込めば、ちぇー、と唇を尖らせて自分の席へと戻っていった。


 その頼りない背中を和樹は呆れるような目線で見ていると、真治はちらりと廊下を見るなり頬を緩ませた。


「あ、真治だ〜! おはぴろろ〜!」

「おっ、由奈! おはぴろろ〜」


 摩訶不思議まかふしぎな挨拶が聞こえるほうに目を向ければ、軽く制服を着崩し、小麦色の艶やかな髪をサイドテールに纏めている1人の少女が顔をのぞかせていた。


 その翡翠ひすい色の瞳が真治を捉えると、周りの視線など一切気にせず、その小柄な体で真治の胸元に飛び込んでいく。


 以前は周りからは黄色い声が度々上がっていたが、2人の過度なスキンシップも今となっては日常茶飯事である。


 ちらほらと羨ましそうに眺める視線はあるものの、殆どの生徒は目の保養として横目で様子をうかがっていた。


 心音由奈ここねゆな


 最近は真治の友達、ということで由奈と話す機会が増えているのだが、何度見ても彼女の放つ雰囲気は、明るいを通り越して眩しいとすら感じてしまう。本当に、天真爛漫てんしんらんまんという言葉が良く似合う少女だ。


 よく言えば元気な盛り上げ役、悪く言えば常にやかましい奴といった評判の真治の彼女。


 仮に楓華をおしとやかな美人と例えるなら、由奈は無邪気で活発な体育会系女子といったところだろう。


 真治の胸元に額をぐりぐりと擦り付けていた由奈は、その光景を見ていた和樹と目が合うと、真治と何やらコソコソと話した後、にやにやと気味の悪い笑みを浮かべてこちらに小走りで駆け寄ってきた。


 今までの和樹の経験上、こういった時は逃げるのが得策なのだが、その思考は先読みされていたらしく、真治が先回りして和樹の逃げ道を塞いでいた。


 相変わらずの見事な連携は、初めて話した時と変わってない。


 両手を軽く挙げて降参の意を示すと、由奈はにこやかな笑みを浮かべて和樹の方へと近づいてきた。


「ねぇ。和樹って彼女できたの?」

「……はぁ?」


 興味津々にたずねてくる由奈に「何言ってんだコイツ」と呆れていると、真治は今にも吹き出しそうな顔で和樹の様子を窺っていた。


「和樹、とぼけても無駄だぞ」

「待ってくれ。どういう風の吹き回しだ」

「さっき真治が『和樹が珍しく徹夜してた』って言ってたから、彼女と夜遅くまで話してたのかなって思ったの!」


 どうよ私の名推理、と何故か誇らしげに胸を張る由奈。流石はバカップルと言うべきか、由奈も根拠の無い自信を持ち合わせていたらしい。


「……そんなわけねぇだろ」

「今の返答、少しだけ間がありましたね。どう思われますか真治巡査」

「前々から思っていましたが怪しいですね。これは事情聴取をする必要がありますぞ。由奈警部、カツ丼の用意を」

「イエッサー!」

「なんで巡査が警部に指示出してんだよ」


 駄目だこいつらのノリで話すと余計に疲れる、と和樹はそっと息を落とした。


「……なぁ由奈、朝からそのテンションで話されると疲れるんだが」

「昼か夜ならいいの?」

「そういう意味じゃねぇ……」

「和樹。由奈はそういうの察するの苦手だからさ、ちゃんと全部説明してやらないと」

「真治ってば酷いぃ」


 真治にからかわれてぷくぅ、と頬を膨らませた由奈は、「あ、そろそろチャイム鳴るから戻るね」と自分の教室へと戻っていった。


「……由奈ってなんて言うか、勢いが凄いよな。何回話しても慣れない」

「でも、嫌じゃないだろ?」

「そうだけどさ……」


 真治の言う通り、由奈との会話は嫌ではない。むしろ新鮮で楽しいとすら思っている。


 しかし、毎度毎度ツッコミ待ちなのではないかと思えてしまう会話の掴みにくさは、楽しさよりも先に疲労感を感じてしまうのだ。


「あいつの底抜けた明るさってのは、今日を生き抜くかてになるんだぜ。テスト勉強してなくて焦ってても、由奈の笑顔を見てると全部どうでもよくなってくるからな」

「いやテスト勉強はちゃんとしような?」


 鋭い槍となって投擲とうてきされた和樹の指摘は、真治の油断しきっていた精神に深く突き刺さったらしく、「きっと今夜の俺が頑張るから……」と弱々しく呟いていた。




〘あとがき〙

 どうも、室園ともえです。

 今回も引き続き読んでくださった方々、本当にありがとうございます。


 先週受験が忙しいと言っていましたが、一応ひと段落ついたので今週は投稿していくつもりです。


(集団討論で「いいと思います」を「おはようございます」って言って試験官にめちゃくちゃ笑われたので多分落ちてます。……討論盛り上がって結論も良さげだったしワンチャンあるかも……いやないか)


 今回は1話から名前だけはちょくちょく出るものの出番がなかった真治の彼女、心音由奈ここねゆなの初登場会です。


 既に付き合っているのでヒロインレース的な展開にはなりませんが、ちゃんと彼女にも魅力を感じられる話を作っているので楽しみにしてくださると嬉しいです。


 もしよろしければ、フォローや感想、応援や星レビューなど、お願いします。


 次回は9月26日に投稿します。


 それでは、また。

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