第10話 和樹と楓華と購買パン(2)

「まじかよ……」


 和樹が購買のある音楽室前に到着した時には、そこは既に修羅場と化していた。


 購買は一列に並んで会計を済ませていくものだと思っていたが、実際はまさかの早い者勝ち形式だった。


 各々が自分の好きな昼食を買うために必死に手を伸ばし、声を上げ、汗を流している彼らのその姿は、まるで戦場を駆ける兵士のようにすら見える。


 しかし流石は進学校と呼ばれているだけあってか、暴動や喧嘩には発展していない。あくまで押し合う程度。それでも、十分すぎる程の威圧を感じてしまうが。


「おばちゃん! カツサンド二つ!」

「俺は焼きそばパンくれ!」

「私はコロッケ三つ……いや四つ!」


 その勢いに和樹がたじろいでいると、山のように置かれていたパンやコロッケは、ものの数分でその殆どが続々と姿を消していった。


 戦利品を手に入れた面々めんめんは、達成感に満ち溢れた顔で戦場を去っていく。


 しかし人は増えていく一方で、和樹は中々その中へと入り込めそうになかった。


「……よし」


 和樹は息を飲み、意を決して戦場へと足を踏み入れた。


 しかし、まるで獲物を狩猟しているかのような周りの熱量の高さにものの数秒で怖気づき、そっと距離をとった。


 逃げるように近くの壁に向かい、体重を預ける。


「はぁ……」


 和樹は空っぽの腹を擦りながら、そっとため息をついた。


「……はぁ」


 ほぼ同時に、横から同じようにため息をこぼしている声が聞こえた。


「あれ……もしかして九条さんですか?」


 そして次に聞こえたのは、聞き覚えのある透き通った淡白な声。


 和樹が視線を声の聞こえた方へ向けると、そこには天野楓華の姿があった。


「ど、ども」


 和樹は咄嗟のことで上手く反応が取れず、ぎこちない返事をしてしまった。


「九条さんも購買に用事が?」

「あぁ、弁当作り忘れたから購買で何か買おうと思って」


 和樹が淡々と告げると、楓華は何かに気づいたような仕草をとり、眉をひそめた。


「すいません。……私が昨日ちゃんと家に帰っていれば」

「いや……そもそも俺が課題を後回しにしてたせいだし、天野さんは全然悪くない」

「……でもそれは、私に時間を割いたから後回しになってしまったわけで」

「いいっての。気にしないでくれ」


 楓華はぎこちない笑みを浮かべながら、俯くようにして和樹から視線を逸らした。


「そういう天野さんは何してるんだ」

「私も昼食を用意出来ていなかったので、購買で何か買おうかと」

「……ちなみに何か買えたのか?」


 和樹が尋ねると、楓華は首を小さく横に振った。肩ほどの長さの灰色がかった銀髪が、波打つように揺れる。


 楓華ならば、転校してきた当日に親しく接していたクラスメイトに頼めば弁当の一部を分けてもらえそうだが、恐らく律儀な彼女のことなので、そんなことは考えもしなかったのだろう。


「九条さんは何か知りませんか」

「……何って?」

「この購買を勝ち抜くための、コツやテクニックのようなものです」

「残念ながら、購買に来たのは今日が初めてでな。そういう経験はからっきしだ」

「……そ、そうなんですか」


 和樹がそう答えると、楓華はどこか抜けきったような表情で肩を落とし、購買に集まっている人だかりを見つめていた。


「唯一の頼みの綱が途絶えてしまいました」

「そいつは申し訳ない」


 仮に攻略法のようなものがあったとしても、それは他に負けない力と声の大きさで押し切る脳筋戦法しかないとは思う。しかし、力量も声量も運動部に比べて貧弱な和樹にとっては、無謀な策でしかない。


 話題も戦略も途切れ、互いに小さくため息をこぼす。


 和樹が購買をちらりと横目で見ると、相変わらずその乱戦っぷりは継続していた。気づけば商品の数は、両手で数えられるほどしか残っていない。


「……仕方ないですね。私は昼食を諦めます。幸いあまりお腹は空いていないですし」

「……そうだな。俺もそこまで空腹ってわけでもないし、戻ろうかな」


 和樹と楓華は互いに頷き、それぞれの教室へと向かおうとした。その時、



 ぐぅぅぅぅ。



 和樹の横で、腹の虫が高らかに鳴く音が聞こえた。


 静かに楓華の方を見ると、頬を薄い朱色に染めている。


「……わ、私じゃありません」

「……そ、そっか」


 まさか、と思いつつ和樹は再び、真治の待つ教室へと足を進めた。



 ぐぅぅ、ぐぅぅぅぅぅ。



 すかさず、二度目の腹の虫の音が鳴った。もちろん、和樹の腹の虫ではない。


「……ええとこれは、その」


 流石に言い逃れが出来ないだろうと思ったのか、楓華はマナーモードの着信中のスマホのように体を震わせていた。


 泣きっ面に蜂とは、このことを言うのだろうか。


 楓華の薄く色付いていた頬は、じわじわと真っ赤に染まっていく。


 よくよく考えてみれば、昨日、楓華はおかわりをしたとはいえ、和樹の家では生姜スープしか口にしていない。野菜も飲み込みやすいように細かく切ったものにしていたので、腹持ちはそこまで長くないだろう。


 一晩もっただけでも十分と言える。


「……あの、天野さん。お腹はそこまで空いていないんじゃなかったっけ?」

「……少しだけ、見栄を張りました」


 楓華は俯いたまま、ルビー色の瞳を右往左往させている。


「……本当に少しだけか?」

「……少し、いいえ半分……かなり半分ぐらいしか空いていません」

「かなり半分ってどんぐらいなんだ」

「……かなり半分はかなり半分です」

「つまりお腹は空いていると?」

「……はい」


 思い返してみれば、和樹の家でも、楓華は遠慮ばかりしていた。遠慮するなと言うまでスープは口にしなかったし、風呂が沸いてるから入っていいと言えば「そこまでして頂くわけには」とかたくなに入ろうとしなかった。


 なので今回も遠慮しているのではないか、と思い尋ねてみたが、案の定だった。


「でも今回は仕方ないです。私の責任ですし、我慢します」

「本当に我慢出来るのか?」

「……少しだけなら」

「遠慮しなくていいんだぞ」

「あと30分も耐えられません」


 どうやら空腹には勝てなかったらしく、楓華は抵抗を諦めるような素振りを見せた後、お腹を擦りながら淡々と呟いた。


 僅かに頬を赤らめている様子を見て和樹は苦笑しかけたが、そうすれば機嫌を損ねられることは目に見えていたのでそっと堪える。


(さてさて……)


 現状、購買には、商品の並ぶカゴの中の残りは焼きそばパンが二つとカレーパンが一つ。


 それに対して購買にできている人だかりは少なくとも15人は居る。和樹と楓華を含めれば最低17人だ。


(……やれるだけやってみるか)


「……九条さん、どうしました?」


 余程恥ずかしかったのか、その頬はまだうっすらと赤みを帯びていた。


「俺も腹減ってるし、行くだけ行ってみようと思って」

「な、なら私も」

「大丈夫、俺1人でいい」


 人が少なくなったとはいえ、購買は相変わらず戦場のままだ。押し合う程度と言えど、華奢な体格の楓華では押し負けてしまう可能性が大きいし、その際に怪我をしてしまうかもしれない。


 それに比べ和樹なら、生徒の数が減った非力だとしても多少なら抵抗することが出来るだろう、という安直な考えだ。


 体格が比較的大きい野球部や柔道部が居れば話は別だが、そういった強者らは序盤に勝利を手にして既に戻っているので、和樹にも抵抗の余地は残されている。


 楓華は「でも」と反応するが、その後、そのルビー色の瞳が僅かに見開いた。


 それと同時に、和樹の制服の袖を指先でくいと引っ張られた。


 必然的に距離が近くなってしまい心臓が高鳴りかけたが、楓華にもその気はない様子なので、あまり羞恥は感じない。


「九条さん、あれ」


 楓華が指さしたのは、購買の商品か入っているカゴだった。


 見たところ残っているのは焼きそばパンとカレーパンの2種類だったのだが、どうやらカレーパンのみに人だかりができているようで、焼きそばパンは完全にフリーになっていた。


 その数は2つ。和樹と楓華、1人1つずつと考えればぴったりだ。


「……いけるか」


 和樹は購買まで出来る限り全速力で走り、フリーの焼きそばパンを二つとも取った。


「おばちゃん、焼きそばパン2つお願い」

「あいよ」


 和樹が財布を取り出すと、カレーパンを食べるために争っていた方から嘆きの声が聞こえた気がしたが、今更どうしようもない。


 素早く支払いを済ませて、和樹は楓華の居る場所へと戻った。


「ほい、焼きそばパン」

「……え? いいんですか」

「おう。最初からそのつもりだったし」

「あ、ありがとうございます。1ついくらしますか、これ」


 慌てて財布を取り出そうとした楓華を、和樹はそっと止める。


「いいよ別に。天野さんが教えてくれなかったら、多分取れなかっただろうし」

「そ、そうですか?」


 楓華は困惑しながらも、財布をポケットにしまった。


「時間ないし、ここで食べようか」

「そうですね。もうお腹ぺこぺこです」

「お腹空いてないって言ってたのにな」

「う、うるさいです」


 和樹が軽くからかうと、楓華はふてくされたのか頬を膨らませ、そっぽを向いてしまう。


 和樹はこみ上げてくる笑いを飲みこみ、焼きそばパンの包みを開けた。ふわりと漂う濃厚なソースの香りが、これでもかと食欲をそそる。


 1口頬張ると、ふんわりとしたパンと程よい塩味の焼きそばのモッチリとした重厚な食感が口の中に広がっていく。


 これからはたまに購買に来てもいいのかもしれない。そう思えるほどに美味しかった。


 横目で楓華を見れば、和樹と同じく焼きそばパンを気に入ったのか、はむはむ、と満足そうに頬を踊らせている。


 その姿は、小動物のような小さく可愛らしいものを見て感じる愛らしさにも似た感覚を抱かせた。


 これまでの大人びた清楚で可憐なイメージとは異なっているが、今の楓華は年相応の雰囲気をかもしている。


(あれ、そう言えば……)


 何か大事なことを忘れているような、と考えていると、昼休みの終了5分前を知らせるチャイムが鳴った。


 それと同時に和樹はふと我に返り、教室に残してきた1人の友人の言葉を思い出す。


『俺は一人で寂しく食べてます〜』


(あ……やべ、真治のこと忘れてた)


「ごめん天野さん、先に戻る」

「あ、はい。急用ですか?」

「……まぁ、急用だな。命に関わる」

「わ、分かりました? お気をつけて」


 この後急いで教室に戻ったのだが「どこ行ってたこのロリコン!」と真治から事実無根の罵声を受け、他のクラスメイトに「空中大回転男」から「空中大回転ロリ男」に改名されてしまったのは、また別の話。




〘あとがき〙

 どうも、室園ともえです。

 今回も読んでくださった方々、本当にありがとうございます。


 今回は話の都合上、文章が少々長くなってしまいましたが、いかがだったでしょうか。


 お楽しみ頂けたのなら幸いです。


 毎週土日投稿というノロノロとしたペースですが、最近、推薦を考え始めたのでなかなかペースをあげることも難しくて……。


 明日も投稿予定なので、ぜひ読んでみてください。


 よろしければフォローや感想、★評価や♡など、お願いします。


 それでは、また。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る