第6話 白雪姫への弁明

 あれから30分程が経過し、時刻は深夜の2時を迎えていた。


 和樹は今まで、定期考査前夜でもない限り、こんな時間まで起きていることは殆どなかった。


 コーヒーを飲んで一時的に収まっていた眠気も、気を抜けば朦朧としている意識を掠め取ろうとしてくる。


 和樹はカップに残っていた少量ののコーヒーを一気に飲み干した。なんとも表しがたい苦味が口の中を満たしていく。やはりブラックの独特の喉越のどごしは、何度飲んでもなかなか慣れない。


 その勢いに身を任せ、和樹はマグカップに2杯目のコーヒーを注いだ。本当は砂糖をたっぷりと入れたいが、今は目覚めるために舌への刺激が欲しいので、次もブラックコーヒーのままだ。


「え……?」


 コーヒーを注ぎ終わると同時に、和樹の部屋から小さな声が聞こえた。


 おそらく、転校生が起きたのだろう。


 和樹はコーヒーを台所に置き、静かに自分の部屋へと向かった。


「……入るぞ」


 緊張感を与えないように、ゆっくり扉を開けた。万が一、大声を出されたりしたらひとたまりもないからだ。


 予想通り、転校生は目を覚ましていた。和樹の部屋をきょろきょろと見渡しながら、ルビー色の両目を見開いている。


 その瞳が部屋に入ってきた和樹を捉えた瞬間、彼女の表情は一変し、警戒の色を帯びた。


 和樹が1歩近づくと、彼女は少し後ろに下がる。和樹と彼女の間に見えない壁が、何層にも重なっているような気がした。


 そこまで警戒することはないだろう、とは思ったが、相手はつい最近引っ越してきたばかりの転校生。ただでさえ慣れないことが多い中、目が覚めると他人の、あまつさえ異性の家に連れてこられていたともなれば、警戒しないはずがない。


 まずは警戒を解いて話を聞いてもらわないと、と考えつつ、和樹は転校生をなだめる方法を模索していた。


(……どうすれば無害だと思ってくれるのか。あ、これなら)


 和樹はそっと両手を上げ、その場に膝をついた。刑事ドラマで見たことのある、降参のポーズを取る。


 最初に言葉で説明した場合、十中八九言い訳にしか聞こえないだろうな、という判断をもとにした行動だったのだが、内心は「もっと他に方法あっただろうが」と後悔に満たされていた。


 どうか無害であることが伝わりますようにと祈りながら、恐る恐る彼女の表情を伺うように見ると、その瞳からは警戒の色は消えていた。


 代わりに向けられたのは、軽蔑の視線。


「……何してるんですか」


 一切の熱を持たない冷えた声が、降参の姿勢を保ったままの和樹に飛んでくる。


「自分なりに誤解を解こうとしてる」

「なら、なんでひざまずいているのですか」

「俺が危害を加えるつもりはないっていう意思表示をしようと思って」

「……そうですか」

「そうなんです」


 部屋に沈黙が広がる。楓華は相変わらず軽蔑の視線は向けられたまま微動だにしない。


 しかし、厳しいのは視線だけで、彼女の雰囲気は最初より落ち着いていた。どうやら和樹が無害だということが分かってくれたらしい。


(……一応、伝わったのかな)


 心の中で、幼い頃に母親に観せてもらった刑事ドラマに深々と頭を下げた。


 少しだけ場の緊張が解けたので、体勢を元に戻し、話題を切り替えた。


「ちゃんと説明するから聞いてほしい」

「……分かりました」


 彼女はゆっくり俯いて、ベッドの隅から少しだけ和樹の方へと近づいてきた。聞く準備ができたということだろう。


 和樹はできる限り優しい声音で、彼女にこれまでの経緯を簡単に話した。なぜ和樹の部屋で寝ていたのか、どうして助けたのか、本当に何もしなかったのか。


 彼女が聞きたかったであろう事柄は全て話した。


「───と、まぁこんな感じかな」

「……そうなんですね」

「あぁ。俺は何もしてないしするつもりもなかったんだ。あのまま凍傷にでもなられたら寝覚めが悪かったからな」


 素っ気なく返せば、転校生は堅苦しいままだった表情を僅かに和らげた。


「色々とお手数をお掛けしました」


 それから彼女のマフラーや荷物はリビングに置いているから、ということを伝えると、転校生は和樹に向かってお礼を言いながらぺこりと頭を下げた。


「その……ありがとう、ございました」


 こちらとしては彼女が納得してくれたことに安堵したが、それと同時にお礼を言われたことに動揺を隠せなかった。


「……おう。気にすんな」


 異性に面を向かって感謝される機会があまりなかったせいか、素っ気ない返答になってしまう。反射的に彼女から視線を逸らす。


「あ、そうだ。腹減ってるか」

「……いえ、大丈夫です」

「そうは言っても、もう作ってるんだ」


 何となく拒まれるのは分かっていたので、少しだけ語気を強めて返答した。それでも彼女は、申し訳なさそうに眉をひそめたままだった。


「何度も作ったことあるし、味は保証する」

「いや……そういうわけではなくて」

「遠慮はしなくていいぞ」

「でも……」

「1口だけでいいから」

「少しだけ……なら、空いてます」

「ちょっと待ってくれ。すぐに用意する」


 彼女の返答を聞き終わるのと同時に、和樹は足早にその場を離れ、台所へと向かった。


 先程作っておいたスープを温め直し、用意していたお椀に注ぐ。


 それをこぼさないように気をつけながら、自分の部屋へと戻った。


「これは……?」

「生姜スープ。体が温まると思って」

「あ、ありがとうございます」


 一応和樹の手作りではあるが、そんなに大したものではない。生姜と細かく切った人参や白菜といった野菜を入れて、鶏がらスープの素で飲みやすいように味付けしただけの簡素なものだ。


 お椀を持ったまま、彼女は再びお礼を言った。じわじわと熱がせり上がってくるのを感じた和樹は、床に視線を落とした。


「……いただきます」

「おう。召し上がれ」


 猫舌なのか、彼女はお椀にゆっくりと小さな口を運んだ。


「……美味しいです」

「それはよかった」


 転校生は澄ました顔だったが、かすかな笑みを浮かべている。その安堵の含まれた柔らかな微笑みに、何処か懐かしさを覚えながら、そっと目を逸らす。


「九条さん、どうかしましたか?」

「いや、なんでもない」

「そうですか」


 彼女は首を傾げ、視線をお椀へと向ける。その中にはもうスープは入っていなかった。


 同時に向けられたのは、期待と恥じらいがにじんだ視線。


「おかわりいるか?」

「……お、お願いします」

「おう」


 お椀を受け取った際に横目に見た彼女の白い頬は、淡く紅色に染まっていた。食い意地の張る女だと思われたくないからだろうか。


 その表情は異性に興味がないと自覚していても、とても可愛らしく見えた。




〘あとがき〙

 ども、室園ともえです。

 今回も読んでくださった方々、本当にありがとうございます。


 明日も投稿予定なので、ぜひ読んでくださると幸いです。


 宜しければ、フォローや感想、★評価や♡など、お願いします。


 それでは、また。

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