第4話 白雪姫との出会い(3)
和樹はその日、なかなか眠りにつくことが出来なかった。無理やり寝てしまおう、と瞼を閉じても、しばらく経てば自然と開いてしまう。
布団から顔を出して、真っ暗な天井を見上げる。再び目を閉じても、なかなか眠気はやってこなかった。
手元に置いてあるデジタル時計を見ると、時刻は22時を指していた。寝始めたのが21時頃なので、かれこれもう1時間が経過したことになる。
和樹はデジタル時計を元の位置に戻して、そっとため息をついた。
「……あの転校生、ちゃんと帰れたかな」
無意識に、そう呟いていた。
和樹のしたことは、間違いではなかったと思う。和樹は転校生にお節介を焼いた。彼女を見る限り、大丈夫なわけが無いと思ったから声をかけた。
『大丈夫です。これ、私の趣味なんです。夜風にあたるのが好きなので』
『なので私は大丈夫ですよ。わざわざ気遣ってくれてありがとうございます』
でも、彼女は大丈夫だと言った。その理由は分からないが、そう易々と他人に語れるようなものではなかったのだろう。
だから、彼女をそのままにして帰ってきた。拒まれたのだから、これ以上お節介を焼くのは自分自身にとっても彼女にとってもいいことではないと考えたからだ。
「でも、な……」
額に手を当てながら、再び無意識に、ぽつりと呟く。
彼女は夜風にあたることを、自分の趣味だと言っていた。
実際に和樹は、夜風が好きで夜中に散歩している人を、何度か見たことがある。でもその人達は皆、心地良さような表情をしていた。
……あんなに凍えて、怯えて、何かに耐えているような表情ではなかった。
そう考えると、もう少しだけお節介を焼くべきだったのではと思ってしまう。
自意識過剰なのかもしれない。意識していなくても、傍から見ると偽善者なのかもしれない。
でも、彼女が家に戻ったかどうかを確認しに行くことぐらい、いいのではないだろうか。許されるのではないだろうか。
これは単に自分が勝手に心配しているだけだから、彼女に迷惑はかかっていないはずだ。
もし彼女が家の前にいなければ、彼女の言う通り本当に趣味だったのかもしれない。無くしてしまった鍵を親が持ってきてくれたかもしれない。
少なからず、彼女は家に入ることができ、和樹の心配は杞憂に終わる。
しかし、もし、彼女がまだ家の前に居たのならば……居たの、ならば。
『……大丈夫、ですから』
彼女の苦しそうな表情が、再び脳裏を過ぎった。
冷たい廊下で蹲り、全身震わせている少女の姿。最後に和樹に話しかけた時の縋るような小さな声、ルビー色の瞳に溜め込んでいた大粒の涙。
まるで風前の灯火のように、少し息を吹きかけしまえば音も立てずに消えてしまいそうな程に弱々しい笑み。
そんな彼女の姿を想像した時には、和樹の体は、既に動き出していた。
布団から飛び起き、足早に玄関へと向かう。壁にかけてあるダウンコートを寝巻きの上から羽織り、靴箱からスノーブーツを取り出した。
(……ほんと、昔から変わってないよな)
靴紐を結びながら、和樹は自分自身に呆れていた。
他人だから関わる気はない。そう言っていたのは自分自身なのに、今は彼女が心配で様子を見に行こうとしている。仲の良い友人でもないのに。相手の名前すらも知らない、赤の他人なのに。
そんなことを考えながら玄関の扉を開け、階段を一段飛ばしで勢いよく下りた。
途中薄く積もっていた雪に足を取られそうになったが、なんとか手すりに掴まることで体勢を立て直した。
廊下に薄く積もった雪の道を少し歩く。相変わらず外は寒く、吐息は白く染まっていた。
(思い込み過ぎだったか……)
幸いと言うべきか、彼女が蹲っていた廊下には、誰もいなかった。
恐らく何らかの理由で家に入ることが出来たのだろう。
和樹は安堵のあまり、そっと胸を撫で下ろした。これで安心して眠りにつくことが出来る。
心配し過ぎただけ。お節介が過ぎただけ。そう考えながら自宅へと向かおうとした。
その時、ふと1つの疑問が浮かんだ。
(……家に帰れたのなら、どうして鞄は外に置いてあるんだ?)
廊下には、確かに彼女の姿はなかった。だから和樹は、家に帰ることが出来たのだろうと考えた。
しかし、彼女の荷物はそのまま、和樹と話した時と同じ場所にあった。忘れたのか、とは思ったがその確率は殆ど無いだろう。1度家に帰ったとしても、明日の授業の準備や予習をする際などに忘れていたことを思い出すはずだ。
(まさか……誘拐とか)
テレビの情報番組などでたまに見かける、若者の誘拐事件。抵抗力の小さい子供を連れ去ったり、女性にあまり好ましいとは思えない性的な要求をしたりなど、常人ではとても考えられないようなことを平気で行う輩は世の中に少なからず存在する。
その点で考えると彼女はどうだろうか。和樹は興味がないと言っても、確かに彼女は万人受けするような美貌は持っていると思う。
転校初日に真治や他の生徒がその容姿を一目見ようと集まっていたことが、その何よりの証拠だ。
それに彼女は、恐らくあの様子では抵抗など出来なかっただろう。廊下に蹲り、全身を震わせながら寒さに耐えている状況で男に囲まれでもしたら抵抗する術がない。
(……考え過ぎだっての)
和樹には、常に最悪の事態を考えてしまう癖がある。新しく文房具を買えば「壊れてしまうかもしれない」と封を開けることを躊躇い、料理に肉を使う際は「食中毒になるかもしれない」と限界ギリギリまで焼く。大体いつも焦げる。
要するに、ネガティブを
……きっかけは些細なことなのだが。
(……少しだけ探そう)
そう考えた和樹は、1度通り過ぎた彼女の家の前を再び歩いた。
辺りを見渡してみたり、柵から下の階を見下ろしてみたりしたが、転校生の姿は見当たらない。
とりあえずエントランスまで行って、少し辺りを捜索する。その後折り返して戻ってこよう、と考えていた時だった。
「すぅ……すぅ……」
廊下の奥の階段の方から、小さな寝息が聞こえた。それも、聞き覚えのある声音。
ゆっくりと近づいて確認すると、そこには銀髪の少女が、階段と壁に身を寄せて寝ていた。先程見た時より顔色はさらに悪くなっており、桜色だった唇は色を失っている。
恐らく夜風と雪を少しでも凌ごうと、階段の方へ移動した後、力尽きてしまったのだろう。荷物が置きっぱなしだったのも、持ち上げるほど気力がなかったということならば納得がいく。
「大丈夫か?」
声をかけても、案の定返事は返ってこなかった。
「……どうするかな」
目の前には弱りきった少女が1人。和樹は彼女を助けられる状況にある。
他人だから見て見ぬふりをして去るのはどうだろうか。
先程の1回きりならまだしも、ここまで心配しておいて今更そんなことが出来るはずがない。むしろ、それは人としてしてはいけないことだ。
もし親と喧嘩している場合なら、こちらから説得するのも──いや、無理だろう。
そもそも、こんな寒さで1人の少女を放置したままでいられるような親だ。話し合いが通じるとは到底思えない。
時間も時間なので「こんな時間に訪ねてくるなんて──」といった流れで口論になる可能性だってある。考えすぎだとは思うが、万が一そうなれば、最悪、近所の方々に迷惑になってしまう。
……だとしたら、彼女を安全に助ける方法は1つだけ。
「……ごめんな。悪く思わないでくれ」
和樹は彼女の華奢な体を静かに抱き上げた。背中と膝裏に手を回し、華奢な体を支える。
異性を抱えたことによる恥じらいは、彼女から伝わる熱の小ささによってすぐに消えた。
……これははふと湧いた親切心のようなもので、別に他意は無い。言い換えればただの自己満足だ。
そう、自分に言い聞かせた。
『……もう、優しくしないで』
「分かってる。今度はちゃんと気をつけるから……」
どこからともなく聞こえた懐かしい声に、少しだけ息苦しくなったが、首を振ってその意識を払い
「……もう、思い出したくないんだ」
そう呟きながら、和樹は抱えている彼女を起こさないようにゆっくりと階段を上り、自宅の扉を開けた。
相変わらず、扉は重たかった。
〘あとがき〙
どうも、室園ともえです。
予想していたより遥かにPVの伸びが好調で嬉しい限りです。ありがとうございます。
スロースタートな本作ですが、ゆっくりと近づいていく距離感を描写しているため、どうかお許しください。
1週間に2、3話更新していくつもりなので、後々一気に読んでみるのも楽しみ方の1つかもしれません。
今回も読んでくださった方々、本当にありがとうございます。もしよろしければ、フォローや感想、★評価や♡など、お願いします。
明日も更新予定なので、またここに足を運んでくださると幸いです。
それでは、また。
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