第3話 白雪姫との出会い(2)

 和樹と転校生が出会ったのは、数時間前ににさかのぼる。


 ──────


 午後8時頃。


 スーパーで買い物を済ませた和樹は、自宅のマンションに到着し、居住している2階に向かうためエレベーターに乗ろうとした。


 しかし、エレベーターは点検中の看板が置かれていたため、乗ることは出来なかった。


「……うわ、マジかぁ」


 仕方なく、廊下の奥の方にある階段へと向かう。冷たい夜風が吹き込む廊下は、気のせいかいつもより長く感じた。


「……ん?」


 廊下を歩いていると、遠目に1人の少女の姿が見えた。あまり視力はよくないので、はっきりとは見えなかったが、銀髪の少女がうずくまっている、ということは分かった。


 目を凝らしてよく見ると、銀髪の少女は小刻みに体を震わせていた。見たところ和樹の高校と同じ制服で、マフラー以外の防寒具はつけていないようだった。制服の上にコートを羽織っている和樹ですら肌寒いと感じるのに、大丈夫なのだろうか。


 天井を眺めているのか、少し上向いていたその顔は血色が悪く、青白くすら見える。


(あれって確か……転校生の人だっけ)


 真治に投げ飛ばされたあの日、転校生がいるというクラスで明らかに注目されていた1人の生徒。透き通るような白銀色の髪に、困惑と焦りを浮かべていたルビー色の瞳。ぼんやりとだが、顔立ちは覚えている。


 何をしているのだろう、とは思った。


 家の鍵を無くしたのだろうか、それとも親と喧嘩をして反省させられているのだろうか。無意識にいくつかの理由を考える。


 しかし、和樹は彼女にとって他人。下手に話しかけても距離を置かれるだけだろう。


(……まぁ、もう置かれてるだろうけど)


 見知らぬ男に声をかけられた、という状況は悪く言えばナンパとも捉えられてしまうかもしれない。


 そもそも彼女の事情に無理に介入したとして、助けになれるとは思えなかった。


 ……自分が善意を持っておこなったことが、相手にとっては害となることだってあるのだから。


 和樹は自分の中に湧いた良心をそっと抑えつけ、転校生が蹲っている廊下を通り抜け


 ───ようとした。


 和樹の足音に気づいたのか、彼女はゆっくりと顔を上げ、その端正な顔立ちをあらわにした。


 その表情が少し触れれば容易く壊れてしまいそうなほどもろく見えて、抑えつけていた良心のかせが溶けるように無くなった和樹の体は、反射的に動かされた。


 別に、見なかったことにして通り過ぎるという思考は消えていなかった。しかし、脳裏に現れた良心とは異なる歪んだ感情が、それを確かに拒んでいた。


「……こんなところで寝てたら風邪引くぞ」


 あくまで素っ気なく、無視するならしてくれて構わないという意を込めて彼女にそう告げた。


 これを機に彼女と交流を深めたい、などといった動機は持ち合わせていない。


 目の前に蹲る転校生に、恐らく〝彼女〟を照らし合わせてしまっているのだろう。


 和樹が話しかけると、転校生は慌てて瞳に溜めていた涙を制服の袖で拭った。夜風に煽られて乱れていた白銀の髪を手櫛てぐしで整えながら、こちらを伺うように視線を向ける。


 まるで、何もありませんよ、とでも言いたげに。


「えっと……あなたは……空中大回転男さん?」


 と、小さな声が聞こえた。風の音に遮られてしまえば簡単に消えてしまいそうなほど、弱々しい声だった。


(いや……転校生にもそのあだ名知られてんのかよ)


 同時に、そっちの名前で覚えられていたのか、と少し複雑な心境になってしまう。


「……違う、って言いたいところだけど残念ながらその通り。そう、俺が空中大回転男こと、九条和樹だ」


 それっぽく自己紹介文として使ってみたが、自分は何を言ってるんだろうな、と少しむなしくなった。


 そんな和樹を見て、転校生は一瞬だけうっすらと笑みをこぼした。気を遣わせてしまったのかもしれない。


 しかしその笑顔は、まるで何かに吸い込まれるように、すっと消えていった。


「それで、九条さん。こんな時間に何かご用ですか?」


 それは、先程の声とは似ても似つかない、冷徹な声音だった。おそらく、警戒されているということだろう。


 確かに、彼女からしてみれば和樹が何らかの下心を持って接しているという可能性は考慮されているはずだ。和樹にとってもそうであるように、彼女にとっても和樹は、1度面識があるだけの赤の他人なのだから。


「いや、こんな時間に家にも入らないで1人で蹲ってたからな。気になったんだ」


 下手に誤魔化しても疑いが増すだけだろうと考え、取りつくろわずに返答する。


「お構いなく。これ、私の趣味なんです。夜風にあたるのが好きなので」


 返ってきたのは、どこまでもんだ声の響き。まるで、濁り方を忘れた清流のようだった。


 警戒心はそのままに、あくまで柔らかく和樹を拒絶しているような淡白たんぱくな声だった。


「そういうもんなのか」

「はい。少し肌寒いぐらいの風が気持ちいいんです」

「気持ちよさそうには見えないんだが」

「……心配には及びません」


 会話は一旦、そこで途切れた。


 人の趣味にケチをつけるつもりはないが、嘘だろうとは思う。夜風にあたるには服装が軽装過ぎるし、小刻みに唇や肩を震わせている時点で寒さに慣れているというわけでもなさそうだ。


 このんでここに居るとはとても思えない。


 恐らくは和樹が立ち去るまでの、その場しのぎの嘘。


「……そっか」

「なので私は大丈夫ですよ。わざわざ気遣ってくれてありがとうございます」


 返ってきたその言葉は先程の冷徹な声音ではなく、透き通るように清涼な声だった。


 再び笑みを浮かべながら、彼女は静かに俯く。その笑みはとてもぎこちなく、体は小さく震えていた。


 和樹は嘘だと分かっていることを隠すために素っ気なく返した。ここで深追いして事情を聞こうとするのはご法度はっとだろう。


 そもそも彼女が嘘をついているというのはあくまで憶測で、確信ではない。


 かといって、詳しく話してくれと気軽に訊けるような間柄でもない。


 そもそも、話を聞くからなんでも話してというのは、聞く側の傲慢さだ。


 彼女は安堵したように視線を膝に戻した一方で、一瞬だけ何かに耐えるように唇を噛み締めた。


 和樹はそれを分かった上で、彼女に背を向けた。


「でも程々にしとけよ。趣味でもやり過ぎるとほんとに体調崩すぞ」

「分かってます。そろそろやめますから」

「おう。てっきり親と喧嘩して反省させられてるのかと思ったよ」

「そんなことはないです。……大丈夫、ですから」


 彼女の含みのある言い方に振り返ろうか躊躇ったが、背を向けたまま下ろしていた荷物を持ち上げる。不思議と重く感じた。


「それじゃ、俺は帰るから。趣味の時間邪魔して悪かった」

「……いえ。それでは、おやすみなさい」

「おう、おやすみ」


 彼女の発言は、明らかに矛盾していた。口では放っておいてと言っておきながら、その声音は淡白で、まるで助けを求めてすがっているようにすら聞こえた。


 本当にあの転校生は、“彼女”のようだった。崩れかけの作り笑いも、痛切な声音も、ぎこちない仕草も、その全てが。


 和樹は胸に疼いた僅かな痛みに耐えながら、階段へと向かおうとした。


「あの……」


 今にも消えてしまいそうな、か細く切実な声が後ろから聞こえた。和樹はあえて荷物は置かずに顔だけ振り向く。そこには何かに怯えたような表情を浮かべた彼女……転校生がいた。


 うっすらと降る雪と転校生の光沢のある銀髪が相まって、その光景はまるで絵画のようにすら見える。


「……どうした?」

「あ……いえ。やっぱり、何でもありません」

「そうか」


 善意を向けるのが怖かった。ここで一声かける勇気が持てなかった。


『やっぱり、何か事情があるのか?』

『家に入れないならうちに来てもいいぞ』

『俺でよければ相談に乗るが』


 かける言葉なら、いくらでも思いついた。しかし、出来なかった。見て見ぬふりをした。転校生からも、自分自身からも。


 ただただ、怖かった。


 あんな思いをするのは、もう2度とごめんだった。


 壁に寄りかかるようにして座る転校生を横目で見ながら、和樹はその場を後にして自宅へと向かった。


 いつも通りに鍵を開け、家へと入る。1人暮らしで他に誰もいないことは分かっているから、ただいまはもう言う必要が無い。


 荷物を下ろした後、家の扉を閉めるためドアノブに手をかけた。引っ張ると、鈍い金属音を響かせながら、ゆっくりと閉まっていく。


 この日の扉は、何故かやけに重たかった。




〘あとがき〙

 どうも、室園ともえです。

 今回も読んでくださった方、本当にありがとうございます。


 序盤から暗い雰囲気ではありますが、ここから徐々に物語が進展していきますので、ぜひ次回も読んでくださると嬉しいです。


 よろしければ、感想や★レビュー、応援やフォローなど、お願いします。


 もしご指摘や矛盾点などがありましたら、ぜひ遠慮なくおっしゃってください。改善に努めます。


 次の話は週末に投稿する予定です。

 お楽しみに。


 それでは、また。

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