第3話 帰宅部一同は帰宅出来ない。下


 

 

 

 4月の風が少し強めに吹き抜け、古泉の頬を掠める。風に靡く茶髪の髪は、元々はセットされていたのだが、この心地よい風の所為で滅茶苦茶になってしまった。

 場面は変わり、前野達がいる体育倉庫の近くの校舎の屋上。小泉は、転落防止の柵に背中を預けながら、ズボンのポケットの中をまさぐっていた。苛々しているのか、それとも別の理由があるのか。普段から悪いその目付きを2割増しでギラつかせている。

 携帯を操作し、電話のコール画面へ。電話はすぐに繋がった。

 

「もしもし? オレだ」

『古泉先輩! あのメッセージは──』

「おう。考地か。つう事は、体育倉庫のメッセージは見付けられた訳だ。良かったな、何も調べずに電話してくるようなアホだったら、説教かましてたぜ」

 

 古泉の軽口に、青山は『当然です』と電話越しに胸を張ってみせた。

 

『メッセージの意味は分かりましたが……まさか、あの技を使うのですか?』

「……あぁ。上手く落ち合おうや」

 

 そう言って、電話を一方的に切る。別に、後輩に意地悪をしている訳ではない。流石の古泉も、場所と場合は弁えているからだ。

 つまりは、古泉の前に現れた1人の女生徒。ここ一帯を吹き抜ける風が、女生徒の制服をはためかせる。

 

「見付けましたわよ」

 

 屋上に、女生徒──生徒会長が姿を表す。

 

「遅かったじゃねぇかよ、生徒会長さん」

「貴方が大人しくお縄に掛かっていたなら、もっと早く会えましたわ」

「はっ、そりゃ無理な話だ」

「その強気な態度、いつまで保つかしら」

「それはこっちの台詞だ」

「……どういう事でしょうか?」

 

 簡単な話だ。古泉はそう呟いてから、指を天に向けて指した。

 

「これ以上近付いたら、生徒会長がオレのブレザーをくんかくんかしていた事を全校生徒にバラす」

 

 無論。

 古泉の普段の行い故に、実際にそんな事をタレ込んでも相手になんかされないだろう。そして、聡明である生徒会長も、平時ならばブラフだと気付けた筈だ。

 しかし、今は古泉に〝あの現場〟を見られた事により精神的に不安定である事と、それが実行された場合の恥と失墜、実家に泥を塗って没落していくまでのシミュレーションを脳内で一瞬にして実行してしまったが故に。

 故に、生徒会長は、事の重大さに「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ────!!」と頭を抱えて叫ぶ。ブラフを見抜けずに、しゃがみ込んでしまった。

 効果は覿面てきめんだったようだ。

 

「はっはっはっは! 理解出来たんならそのブレザーをこちらに渡せ!! そしたら許してやらない事もないぜ?」

 

 ズビシィッ! と生徒会長に指を指す。

 

「……」

 

 リアクション待ち。

 しかし生徒会長は、何のアクションも見せずに俯いている。

 

「どうした? いきなり黙っちゃってよ」

「……死にますわ」

「あ?」

「そんな痴態を晒す位なら、死んでやりますわぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」

「ちょ、ちょっと待て!」

 

 言って、生徒会長は古泉のブレザーを抱えて、走り出した。

 しかし、その行き先はドアではなく。生徒会長の立っていた場所から左方向。即ち、屋上を取り囲むフェンスに向かって。

 

「バカ野郎!」

 

 慌てて生徒会長を追い掛ける。生徒会長は落下防止の策をよじ登り、フェンスの向こう側へと身を乗り出しそうになってしまっている。しかし、生徒会長と古泉。脚の速さは歴然で、数秒と経たずにその距離は縮まり、生徒会長の手をガッチリと掴んでみせた。

 しかし、生徒会長の手を掴んだ頃には、無意識の内に自身も柵を飛び越えてしまっていて。

 生徒会長の手を掴んだ事により、重心が前へと傾き、バランスを保てない。後ろ手で柵を掴もうとするが、スルリと手から離れていった。

 

「ヤッバ──────」

 

 一瞬で頭が真っ白になる。続く言葉も出なかった。屋上のフェンスが、スローモーションで小さくなっていく。

 オレが面白半分で脅さなければこうはならなかったのではないか? 

 そもそも、校則をオレが破らなければ、こんな結末にはならなかったのではないか? 

 頭も景色も白ずんでいき、様々なパターンの後悔が頭を巡る。

 

 

 

 ⇒

 

 

 

 おかしい。

 

「……あのー」

「何でしょうか」

「いつまで屋上見てるんですか? 何も起こりませんけど……」

 

 確かに、古泉が電話で青山に『上手く落ち合おうや』と伝えてから、5分が経過した。しかし、見上げた屋上には何も無く、その背景の青空ばかりが目に映る。

「古泉先輩が見ていろと言ったのです。見ていましょう」

「恐ろしい程忠順ですね……」

「しかし、前野さんの言う事も一理あります。一度電話しましょうか」

 先程通話をしたばかりの番号を選び、コールボタンを押した。それから、呟く。

 

「……成る程。そう来ましたか」

 

 それから、一秒も満たない間に、青山は走り出した。

 

 

 

 ⇒

 

 

 

 PLLLLL! 

 

「──ッ!!」

 

 思考が停止しかけた刹那。古泉のポケットから鳴り出した携帯の着信音。それが、古泉を正気に戻した。瞳から入る情報に色彩が戻る。

 着信音はすぐに止み、自身の鼓動の音と耳に絡む風の音が、古泉の目を覚まさせる。

 そうだ。

 ネガティブになってる場合じゃないだろう。

 まだ結末じゃない。まだ、起承転結の起にもなっていない。

 帰宅は、始まってすらいない。

 古泉は生徒会長を引き寄せ、彼女が恐怖を少しでも和らげる為に強く強く抱き締めていたブレザーを取り戻す。幸い、生徒会長はフェンスを越えた辺りから恐怖のあまり気絶してしまっているらしく、古泉の行動を咎める者はいない。

 生徒会長から剥ぎ取った自分のブレザーを着て、落下に備える。

 風に揉まれ、ゆらゆらと回転しながら落下している生徒会長。彼女はどうするのかって? 

 

「無茶が過ぎますよ、全く……」

 

 古泉がブレザーを着たのとほぼ同時に、『空翔ける帰宅部』で壁を走ってきた青山が生徒会長を捕まえ、お姫様抱っこの体勢に落ち着かせる。最高だね! ベネディクトがこの場にいたなら、笑顔でそう言っただろう。

 

「じゃあ、あとは頼んだぞ」

 

 古泉は青山にそう言ってから、背中を下に向ける。予測落下地点には、学生達から『ちょい森』と呼称される、グラウンド一つ分くらいの面積に隙間無く生い茂る緑色の木々。古泉は今背中から落ちている為、運が悪ければ背中から枝に突き刺さるが。

 お忘れだろうか。古泉のブレザーには、鋼が入っている事を。

 バキバキバキバキッ!! と全方位から枝の折れる音が。背中は守れても、剥き出しの顔や、布何枚かしか纏っていない四肢は、枝の猛威に曝される。剣山のように待ち受けた木々の枝が、古泉の身体中に傷を付けながらも落下の衝撃を段々と吸収していく。木の枝をしならせ、折り。そして他の木の枝が古泉の体を受け止め、しならせ──そんな事を繰り返せば、いつの間にか枝の密集地帯を抜けていた。

 地面に背中から着地。しかし、木々によって殺された衝撃は、木から地面までの高さの衝撃しか残っておらず。古泉は屋上からの落下死をまぬがれたのだった。

 ……とはいえ、地面に背中から着地している訳で。重い衝撃が体内を駆け巡り、古泉から呼吸機能を数十秒間奪う。呼吸が戻っても、その痛み故に危うく嘔吐しそうになるが、流石にそれは絵面的にまずいので必死に我慢。

 

「……ぷはぁ」

 

 身体が落ち着いたのを確認して、大きく息を吐く。久々にこんな無謀なアクロバットを決めたなぁ、と古泉は思った。

 近くに、生徒会長を腕に乗せた青山が着地する。着地の際に近くの木々を跳び回って衝撃を分散したからか、その着地は古泉と違ってスマートだった。

 青山に抱かれている生徒会長を見て、古泉は思う。

 

(本当なら、ブレザーを返してもらったら屋上から飛び降りて青山によいしょされる予定だったんだがなぁ)

 

 だって、自分で着地するの痛ぇし。

 

「サンキューな、考地」

「いえ、いつもの事です」

 

 思えば、青山は損得感情無しに、俺の言う事を聞いてくれる奴だ。前野は言う事聞かないし、ベネディクトは気紛れだしなぁ……。

『帰宅部』で一番人間が出来ているんだろう。

 古泉は自分が出した結論に内心笑いながら、「それもそうだな」と言った。

 良さ気な雰囲気に包まれているが、まだ問題は解決していない。

 青山の腕の中で、眠っている生徒会長。そして、生徒会に捕まったベネディクト。

 生徒会長が目を覚ませば、また先程のように追い駆けっこが始まる。

 ベネディクトの安否も分からないので、その確認もしないといけない。

 文庫本で言えば、全体の半分を少し過ぎたばかりだ。残り100ページ余り、物語は続く。

 まだ、帰宅は出来ない。

 

「あ」

 

 古泉の隣にいた青山が、間の抜けた声を出す。

 

「どうした?」

「生徒会長、起きます」

「マジで……?」

 

 視線を青山から生徒会長に移すと、もう身じろぎを始め、瞼を擦っている。

 古泉が、どうやって生徒会長に今の状況を説明するかと悩んでいると、生徒会長がムクリと身体を起こした。それを確認した青山が、自立を促す。

 ゆらゆらと少し揺れたが、数秒経ってから身体の軸が安定したらしい。瞬きを何度か行ってから、

 

「キャアアアアアアアア──!?」

「うっせぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 

 いきなり叫び出した。

 

「考地!」

 

 このままじゃ堪らない。青山に合図をする。

 

「了解しました」

 

 生徒会長の後ろに立っていた青山が、すぐに口を塞ぐ。もがっという声を最後に、生徒会長は言葉を発さなくなった。「うー、うー!」と青山の掌越しに音だけが聞こえる。口を──正確には、顎を押さえ込んで強引に喋れなくさせたのだ。生徒会長は女性なので、簡単に出来る。

 

「良いか、話を聞け」

「うー!」

「落ち着け。別にバラしたり殺バラしたりはしねぇからよ」

「うー……」

 

 音を出さなくなったのを確認し、青山が手をゆっくり離した。

 

「その言葉に偽りはありませんわね?」

「当たり前だろうが」

「……分かりましたわ」

 

 溜め息と共に肩を落としながら、抵抗をやめた生徒会長。果たしてそのため息の色は、落胆か、それとも諦めか。

 

 

 

 ⇒

 

 

 

「────」

「────」

 

 体育倉庫で古泉と青山の帰りを待っていた前野。携帯をイジりながら待っていたその途中、何者かによって後ろから袋を被せられ、視界と手足の動きを封じられた後にどこかに連れ去られてしまっていた。目を隠され、身動きも取れない前野には為す術も無く。

 今は耳から入る情報が全てなので、必死に周囲の状況を把握しようと耳を立てる。聞こえてくるのは数人分の足音と、男女ワンペアの声。(誰がとか個人までは特定出来ないが)混乱しながらもそんな風に頭に入れていた。自分の近くで慌ただしく話し合う声を大人しく聞いていた。

 

「──よし、外して良いぞ」

 

 そんな声と共に、前野の視界を遮っていた何かがゆっくりと外された。目に入るのは机が五つくっ付けられている、何かの集まりのような物。その机一つ一つに『生徒会長』『副会長』と名前のプレートが置かれている。まさかここは。

 生徒会室? 

 怒っているのか、それとも笑っているのか、はたまた違う表情なのか。兎に角、ぱっと見で表情を感じ取れない、無表情とはまた違う表情で前野を見ている副会長が、窓際に佇んでいた。

 ついでに言うと、前野は椅子に縛り付けられていた。

 

「副会長」

「よう。また会ったな」

 

 気さくに挨拶をしてくる副会長。てっきり怒っているとばかり思っていた前野は、少し拍子抜けしていた。

 

「さっきは女の子の声もした気がしたんですが」

「あぁ。庶務には出て行ってもらった。この部屋にはお前と俺しかいない」

 

 成る程。

 副会長の言葉に納得してから、辺りを見渡す。

 

「見慣れないのか。そりゃそうか。お前は他の3人と違って優等生だもんな」

「恐縮です。……って、他の〝3人〟?」

「何が引っかかっている」

「いえ。古泉先輩とベネディクト君は、まぁ分かるんですが、青山君は──2年生の青山君も、生徒会室に馴染みがあるんですか?」

「あー、あの七三の眼鏡か。あるぞ。アイツは古泉の側近みたいな立ち位置だからな。古泉居る所に七三あり。つまりは、古泉がトラブルを起こせば必然的に七三も一緒に居るという事だ」

「な、成る程……」

 

 帰宅部の部室では、紳士然とした態度で前野に接する青山。確かに、前野とはクラスも違う。部活外での青山の事は何も知らない訳だが。こうして、正義を振り翳す側の人間からの口から発せられるクラブメイトの行いに、前野はイメージを崩されたような──言うならばニュースでアイドルの不祥事を知ったファンのような、愕然と信じられなさが一緒くたになって、前野に訪れていた。

 

「うちの帰宅部が、大変失礼しました」

 

 気が付いたら、謝っていた。いや、普段から生徒会に迷惑をかけているのは帰宅部こちらなので、謝るのは当たり前なのだが。

 

「何だ。帰宅部にも謝れる奴が居たのか」

 

 謝罪を受けて、心底驚いた様子の副会長。それを見て、自分以外の帰宅部メンバーの無法振りを再確認する前野。

 目が合う。

 見詰め合う。

 それから、同時に笑った。

 

「お前は帰宅部の良心だな。よし決めた。部屋から出す事は出来ないが、縄は解いてやろう」

「私も、生徒会って帰宅部伝手づての情報が主だったので、もっと怖い方々かと思っていました」

「今までどんなイメージだったんだよ」

「い、いやぁ」

 

 前野の脳裏に、生徒会メンバーが無関係の生徒に暴力を振るったり、予算を不平等に振り分けるイメージ図が浮かび上がる。

 

「言っておくが、帰宅部が話す生徒会俺達って9割以上嘘だからな」

 

 前野の縄を解きながら、副会長が弁明する。実際に話して分かったその人間らしさに、前野は思わず笑みを溢していた。

 

「……ふふっ」

「なんだよ」

「副会長って、良い人なんですね」

「そうさ。俺は良い奴だ。──勿論、庶務だって、書記だって会計だって良い奴等だぜ」

「生徒会長は?」

 

 前野がそうやって問うと、副会長は誇らしげに言った。

 

「あのお方は、良い奴だなんて馴れ馴れしく形容は出来ないが……。素晴らしいお方だ。なんて言ったって、俺みたいなのをここまで連れてきてくれた」

「俺みたいなのを?」

 

 そこで、前野の頭上に浮かんだ疑問。それは前野の背中に滑り落ちて、ぶるりと震わせる。

 

「あ、あの。質問良いですか」

「答えられる質問なら何でも答えてやる。どうした」

「副会長って、元ヤンなんですか?」

 

 先程、青山から寄せられた副会長の過去。その真偽を確かめる為、問う。

 問われた副会長は、ニッと笑った。良かった、あの話は嘘だったんだ──

 

「あぁ、そうだ。去年まではヤンチャしてたぜ」

 

 そう言って、前野に見せた喧嘩タコと古傷だらけの右手。そのショッキングな右手の真実に、前野は「キュー……」と喉を縮ませながら気絶してしまうのだった。

 

 

 

 ⇒

 

 

 

「おい、大丈夫か」

 

 ペチペチ。頬を優しく叩かれている感触で目が醒める。目が醒めたら、副会長の顔が間近にあった。

 

「うぁひやぁ!」

「どうやって発音してるんだそれ──って、そうじゃないか。大丈夫か、帰宅部の良心」

 

 普段の副会長と言えば、古泉に対して怒っているか、生徒会長から指示を貰ってニコニコしているか、先程の前野との会話での情が感じ取れない表情かの三つの表情しかないのだろうというのが前野の感想だった。しかし今の表情はその内のどれでもなく、突然倒れた前野を心配しているような表情だった。

 大丈夫です。少し、副会長の手の傷にビックリしてしただけです。そう伝えると副会長は、ホッと安堵の溜息を吐いてから、前野の頬を叩いていた右手を自分の身体で隠した。

 

「悪かった。〝こういうの〟、苦手な人もそりゃいるよな。配慮が足らなかったよ。……本当に、悪かった」

 

 言って、頭を下げる副会長。心からの謝罪を受けた前野は、この人は誠実な人なんだなと。副会長への評価がグングンと上がっていくのが分かった。

 

「そんなに気にしないで下さい。もう大丈夫ですから」

「そ、そうか……」

 

 フォローは入れるが、それでも尚気にしてしまっている副会長。数秒項垂れてから、語り始めた。

 

「俺って馬鹿でさ、生徒会に入るまでは、この古傷は栄光みたいなもんだと思ってたんだよ。喧嘩に勝って、ドンドン増えていく傷が嬉しくて仕方なかった。勿論、生徒会に入ってからは喧嘩する事も無くなったから、傷は増えないんだが……やっぱり昔の考えが抜け切れてなくて、ついお前に見せてしまった」

 

 後頭部をポリポリと掻きながら、恥ずかしそうに言う副会長。前野は、思わず吹き出してしまった。

 

「な、何だよ」

「ふふっ。気にしなくて良いって言ってるのに、凄い落ち込んでる副会長が何だか面白かったので」

 

 頬を褒める副会長。

 太陽も段々と夕陽へと変わっていく時間帯。

 

「お前がそうやって振る舞ってくれて安心したよ」

「なら良かったです」

「……けどなぁ。この右手を見て、また女子が怖がってしまったら、生徒会の名に傷が付くんじゃないか不安で仕方ないよ」

「「傷が付くのは俺の右手だけで充分、なんてな」」

「……何で俺の言う事分かったんだよ」

「いやぁ、何となく言いそうな顔してたので」

「うわー、マジで恥ずかしいな」

 

 照れる副会長。これ以上副会長を恥ずかしがらせては、何だか爆発してしまいそうだったので、前野はそろそろ自重する事に。

 話を戻す。

 

「不安なら、何か包帯とか巻いたらどうですか?」

「包帯? あー。それだと、怪我してるみたいで、いらん心配を掛けてしまいそうだ」

「じゃあ、グローブとか?」

「グローブか……」

 

 グローブと言っても、野球とかボクシングとかのソレではない。

 思案する副会長。その様子を見て、前野は何かを思い出してブレザーの懐に手を入れる。ガサゴソとまさぐって、それを取り出した。

 

「……何でグローブが懐から出てくるんだ」

 

 校則違反だぞ。と咎める副会長をまぁまぁと宥めながらグローブを手渡す前野。先程気絶させてしまった手前、あまり強気に出れない副会長はしぶしぶグローブを受け取って右手に嵌めた。

 

「……俺が校則違反になるんじゃないか、コレ」

「生徒会長さんに事情を説明すれば大丈夫だと思いますけど」

「それもそうか……」

 

 納得した副会長は、暫しの間グローブを嵌めた右手を握ったり開いたりして、感触を確かめている。

 

「……これ、いくらだ」

「気に入ったんですか?」

「あぁ、嵌めてる内に段々馴染んできてな」

「じゃあ、あげます。お金は入りませんよ」

「良いのか? 決して安くはなさそうな代物に見えるが」

「はい、良いですよ。私、革の手袋似合いませんし」

 

 そう言った前野に、これ付けてヨーヨーとか持ってたら格好良さそうだなと男子らしい発言をしてしまいそうになる副会長だったが、寸での所で思い留まり、ありがとうと感謝で終わらせた。

 

「代わりと言っちゃ何だが、菓子でもどうだ。来客用に常備してあるんだ」

「わぁ、嬉しいです。2人で食べましょう」

「そこに座っててくれ。今用意する」

 

 副会長が指差した応接用のソファに座る前野(もう帰宅部を拘束する云々は前野には適応されないらしい)。副会長は用意すると言って部屋を出て、30秒ほど経過してから戻ってきた。

 

「菓子とか、毎日必要じゃない物は隣の生徒会準備室に置いてあるんだ」

「初耳です」

「あぁ。札は真っ白だし、準備室の鍵も生徒会メンバーしか所持していないからな」

「なんか凄いですね」

「そうだろう」

 

 胸を張る副会長。今日、キチンと対面で会話してから段々と仲良くなっている二人。それに合わせて副会長が人間らしい表情を見せるので、前野はその様子が少し可愛らしく見えて、副会長に対して萌のような感情を抱いているのだった。

 

「菓子の好みが分からんから、色々持ってきた。飲み物を入れてくるから、その間に選んでおいてくれ」

「分かりました」

「コーヒーか緑茶か紅茶か、どれが良い」

「緑茶でお願いします」

「温かいのか、冷たいのか」

「冷たいのでお願いします」

「おう。分かった」

 

 ポットやグラスは生徒会室にあるらしく(皆毎日飲むらしく)、こちらに背を向けてトポトポと茶を注ぐ副会長。それを横目に見て、テーブルの上に置かれた数種類のお菓子を順番に見ていく前野。食べたいお菓子は、すぐに決まった。

 

「決まったか」

「はい。これが食べたいです」

「ほう、ハッピー◯ーンか。良い好みをしている」

 

 言いながら、袋を開ける副会長。

 

「本当ですか?」

「あぁ。俺も好きだ、ハッピー◯ーン」

 

 袋の中から、個包装されているハッピー◯ーンを一枚取り出し、得意げに笑う副会長。前野も続いて取り出し、自分の顔の前に出した。

 

「何だか、私達気が合いますね」

「全くだ」

 

 それからは、お互い色々な事を話した。

 古泉の横暴具合。

 生徒会長の慈悲深さ。

 ベネディクトがいかに自由か。

 書記は勉強だけじゃなく、会議で出すアイディアも頭良さそうだとか。

 青山の最近読んでる本の話。

 庶務がどれだけ生徒会の為に働いてくれているか。

 会計の弟が剣道で県大会に出場したとか。

 等。

 等々。

 以前から友人だったかのように、談笑する二人。ハッピー◯ーンに手を伸ばし、迫る最終下校時刻なんて気にも留めずに笑い合う。

 テーブルの上のハッピー◯ーンも残り僅かとなり、最後の一枚を譲り合っていると、生徒会室のドアが勢いよく開けられた。その際に発せられた大きな音に驚いて振り返ると、そこには──

 

「生徒会長!」

「古泉先輩、青山君にベネディクト君も!」

「よう。随分と平和そうじゃねェかよ」

 

 全員、共通して砂埃やら草木やらが制服に付着しているので、心配して立ち上がる前野。駆け寄るよりも先に、副会長が飛び出した。

 

「古泉滅殺パァンチッ! (帰宅部の良心風味)」

「危ねェ!」

 

 ソファを踏み台にして、古泉に殴り掛かるが、古泉は風を切るほど速いソレをギリギリでかわして生徒会長の後ろに回って盾にする。

 

「卑怯な真似を……!」

 

 歯噛み。前野から貰ったグローブから音が鳴るくらいキツく拳を握り締め、どうやって生徒会長をあの悪漢の手から解放しようか心算を立てていると、思わぬ所から静止がかかった。

 

「およしなさい」

「せ、生徒会長」

「貴方に暴力を振るって欲しくて、副会長に就任させた訳ではなくってよ」

「も、申し訳ありませんでした」

 

 生徒会長が毅然とした声でそう言うと、副会長は背筋を正して片膝をついてから頭を下げた。

 

「そうかしこまられても逆に困りますわ。ほら、頭を上げなさい。次から気を付けてくれれば、私は別に怒ったりはしませんわ」

「はっ。ありがとうございます。これより、同じ過ちを繰り返さないよう、より一層自らを厳しく律していきます」

「なんだ。副会長様も、生徒会長ボスの前では可愛いワンちゃんだな」

「ンだとゴルァ!」

 

 生徒会長の背中から離れ、ソファへと向かう古泉が、そう呟く。それを挑発と受け取った副会長は、すぐさま飛び掛かった。

 頭を抱える生徒会長。この人も、色々苦労しているらしい。

 

 

 

 ⇒

 

 

 

「帰宅部と生徒会は、正式に和解する?」

「何を仰っているんですか生徒会長! ……帰宅部の良心は例外として──コイツ等と和解しても、メリットなんて一つも無い筈です!」

 

 ひとまず落ち着きなさいと生徒会長に窘められた副会長は、言われた通りにソファに座って落ち着いて話を聞く姿勢に入っていたのだが。

 生徒会長の口から発せられた衝撃の内容に思わず立ち上がり、前野の方をチラッと見てから、他3人の帰宅部メンバーを順番に指差しながら主張した。

 因みに、生徒会長と副会長以外の生徒会メンバーは、最終下校時刻が近い事もあり帰宅したようだ。

 

「いいえ、それがありますのよ」

 

 メリット。

 念を置くように、一語一句丁寧に言う生徒会長。

 

「……生徒会長の秘密が守られる、とかな」

「貴方は黙りなさい」

 

 |小声で生徒会長に耳打ちする古泉。その脇腹を生徒会長が肘で小突く《イチャイチャしている》のを見て、副会長はキレた。

 

「……古泉ィ。貴様、生徒会長に何をしたァッ!!」

 

 腕を振るように伸ばす。すると、いつの間にか副会長の指の間に、一本ずつボールペンが仕込まれていた。手を握る度にカチカチと、ボールペンをノックさせながら古泉に近付く。

 

「これは、俺のお手製のメリケンサックだ。学校に居る時でも、万が一不良共に呼び出されたりしても対応出来るように制服に忍ばせておいているんだ! まさか、これを貴様に使う事が出来るとはなァ!」

「ふ、副会長。落ち着いて下さい」

「帰宅部の良心」

「は、はい」

「怪我したくなかったら、早く帰宅する事だな。生徒会長やお前には怪我をさせたくないが、このボールペンが届く範囲ならばその限りではない」

「え、えぇ……?」

 

 辺りを見渡すと、青山はブレザーを脱いで飛来するボールペンから守る盾代わりにしているし、ベネディクトは生徒会長を執務デスクの下へと避難させていた。古泉でさえもファンディングポーズを取って攻撃に備えているので、どうやら、マジでヤバいらしい。

 前野は、ようやく察した。

 

「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて。失礼します。ハッピー◯ーン、美味しかったです」

「おう」

 

 副会長は、一瞬とても優しい笑顔で応えてから、すぐに古泉を睨み付けた。その瞳には血涙が潤んでいる。

 最早、彼は副会長ではない。生徒会長に手を出した古泉(副会長の妄想)を抹殺することを最優先に動くマシーンになってしまった。

 ようやく、待ちに待った帰宅の時間。

 授業が終わってから今の今まで、ずっと待ち望んでいた帰宅は不意にやってくるので、前野はまだ頭がふわふわした状態で、鞄取りに部室戻るかー。とか色々考えながら歩き出す。多分、校門を出た辺りで、帰宅出来る嬉しさの実感は訪れる筈だ。

 前野はもう勝手にやってくれと言わんばかりに、この現状を他人事に考える事で精神を保ち、スタコラと退室する。その後ろを平然と付いてくる古泉。

 

「……どういう事ですか」

 

 数秒経ってから、質問。古泉は、ヘラヘラしながら答えた。

 

「いや、何。あまりにもナチュラル過ぎて逆にバレないんじゃねェかって」

「そんな訳ないでしょう! あぁもう、ほら! 副会長、走って追い掛けて来てるじゃないですか!」

 

 いつの間にか、歩行から走行に変わる二人の足取り。その後ろを、ボールペンを投げながら追い掛ける副会長。外はもうすっかり日が落ちてしまって。前野の横を通り抜けた一本のボールペンの先が、蛍光灯の光を反射して煌めいた。

 

「何で私まで巻き込むんですか! 帰れそうな雰囲気だったのに!」

「お前だけ一人帰宅させる訳無ェだろうが! 帰宅部は一蓮托生だっつうの!」

「古泉ィィィィィィィ! 待ァァァァてェェェェェ!」

 

 どうやら、帰宅するにはもう少し時間が掛かりそうだ。

 

 

 

 

 

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帰宅部オーバーワーク! 大塚ガキ男 @kinnikuokawari

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