第19話 正体不明のアーティスト
みんなの話を総合してわかったのは、DDというのはここ2、3年で現れた正体不明のストリートアーティストで、あちこちの国で壁や建物に、チョークを使って絵を描いているということだった。作品はいつもDD本人がネットにアップして、それ見たさにみんなが押し寄せるらしい。描くテーマは様々だけど共通の特徴があって、絵を描く壁や道路の傷や汚れ、シミなんかの形を何かに見立てて、そこに絵を描き足している。色遣いは柔らかくて温かなことが多く、絵の隅には、いつもDDというサインがある。
ほら、こんな感じ、と、リオのチームのキーパー・オリーが見せてくれた絵は、大きな猫の絵。壁のハート形に剥がれ落ちた部分を頭の上の模様に見立てている。
「へえ、すごいな」
「落書きは落書きだけど、まさに芸術! そこらの小汚い落書きとは大違い」
「そうだね。まあ、この絵は、1年近く前のものだから、今はもうないけど」
「もうない? なんで?」
「だって、チョークで描かれているんだし。雨が降ったり、地面だったら人に踏まれたりするうちにだんだん消えてしまう」
ならどうしてチョークで描くの? そう呟くと、別の選手が振り返って言った。
「残しておきたくないらしいよ。だけど、もったいないよね」
「残しておきたくない?」
「うん。以前、ある自治体が、この芸術作品は何としても風化させてはならないと言って、壁を覆って、さらに絵に透明な塗装をして褪せないようにするって発表したことがあって。でも、そうしたらDDからメッセージが届いてね」
「それ、聞いたことある! 確か、『そんなことはしないで、消えていく過程も、僕の作品なんです。雨が降ると消える。人が踏むと消える。その変化も作品のうち。留められたら、絵は死んでしまう。標本のように』ってあったんだっけ? で、その自治体は、保存を諦めたって」
「ああ、この絵ね。綺麗なのに、もったいない。実物が見たかったなあ」
そうして見せられた絵は、聖母のような女性が長くうねる髪を中空に広げ、伏し目がちに、広げた両手の間を微笑みを浮かべて見つめる姿を描いていた。掌の間には、青い球体。女性の額の位置には、細い細い三日月のような割れ目があり、その形が額回りを飾る髪飾りに見立てられている。
「これ…」
そう言いかけて言葉に詰まった。美しくて優しくて、包み込まれ癒される感じ。絵の端には『Lunar Maria』とある。月の、聖母。じゃあ、この掌の間にあるのは、地球?
じっと見つめていると、別のスマホを手渡された。
「これが、10日後。雨が降って、少し消えてしまったところ」
そこには、同じ絵の女性。目から頬にかけて、水の筋を流していた。壁に元からあった微細な割れ目に沿って雨が流れたみたいで、ここまで計算されているのか、とちょっと驚いた。掌の間の球形は青色がくすんでいる。壊れゆく水の星を悼んで泣いているかのような姿に、ちくりと胸が痛んだ。
2週間後、1ヵ月後。日を追うごとに絵は滲み、薄れていく。最新の画像は半年後で、絵はもうほとんど判別できなくなっていた。まるでこの星の未来を見せられているようでしょ、リオがそう言ったので、深く頷いた。そして思った。変化するのがいいだなんて、まるでありあみたい。
こうして画像でも見られるけれど、実物は感動が全然違う、というのが、実際の作品を見たほぼ全員の感想だそうだ。だけど絵は辺鄙な場所に描かれることが多く、しかも天候が崩れたりするまでの期間限定、実物を見るのは容易ではない。そんなわけで、作品が発表されると人が一気に押し寄せて、一時的に観光地化することもあるらしい。
「この町にも3ヵ月ほど前に絵が現れて、すごい大騒ぎになったんだ。今はもうかなり消えちゃって、見に行く人もほとんどいないんだけど」
そう言いながら、オリーがまたスマホを見せてくれた。絵は、地上80センチ辺りで水平に素材が変わっている壁に描かれた、色鮮やかな大作だった。素材の境目を水面に見立てて、水中には魚にカエルにサンショウウオ、上の森には水辺にやって来た動物たち、鳥、昆虫、植物が一面に描かれている。この絵もやっぱりだんだん褪せていって、これが先週の、とオリーが言った画像では、うっすら輪郭がわかる程度になっていた。
「場所は?」
「町外れの埠頭にある、元倉庫街。今は使われていない、廃墟みたいなところ。絵が見つかった直後は臨時バスが何便も出たんだけど、1ヵ月前からはそれも無くなった。今だと、タクシーを使うか、公共交通機関だと最寄りのバス停から3キロ以上歩かなくちゃいけない。そのバスも本数が少ないし、もう今は、そうまでして行こうって人は稀だね」
ほら、と位置情報を見せられ、それからスマホに情報を転送してもらった。
「それにしても、まいろが知らなかったとは、驚きだね!」
「DD、あの国には行ってないのかな?」
「でも、まいろのこの絵は?」
「まひろだってば! だからこれはたぶん別人で…」
言いかけて、口をつぐんだ。脳裏にありあの声が蘇ったから。
『どぉしてぇ、わかるのぉ?』
そうだ、真実はわからない。決めつけることはできない。けど、その作品とやらの名残でも見れば、何かわかるだろうか。そう思っていたら、リオが言った。
「時間があるなら行ってみたら? 帰国は、明日の夜なんでしょ?」
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