第13話 先生 泣いちゃった事件

 入学して2ヵ月が経ち、学校生活にもだいぶ慣れてきたころ、初めての長い休みが近づいてきた。だいぶ慣れたとはいえ、毎日同じ時間に集まって登校して、勉強して帰ってくる―幼稚園に行かずに自由に過ごしてきた自分には初めての経験で、この繰り返しはいまだに結構ストレスだ。クラスの人間関係にもたいがいうんざりだし、だから、そんな生活からの解放は、大きな楽しみだった。


「ありあは、休み中はどうする予定?」

 意地の悪い笑いも蔑みもないあの藪の中では、2人は以前の2人のままだった。ここでなら普通に話したり笑いあったりできるのに、教室ではどうもできない。


「どうするって、何かなぁ? どうかするってことかなぁ?」

「だからさ、たとえば。どこかに出かけるとか、何か予定は入っているのかって」

「どこにも行きたくない。ずっとここににいたい」

 歌をやめて、すっと真顔になって、ありあは言った。ここにいたいって、いつもいるじゃん。そう言ったら、ニッと笑って、そうだねえ、と言った。


 休み中は、サッカークラブの長期合宿が予定されていた。ある期間集中して練習すると、ぐっと上達するんだって。

 そう言ったら、じゃあ、まひろにはもうずうっと会えなくなっちゃうねぇ、と、しょんぼりした口調で言う(このころになって、やっと名前を覚えてもらえた)。そうだ、会えなくなる。そう思うと、楽しみだったことが少し色褪せた気がした。


         ***


 そうそう、休み前、教室で事件があった。

 ありあがうろうろしても叱られないのを見て、真似するやつらが出始めた。授業中に歩き回ったり私語をしたり。もも先生は「座りましょう」 「お話は後で」と、一生懸命に繰り返したけど、若い女の先生の言うことをに聞く子は、少なかった。特に男の子は。


 おせっかい葉月なんかは、しょっちゅう「座りなさいよ!」 「静かにして!」とか言ってたけど、そうするとうろうろ男子に悪口を浴びせられてさらに言い合いになって、よけいに授業ができない状況になっていった。

 曰く、「じゃあなんで、どんぐりは注意されないんだよ?」「そうだ、ふこーへいだろ?」。言葉に詰まり黙り込むもも先生に代わって、「しかたないでしょ? あの子は私たちと違うんだから!」と葉月たちが食って掛かる。そんな言い方に違和感を覚えながらも、反論の言葉を持てない自分。

 みんな嫌い。大嫌い。


 そんなことが続いたある日。もも先生の注意する声が、ぱたりと止んだ。いつもの言い合いでざわついていた教室中が異変に気付いて振り向くと、先生はぽろぽろと大粒の涙を零していた。必死で泣き声を抑えながら。


「ご、めん、なさ、い、、みんな、、お、べんきょ、、して、て・・・」

 みなの視線に気づいて、嗚咽の中からようやくそれだけ声を絞ると、先生はばたばたと教室を出て行ってしまった。立っていた男子たちはぽかんとし、それから決まり悪そうに席に着いた。


「もも先生、泣いてたね」

「うん…」

「私たちのせい?」

 不安そうな、女の子たちの声。私たちは男子みたくうろうろしてなかったけど、ずっとおしゃべりしてたし…。確かにそのせいもあるかも、そう思っていたら、


「男子が! 先生の言うこと聞かないから! ずっと歩き回っていたから!」

 葉月が叫び、だってよぅ、と何人かの男子がもごもごと言い訳を呟いた。


 結局その後はもも先生は戻ってこなくて、副担任の柚木先生が来て授業の続きをした。そのときの授業の内容は、上の空だったので覚えていない。けど、最後に、いつものぼそぼそとしたしゃべり方で、


「やってしまったことは、戻せない。だから、この先どうするかを考えなさい」

 そう言ったことは覚えている。


         ***


 もも先生が泣いちゃったのは土曜日だったから、週明けの月曜日の朝に、葉月の発案でクラスみんなで授業の前に先生に謝った。


「自分は騒がなかったっていう人もいるかもだけど。止めなかったのも同罪よ」

 どうざいって、なに? そんな囁きがもれたけれど、大好きな先生を悲しませたことに対して謝ることに誰も異論は無くて、朝、もも先生が硬い表情で現れて黒板の前に立ったときに皆で立ち上がって大声でごめんなさいを唱和した。先生はびっくりした顔をして、それから笑顔になって、先生こそごめんね、と言った。

 教室の空気が柔らかくなり、授業はいつになく静かに行儀よく始まった。…このことに関係しているのかいないのか。あの時、ありあの姿は、教室になかった。


 元はと言えば、あのどんぐりの奴が騒いだからじゃん、あのもも先生の事件からほどなくして、そんな声が聞かれはじめた。

 あいつは注意されなかったのに、なんで俺たちだけ? という声も。そんなことがあって、ありあに対しみんなは前よりずっとよそよそしくなった。いつものようにあいつが誰かの持ち物に触れると、すかさず、別の誰かが「え!」と小声で冷やかす。静かな、ずる賢い、悪意。ああいうのは、やっぱり嫌い。何も言えずにいる自分も、やっぱり大嫌い。

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