第4話 出会い

 あいつと初めて会ったのは、まだ小学校に通う前。場所は、地元の子ども向けのサッカーチームが練習を行うグラウンド脇の、藪の中。当時は、チームのメンバー候補として(正式なメンバーになれるのは小学生以上だから)、毎日、練習に参加していた。当時から、サッカーのトップクラスの選手になるのが夢だったから。

 小学生の正式メンバーたちは、しつこく押しかけ続けてついに練習参加を特例で認められたチビの相手なんてしたがらない。だから、コーチに教えられた基礎的なボール捌きを黙々と練習し、たまにアドバイスをもらってはまた練習の繰り返し。独りぼっちだったけれど憧れのサッカーができるのがただ嬉しくて、わくわくしながら練習に通っていた。


 その日は、リフティングの練習をしていた。目標は50回。だんだん回数が増えてきて、いよいよあと少し、というところで痛恨のトラップミス! 慌ててリカバーしようとしたらつま先に当たって、ボールはさらに遠く、藪の中へと飛んで行ってしまった。慌てて追っていくと、そこには地面に蹲る人影が。微動だにしなくて、自分が蹴ったボールが当たって動けなくなったのか思って、心臓がひやりとした。実際には、屈んで地面を見ていただけだったんだけど。

 そう、それがあいつだった。


 ボールは当たってない。そう気づいて安堵したけど(傷害事件になったら、もう練習に参加できなくなるかもだし)、ボールを拾いながら念のため声をかけた。


「ボール、飛ばしちゃってごめん。だいじょうぶだった?」


 だけど、返事は無い。見たところ同い年くらいらしいそいつは、こちらの存在は一切気にかけず、ただ俯いて一点を見つめて手と口を動かしている。まるで自分がここにいないかのような気分になって、何となくイラッとした。


「ごめんって! 言ってるだろ!」


 そこでようやく、そいつははっとしてこちらを向いた。無理やり夢から覚めさせられたような、顔。邪魔してしまった? そうだ、ボールを飛ばした自分が悪いのに逆切れみたいに喚くなんて迷惑にもほどがある、そう思い至って、かっと顔に血が上るのを感じた。

 でもそんなことにはお構いなく、そいつは視線をボールに向け、指さしながら、それなに? と聞いてきた。はあ? どこにでもある、サッカーボールなのに?


「ボール。普通の、サッカーボールじゃん。知ってるだろ?」

「なんで、そんな形なの?」

「え、そんな形って…?」

 訊ねる言葉に返事はなく、代わりに手が伸びてきた。ボールの継ぎ目をなぞり、それから指の匂いを嗅ぐ。臭かったのか、変な顔をしてから、またこちらに視線を向けてきた。


「いろんな形が組み合わさって、黒いとこと茶色いとこがあって、なんで?」

「なんで、って…」

 本当は、茶色いところは、元々は白かった。練習していて汚れてしまっただけ。だけど、なんでこういうデザインなのかは知らないし、正直、考えたこともない。昔のサッカーボールはこんなデザインだったの、と、サッカーをやることを家族や親戚の中で唯一反対しなかったおばさんがボールを買ってくれるときにそう言ったから、そういうもんだと思っていた。


「ボール、ボール、サッカーボール、黒くて茶色でまあるくてつぎはぎで…」

「つぎはぎじゃない。でも、何それ?」

「ボールの歌!」

「ふーん?」


 素っ頓狂な声で歌い出した(歌?)のは、ボールの歌、だって。変なの、初めて聞いた。そう思っていたら、突然、聞かれた。


「それってさ~、牛の親戚?」

「うし? って、モーって鳴くあの牛?」

「メェーって鳴く牛はいないでしょ?」

「そりゃ、そうだけど。なんで牛?」

「牛の革の匂いだし~、ぶちがあるし~、似てるよねぇ、ね、似てるよねぇ?

 その茶色いとこ、元は白かったんでしょ? ね、白と黒、牛と一緒!」

 まあ似てなくはないけど、でも親戚なはずはない、そう言うと、


「なんで親戚じゃないのかな? 似てるのに、なんでかな?」

 と、また調子っぱずれな節付きで言われた。いい加減嫌になって、ここで何してたの? と話を逸らすと、ぱっと顔が輝いた。ように見えた。


「これ見てた、かんさつしてた!」

「観察?」

「そう、ほらこれ」


 再び戻された視線の先には、コンクリ製の、四角い、池? いかにも人工物ぽい感じなのに、水が満々と湛えられ、水草が漂い、まるで自然の水辺の環境の、ミニチュアのようだった。そいつが気にしていたのは、その水の中に沈む、ぶよぶよの塊だった。指さしながら、

「ほら、ね、なんだろ、なんだろねぇ?」

 昨日は無かった、無かったのにねえ、と、またも歌い出した。

「図鑑で見たことある。カエルの卵かな」

「え!? 中からカエルが出てくるの?」

「いや、孵化したら、まずオタマジャクシになるんじゃない?」

「ふか?」

 言いながらも、目は水中の塊から離れない。しばらくその様子を見てたけどだんだん手持ち無沙汰になって、じゃあ、と言ってその場を離れた。

 あいつは、振り向かなかった。

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