第3話 過去へ
あのころ、クラスで密かにばい菌扱いされていた友だちがいた。少し変わってるけどいい奴で、それにすごい才能を持っていた。尊敬していた。
なのに、あの集団登校で、満面の笑みで駆け寄ってきたあいつに手を取られて、そうして歩き出したときのみんなの好奇の目、嘲笑がいたたまれず、逃げ出したい気持ちになって。だから、幼なじみの葉月≪はづき≫が割って入ってその手を引き離したときに、ほっとしてそれを受け入れたんだ。引き離された手を再び取らずに、葉月に無理やり連れ去られる風を装って、あいつに背を向けた。自分もばい菌扱いされるのが怖くて、裏切ったんだ。
あいつ、どんなに傷ついたろう。思い返すと、顔から火が出るほど恥ずかしい。
まあ、客観的に見ればこれは些細なことなのかもしれない。成長の過程で誰もが経験し得るような。でも、どうしても、あの時の自分が許せなくて。ずっとずっと後悔してきた。同じことは二度としないと心に誓い、それ以降の人間関係には慎重になった。無理と思いつつも、やり直せるものならと、ずっと考えてきた。
そのチャンスが与えられるかもしれない、そう思うと、心の底がざわざわ揺れた。手を見つめ、握り、そして緊張を和らげるため一息ついてから言う。
「…でも、不思議なんだけど」
「何がだい?」
発した言葉に、“ソウルセイバー” はにこやかに応じた。
「だって、君らの話からすると、このご褒美が得られるのは、すっごく頑張った、いいことばかりを積み上げてきた善人だよね?」
「そうだな」
ぶっきらぼうな声が言う。“セイバー”と正反対、“シェイバー”は不愛想系、そう思った瞬間、
「ほんとは優しいんだけどね」
突然“セイバー”からそう言われどきりとした。まさか、心を読まれている?
「ま、こんな摩訶不思議な存在なんだし。そのくらいできても驚かないでよ」
何てこと! これじゃあ、迂闊なことは考えられない。だめだ考えるな、無だ、心を無に! だけど、そう思えば思うほど、思考はどんどん乱れていった。
「落ち着け。気にしてないから。それより、聞きたいことがあるんだろ?」
シェイバーに言われ、そうだった、と思う。
「なんで選ばれたのかなって。大したことをしてきた覚えはないんだけど」
「そんなことないでしょ? 君は、小学校に上がる前から真摯にサッカーに打ち込んできた。少しも気を抜かず、ひたすら努力したし、他人にも丁寧に接してきた。時に過剰だと思われるほどにね」
「そう、そんな生き方を、ずっと続けてきた。誰に何を言われようと、一瞬たりとその姿勢を違えることなくな。普通の人間には、そうそうできないことだ」
「そうだよ。十分に、ご褒美を受け取る資格はあると思う」
「「それより」」
2人の声が重なった。互いを見、一瞬のアイコンタクトの後、シェイバーが再び口を開いた。
「本当にそれでいいのか? あんたの人生を決定づけた、やり直すべき瞬間は、もっと他にもあっただろうに」
確かに、自分が今考えている“やり直したいこと” は、他人(で、いいのかな?)からは、ほんの些細なことに見えるだろう。それよりは、代表選考の直前に無茶な練習をして体調を崩したり、もっとレベルを上げなくちゃと焦って怪我をしたりといったことをやり直すほうが、いいのかもしれない。だけど、あの日、あの瞬間、大事な友だちだったはずのあいつを裏切ってしまった瞬間こそが、自分の人生にとっては本当に重要な意味を持っていた。あの時の失敗を取り戻せるなら、その他のことはどうでもいい。
「ま、君がそう思うならそれでいいよ」
「だが、あのときの出来事が、今日まであんたを頑張らせてきた面もある。それが変わってしまわないか、俺は心配だけどな」
…そうかもしれない。あのときの後悔が、贖罪の思いが、これまでの自分の原動力となってきたことは否めない。人に過剰なほどに優しいのも、あんな失敗はもう絶対繰り返したくないという思いからだし。人生のやり直しであの裏切りを回避できたら、自分はもしかしたら今の自分ではなくなる可能性もある。それでも―。
「了解、それで行こう」
言葉に出す前に意外とあっさりと想いは受け入れられて、若干拍子抜けした。
「じゃあ、あの小学1年生の最初の長期休み前、あの集団登校のときに戻して。えっと、具体的にはどうしたらいい?」
「君はどうもしなくていい」
「え?」
「じゃ、行くよ!」
「え? え? もう?」
ちょっと待って、心の準備が、パジャマじゃなくてせめて着替えを―言いかけた言葉は、そのままぐんにゃりと回った周囲の風景に呑み込まれて行った。
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