2
「勇者様……!」
倒れそうなほどに憔悴した橘が、オレを見て安堵の声を漏らした。
……一昨日オレを殺そうとしたばかりなのに、よくもそんな態度でいられるな?
ふつふつと怒りが沸く。
「あら、我が弟子」
白々しい響きで、茉梨は呼びかけてきた。
悠然と、歩み寄ってくる。
「なんだよ、悩みが晴れたって顔じゃないか。清々しいかよ」
「ええ、夢が叶うの」
「世界を滅ぼすことが夢なのか?」
「然り。妖精や魔法を退去させた世界を一掃して、新世界を作るの」
黒衣が揺れる。
重たい前髪の下で、紅蓮が煌々と輝いていた。
華奢な足で、歩み続ける。
「いい加減現実を見ろよ! 魔法はないってオマエも認めてただろ!」
オレは吼えて、茉梨の足取りを止めた。
気に食わない。自分の異常を俯瞰できる冷静な理性を持ち合わせていながら、日野茉梨は魔法使いであろうとし続ける。
「いいえ、魔法は存在するってあなたが証明したの」
「魔法がそんなに大事かよ!」
「愚問ね。わたしの生きる糧が魔法」
奥歯に力が籠もって、軋んだ。
自分ばっかりの都合しか考えない。周りを振り回す、子どもみたいな振る舞い。
やっぱり、オレは茉梨の抱える中二病がとことん苛つく。
「あなたが始まりなの。わたしの空想に、あなたが色を付けてくれた。本物だって教えてくれた。救ってくれたの」
茉梨の、宝箱の中身を見せるみたいな笑顔。
それが、どうしようもないほどに気に障る。
「そんな不安になるくらいに悩んでおいて、どうして中二病を続けたんだよ」
「…………」
彼女の細い筋の眉が歪む。
オレの怒気を、茉梨も感じ取れたみたいだ。
挑発にのった、とも言う。
「ようやく伝わったか。鈍いよな。まあ当然か、散々自分の言い分ばっかり並べて、全くオレのこと見てなかったもんな」
「あなた……侮辱する気?」
「その通りだよ。なに? 怒ってるの? 自分の大事な魔法を貶されるのが、よっぽど嫌いみたいだな」
空気が変わる。
明確に、茉梨が敵意を持った。
「オマエ、常日頃から人の気持ちを無視しすぎてんだよ。それが悪い感情ならいいけど、愛情まで無視してどうする。もっと自分以外に目を向けろよ」
妄想を傘にして、茉梨は人の気持ちを避け続ける。
それなのに、茉梨は寂しそうな顔をする。その白々しさが気に食わなかった。自分を救ってくれるものは周囲に溢れているのに、自分のことばかりに目を向ける愚直さが。
自分はひとりで生きていける、なんて思い上がりな価値観が。
特別であるためなら、どんな人間だって切り捨てていいのか?
「嫌いなんだよ、とにかく」
「そう……つまり、決闘を申し込みたいの?」
青筋がビキビキと浮かんでいる。マジ&ギレである。
「ああ、ようやくメッキが剥がれたな。それでいいんだよ、本心をぶつけてこい」
瞳を切り替える。
一瞬にして、視界の魔法が暴かれていく。
『火堂ケイ クラス:勇者』『■■』
『日野茉梨 クラス:魔王』『■■』
運命を剥き出しにして、茉梨の信仰する瞳は、魔王を睨み付けた。
「なんと……勇者様の魔力が満ちている……真の勇者に、着実に近づいているのですね……! そんな感じがします……!」
勇者と魔王。
膠着は数秒だけ。静寂のあと、同時に動き出す。
茉梨が腕を広げる。
花吹雪のように、無数の紙切れが視界をふさいだ。
「いけない、勇者様! すべて魔法陣が刻まれてます!」
「弾けろ」と、一言紡いだ刹那。
世界が軋み爆発する。爆炎が視界を包み、凄まじい勢いで後方に吹き飛ばされた。
辛うじて交差させた腕が顔を防ぎ、体に灯る火は地面を転がりざまに鎮火した。
視界で火の粉が踊っている。
「オマエ、いつの間に爆発物扱うようになったんだよ!」
非行少女のなかでもブッチギリだな!?
「イカれてんな!」
「それを受けて無事なあなたこそ――どうなの!?」
追撃の紙束を、転がりながら、あるいは跳び上がって回避する。
なんだ、尋常じゃないくらい体の調子がいい――っていうか、飛び抜けてる。オリンピックの記録を総なめできそうだ。
「ちょこまかと――!」
忌々しげに舌を打った。
茉梨が懐から古びた蔵書を取り出す。勤勉な学生みたいに、きちんと付箋が貼ってある。
『いにしえに深き霊廟の息吹、いま呼び覚まさん――』
魔力を宿した言葉が空気を震わせた。
片腕を砲台のように突き出し、オレに向けて、茉梨は魔法を唱える。
『圧殺せよ、ソウルウィンド!』
「殺すって言いましたかいまぁ――!?」
見えない衝撃が体を突き抜けた。
内蔵を直接揺らされたかのような、致命的な打撃にうずくまった。
「勇者様! くらえっ、回復(ヒール)!」
オレの総身を青白い光が包み、内部の損傷が回復した。
ありがてえ、ていうかいまの回復魔法、みたいなのだよな。「くらえ」はおかしくない?
「認めなさい、奇跡も魔法も本当にあるの!」
「認めるかよ、ばーか! 勉強しやがれ! サインコサインタンジェントだ!」
舌を出し、挑発する。
「いいか、魔法のある世界に行こうとしてるならやめとけ! いまのオマエなら、どこに行こうと立派な社会不適合者になるだけだ!」
「はぁああ!?」噴火する音がした。
なるほど、からかうってのは気分がいい。相手が感情的になればなるほど、こっちの思うつぼって感じで!
「向こうに行っても、誰にも話しかけても敬遠されるのがオチだ! 根本的な人間力がゴミなんだよ! やーい!」
近くで爆音が轟いた。
傍でとんでもない爆発が巻き起こり、肌を暴力的な熱量が焦がす。
「……次は外さない」
「…………!」
刺激しすぎた。殺意が加速度的に増していってる。
全速力で走り回る。恐怖で足が五倍くらい速くなった。
「いいでしょう、試しましょうか! 『魔法』か『勇者』か『魔王』か『現実』か! 何が正しいか!」
「勝者だけが〝正義〟か!(ドン!)」
吼え、怒濤の勢いで追尾してくる爆発を躱し続ける。
……どうしよう。
啖呵を切ったまではいいけど、こちらの勝利条件が曖昧だ。
茉梨はオレをノックアウトさせたら満足だろうけど、オレは文句を言いに来ただけなのが正直なところだ。世界を滅ぼすとか、ガキみたいなこと言ってないで省エネに気を遣え、みたいな。……説得しかないかな。
魔法には弁舌で対抗するしかない。
「茉梨ぃー! いいか、オマエんとこのカレーはな! すげー美味しい! オマエこのまま世界滅ぼしたら食えなくなるんだぞ!」
「もっと説得の材料あったでしょ、次!」
爆煙が背中を押した。あっついいいい!
「章はなー! 気難しいけど根っこが素直なんだ! それと(会話の)ドリブルが上手い!」
「どうでもいい! 『穿ち喰らえ、狼牙(フェンリル)』!」
えーと、次は……ていうか、躱しながら会話するの慣れてきたな。
茉梨はフェイントをせずに、素直な軌道で魔法を射出するから、ちょっと場所を動くだけで簡単に回避できる。温情かな、いいえ怨念です。怨念がおんねん(激ウマギャグ)
「凪ちゃんはなー! すっげえ優しいぞ! たまに厳しいけど!」
「それはあなたにだけ! 鈍感!」
「山田さんはなー! 脊髄反射で会話できるから、なんか中毒性があるぞ!」
「誰よその女! ばか!」
「えー! じゃあ五島先生だ! あの人、聞いたら高校時代レディースの総長やってたんだって! あんま逆らうなよ、処されるぞ!」
「ひえっ」
しめた、攻撃の手が緩んだ!
踏み込んだ足に力を込めて、弓で射るように体を絞る。
爆風が背後を煽り、オレはその風圧を利用して
怯えて体が竦んだ茉梨に肉薄し、蔵書を持つ手を握った。
「捕まえたぞ!」
「だから何なの! 離しなさい!」
じたばたともがく茉梨。
抵抗は無駄だ。身体能力の性差がある。
「よくぞ! あとはボクにお任せを!」
でやー! と橘が斬りかかってきた! 回し蹴りで応じた。
脚は胴を捉え、二メートル先まで吹っ飛ばした。男女平等だ。
「へぶー! な、なにをなさるのです!」
「こっちの台詞だっての! なに斬りかかってるんだ!」
「な……! 魔王を捕らえたいまが好機ではありませんか! あなたは正気ですかっ?」
「いえすめっちゃ正気! 第一、なに『味方です』ってツラしてるワケ!? オレ、アンタに殺されかけたんですけど!」
「やだなぁ、殺す気なんてありませんよ」
「頭でも打ちましたぁ?」
本気でわからない。澄ました顔してるけど、実はこの人アホの子ではないか?
そりゃ美人だけど、許せるのと許せないのとで分別はある。ちなみにいまの照れた顔はめっちゃ可愛かったから許せる。
「――勇者様っ!」
「へ?」裂帛の声を飛ばされて、オレは振り向いた。
いきなり、橘は焦った顔だ。
瞬間、前触れなく吹き飛ばされた。
至近距離で爆風をもろに浴びて、肺の空気が強制的に吐き出される。
受け身もまともに取れず、無様に転がる。
呻くと、粘ついた血液が混じった胃液が口から地面に垂れた。
「ぜひゅー、ぜひゅー……」
喘息を罹患してしまったかのように、掠れた息で喘ぐ。
焦点を結ばない視界のまま、顔を持ち上げた。
目に付いたのは、白い空間を呑み込まんばかりに膨れる悪意。
おどろおどろしい影が、地面から吹き上げて日野茉梨の体を包み込んでいた。
黒よりも昏い、見るだけで心が恐怖に飲まれる背徳の黒。
「遅かった……」
「なん、だよこれ……!」
「彼女は魔王と同期しているのです。門を開き続けた代償かと」
淡泊な説明だった。
魔王と、同期……?
「我々の世界と波長を合わせ過ぎましたね。依り代の彼女の身が、魔王の想念により乗っ取られています」
それじゃあ、つまり。
あの、白い光を浴びて蹲る獣のような影は。
既に茉梨じゃなく、魔王?
「だから早く魂魄を切り離すべきだったんです。もう手遅れな話ですが」
「そんな、バカなことがあるかよ!」
声を荒げ、縋り付くように駆け出した。
静止の声を振り切り、茉梨の肩を掴む。
「さっきまで普通に話してただろ! そんないきなり……」
ワケがわからなくって、乾いた笑い声が出てきた。
力無く視線を下げた先で、複雑精緻な、光の線が浮かび上がる。
まるで、魔法陣のような……!?
反射的にのけぞり、茉梨が放った黒い光線を躱す。
「テンションの落差が、おかしいでしょう、が!」
顎にあたる部分をバック転気味に蹴り上げ、そのまま距離を取る。
死の感触があった。
間違いなく、殺すつもりの一撃――!
「勇者様、危険です、ここはボクに――」
「どうすればいい?」
「え?」
「どうすれば、茉梨は元に戻る」
「……ボクの剣、『儀礼剣』をお使いください」
言いつつ、彼女は剣を地面に突き立てた。
油断なく茉梨を見据えながら、橘の説明を聞く。
「これは人の魂魄を分離させる作用があります。魂を保護し、対象の肉体を擬似的に殺せます」
「仮死状態にするんだな……それをすると、茉梨はどうなる?」
「おそらく、魔王が消え去るかと」
「わかった、信じる! そんでこれ借りる!」
剣を片手に、再び魔王と対峙する。
「ラウンド2だ……」
『GYAOOOOO』
「声こわっ」
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