「勇者様……!」


 倒れそうなほどに憔悴した橘が、オレを見て安堵の声を漏らした。

 ……一昨日オレを殺そうとしたばかりなのに、よくもそんな態度でいられるな?

 ふつふつと怒りが沸く。


「あら、我が弟子」


 白々しい響きで、茉梨は呼びかけてきた。

 悠然と、歩み寄ってくる。


「なんだよ、悩みが晴れたって顔じゃないか。清々しいかよ」

「ええ、夢が叶うの」

「世界を滅ぼすことが夢なのか?」

「然り。妖精や魔法を退去させた世界を一掃して、新世界を作るの」


 黒衣が揺れる。

 重たい前髪の下で、紅蓮が煌々と輝いていた。

 華奢な足で、歩み続ける。


「いい加減現実を見ろよ! 魔法はないってオマエも認めてただろ!」


 オレは吼えて、茉梨の足取りを止めた。

 気に食わない。自分の異常を俯瞰できる冷静な理性を持ち合わせていながら、日野茉梨は魔法使いであろうとし続ける。


「いいえ、魔法は存在するってあなたが証明したの」

「魔法がそんなに大事かよ!」

「愚問ね。わたしの生きる糧が魔法」


 奥歯に力が籠もって、軋んだ。

 自分ばっかりの都合しか考えない。周りを振り回す、子どもみたいな振る舞い。

 やっぱり、オレは茉梨の抱える中二病がとことん苛つく。


「あなたが始まりなの。わたしの空想に、あなたが色を付けてくれた。本物だって教えてくれた。救ってくれたの」


 茉梨の、宝箱の中身を見せるみたいな笑顔。

 それが、どうしようもないほどに気に障る。


「そんな不安になるくらいに悩んでおいて、どうして中二病を続けたんだよ」

「…………」


 彼女の細い筋の眉が歪む。

 オレの怒気を、茉梨も感じ取れたみたいだ。

 挑発にのった、とも言う。


「ようやく伝わったか。鈍いよな。まあ当然か、散々自分の言い分ばっかり並べて、全くオレのこと見てなかったもんな」

「あなた……侮辱する気?」

「その通りだよ。なに? 怒ってるの? 自分の大事な魔法を貶されるのが、よっぽど嫌いみたいだな」


 空気が変わる。

 明確に、茉梨が敵意を持った。


「オマエ、常日頃から人の気持ちを無視しすぎてんだよ。それが悪い感情ならいいけど、愛情まで無視してどうする。もっと自分以外に目を向けろよ」


 妄想を傘にして、茉梨は人の気持ちを避け続ける。

 それなのに、茉梨は寂しそうな顔をする。その白々しさが気に食わなかった。自分を救ってくれるものは周囲に溢れているのに、自分のことばかりに目を向ける愚直さが。

 自分はひとりで生きていける、なんて思い上がりな価値観が。

 特別であるためなら、どんな人間だって切り捨てていいのか?


「嫌いなんだよ、とにかく」

「そう……つまり、決闘を申し込みたいの?」


 青筋がビキビキと浮かんでいる。マジ&ギレである。


「ああ、ようやくメッキが剥がれたな。それでいいんだよ、本心をぶつけてこい」


 瞳を切り替える。

 一瞬にして、視界の魔法が暴かれていく。

『火堂ケイ クラス:勇者』『■■』

『日野茉梨 クラス:魔王』『■■』

運命を剥き出しにして、茉梨の信仰する瞳は、魔王を睨み付けた。


「なんと……勇者様の魔力が満ちている……真の勇者に、着実に近づいているのですね……! そんな感じがします……!」


 勇者と魔王。

 膠着は数秒だけ。静寂のあと、同時に動き出す。

 茉梨が腕を広げる。

 花吹雪のように、無数の紙切れが視界をふさいだ。


「いけない、勇者様! すべて魔法陣が刻まれてます!」

「弾けろ」と、一言紡いだ刹那。


 世界が軋み爆発する。爆炎が視界を包み、凄まじい勢いで後方に吹き飛ばされた。

 辛うじて交差させた腕が顔を防ぎ、体に灯る火は地面を転がりざまに鎮火した。

 視界で火の粉が踊っている。


「オマエ、いつの間に爆発物扱うようになったんだよ!」


 非行少女のなかでもブッチギリだな!?


「イカれてんな!」

「それを受けて無事なあなたこそ――どうなの!?」


 追撃の紙束を、転がりながら、あるいは跳び上がって回避する。

 なんだ、尋常じゃないくらい体の調子がいい――っていうか、飛び抜けてる。オリンピックの記録を総なめできそうだ。


「ちょこまかと――!」


 忌々しげに舌を打った。

 茉梨が懐から古びた蔵書を取り出す。勤勉な学生みたいに、きちんと付箋が貼ってある。


『いにしえに深き霊廟の息吹、いま呼び覚まさん――』


 魔力を宿した言葉が空気を震わせた。

 片腕を砲台のように突き出し、オレに向けて、茉梨は魔法を唱える。


『圧殺せよ、ソウルウィンド!』

「殺すって言いましたかいまぁ――!?」


 見えない衝撃が体を突き抜けた。

 内蔵を直接揺らされたかのような、致命的な打撃にうずくまった。


「勇者様! くらえっ、回復(ヒール)!」


 オレの総身を青白い光が包み、内部の損傷が回復した。

 ありがてえ、ていうかいまの回復魔法、みたいなのだよな。「くらえ」はおかしくない?


「認めなさい、奇跡も魔法も本当にあるの!」

「認めるかよ、ばーか! 勉強しやがれ! サインコサインタンジェントだ!」


 舌を出し、挑発する。


「いいか、魔法のある世界に行こうとしてるならやめとけ! いまのオマエなら、どこに行こうと立派な社会不適合者になるだけだ!」

「はぁああ!?」噴火する音がした。


 なるほど、からかうってのは気分がいい。相手が感情的になればなるほど、こっちの思うつぼって感じで!


「向こうに行っても、誰にも話しかけても敬遠されるのがオチだ! 根本的な人間力がゴミなんだよ! やーい!」


 近くで爆音が轟いた。

 傍でとんでもない爆発が巻き起こり、肌を暴力的な熱量が焦がす。


「……次は外さない」

「…………!」


 刺激しすぎた。殺意が加速度的に増していってる。

 全速力で走り回る。恐怖で足が五倍くらい速くなった。


「いいでしょう、試しましょうか! 『魔法』か『勇者』か『魔王』か『現実』か! 何が正しいか!」

「勝者だけが〝正義〟か!(ドン!)」


 吼え、怒濤の勢いで追尾してくる爆発を躱し続ける。

 ……どうしよう。

 啖呵を切ったまではいいけど、こちらの勝利条件が曖昧だ。

 茉梨はオレをノックアウトさせたら満足だろうけど、オレは文句を言いに来ただけなのが正直なところだ。世界を滅ぼすとか、ガキみたいなこと言ってないで省エネに気を遣え、みたいな。……説得しかないかな。

 魔法には弁舌で対抗するしかない。


「茉梨ぃー! いいか、オマエんとこのカレーはな! すげー美味しい! オマエこのまま世界滅ぼしたら食えなくなるんだぞ!」

「もっと説得の材料あったでしょ、次!」


 爆煙が背中を押した。あっついいいい!


「章はなー! 気難しいけど根っこが素直なんだ! それと(会話の)ドリブルが上手い!」

「どうでもいい! 『穿ち喰らえ、狼牙(フェンリル)』!」


 えーと、次は……ていうか、躱しながら会話するの慣れてきたな。

 茉梨はフェイントをせずに、素直な軌道で魔法を射出するから、ちょっと場所を動くだけで簡単に回避できる。温情かな、いいえ怨念です。怨念がおんねん(激ウマギャグ)


「凪ちゃんはなー! すっげえ優しいぞ! たまに厳しいけど!」

「それはあなたにだけ! 鈍感!」

「山田さんはなー! 脊髄反射で会話できるから、なんか中毒性があるぞ!」

「誰よその女! ばか!」

「えー! じゃあ五島先生だ! あの人、聞いたら高校時代レディースの総長やってたんだって! あんま逆らうなよ、処されるぞ!」

「ひえっ」


 しめた、攻撃の手が緩んだ!

 踏み込んだ足に力を込めて、弓で射るように体を絞る。

 爆風が背後を煽り、オレはその風圧を利用して

 怯えて体が竦んだ茉梨に肉薄し、蔵書を持つ手を握った。


「捕まえたぞ!」

「だから何なの! 離しなさい!」


 じたばたともがく茉梨。

 抵抗は無駄だ。身体能力の性差がある。


「よくぞ! あとはボクにお任せを!」


 でやー! と橘が斬りかかってきた! 回し蹴りで応じた。

 脚は胴を捉え、二メートル先まで吹っ飛ばした。男女平等だ。


「へぶー! な、なにをなさるのです!」

「こっちの台詞だっての! なに斬りかかってるんだ!」

「な……! 魔王を捕らえたいまが好機ではありませんか! あなたは正気ですかっ?」

「いえすめっちゃ正気! 第一、なに『味方です』ってツラしてるワケ!? オレ、アンタに殺されかけたんですけど!」

「やだなぁ、殺す気なんてありませんよ」

「頭でも打ちましたぁ?」


 本気でわからない。澄ました顔してるけど、実はこの人アホの子ではないか?

 そりゃ美人だけど、許せるのと許せないのとで分別はある。ちなみにいまの照れた顔はめっちゃ可愛かったから許せる。


「――勇者様っ!」

「へ?」裂帛の声を飛ばされて、オレは振り向いた。


 いきなり、橘は焦った顔だ。

 瞬間、前触れなく吹き飛ばされた。

 至近距離で爆風をもろに浴びて、肺の空気が強制的に吐き出される。

 受け身もまともに取れず、無様に転がる。

 呻くと、粘ついた血液が混じった胃液が口から地面に垂れた。


「ぜひゅー、ぜひゅー……」


 喘息を罹患してしまったかのように、掠れた息で喘ぐ。

 焦点を結ばない視界のまま、顔を持ち上げた。

 目に付いたのは、白い空間を呑み込まんばかりに膨れる悪意。

 おどろおどろしい影が、地面から吹き上げて日野茉梨の体を包み込んでいた。

 黒よりも昏い、見るだけで心が恐怖に飲まれる背徳の黒。


「遅かった……」

「なん、だよこれ……!」

「彼女は魔王と同期しているのです。門を開き続けた代償かと」


 淡泊な説明だった。

 魔王と、同期……? 


「我々の世界と波長を合わせ過ぎましたね。依り代の彼女の身が、魔王の想念により乗っ取られています」


 それじゃあ、つまり。

 あの、白い光を浴びて蹲る獣のような影は。

 既に茉梨じゃなく、魔王?


「だから早く魂魄を切り離すべきだったんです。もう手遅れな話ですが」

「そんな、バカなことがあるかよ!」


 声を荒げ、縋り付くように駆け出した。

 静止の声を振り切り、茉梨の肩を掴む。


「さっきまで普通に話してただろ! そんないきなり……」


 ワケがわからなくって、乾いた笑い声が出てきた。

 力無く視線を下げた先で、複雑精緻な、光の線が浮かび上がる。

 まるで、魔法陣のような……!?

 反射的にのけぞり、茉梨が放った黒い光線を躱す。


「テンションの落差が、おかしいでしょう、が!」


 顎にあたる部分をバック転気味に蹴り上げ、そのまま距離を取る。

 死の感触があった。

 間違いなく、殺すつもりの一撃――!


「勇者様、危険です、ここはボクに――」

「どうすればいい?」

「え?」

「どうすれば、茉梨は元に戻る」

「……ボクの剣、『儀礼剣』をお使いください」


 言いつつ、彼女は剣を地面に突き立てた。

 油断なく茉梨を見据えながら、橘の説明を聞く。


「これは人の魂魄を分離させる作用があります。魂を保護し、対象の肉体を擬似的に殺せます」

「仮死状態にするんだな……それをすると、茉梨はどうなる?」

「おそらく、魔王が消え去るかと」

「わかった、信じる! そんでこれ借りる!」


 剣を片手に、再び魔王と対峙する。


「ラウンド2だ……」

『GYAOOOOO』

「声こわっ」 

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