『20293』


 最初に訪れたのは、水族館の脇にある港。

 休日の水族館は、家族連れや恋人。友達で訪れる人々で賑わっていた。

 静かに息を吸い込み、魔法を発動させる。

 異次元の情報が差し込まれて、電車内の広告さながらの、無造作ながらも規則正しい文字群が配列された。

 無数のカウントダウンと運命に目眩がする。意識の外に追いやって、必要な情報だけを抜き出す。

運命瞳フォルトゥーナ〟――

 小説では〝ステータス〟と呼称される情報を、表示する瞳だ。

 名前や職業、はたまた腕力や魔力といった身体能力値を表示する機能を持ち、多くがRPGの世界を舞台にした小説で見受けられた。

 視界が目まぐるしく変遷とし、やがて視界がクリアになった。

 確かな手応えを感じる。

 意識するだけで、不必要な情報を排除できるようになっていた。


「練習の成果、アリだね」


 ニヤリとほくそ笑む。

 端から見ればやべーやつである。

 思った通り、周囲からすげー煙たがられた。

 ぴえんである。視線が針のようで、チクチクと肌を刺す。

 茉梨……オマエよく続けられるな。

 ちょっと尊敬しそうになった。

 

 一つ目は成果なし。

 メモにチェックを入れて、二つ目の地点に向かう。


『18905』


 静謐で満ちた日本庭園に訪れた。

 茶屋や家屋で更生された歴史ある観光地。

 池の側は散歩道となっており、春の息吹を与えられた桜が枝垂れ、水面に薄紅を反射している。見るに神秘的な場所だ。

 此処ならば、あるいは妖精だって見つかるかもしれない。

 ……ダメだ。魔法陣らしきものが影も形も見えない。

 せめて茉梨と連絡を取りたいところだけど、アイツスマホ持ってないしなぁ。

 こんなことになるなら、きっちり約束を取り付けておくんだった。

 でもなあ、金曜日はカウントダウンなんて見えなかったしなぁ……

 粘ついた溜息が出た。

 落胆を零すようにチェックを入れて、暗い気持ちを振り払う。

 次だ次!


『17432』


 本命はここだ。

 日本神話における某剣が祭られた神宮。

 杉の木立の奥に、神社はある。

 実を言うと、ここに来るのは五度目くらい。

 初詣や七五三でお世話になっている。鳥居をくぐる前に〝運命瞳〟を起動させる。


「えっ」一瞬、視界が狂った。


 陽炎の奥の景色を窺うように、目に見える景色がひどく遠くなる。

 何かの不具合か、魔法の映し出す世界がまやかしと錯覚した。


「きた、きた……!」


 熱に浮かされたように呟き、オレは鳥居をくぐった。

 境内では参拝客が雑踏を成している。

 人がたくさん居て賑やかなはずなのに、不自然な静けさが痛々しいほどに澄み渡っていた。


 一歩踏み出すごとに、心拍数が加速していく感覚。


 次第に周囲の背景は現代の文明を失っていく。

 なんだか、時間の海を渡航しているようだ。

 やがて、神社に辿り着く。

 木造建築特有の乾いた匂い。それとは別に漂う、異様な空気があった。

 卵の殻の中を想像する。

 生ぬるい胎内で、ゆっくりと育て上げられる生物。

 微睡みのように優しい世界に、迷い込んだみたいだった。


「なんだよこれ……?」


 脳裏に混乱が満ちる。

 足元が覚束ない。それでも、導かれるままに足を進めた。

 やがて、神社から離れた森の深部に辿り着いた。

 意識を取り戻したときには、木を支えにやっと立っているような状態だった。


「はぁ、はぁ……!?」


 ワケがわからない。狐につままれたみたいだ。

 脂っぽい汗を袖口で拭い、荒く上下する肩をなだめる。


「くそ、なんか操られたみたいだ……」


 なんとなく口にした表現が、実に的を射ているように思えた。

 徹夜で疲れてるのか? 意識が朦朧としていた。

 支えにしていた木の幹から手を離す。

 ……と。足元に、ひらりと紙が落ちた。

 幾何学的な模様。未知の言語が記された正方形の紙だ。

 勝手に頬が吊り上がるのを、止められなかった。


「はは、見つけたぞ……魔法陣!」


 大きくガッツポーズ!

 同時に〝運命瞳〟を起動させて、魔法陣を検める。

 すると、紋様が蜷局を巻くように渦を作った。


「うわっ」なんかマズいことしたか!?


 慌てて魔法を止める。


「こんなもの!」


 ビリッと破った。ゴミは丸めて持ち帰る。

 やっぱり物理なんだよなぁ。


「……うし、解決」


 危ないところだった。

 額の汗を拭い、やれやれと首を振る。

 嫌な予感がして、念のためカウントダウンを確認する。


『■63■2』


 なんか文字化けしてませんか――!?

 あわあわあわ、と一頻り泡を食ったように踊り、脳内で『まだ慌てるような時間じゃない』と理性の囁きでなんとか意識を取り戻した。

 過ぎた物は仕方ない。今は前を向くべきだ。ビバポジティブシンキング。またの名を徹夜明けのテンション。冷静になれていない、と自覚はあるものの思考が判然としない。

 こういうときに、人はミスを重ねるのである。


「次だ次!」


 半ば自棄になって叫んでいた。

 勇み足で踵を返す。

 さて、神社の方角は、と。

 …………どっちですか?


『お、ミツケタか……このゲーム、ドッチがカツかミモノだな』


 ◆

 

 自然の迷宮を抜け出し、なんとか都心部にまで帰って来れた。

 駅のロータリー付近で深呼吸する。

 なんだか無駄に疲れた。一息つきたいが、そうも言ってられない。

 既に時刻は四時を回った。今は文字化けして見られないが、元々のタイムリミットは七時過ぎだ。目立った成果がひとつしか挙げられていない以上、立ち止まるわけにはいかない。

 疲労困憊の体に鞭を打ち、残り三つの要所に向かう。

 ……と。

 偶然にも、見知った顔を見つけた。

 人混みを縫うように早歩きで近づいてくる人影。

 フードを目深にかぶり、全身黒ずくめの章だった。


「お、章じゃん。元気してるぅー?」

「…………」


 目にも入っていないのか、素通りされた。


「章! あーきーらー!」


 気づいてない様子だったので、声を張って近づいた。


「Hi! Hey Bro! AKIRA君!」


 中々立ち止まらないので、多種多様な呼び方で攻める。

 グローバリズムな声掛けに観念し、章はむすっとした顔で振り返ってきた。


「……なんだよ、お前か」

「久しぶり」と短く声をかけ、「それじゃ」


 別れを告げた。


「まてまてまて」


 釈然としない顔で引き留められた。


「なにさ、ごめんなさいですけど、急いでるので」

「駅前アンケートを断るテンプレ使うなよ」

「ほんとに急いでるんだよ」

「なら何で熱心に引き留めてきたんだよ」

「顔見れただけで満足だし」


 それ以外に理由はない。生きているのなら、それで万歳だ。


「フザけんなよ、バカにしに来たんじゃねーのかよ! 家にまで付きまとってきやがって!」


 声を荒げ、オレに詰め寄る。

 ちゃんとノート届いてたのか、安心した。


「バカにしないって。別に章が昔に中二病だったからって、嫌がるなら引き合いに出すつもりはさらさらないんだよ」

「上から言うんじゃねえよ、フザけんな!」

「自分がそうやって卑下してるからでしょ! なんだよ、自分をデカく見せたいのか、みみっちく見せたいのか、どっちなんだ!」


 お互いに息を荒くさせて、睨み合う。

 ……と、衆目を集めていたことに気づき、空気が重たくなる。

 周囲のヒソヒソとした声が、やけに耳に付く。

 章もそれで怒気が鎮火したのか、気まずそうに視線を逸らした。


「歩きながら話そう」「……おう」


 不本意そうに頷き、章はひとりでに歩き出した。


「お前さ、なんで俺に絡むの?」

「声かけられてうれしかったんだよ」


 色々考えても、そこに落ち着く。

 それ以上の理由があるか、と問われても答えられる自信がない。


「なんだよそれ、アホじゃねえの」


 絞り出された章の掠れた声。

 重々しい溜息のあと、章は呟いた。


「散々悩んだ俺がバカみてーじゃん」

「何で悩んでたか、訊いても?」

「……お前が黒歴史を知った上でイジろうとしてきてるのか、みたいな」


 苦しそうに、辛そうに。

 自分の心を晒すことが、何よりも痛みを生むみたいに。


「そんなわけないだろ」と、首を振った。

「あるんだよ。知らねーの? SNS上で、俺のコスプレ姿って身内で回し読みされてんだぞ。画像だけじゃなくて、動画まで。いくら擬態しても、いずれは特定される。上手く隠れられたって、怯えながら暮らすんだ。お前だって信じられねー」


 震えた声だった。


「全部自分の行動が招いたツケだ。黒歴史を受け入れられるほど、俺は強くなかっただけだ」

「なら、レベルアップしなきゃな」

「は……?」

「黒歴史を誇れるくらいに強くなろう。敵はたくさんいるだろ? 経験値稼ぎたい放題じゃないか」

「ゲームと一緒にすんなよ」

「物は言い様でしょ。章が現実を受け止めやすいように、考えを変えてみるといいんじゃないか。そんで、オレはパーティの仲間だ」

「クセー台詞ばっか吐くなよリア充……」


 忌々しげに突き放された。


「けど、悪くねー」と、ニヒルに彼は笑った。


 まだ、教室内に蔓延する陰湿な雰囲気や、彼を取り巻く現状に変化はない。

 でも、なんとかなるって思えた。ケセラセラである。

 ……もっとも、オレのカウントダウンに関する運命は深刻さを増すばかり。ちっとも楽観できない。

 茉梨を見つけないと始まらないのだけど……

 弱ったな。茉梨の居場所が掴めない以上、手の打ちようがない。

 マスターが渡してくれたメモ書きだけでは、些か決定打に欠ける。

 どこかに茉梨の生態系把握してるひといないかなー。

 ちらっ。隣の章を見た。いたわ。


「章、訊きたいことがある」

「な、なんだよ……すげー怖い顔してんぞ」

「茉梨って、何処に出没するんだ?」

「はあ?」章の顔が怪訝に歪む。「なんでお前に教えなきゃいけねーんだよ」

「知ってるのか、章!?」


 半分歓喜で、半分ドン引きの感情で章の肩を掴んだ。

 あの神出鬼没の魔女を捉えられるのは、同じ領土で戦った章しかいない。


「頼む、章にしか頼めない、教えてくれ!」

「…………わかったよ、親友のよしみだしな……へへ……」


 後半はボソボソとしてて聞き取れなかったけど、頷いてくれた。

 よかった、手荒な行為に及ばずに済んだ。

 胸を撫で下ろす。


「……いま薄ら寒いの感じたんだけど、お前、頷かなかったらどうするつもりだったんだ?」

「拳で聞く」

「お前、俺が一番嫌いな人種かもしれない」


 げんなりとされた。


「やれやれ」と首を振り、章はスマホを取り出した。「SNS、やってるか?」

「……!」SNS? ポーカーフェイスで頷いた。

「何で見栄を張るんだよ、知りたいんだろ。日野のアカウントを教えてやる」

「さらっとえげつないこと言わなかった?」

「ちげーよ、勘違いすんな。別にストーキングしてねーって。大体知ってるんだよ、あいつと関わったヤツは」


 ほら、スマホ出せ出せ。

 章に催促されて、オレはスマホを取り出した。スマホ出す出す。


「まずストアからダウンロードするだろ、そんで会員登録。メールアドレスとかログインIDとかパスワードとか基本情報もろもろ登録しろ」

「こ、高速詠唱……!?」

「お前機械に弱いのな」

 

 失敬な、基本操作はできるぞ。


「アプリダウンロードできなきゃ持ち腐れだっての。ほら、ダウンロードできた、ぞ」


 章の顔が強ばる。スマホの画面を注視したまま、そのまま動かない。

 なんだ、どうした?

 覗き込むと、スマホの中央に『通信制限です』の文字が浮かび上がっていた。


「な、なんだこれは! ウィルスか!? もう自爆するしかないのか!?」


 慌てふためくオレ。

 対して、章は開いた口が塞がらない様子。


「落ち着けよ……ネットの通信量が限界を迎えただけだ。Wi-Fiと繋がれば戻るし、遅い通信速度でよければそのまま使える」

「なんだ、よかった」ほうと息を吐く。ヒヤヒヤさせやがって。

「しょうがねーなー」と、ぶっきらぼうに呟き、章はスマホを操作し始めた。


 なんだ、面倒見がいいな?

 今か今かと待ちわびる。

 ――と。

 今にも降り出しそうだった空が、堪えきれなくなったかのように雨を降らし始めた。

 にわか雨だが、すぐにでも土砂降りになるだろう。


「雨、降ってきたな」


 呟いた、そのときだった。


 幽かに、爆発を孕んだ遠雷のうなり声が、周囲を震わした。

 

 瞳が疼く。

 眩しいものを見つめるときのように、目を凝らす。

 東の空から、屹立する光の柱があった。

 目が離せないほどに、濃密な魔力に満ちていて。

 茫然と空を仰ぐ。


『クラス:勇者』『■■■■』


 完全に見えなくなったカウントダウンが、胸に迫る恐怖を与えてきた。


「ほら、これが日野のアカウントだよ……ってなんだこれ」

「……なあ、章、アレが見えるか?」


 震える指先で、遠方を指差す。

 空と大地を繋ぐ光の柱。

 章は眉をしかめて「はあ?」と同じ方角を睥睨する。

 そして、首を傾げてオレを見やる。


「どれのことだよ」

「なんでもない」


 吐き出した声は、死人のように枯れている。

 力無く落とした視線の先に、


『ディザスター

 世界を滅ぼす、そのときが来た』


 と、間抜けなオレを嘲笑う、悪魔の文面があった。

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