5
『20293』
最初に訪れたのは、水族館の脇にある港。
休日の水族館は、家族連れや恋人。友達で訪れる人々で賑わっていた。
静かに息を吸い込み、魔法を発動させる。
異次元の情報が差し込まれて、電車内の広告さながらの、無造作ながらも規則正しい文字群が配列された。
無数のカウントダウンと運命に目眩がする。意識の外に追いやって、必要な情報だけを抜き出す。
〝
小説では〝ステータス〟と呼称される情報を、表示する瞳だ。
名前や職業、はたまた腕力や魔力といった身体能力値を表示する機能を持ち、多くがRPGの世界を舞台にした小説で見受けられた。
視界が目まぐるしく変遷とし、やがて視界がクリアになった。
確かな手応えを感じる。
意識するだけで、不必要な情報を排除できるようになっていた。
「練習の成果、アリだね」
ニヤリとほくそ笑む。
端から見ればやべーやつである。
思った通り、周囲からすげー煙たがられた。
ぴえんである。視線が針のようで、チクチクと肌を刺す。
茉梨……オマエよく続けられるな。
ちょっと尊敬しそうになった。
一つ目は成果なし。
メモにチェックを入れて、二つ目の地点に向かう。
『18905』
静謐で満ちた日本庭園に訪れた。
茶屋や家屋で更生された歴史ある観光地。
池の側は散歩道となっており、春の息吹を与えられた桜が枝垂れ、水面に薄紅を反射している。見るに神秘的な場所だ。
此処ならば、あるいは妖精だって見つかるかもしれない。
……ダメだ。魔法陣らしきものが影も形も見えない。
せめて茉梨と連絡を取りたいところだけど、アイツスマホ持ってないしなぁ。
こんなことになるなら、きっちり約束を取り付けておくんだった。
でもなあ、金曜日はカウントダウンなんて見えなかったしなぁ……
粘ついた溜息が出た。
落胆を零すようにチェックを入れて、暗い気持ちを振り払う。
次だ次!
『17432』
本命はここだ。
日本神話における某剣が祭られた神宮。
杉の木立の奥に、神社はある。
実を言うと、ここに来るのは五度目くらい。
初詣や七五三でお世話になっている。鳥居をくぐる前に〝運命瞳〟を起動させる。
「えっ」一瞬、視界が狂った。
陽炎の奥の景色を窺うように、目に見える景色がひどく遠くなる。
何かの不具合か、魔法の映し出す世界がまやかしと錯覚した。
「きた、きた……!」
熱に浮かされたように呟き、オレは鳥居をくぐった。
境内では参拝客が雑踏を成している。
人がたくさん居て賑やかなはずなのに、不自然な静けさが痛々しいほどに澄み渡っていた。
一歩踏み出すごとに、心拍数が加速していく感覚。
次第に周囲の背景は現代の文明を失っていく。
なんだか、時間の海を渡航しているようだ。
やがて、神社に辿り着く。
木造建築特有の乾いた匂い。それとは別に漂う、異様な空気があった。
卵の殻の中を想像する。
生ぬるい胎内で、ゆっくりと育て上げられる生物。
微睡みのように優しい世界に、迷い込んだみたいだった。
「なんだよこれ……?」
脳裏に混乱が満ちる。
足元が覚束ない。それでも、導かれるままに足を進めた。
やがて、神社から離れた森の深部に辿り着いた。
意識を取り戻したときには、木を支えにやっと立っているような状態だった。
「はぁ、はぁ……!?」
ワケがわからない。狐につままれたみたいだ。
脂っぽい汗を袖口で拭い、荒く上下する肩をなだめる。
「くそ、なんか操られたみたいだ……」
なんとなく口にした表現が、実に的を射ているように思えた。
徹夜で疲れてるのか? 意識が朦朧としていた。
支えにしていた木の幹から手を離す。
……と。足元に、ひらりと紙が落ちた。
幾何学的な模様。未知の言語が記された正方形の紙だ。
勝手に頬が吊り上がるのを、止められなかった。
「はは、見つけたぞ……魔法陣!」
大きくガッツポーズ!
同時に〝運命瞳〟を起動させて、魔法陣を検める。
すると、紋様が蜷局を巻くように渦を作った。
「うわっ」なんかマズいことしたか!?
慌てて魔法を止める。
「こんなもの!」
ビリッと破った。ゴミは丸めて持ち帰る。
やっぱり物理なんだよなぁ。
「……うし、解決」
危ないところだった。
額の汗を拭い、やれやれと首を振る。
嫌な予感がして、念のためカウントダウンを確認する。
『■63■2』
なんか文字化けしてませんか――!?
あわあわあわ、と一頻り泡を食ったように踊り、脳内で『まだ慌てるような時間じゃない』と理性の囁きでなんとか意識を取り戻した。
過ぎた物は仕方ない。今は前を向くべきだ。ビバポジティブシンキング。またの名を徹夜明けのテンション。冷静になれていない、と自覚はあるものの思考が判然としない。
こういうときに、人はミスを重ねるのである。
「次だ次!」
半ば自棄になって叫んでいた。
勇み足で踵を返す。
さて、神社の方角は、と。
…………どっちですか?
『お、ミツケタか……このゲーム、ドッチがカツかミモノだな』
◆
自然の迷宮を抜け出し、なんとか都心部にまで帰って来れた。
駅のロータリー付近で深呼吸する。
なんだか無駄に疲れた。一息つきたいが、そうも言ってられない。
既に時刻は四時を回った。今は文字化けして見られないが、元々のタイムリミットは七時過ぎだ。目立った成果がひとつしか挙げられていない以上、立ち止まるわけにはいかない。
疲労困憊の体に鞭を打ち、残り三つの要所に向かう。
……と。
偶然にも、見知った顔を見つけた。
人混みを縫うように早歩きで近づいてくる人影。
フードを目深にかぶり、全身黒ずくめの章だった。
「お、章じゃん。元気してるぅー?」
「…………」
目にも入っていないのか、素通りされた。
「章! あーきーらー!」
気づいてない様子だったので、声を張って近づいた。
「Hi! Hey Bro! AKIRA君!」
中々立ち止まらないので、多種多様な呼び方で攻める。
グローバリズムな声掛けに観念し、章はむすっとした顔で振り返ってきた。
「……なんだよ、お前か」
「久しぶり」と短く声をかけ、「それじゃ」
別れを告げた。
「まてまてまて」
釈然としない顔で引き留められた。
「なにさ、ごめんなさいですけど、急いでるので」
「駅前アンケートを断るテンプレ使うなよ」
「ほんとに急いでるんだよ」
「なら何で熱心に引き留めてきたんだよ」
「顔見れただけで満足だし」
それ以外に理由はない。生きているのなら、それで万歳だ。
「フザけんなよ、バカにしに来たんじゃねーのかよ! 家にまで付きまとってきやがって!」
声を荒げ、オレに詰め寄る。
ちゃんとノート届いてたのか、安心した。
「バカにしないって。別に章が昔に中二病だったからって、嫌がるなら引き合いに出すつもりはさらさらないんだよ」
「上から言うんじゃねえよ、フザけんな!」
「自分がそうやって卑下してるからでしょ! なんだよ、自分をデカく見せたいのか、みみっちく見せたいのか、どっちなんだ!」
お互いに息を荒くさせて、睨み合う。
……と、衆目を集めていたことに気づき、空気が重たくなる。
周囲のヒソヒソとした声が、やけに耳に付く。
章もそれで怒気が鎮火したのか、気まずそうに視線を逸らした。
「歩きながら話そう」「……おう」
不本意そうに頷き、章はひとりでに歩き出した。
「お前さ、なんで俺に絡むの?」
「声かけられてうれしかったんだよ」
色々考えても、そこに落ち着く。
それ以上の理由があるか、と問われても答えられる自信がない。
「なんだよそれ、アホじゃねえの」
絞り出された章の掠れた声。
重々しい溜息のあと、章は呟いた。
「散々悩んだ俺がバカみてーじゃん」
「何で悩んでたか、訊いても?」
「……お前が黒歴史を知った上でイジろうとしてきてるのか、みたいな」
苦しそうに、辛そうに。
自分の心を晒すことが、何よりも痛みを生むみたいに。
「そんなわけないだろ」と、首を振った。
「あるんだよ。知らねーの? SNS上で、俺のコスプレ姿って身内で回し読みされてんだぞ。画像だけじゃなくて、動画まで。いくら擬態しても、いずれは特定される。上手く隠れられたって、怯えながら暮らすんだ。お前だって信じられねー」
震えた声だった。
「全部自分の行動が招いたツケだ。黒歴史を受け入れられるほど、俺は強くなかっただけだ」
「なら、レベルアップしなきゃな」
「は……?」
「黒歴史を誇れるくらいに強くなろう。敵はたくさんいるだろ? 経験値稼ぎたい放題じゃないか」
「ゲームと一緒にすんなよ」
「物は言い様でしょ。章が現実を受け止めやすいように、考えを変えてみるといいんじゃないか。そんで、オレはパーティの仲間だ」
「クセー台詞ばっか吐くなよリア充……」
忌々しげに突き放された。
「けど、悪くねー」と、ニヒルに彼は笑った。
まだ、教室内に蔓延する陰湿な雰囲気や、彼を取り巻く現状に変化はない。
でも、なんとかなるって思えた。ケセラセラである。
……もっとも、オレのカウントダウンに関する運命は深刻さを増すばかり。ちっとも楽観できない。
茉梨を見つけないと始まらないのだけど……
弱ったな。茉梨の居場所が掴めない以上、手の打ちようがない。
マスターが渡してくれたメモ書きだけでは、些か決定打に欠ける。
どこかに茉梨の生態系把握してるひといないかなー。
ちらっ。隣の章を見た。いたわ。
「章、訊きたいことがある」
「な、なんだよ……すげー怖い顔してんぞ」
「茉梨って、何処に出没するんだ?」
「はあ?」章の顔が怪訝に歪む。「なんでお前に教えなきゃいけねーんだよ」
「知ってるのか、章!?」
半分歓喜で、半分ドン引きの感情で章の肩を掴んだ。
あの神出鬼没の魔女を捉えられるのは、同じ領土で戦った章しかいない。
「頼む、章にしか頼めない、教えてくれ!」
「…………わかったよ、親友のよしみだしな……へへ……」
後半はボソボソとしてて聞き取れなかったけど、頷いてくれた。
よかった、手荒な行為に及ばずに済んだ。
胸を撫で下ろす。
「……いま薄ら寒いの感じたんだけど、お前、頷かなかったらどうするつもりだったんだ?」
「拳で聞く」
「お前、俺が一番嫌いな人種かもしれない」
げんなりとされた。
「やれやれ」と首を振り、章はスマホを取り出した。「SNS、やってるか?」
「……!」SNS? ポーカーフェイスで頷いた。
「何で見栄を張るんだよ、知りたいんだろ。日野のアカウントを教えてやる」
「さらっとえげつないこと言わなかった?」
「ちげーよ、勘違いすんな。別にストーキングしてねーって。大体知ってるんだよ、あいつと関わったヤツは」
ほら、スマホ出せ出せ。
章に催促されて、オレはスマホを取り出した。スマホ出す出す。
「まずストアからダウンロードするだろ、そんで会員登録。メールアドレスとかログインIDとかパスワードとか基本情報もろもろ登録しろ」
「こ、高速詠唱……!?」
「お前機械に弱いのな」
失敬な、基本操作はできるぞ。
「アプリダウンロードできなきゃ持ち腐れだっての。ほら、ダウンロードできた、ぞ」
章の顔が強ばる。スマホの画面を注視したまま、そのまま動かない。
なんだ、どうした?
覗き込むと、スマホの中央に『通信制限です』の文字が浮かび上がっていた。
「な、なんだこれは! ウィルスか!? もう自爆するしかないのか!?」
慌てふためくオレ。
対して、章は開いた口が塞がらない様子。
「落ち着けよ……ネットの通信量が限界を迎えただけだ。Wi-Fiと繋がれば戻るし、遅い通信速度でよければそのまま使える」
「なんだ、よかった」ほうと息を吐く。ヒヤヒヤさせやがって。
「しょうがねーなー」と、ぶっきらぼうに呟き、章はスマホを操作し始めた。
なんだ、面倒見がいいな?
今か今かと待ちわびる。
――と。
今にも降り出しそうだった空が、堪えきれなくなったかのように雨を降らし始めた。
にわか雨だが、すぐにでも土砂降りになるだろう。
「雨、降ってきたな」
呟いた、そのときだった。
幽かに、爆発を孕んだ遠雷のうなり声が、周囲を震わした。
瞳が疼く。
眩しいものを見つめるときのように、目を凝らす。
東の空から、屹立する光の柱があった。
目が離せないほどに、濃密な魔力に満ちていて。
茫然と空を仰ぐ。
『クラス:勇者』『■■■■』
完全に見えなくなったカウントダウンが、胸に迫る恐怖を与えてきた。
「ほら、これが日野のアカウントだよ……ってなんだこれ」
「……なあ、章、アレが見えるか?」
震える指先で、遠方を指差す。
空と大地を繋ぐ光の柱。
章は眉をしかめて「はあ?」と同じ方角を睥睨する。
そして、首を傾げてオレを見やる。
「どれのことだよ」
「なんでもない」
吐き出した声は、死人のように枯れている。
力無く落とした視線の先に、
『ディザスター
世界を滅ぼす、そのときが来た』
と、間抜けなオレを嘲笑う、悪魔の文面があった。
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