「よし、着いた……」


 改札を抜けて、息を吐く。都会特有の、雑然とした喧噪が耳に付いた。

 敵の本拠地に乗り込んだ。

 心臓がバクバクと緊張で高鳴り、不必要に視線があちこちに巡る。

 落ち着け。人混みの中なら、表だって襲ってこないはずだ。

 茉梨の見解では「魔力不足を起こしている、魔法陣の維持で精一杯のはず」とのこと。とどのつまりお取り込み中なのだ。

 用心を怠らず、自然な足取りで歩けばバレない。

 息を殺し、慎重に『喫茶日野』に向かった。


「いらっしゃいませ」


 お店に入ると、老紳士が迎えてくれた。

 店内が見渡せるカウンターから、オレを注視して。


「おや」と、瞬きをして、「よく来てくれたね。具合はもう大丈夫なのかな」


 頷きながら、オレは頭を下げた。


「お騒がせして申し訳ありませんでした。店長さんはお怪我はありませんか?」

「マスター、と呼んでくれ。憧れなんだよ」


 穏やかに微笑まれた。

 一回り若くなったような笑顔だった。

 自然と、オレの頬も緩む。


「マスターは……いえ、元気そうでなによりです」


 聞くまでもない。

 電話越しでは、安否の程は不明だったけど。

 こうして対面すると、傷一つない姿がうかがい知れた。袖から覗く腕の筋肉や、胸を張った姿勢のいい佇まい。大木のような安心感があるひとだ。


「あの犯人は、どうなりましたか?」

「まだ捕まってないよ。君と茉梨が店を出てから、遅れて飛び出していったね」

「そう、ですか……」


 ひょっとしたら警察が取り締まってくれているんじゃないか、と密かに抱いていた淡い期待が砕かれる。

 少しだけ、気が重くなる。

 取り直すように、オレは質問を重ねた。


「それで、あの……茉梨さんは、いまどうしてますか?」

「元気にしてるよ。ただ、今日は姿を見てないね」

「何処に行ったとかは知りませんか?」

「いや、わからない」と、重い顔で首を振った。「なにせ自由奔放で掴み所がない子だからね」


 後半は苦笑が混じっていた。

 マスターでも手を焼くのか……てっきり、上手いこと手綱を握っているものかと。

 橘クラリーサを打倒するには、茉梨は必要不可欠だ。

 一夜漬けで勉強したが、魔法に関する知識は茉梨に及ばない。


「……心当たりなら、少しはあるよ」

「ほんとうですかっ?」


 咳き込むように反応した。

 思わず前のめりになって、カウンターから覗き込んだ。

 落ち着け、マスターがドン引きしてる。

 冷静になって、体勢を整える。


「ごめんなさい……取り乱しちゃいました」

「いや、構わない。元気があってよろしいよ」と、肩をくつくつと揺らして笑う。「もうお昼時だし、ご飯食べてくかい?」


 ありがたい提案だ。

 店内の壁時計を見れば、正午に丁度秒針がそろっていた。


「好物はなにかな。アレルギーはある?」

「か、カレーライスが好きです」

「よかった、ウチの名物……カレーなんだよ」


 頼もしい笑顔に、思わず喉が鳴った。

 腹が減っては戦はできない……ご厚意にあずかるとしよう。


「じゃ、奥の席で待っていてくれ」

「あ、窓ってどうなりましたか?」

「修理は昨日終わったよ。もっとも、営業再開はしてない。表向き、今日は休業中だ」

「え、じゃあお邪魔でしたね……」

「ちがうちがう、君を待っていたからね」と、にこやかに言われた。


 それってどういう……?


「茉梨が言っていたんだよ。たぶん来るだろうから、もてなしてあげてくれって」


 途端、マスターの笑みが意地悪くなる。


「いやぁ、可愛い孫娘の頼みだ。若いっていいねぇ」

「か、からかわないでください! マスターが想像する、そういう甘酸っぱい男女の仲じゃありませんから!」

「最初はそうだろうな……さ、出来上がるまで待っていてくれ」


 言いつつ、差し出されたメモを受け取る。

 住所や地名が、箇条書きになって載っていた。


「い、いつの間に……?」


 慄然としながら、奥の席に引っ込んだ。

 マスター、謎多き人物だ……

 席に座り、一息ついたところで頭上を仰いだ。

 視界を切り替えて、タイムリミットを確認する。


『25233』


 数字が減るごとに、感じる重みが増えていく。

 残り時間を意識せずにはいられない。


「あと六時間とちょっと……」


 正念場だ。無事に魔法陣を破却できて、橘から逃げ切れたら、オレ達の勝利となる。

 スマホの地図を起動させて、片っ端から住所をたたき込んで位置を確認する。

 ……共通点として挙げられるのは、いずれも人通りが少ないところ。

 一覧には、緑公園もあった。


「はい、カレーライス」

「おおぉありがとうございます、いただきます!」


 カレーライスを二皿運び、マスターは対面に座った……えっ?


「えっ?」と、心中のみならず声にも出た。

「いやだったかな? 長い間誰かと食事する機会がなくってね。老体を憐れむと思って、相席を許してほしい」


 文句なんてあるはずもない。

 メモとスマホをポケットにねじ込み、姿勢を正した。


「固くならなくていい。気軽に、とまではいかないだろうけど、近所のおじさんと食事するぐらいの気持ちで構えてくれ」

「はぁ……」


 あまりにもピンと来ず、無愛想な返事になってしまった。


「いただきます」


 手を合わせて、スプーンを口に運んだ。

 ……あ、おいしい。

 カレーの香味の程よいスパイスが、絶妙に白米の甘みとのコントラストを生んでいる。それだけじゃない、豚肉の脂身を引き立てる奥深い味わいがある。

 夢中になって食べ進めた。

 うおォン、オレはまるで人間火力発電所だ。


「ごちそうさまでした、すごいおいしかったです!」


 あっという間に完食してしまった……

 ポカンと、呆けた表情で見られて、オレはたちまち肩が狭くなる。


「あ、すいません……」

「いや、いい食べっぷりだ。自分の若い頃を思い出すよ」


 マスターは眩しいものでも見るように目を細めた。

 体が羞恥で竦んだ。

 無意識に手を前髪に伸ばして弄ぶ。

 あー……恥ずかしい。けれど、興奮するだけおいしかったのは事実だ。


「あの……マスターさえよろしければ、レシピを教えてくれませんか?」

「お気に召したようで何よりだよ。でも悪いけど、門外不出なんだ」


 そうだよね……不躾だったと反省。

 と、マスターも食べ終えた。

 ご馳走様でした、と渋い声で一礼。

 ……なんだろう、同じ所作なはずなのに、とても高貴だ。


「……学校で、茉梨はちゃんとやれているかな?」

「え?」いきなり尋ねられて、咄嗟の返事が思いつかなかった。


 茉梨の、学校での様子?

 内心で反復して、言葉に詰まる。

 まさか『お孫さんボイコットしたり授業荒らしたりしてますよー』なんてストレートに伝えるわけにもいくまい。


「元気ですよ。すごい意欲的で(サボりに)」

「授業をサボったり、荒らしたりしてないかな?」


 その通りですExactly、と頷きたい衝動を堪えて、曖昧な笑みでお茶を濁した。


「……やはりか。いい加減あの子も大人になるべきなんだがね」


 僅かに苛立ちが混じった口調。

 すっかり見破られていた。


「ずっとあの子は変わらない。魔法や妖精を盲信している」

「……悪いと思いますか? 茉梨さんは、祖母を尊敬してるってしょっちゅう言ってますよ」

「ただの尊敬なら喜ばしいが……君はどんな印象だ?」


 どうして、そんなことを訊くんだろう。

 それは――暗に、彼女を疎ましく思っているのかと、オレは本気で訊きそうになった。

 不意に、脳裏に浮かぶのは、茉梨が魔法や妖精を語るときの顔。

 如何に世間から逸脱した振る舞いであっても、あの――屈託のない笑顔は、どうしても不快になれなかった。

 色々思うことはあれど、結局のところ印象はひとつだけだ。


「我が儘で、ムカつきます」


 一瞬だけ、躊躇うような表情を見せたあと、マスターは肩を揺らして大笑いした。

 思わず二度見する。紳士的な仕草からはかけ離れた仕草だ。

 ビックリしすぎて〝あの秋の夜の夢の二度見〟を発動してしまった。冗談じゃないわよお。


「そうだね、確かにそうだ……我が儘で、ずっと子どもみたいなヤツだ」

「えと……気に障りましたか?」

「いや、君が誠実な人物だとわかったよ」


 どうしてそうなりました? しばらくぼうっと、老紳士が砕ける様子を眺めた。


「茉梨は、ある時期を境に塞ぎ込んでしまった。やり場のない不安や恐怖を預ける場所に、とある絵本を選んだんだ」


 ……知っている。

 マスターは気を利かして詳細をぼかしているが、オレは簡単に見当を付けられた。

 祖母を亡くして、彼女は魔法に傾倒するようになった。


「……オレ、茉莉さんから直接聞きました。その、奥さんが魔法使いだったって」

「ほう、それを話すほど心を許したのか……」


 噛みしめるように呟き、マスターはオレと向き直る。その瞳が、濡れている気がした。


「一週間でずいぶんと仲良くなったね」


 彼の目がすぼまる。

 息が詰まった。こわぃ……。


「非常識な振る舞いこそ目立つが、可愛い孫娘だ。不出来な輩は追い払う腹積もりだったが……」


 ふっ、と視線が和らいだ。

 再び、彼の髭の下に浮かぶ穏やかな笑み。


「君なら、きっと大丈夫だ」

「光栄です……」緊張で後半の声は力が抜けていった。

「君さえよければ、あの子の理解者でいてくれ」


 無条件で頷きたくなるほど、真摯な訴えだ。

 だけど、オレはその言葉にどうしようもない違和感を覚えた。

 致命的で、致命傷な。

 彼女は、本当に理解者が必要なのか?

 茉莉は、ひとりで幻想と向き合ってきた。一方で、イジメや嘲笑といった厳しい現実にも直面したはずだ。表情にこそ出さないが、鉄壁の裏に隠した感情は少なからず傷ついている。

 ……オレに、理解者を気取れるほどの度量はない。


「できません、オレには」


 するとマスターは、オレの口元をまじまじと見つめてきた。

 訝しむような、不思議がるような。


「茉莉は理解者を求めるほど、弱くないと思います」

「えらく買ってるなぁ」

「茉莉さんの頑固なところは認めてます」


 だから、これだけは理解できる。


「アイツの夢はアイツだけのものです。でも、オレは茉莉さんの姿勢とか生き方とかを理解するつもりは、一切ありません」


 誰をも撥ね退けて、自分だけの世界を大事にする在り方。

 特別でありたい――ただその一点を究明するには、他者を拒絶するか、常識外の存在に突出するか。何れにせよ、天性の才能が必要だ。

 茉莉は、どうしようもないほどに凡人だ。


『魔法はない』


 そう口にした茉莉の言葉を思い出す。

 夢から醒めているのに、現実から目を背け続けているのだ。

 それでは、無視し続けていた現実に息を止められて、窒息してしまう。

 その破滅的な生き様が、どうにも許容できない。


「なら、君は茉莉にとっての何になれる?」

「……少なくとも、いまは弟子です」


 言い切って、小さく息を吸った。

 知らず熱を持っていた思考を冷却させる。

 ……どうしてオレは熱くなってるんだ。


「いやぁ、若いっていいね」

「そればかりじゃないですか、もう」


 マスターは尊敬できる人物だけど、茉莉関連の話題はうんざりだ。

 辟易とするオレの心情を感じ取ったのか、マスターは力なく笑った。


「すまない、つい舞い上がってしまっていた」


 勘弁してほしい。

 こちとら多感な高校生だから、なるべく真面目な話題は避けたい年頃なんですよ。


「お代は結構だよ。君さえよければ、またこうして相談にのってほしい」

「……なんでも物で釣れると思わないでくださいよ」

「おや、じゃあいらない?」

「そうは言ってませんけども」フィーーッシュ!(魚が釣れた時に出る掛け声)


 しょうがないじゃん。胃袋掴まれたんだもん。


「それとも、まだ足りないか?」

「…………今度、コーヒーの作り方、教えてくださいよ」

「いいとも」と、本当にうれしそうに、マスターは頷いた。


 生還しなきゃいけない理由が増えた。親父を唸らせるコーヒー……いや、珈琲を修得してやるのだ。

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