4
「よし、着いた……」
改札を抜けて、息を吐く。都会特有の、雑然とした喧噪が耳に付いた。
敵の本拠地に乗り込んだ。
心臓がバクバクと緊張で高鳴り、不必要に視線があちこちに巡る。
落ち着け。人混みの中なら、表だって襲ってこないはずだ。
茉梨の見解では「魔力不足を起こしている、魔法陣の維持で精一杯のはず」とのこと。とどのつまりお取り込み中なのだ。
用心を怠らず、自然な足取りで歩けばバレない。
息を殺し、慎重に『喫茶日野』に向かった。
「いらっしゃいませ」
お店に入ると、老紳士が迎えてくれた。
店内が見渡せるカウンターから、オレを注視して。
「おや」と、瞬きをして、「よく来てくれたね。具合はもう大丈夫なのかな」
頷きながら、オレは頭を下げた。
「お騒がせして申し訳ありませんでした。店長さんはお怪我はありませんか?」
「マスター、と呼んでくれ。憧れなんだよ」
穏やかに微笑まれた。
一回り若くなったような笑顔だった。
自然と、オレの頬も緩む。
「マスターは……いえ、元気そうでなによりです」
聞くまでもない。
電話越しでは、安否の程は不明だったけど。
こうして対面すると、傷一つない姿がうかがい知れた。袖から覗く腕の筋肉や、胸を張った姿勢のいい佇まい。大木のような安心感があるひとだ。
「あの犯人は、どうなりましたか?」
「まだ捕まってないよ。君と茉梨が店を出てから、遅れて飛び出していったね」
「そう、ですか……」
ひょっとしたら警察が取り締まってくれているんじゃないか、と密かに抱いていた淡い期待が砕かれる。
少しだけ、気が重くなる。
取り直すように、オレは質問を重ねた。
「それで、あの……茉梨さんは、いまどうしてますか?」
「元気にしてるよ。ただ、今日は姿を見てないね」
「何処に行ったとかは知りませんか?」
「いや、わからない」と、重い顔で首を振った。「なにせ自由奔放で掴み所がない子だからね」
後半は苦笑が混じっていた。
マスターでも手を焼くのか……てっきり、上手いこと手綱を握っているものかと。
橘クラリーサを打倒するには、茉梨は必要不可欠だ。
一夜漬けで勉強したが、魔法に関する知識は茉梨に及ばない。
「……心当たりなら、少しはあるよ」
「ほんとうですかっ?」
咳き込むように反応した。
思わず前のめりになって、カウンターから覗き込んだ。
落ち着け、マスターがドン引きしてる。
冷静になって、体勢を整える。
「ごめんなさい……取り乱しちゃいました」
「いや、構わない。元気があってよろしいよ」と、肩をくつくつと揺らして笑う。「もうお昼時だし、ご飯食べてくかい?」
ありがたい提案だ。
店内の壁時計を見れば、正午に丁度秒針がそろっていた。
「好物はなにかな。アレルギーはある?」
「か、カレーライスが好きです」
「よかった、ウチの名物……カレーなんだよ」
頼もしい笑顔に、思わず喉が鳴った。
腹が減っては戦はできない……ご厚意にあずかるとしよう。
「じゃ、奥の席で待っていてくれ」
「あ、窓ってどうなりましたか?」
「修理は昨日終わったよ。もっとも、営業再開はしてない。表向き、今日は休業中だ」
「え、じゃあお邪魔でしたね……」
「ちがうちがう、君を待っていたからね」と、にこやかに言われた。
それってどういう……?
「茉梨が言っていたんだよ。たぶん来るだろうから、もてなしてあげてくれって」
途端、マスターの笑みが意地悪くなる。
「いやぁ、可愛い孫娘の頼みだ。若いっていいねぇ」
「か、からかわないでください! マスターが想像する、そういう甘酸っぱい男女の仲じゃありませんから!」
「最初はそうだろうな……さ、出来上がるまで待っていてくれ」
言いつつ、差し出されたメモを受け取る。
住所や地名が、箇条書きになって載っていた。
「い、いつの間に……?」
慄然としながら、奥の席に引っ込んだ。
マスター、謎多き人物だ……
席に座り、一息ついたところで頭上を仰いだ。
視界を切り替えて、タイムリミットを確認する。
『25233』
数字が減るごとに、感じる重みが増えていく。
残り時間を意識せずにはいられない。
「あと六時間とちょっと……」
正念場だ。無事に魔法陣を破却できて、橘から逃げ切れたら、オレ達の勝利となる。
スマホの地図を起動させて、片っ端から住所をたたき込んで位置を確認する。
……共通点として挙げられるのは、いずれも人通りが少ないところ。
一覧には、緑公園もあった。
「はい、カレーライス」
「おおぉありがとうございます、いただきます!」
カレーライスを二皿運び、マスターは対面に座った……えっ?
「えっ?」と、心中のみならず声にも出た。
「いやだったかな? 長い間誰かと食事する機会がなくってね。老体を憐れむと思って、相席を許してほしい」
文句なんてあるはずもない。
メモとスマホをポケットにねじ込み、姿勢を正した。
「固くならなくていい。気軽に、とまではいかないだろうけど、近所のおじさんと食事するぐらいの気持ちで構えてくれ」
「はぁ……」
あまりにもピンと来ず、無愛想な返事になってしまった。
「いただきます」
手を合わせて、スプーンを口に運んだ。
……あ、おいしい。
カレーの香味の程よいスパイスが、絶妙に白米の甘みとのコントラストを生んでいる。それだけじゃない、豚肉の脂身を引き立てる奥深い味わいがある。
夢中になって食べ進めた。
うおォン、オレはまるで人間火力発電所だ。
「ごちそうさまでした、すごいおいしかったです!」
あっという間に完食してしまった……
ポカンと、呆けた表情で見られて、オレはたちまち肩が狭くなる。
「あ、すいません……」
「いや、いい食べっぷりだ。自分の若い頃を思い出すよ」
マスターは眩しいものでも見るように目を細めた。
体が羞恥で竦んだ。
無意識に手を前髪に伸ばして弄ぶ。
あー……恥ずかしい。けれど、興奮するだけおいしかったのは事実だ。
「あの……マスターさえよろしければ、レシピを教えてくれませんか?」
「お気に召したようで何よりだよ。でも悪いけど、門外不出なんだ」
そうだよね……不躾だったと反省。
と、マスターも食べ終えた。
ご馳走様でした、と渋い声で一礼。
……なんだろう、同じ所作なはずなのに、とても高貴だ。
「……学校で、茉梨はちゃんとやれているかな?」
「え?」いきなり尋ねられて、咄嗟の返事が思いつかなかった。
茉梨の、学校での様子?
内心で反復して、言葉に詰まる。
まさか『お孫さんボイコットしたり授業荒らしたりしてますよー』なんてストレートに伝えるわけにもいくまい。
「元気ですよ。すごい意欲的で(サボりに)」
「授業をサボったり、荒らしたりしてないかな?」
「……やはりか。いい加減あの子も大人になるべきなんだがね」
僅かに苛立ちが混じった口調。
すっかり見破られていた。
「ずっとあの子は変わらない。魔法や妖精を盲信している」
「……悪いと思いますか? 茉梨さんは、祖母を尊敬してるってしょっちゅう言ってますよ」
「ただの尊敬なら喜ばしいが……君はどんな印象だ?」
どうして、そんなことを訊くんだろう。
それは――暗に、彼女を疎ましく思っているのかと、オレは本気で訊きそうになった。
不意に、脳裏に浮かぶのは、茉梨が魔法や妖精を語るときの顔。
如何に世間から逸脱した振る舞いであっても、あの――屈託のない笑顔は、どうしても不快になれなかった。
色々思うことはあれど、結局のところ印象はひとつだけだ。
「我が儘で、ムカつきます」
一瞬だけ、躊躇うような表情を見せたあと、マスターは肩を揺らして大笑いした。
思わず二度見する。紳士的な仕草からはかけ離れた仕草だ。
ビックリしすぎて〝あの秋の夜の夢の二度見〟を発動してしまった。冗談じゃないわよお。
「そうだね、確かにそうだ……我が儘で、ずっと子どもみたいなヤツだ」
「えと……気に障りましたか?」
「いや、君が誠実な人物だとわかったよ」
どうしてそうなりました? しばらくぼうっと、老紳士が砕ける様子を眺めた。
「茉梨は、ある時期を境に塞ぎ込んでしまった。やり場のない不安や恐怖を預ける場所に、とある絵本を選んだんだ」
……知っている。
マスターは気を利かして詳細をぼかしているが、オレは簡単に見当を付けられた。
祖母を亡くして、彼女は魔法に傾倒するようになった。
「……オレ、茉莉さんから直接聞きました。その、奥さんが魔法使いだったって」
「ほう、それを話すほど心を許したのか……」
噛みしめるように呟き、マスターはオレと向き直る。その瞳が、濡れている気がした。
「一週間でずいぶんと仲良くなったね」
彼の目がすぼまる。
息が詰まった。こわぃ……。
「非常識な振る舞いこそ目立つが、可愛い孫娘だ。不出来な輩は追い払う腹積もりだったが……」
ふっ、と視線が和らいだ。
再び、彼の髭の下に浮かぶ穏やかな笑み。
「君なら、きっと大丈夫だ」
「光栄です……」緊張で後半の声は力が抜けていった。
「君さえよければ、あの子の理解者でいてくれ」
無条件で頷きたくなるほど、真摯な訴えだ。
だけど、オレはその言葉にどうしようもない違和感を覚えた。
致命的で、致命傷な。
彼女は、本当に理解者が必要なのか?
茉莉は、ひとりで幻想と向き合ってきた。一方で、イジメや嘲笑といった厳しい現実にも直面したはずだ。表情にこそ出さないが、鉄壁の裏に隠した感情は少なからず傷ついている。
……オレに、理解者を気取れるほどの度量はない。
「できません、オレには」
するとマスターは、オレの口元をまじまじと見つめてきた。
訝しむような、不思議がるような。
「茉莉は理解者を求めるほど、弱くないと思います」
「えらく買ってるなぁ」
「茉莉さんの頑固なところは認めてます」
だから、これだけは理解できる。
「アイツの夢はアイツだけのものです。でも、オレは茉莉さんの姿勢とか生き方とかを理解するつもりは、一切ありません」
誰をも撥ね退けて、自分だけの世界を大事にする在り方。
特別でありたい――ただその一点を究明するには、他者を拒絶するか、常識外の存在に突出するか。何れにせよ、天性の才能が必要だ。
茉莉は、どうしようもないほどに凡人だ。
『魔法はない』
そう口にした茉莉の言葉を思い出す。
夢から醒めているのに、現実から目を背け続けているのだ。
それでは、無視し続けていた現実に息を止められて、窒息してしまう。
その破滅的な生き様が、どうにも許容できない。
「なら、君は茉莉にとっての何になれる?」
「……少なくとも、いまは弟子です」
言い切って、小さく息を吸った。
知らず熱を持っていた思考を冷却させる。
……どうしてオレは熱くなってるんだ。
「いやぁ、若いっていいね」
「そればかりじゃないですか、もう」
マスターは尊敬できる人物だけど、茉莉関連の話題はうんざりだ。
辟易とするオレの心情を感じ取ったのか、マスターは力なく笑った。
「すまない、つい舞い上がってしまっていた」
勘弁してほしい。
こちとら多感な高校生だから、なるべく真面目な話題は避けたい年頃なんですよ。
「お代は結構だよ。君さえよければ、またこうして相談にのってほしい」
「……なんでも物で釣れると思わないでくださいよ」
「おや、じゃあいらない?」
「そうは言ってませんけども」フィーーッシュ!(魚が釣れた時に出る掛け声)
しょうがないじゃん。胃袋掴まれたんだもん。
「それとも、まだ足りないか?」
「…………今度、コーヒーの作り方、教えてくださいよ」
「いいとも」と、本当にうれしそうに、マスターは頷いた。
生還しなきゃいけない理由が増えた。親父を唸らせるコーヒー……いや、珈琲を修得してやるのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます