3
その日の晩、親父を交えて三人で食卓を囲んだ。
結局、魔法については伝えられないままだ。
放心状態で、残りの時間を過ごした。
カウントダウンは無情にも秒針を進め続ける。
「駅まで送るよ」「……うん」
夕食を終えて、ふたりで夕方の道を歩く。
風の感触は柔らかく、湿っぽい。
冬の寒気を含んだ春の風。夜に沈んだ空気は冷たい。
「お義父さん、元気そうだったね」
「うん……」
生返事しか声に出ない。
どうしても、魔法で見えてしまった運命が頭から離れない。
数字の羅列が意識を圧迫して、それ以外のことを考えられなくする。
「ケイくん、平気?」
そう尋ねる凪ちゃんの声こそ、消え入りそうで心配になる。
「ずっと上の空でちっとも元気がないし」
「ごめん、ちょっと頭がいっぱいになってて」
パチン、と景気づけに頬を叩く。
肌を包む冷たさが、痛みを刺激した。
……よし。多少はマシになった。まだ酷い面構えをしているだろうけど、信頼してくれる幼馴染みをこれ以上不安がらせたくない。
「もう平気だ。元気100倍だ」
「……あのね」と、呆れた顔で「0にいくらかけ算しても数字は増えないでしょ?」
うぐう。鋭い指摘。
けれど、寿命みたいなものを突きつけられて、穏やかでいられるほど楽観的に生きていない。
迫り来るタイムリミットに心が急かされていて、何をしようにも手に着かない心境だ。夏休み明け直前に積もった宿題みたいな、絶望するほど強い悲しみではないくせに、確かに心を蝕む深い落胆。
「凪ちゃんは……自分の寿命が決まってたら、どうするの?」
「それ、私に聞く?」
逃げ出したくなる後悔に襲われた。
凪ちゃんは自虐的に頬を歪めていた。彼女は体が弱く、オレと出会った頃、余命を宣告されていた――でも、それでも。
「どうしても聞きたいんだ。オレ、どうすればいいかわからなくなって」
心細かった。このまま虚しく命を消化するのかと思うと。
発作みたいに胸に走る、焦燥とか、郷愁とか、恐怖とか。
どうしようもない想いばかりが、解決を求めて堂々巡りを続けている。
「う~ん、こうするかな?」
いきなり抱きしめられた。
暴走機関車みたいな突拍子のなさと破壊力だ。
慌てて引き離して、イタズラっぽい笑顔と向き合う。
「甘えられる相手がいるなら精一杯に甘えて、頼りたい相手がいるなら頼って……とにかく、暗い気持ちと向き合わないで現実逃避が一番」
「だけど……目を逸らしたって、現実はずっとそこに在るわけでしょ? 逃げたってどうしようもない」
現実逃避を続けて、いざ向き直ってみたら取り返しのつかないことになってる……そんな話、ザラにあるはずだ。まして、オレの場合は明確な時間制限が付けられている。いくら目を逸らしたところで、確実にオレを殺しに来るだろう。
「なら、戦うしかない」
決然と、彼女は言い放つ。
戦う、あの騎士と? 躊躇無く剣を向けてくるような、倫理の枠外に位置する人間とか。
想像もつかない。非力なオレでは、むざむざ殺されにいくようなものだ。
「頼れるひとといっしょに、負けないように」
彼女の言葉は、真っ直ぐにオレの胸に届く。
茉梨……彼女は、オレと戦うと言ってくれた。
手段だって教えてくれた。
道は示されている。暗かった道が、唐突に開けて見えた。
進むために邪魔な障害は既に見えている。
こうなったら腹を据えるしかない。打倒、橘クラリーサである。
「凪ちゃん、オレ戦うよ! やってやるよ!」
「おお、その意気だよ!」
能天気に声を上げて、バンザーイと喝采。
そうと決まれば、やることはひとつ。
戦い前夜。
そんなの、レベルアップするしかない。
◆
「事情はつかめないけど、不安なら連絡してね、というか不安じゃなくても連絡して」と凪ちゃんと駅で別れて、オレは帰宅後、思考を整理しようと机にノートを広げていた。
考えつくだけの案を、ノートに書き殴る。
魔法陣を焼却することが、唯一の対抗策だと茉梨は告げた。自分の身を守ることが、騎士の目的を妨害する行為に直結する。
しかし、身を隠そうにも、あの妖精の索敵は広範囲に及んでいた。
所在を知らずに、こちらの位置を特定できると見て間違いないだろう。いくら隠れたところで無駄なら、こちらから仕掛けて妨害するしか手段はない。
昨日の襲撃を鑑みるに、橘さんは手段を選ばない。強引に異世界に連行しようとするだろう。
「警察は……頼れるのかな。魔法を使って襲われるので保護してください、って伝えても取り合ってくれるかどうか」
やっぱり、自己防衛……するしかないのかな。
「とにかく、オレは知らなすぎるのがいけないと思うんだ」
無知無知っ! と書き出した案の横に落書きする。
対策ノートがあっという間に自由帳になってしまった。なんということでしょう。
「魔法……サブカルか……」
スマホを弄る。
『小説家になろう』……ランキングの一覧をぼんやりと眺める。
どれも個性的な作品ばかりだ。
異世界で貴族に転生したり、ゲームの世界を舞台にしたり、現実世界をモデルにしたちょっと不思議な現代だったり。
異世界で勇者になる主人公もいた。
現実の魔法に通じるかは不明だけど、創作世界の魔法知識だって活きるかもしれない。
手近な作品を選び、読み耽る。
結果として、オレは徹夜で読書してしまった。
「もう朝か……」
真っ白な光がカーテンから漏れている。
「くぁ……」大きく伸びをすると、椅子の形で凝り固まった間接がパキパキと鳴った。
飯を作ろう。居間に行くと、ちょうど親父が起きてきた。
「おはよう」と挨拶を交わし、淹れたコーヒーを差し出す。
……意識がぼんやりする。目だけがギョロリと冴えて、別の感覚が生まれたみたいだ。徹夜なんて経験したことないから、体がビックリしているのかもしれない。
「ひどい隈が出来てるぞ、寝てないのか」
「いや、うん……ちょっと本に夢中になっちゃって」
「勤勉だな、それは」
うれしそうに笑い、親父がコーヒーに口をつけて眉をしかめた。
「豆の分量間違えてないか?」
「え……まこと?」
「ああ、まことだ。珍しいこともあったもんだ。どうだ、今日は俺がご飯を作ろうか」
「まって、トドメを刺しにこないで」
親父の料理は激マズどころではない。破壊兵器だ。
母が亡くなった直後は親父が家事を担当していたけど、自然とオレに役割が移った。
体調を崩した今、親父の料理を食えば即死ルート待ったなしである。
「今日は名古屋に出かけてくるから、オレの分の食事は用意しなくていいよ」
「え……俺の飯は?」
「デリバリーしなさい」
仕事はできるのに、家事に関してはクソ雑魚の親父はしょぼんとした顔。
「ケイの料理、食べたかったのになぁ」
「甘えないでよ。明日以降もちゃんと作るって」
ほんと、オレがいなくなったらどうなることやら。
ある日、唐突に家族がいなくなった光景を思い出す。オレと親父は途方にくれて、ずっと何日も会話もできない状態が続いた。けれど、互いがいたから立ち直れた。
今度、オレがいなくなれば親父はひとりだ。
絶対にさせない。なんのためにわざわざ地元じゃなくて進学校を選んだと思ってるんだ。いい大学に入って、なるべくいい企業に入って、少しでも親父を支えてやりたいからだ。
皺の増えた親父の顔に、オレは声をかける。
「行ってくるから、待ってて」
「いってらっしゃい」
母さんにも挨拶を済ませて、オレは家を出た。
曇り空に目をやって、なんとなしに我が家を振り返る。
築うん十年の一軒家。オレが生まれるのに合わせて購入したというが、まだローンは残ってる(らしい)。染み付いた思い出が、見る度にいくらでも思い返せる。
ここがオレの還る場所だと再認識して、大きく息を吐いた。
「いってきまーす!」
深夜テンションでめっちゃ大きな声が出た。
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