2
荷物を玄関口に置いた。
重たい荷物で
久々に買い込んだなぁ。いまから料理するのが楽しみだ。
「おつかれさま、お茶淹れるね」
「え、あ、悪いよそんなの」
「いーのいーの、それくらいさせてよ」
「だめだよ、お客さんにそんな」
「いやいやいや」
「いやいやいや」
手洗いを済ませて、ふたりで居間に入る。
先にお茶淹れを取ったのは凪ちゃんだった。負けた……? 負けた……!
勝ち誇った顔で、凪ちゃんはお湯を沸かし始める。
「どこも変わってなかったね」
「田舎ってそんなもんだよ」
なにも変化がなくて、時間が停滞している場所。辟易とする。
買ってきた食材を冷蔵庫に分別して入れて、一息ついたころには十一時。ちょうどいいし、このまま昼飯を作ってしまおう。
「凪ちゃん、好き嫌いってあるっけ」
「好きだよ、ぜんぶ」
「は――?」
一瞬、爆弾をぶち込まれたのかと思った。
平静を取り戻して「料理がなー! 食材がだなー! オレのことじゃないぞー!」と心の中でアラートを鳴らす。ヤツは天然の人たらしだ! ゆめゆめ忘れるな、と
「食いしんぼだな」
「それ、変な勘違いしてない?」と、凪ちゃんがむくれた顔で言う。
その顔が朱に染まって見えた。
ますます気恥ずかしくなる。なんでこの人こんな可愛いんだ。
「してないしてない。育ち盛りだもんね」
なんて、益体もない会話をしながら料理の準備を進める。
「待って、私に作らせて」
「凪ちゃんが?」
驚きで手を止めてしまう。
凪ちゃんの手料理……今朝味わったばかりだけど、素朴な味わいの中に優しさを感じられて、とても心が穏やかになった。言ってしまえば可も無く不可もない。
オレが逡巡する間に、凪ちゃんはオレのエプロンを奪い去ってしまう。
「ケイくんの舌を唸らせてみせるよ!」
「おお、頼もしい!」
拍手と共にキッチンに迎え入れた。
客人である以上、もてなしたい気持ちがあるけど、凪ちゃんなら任せていいか。
凪ちゃんが胸を張ると、エプロン中央の柴犬が歪んだ。……すげ、オレがやってもあんな歪まないぞ。
「……あまりじろじろ見ないでよ」
「…………ごめんなさい」
セクハラ、ダメ絶対。
寛いでていいよ、とお達しをいただいたので、オレはぐてーっとスマホを弄っていた。
昼食を用意してもらう傍らで何も仕事しないのは心苦しいが、立ち上がると「じっとしてなさい」と無言の圧をかけられる。これが覇王色の……! シンプルに怖かった。
まあ、楽しそうに料理してるから邪魔する気はないんだけど。
……なにをしよう。
と、ふと思い出す。章の小説を読もう。
あれなら、浮いた時間にあてがうのがちょうどいい。
『異世界でチート魔法使いになって、魔女と恋に落ちる話』
全部で五万文字、未完か……
煎茶を片手に読み進める。
「なに読んでるの? ニュース?」
「んーとね、小説」
「へ~どんなジャンルの小説?」
どんな、ジャンル……?
いま読んでるストーリーは、序盤でトラックに
「ラブコメ、ないしファンタジーかな」
読んでる印象的には、文が簡略化されてて、とっつきやすい感じ。
「日野さんが読みそうだね」
ニコリと肩越しに微笑まれた。なんだか、目が笑ってなくて怖い。
茉梨関連になると、恐ろしくなるなぁ。
二十話中半分あたりまで読み終えて、息を吐いた。
読んでると、こっちまで恥ずかしくなりそうだった。
山田さんは『性癖を詰め込んである』みたいなことを言ってたけど、確かにそうだ。なにもかもが主人公にとって都合良く、無菌室で丁寧に治療されている印象を受けた。不都合を徹底的に排除した世界だ。
現実逃避の傍らで描く妄想に似ている。
ある日、唐突に隕石が落ちて地球滅亡シナリオを構想したり、授業中に乱入するテロリストと、それを退治するシチュエーション。
そういった妄想の延長が、中二病か。
「できたよ~」
テーブルに、蒸気をほかほかと昇らせる一品が置かれた。
シンプルなオムライスだ。ケチャップで中央にハートマークが描かれている。
「……反応に困る」
「愛を受け止めてね」
からかうように目を覗き込まれた。
目を逸らしながら手を合わせる。
食事中も終始なぶられて、オレは居心地の悪い昼を過ごした。
「秘密基地に行こうよ」
と、凪ちゃんの提案。
昼下がり、ふたり並んで田舎道を歩く。
外は雲ひとつない晴天だった。道すがら、今晩の夕食とか思い出とかを話す。
田んぼは水張りを終えていて、青々しい空を反射している。田んぼの海みたいだ。やがて、目的の場所につく。
山の
この木立の奥にある洞穴、そこに秘密基地がある。
風が吹くと、森のざわめきが生まれた。
雰囲気が怖いな……野生の獣が出てきそうだ。
「ホラーな感じがするね……」と、震える声で凪ちゃんがオレの肩に触れる。
「どうする? 引き返す?」
「いえ、進みましょう……!」
生唾を飲み、恐る恐る忍び足。
コンクリートで舗装こそされていないものの、ここは寺社に通じる裏道だから、道沿いに草は生えていなかった。
不気味だ……陽は射していて道は明るいけど、隅に追いやられてた影の中からナニカが出てきそうだ。たとえば、妖精みたいな……
『お、ユーシャ=サマ! みっけ!』
どくん、と心音が鳴った。
呆気にとられるオレの横を通り過ぎて、妖精が周囲を旋回する。
言葉を失うオレを嘲笑して、
『クラリーサがマホウジンのテンカイをカンリョー、した!』
クラリーサって……橘か!?
魔法陣の準備が整ったってこと……?
瞬間的に自分の死を連想して、腹の底で恐怖が
「どうしたの、立ち止まって、なにかいるのっ?」
怯えた凪ちゃんの声で我に返った。
「いや、なんでもない」
努めて平静を装い首を振る。
凪ちゃんまで不安にさせるわけにはいかない。
『ジャアナ! ツタエタゼー!』
ケケケ! と悪趣味な笑い声を残して、妖精は高速で飛び去っていった。
唖然と見送り、固い声で呟く。
「……行こう、秘密基地に」
「平気? 顔色悪いよ、家に帰りましょう」
「だいじょうぶだから」
自分が思っているよりもでかい声が出て、森に響く。
感情を押し殺すように、奥歯を軋らせた。
「……逃げも隠れもできないってか、くそ」
妖精がオレを見つけられた以上、オレに安全な場所は無いはずだ。
向こうの動機が如何に荒唐無稽であれ、肌に触れた殺意は本物だった。楽観していると、そのまま殺される。
「ごめん、大丈夫なんだよ、本当に」
「大丈夫じゃない、こっち見なさい」
ぐい、と頬に両手を添えられて無理矢理方向転換させられた。
凪ちゃんは真剣な眼差しでオレを見つめている。
「何を悩んでるの? 日野さんのこと? クラスメイトのこと?」
「違うよ、全然……」
「じゃあ、昨日のことだね?」
図星を指されて、狼狽しかけた。
「ごめんね……私、ワガママだった。昨日事件に巻き込まれたのに、連れ回したりして」
気づけば、凪ちゃんの肩に顔が載せられてた。
頭を抱きしめられて、鼓動がうるさくなった。
ちょっと視線をずらすと、黒髪を掻き分ける耳たぶが見える。
きめ細かい白い肌とか、ちょっと朱い頬とか。
目を閉じると、嗅覚が代わりに研ぎ澄まされた。
華のような女の子の香りが胸を満たす。
「ちょ、ちょ……凪ちゃん!?」
じたばたと抗議する。
こんな子どもにするみたいな……!
「あなたは昔からそうなの、ひとりで抱え込んで、いつも笑ってた……」
「や、それは単純に頭があほで、辛くってもすぐに忘れてただけだから……! それよりも喋られると、首筋に息がかかってこそばゆい……!」
「首、弱いんだ」
まずい、このままじゃ喰われる……!
拘束を抜け出して、凪ちゃんを睨み付けた。
「子ども扱いするなっての」
「も~甘えていいのに」
「やめて、死にそうになる」
主に羞恥心で。
えー、と渋々腕を引っ込めると、凪ちゃんは窺うように見上げてくる。
「一歳しか離れてないんだぞ」
「一歳の壁はでかいんだよ」
誇るな、胸を。
「励ましてくれるのはありがたいけど、どうにも和やかな気分になれない。申し訳ないけど」
首筋に添えられた死神の鎌。
お先が真っ暗で、粘ついた不安に襲われる。
「本当に? 平気?」
「……平気だ」
ぼそりとした声。火照った顔を、薄ら寒い現実が冷ます。
「いまは凪ちゃんと話したい」
「へ、どういう意味……?」
もしかしたら、最期の時間になってしまうかもしれないのだから。
◆
「なつかしいな~」
洞穴に声が反響する。
昔の甲高い声とは違い、低い声が返ってくる。
曖昧な記憶を探りながら、洞窟を進む。
山の側面を小さく抉る穴が、幼きオレ達の秘密基地だった。
薄暗い洞窟をスマホのライトで照らし、かつての根城を観察する。
「ここはほとんどそのままだね~」
「まあ、うん……おもちゃとか雑誌とかは全部片付けたっきりだけど」
凪ちゃんが都心部に引っ越す前日に、ふたりで思い出の品々を分け合い、それ以降はオレも訪れるなかった。
秘密基地とは名ばかりの、既に廃墟となった洞窟だ。
「野生動物の巣になってたりしてね」
このあたりには狸がいるし。
「……それは寂しいね」
切なそうに、凪ちゃんは呟く。
「居場所がなくなったみたい」
そういえば、秘密基地を片付ける日も、凪ちゃんは泣きじゃくっていたっけ。
自分との思い出を大事にしてくれているのが、ひどくむず痒い。
「なんて、今更言っても仕方ないけど」
一瞬見えた。凪ちゃんの顔はくしゃりと崩れていた。
湖面に濡れた瞳。
意地っ張りな魔女の姿が、凪ちゃんと重なる。
変わり果てた思い出の景色を前に、茫然と立ち尽くす姿。
あのときは、慰めの言葉もかけられなかった。
居場所がないと、人は孤独になる。
それで息もできなくなるくらいに窒息してしまう。
拠り所が必要なんだ。
そこまで考えて、凪ちゃんが何を言って欲しいのか、感じ取れた。
「おかえり、凪ちゃん」
きょとんと、目を丸くしてから。
凪ちゃんは弱々しく微笑んだ。
「不意打ちがすぎるんだけど……ただいま」
逆光でよく見えなかったけれど、目元を拭う仕草をしていた気がした。
「実はね、不安だったんだ」
「不安って……なにが」
思い当たる節がなく、オレは首を傾げる。
「ケイくんが変わってないか」
「いや、変わったってば」
洞窟に残響を打つ声は低くなったし、凪ちゃんとの身長さは逆転した。
「ううん。いつだってケイくんは、私の還る景色」
祈るような響きに、オレは何も言えなくなる。
思い出ってのは、案外簡単に消え去る。馴染みの店が潰れたり、一緒に過ごしていた家族が亡くなったり。
「でも、そんなに言われるくらいの理由がないよ」
「体弱くしてた私を、あなたは直向きに支えてくれた。此処で腫れ物扱いにされる私達家族を励ましてくれて、周囲を懸命に説得してくれた」
ぐい、と距離を詰められる。
後ずさると、壁際まで追い込まれた。
に、逃げ場がない……!
「でも、でもね」
不意に、彼女の口調が暗くなる。
怪訝に見下ろし、オレは次の言葉を待つ。
意を決して、彼女は薄い唇を開いた。
「茉梨ちゃんも、同じなの」
「あいつも?」と、思いがけない単語に目を剥く。
「あの子も私といっしょに戦ってくれた」
そういえば。ふたりは幼馴染みだったのだ。
茉梨と凪ちゃんが仲睦まじく会話する光景……想像できないけど、とても微笑ましいものに思える。
「私の病気を治してくれたのは……茉梨ちゃんのおばあちゃんなの」
「嘘でしょ」
皮肉に唇が歪む。
でも、茉梨の言葉を信じるのなら、あり得ない話ではない。
常識外の力を持つ魔法使い、それが茉梨の祖母なのだ。
難病だって、きっと解決してしまうかもしれない。
「……もちろん、ただのおまじないだよ? でも、茉梨ちゃんは本気で信じてた」
もう亡くなられてしまった以上は、真偽の確認はできない。
確かなのは、その出来事がきっかけで、茉梨の魔法使いへの憧れは深まったということ。
「中学校で再会したときには、既に出来上がってて……」
「説得を試みるも、撃沈と……」
簡単に経緯が理解できる。
あれは、筋金入りの妄想少女だ。
それに、最近では妄想の裏付けがされてしまった。
手の施しようがない。仮に、橘クラリーサとの事件が解決したとしたら、今度こそ茉梨の居場所は異世界だけになってしまう。
自分を肯定できるのは、異世界のみなのだから。
「ならオレはどうすればいいのかな?」
「う~ん、わからない!」
「はぁ?」
清々しい笑顔を向けられて、オレは眉をひそめた。
生徒会室で話したときは『傍に居てあげろ』と命じてませんでしたっけ……
「ケイくんなら、茉梨ちゃんが求めているものが何かわかるかもーって思ったから」
「いやいや、わかりません。あいつ、めちゃくちゃ複雑怪奇だよ」
「見つけられるよ。あの子の欠けた部分を」
「……常識?」
そういうことじゃないよ~と凪ちゃんは呻いた。
……オレが、茉梨にできること。
視界が切り替わる。
〝運命瞳〟を起動させて、世界を一変させた。
『クラス:聖女』『68272937』――
あるいは、この魔法なら居場所を作ってやれるかもしれないけど。
って、変な数字が映っている?
凪ちゃんの頭上、運命に寄り添うように、数字が秒刻みで減少していく。
「なんだ、これ?」
慌ててオレの頭上を仰ぐと、同じく数字が見えた。
けれど、『128802』と、少ない数字だ。
心音と同じリズムで下一桁が減り続ける。
――――
「どうしたの? 寝違えちゃった?」
吐き気がする。
これは、まさか。
秒数で計算すると、一日は86400秒……換算すれば、およそ一日半後、ゼロを迎える。
焼けるような焦燥が全身を巡る。
「まさか」
寿命、なんてことはないだろうな。
運命に寄り添うカウントダウン。そんなの、不吉の象徴みたいなもんじゃないか。
知らず、息が荒くなっていた。
「ケイくんっ?」
「ごめん、ちょっと立ちくらみ」
ははは、と乾いた笑みが漏れた。
カウントダウンに目をやり、視界が切り替わるのを待った。
白々しい沈黙が訪れる。
口火を切ったのは、
「……ケイくんも、変わらないよね?」
なんだか、凪ちゃんとの距離が遠く感じた。
彼女はノスタルジックなフィルターでオレを透かし見る。
オレは、魔法という荒唐無稽なもので。
「ごめん」と、声がうわずった。
変わらないでいたら、そのまま魂を刈り取られる。
運命を受け入れるか、ねじ曲げるか。
なんて、中二病チックな思考で考えてみる。
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