四章 門
1
「それで、今後の具体的な方針はあったりする?」
「魔方陣を設置するポイントをあぶり出して、儀式の完成を未然に防ぐこと。同時に、あなたの身の安全の確保」
「へえ、なるほど……」
駅に向かう道中で、作戦の打ち合わせをする。
夜の帳は落ちた。とっくに七時は回ったのに、人混みは全然途切れない。
「たしかに、これならオレ達も見つけられないな」
感嘆の念を呟き、オレは茉梨の見立てが正しかったと確信する。
雑踏のなかなら、さしもの騎士も襲ってこないだろう――
事実その通り。
あらゆる事象が操れる魔法使いと言えど、魔力に制限があるこの世界では、酸素ボンベを持って海中に潜るのと等しい……らしい。茉梨の言である。
呼吸の回数に限りがある以上、慎重になるのは当然か。
「魔方陣をあぶり出すって、目処は立ってるの?」
目前を歩く魔女帽子の先端が、ひょこひょこ揺れながら答える。
小動物の尻尾みたいで、不覚にも可愛いと思ってしまった。
「魔力が濃い座標ね」
「そんなところあるのか……」
「ここは魔法使いが眠る土地よ。異世界から来訪してくる客人は、魔力の薄い場所は選ばないわ」
「眠るって……茉梨、なんとなく察しはついてるけど」
「ええ、おばあさまは既に他界してる」
さらっと、何の感情も込めずに茉梨は告げた。
それが反って、オレには痛々しい響きを伴って聞こえた。
「そうか……」
沈痛な面持ちで、オレは頷いた。
「おばあさまは魔法使いだった。でも寿命には勝てなかった」
「老衰か……大往生だったんだな」
「けれど、嘆くことはないわ。魔力の高い魂は別の世界に還る。いまもどこかで、きっとおばあさまの魂は生き続けている」
仏教に似た考えだ。
輪廻転生。魂は循環して、生命は流転する。
橘クラリーサも同様のことを言っていたな。
つまりは、オレを殺すことで異世界に転生させようって手筈か。
「ほんと、とんでもない事態に巻き込まれたよな……」
「あなたがすべきは自衛、この一択ね」
これで勝ち確、対戦ありがとうございました。と自信満々に言い放つ茉梨。
頼もしい。オレは頷き、茉梨に問う。
「ああ、茉梨はどうするんだ?」
「魔方陣の探索。見つけ次第、あなたと連携して排除にかかるわ」
「オレも? 手伝えるの?」
「もちろん、必要不可欠よ。あなたの瞳で、魔方陣の概念を焼却するの」
「……なにを言ってるかはいまいちわからないけど、わかった!」
勢いよく頷き、腕を交錯させた。
くすりと微笑んで、彼女もしゅぴっとした。
この間抜けな合図にも慣れちゃったなぁ。
◆
夢見が悪かった。
昨日は一命を取り留めたものの、 命を狙われた事実は、拭いようのない不安を残していた。三途の川。数年前に他界したお母さん。様々な走馬灯。
カオスな世界を巡る夢。
色んな景色がぐるぐると意識を掻き回して。
柔らかい日差しの中で目覚めた。
カーテンの間から降り注ぐ斜光が、瞼を白く染めていた。
「……朝、か」
どっと疲れた。吐き出した溜息は、回復しきれなかった疲労を滲ませていた。
時刻は朝の八時半。
寝間着を肌に張り付かせる嫌な汗。
布団の中に潜り込みたい衝動を堪えながら「よっこらせ」と一声と共に布団から這い出る。
「あら、起きた?」
「あ……?」
ありえないものを見た。
凜々しく振り抜いた眉の下に、湖面の双眸があって。
端正な顔立ちは、女性らしさと毅然とした美しさの中間に位置するある種の
凪ちゃんが、オレの部屋の扉を開けて、呆れた顔でオレを見下ろしていた!(衝撃)
「な、凪ちゃん!? 凪ちゃんなんで!?」
「なんでって、約束したじゃない」
「約束?」と、ごちゃごちゃな意識の中から記憶を掘り返す。
そうだ。一昨日くらいに約束したんだった。
週末に家に招待するって。
慌てて頭を下げて、上半身だけ起き上がらせる。
「ごめん、すっかり忘れてた。迎えに行けなくってごめん」
「いいのいいの、お寝坊さん!」
ぴしゃー! とカーテンを勢いよく開かれた。
「ぐあああ! 目がぁああ!」
ゴロゴロと布団を転がる。
「ほら、朝ご飯できてるよ」
「……あい」
確かに、扉の隙間から焼かれた小麦の香りが風に運ばれてきていた。
立ち上がり、ぼんやりと凪ちゃんを眺めた。
……女子がいる。
それだけで、オレの部屋が色鮮やかに映った。
食卓にはトーストと目玉焼きが鎮座していた。
「おお……!」
女子の手料理を前に、感嘆の声が漏れた。
ついぞ目の当たりにする機会などないと思っていたが、まさか食べられるとは。
感動で
「ちょっとなにしてるの、食べよう」
催促されて、夢見心地で席についた。
「先にお義父さんには挨拶してあるから」
「親父に? ああ、今日も休日出勤なんだ」
ちょっと残念だ。
久しぶりに凪ちゃんも交えて話したかったけれど。
「いいの、今日はふたりっきりなんだから」
唇を尖らせて、彼女は手を合わせる。
ふたりっきり……いや、なに考えてんだオレは。相手は凪ちゃん、幼馴染み、敵じゃ無い……
「「いただきます」」
声を揃えて、トーストにかぶりついた。
鼻腔を程よく焼けた小麦の香りが抜けていき、幸せが満たす。
「おいし~~~」
エンゲル係数がぐんぐん上昇。
穏やかな時間が流れて、心が安らぐ。
「それで、日野さんとは上手くいってる?」
「うぶあああ」
情けない声が出た。
日野、って。一番団らんとは程遠い存在だ。エンゲル係数の破壊者。
凪ちゃんはオレを訝しげに見つめ返してくる。
「どうしたの、なにかあった?」
「ありまくったというか……」
議題が議題だけに、歯切れの悪い返答になった。
まさか、魔法関連の話題を出すわけにもいかない。
正気を疑われる。
「……ぜんぶ、話しなさい」
「……はい」
ぴえんである。
昨日起きたことを、魔法を伏せて話した。
何者かに命を狙われた。茉梨に助けられた。
話の途中で、顔を強ばらせた凪ちゃんに肩を揺さぶられた。
「大丈夫? ケガはないっ?」
「……なん、でも、ナッシング、だよ」
ぐらぐらと揺れているので声も途切れ途切れだ。
動揺する幼馴染みをなんとか窘めた。
重々しい表情で、凪ちゃんは呻く。
「まさか……そんな事件に巻き込まれるなんてね」
「うん、オレもびっくりだ」
「びっくりだ、で済ませないの!」
涙ながらに叱られた。
「……でも、なんとかなったし」
茉梨のおかげで。情けないことだけど。
「犯人の動機、わかってるの?」
「いや初対面だったしわからない……なんか目が怖いぞ?」
「怖くもなります! ケイくんが狙われて穏やかでいられますか!」
「穏やかになってほしいなぁ」
けれど。
自分のために、感情的になってくれるのがうれしい気持ちもちょっぴりあったり。
「オレ殺されないよう頑張るよ」
「そんな物騒なこと言わないで、警察に連絡しなさい!」
「あ……」どうしていままで気づかなかったのだろう。
単純なことなのに。
きっと、魔法なんて不可解な現象が関わったせいかもしれない。
遅れて現実感が迫ってくる。
「ちょっと冷静になれたよ、ありがと」
「……別に、あなたのためなんだからね」
気恥ずかしい台詞を言ってのけ、彼女は苛立たしげにトーストをかじった。
腹の底がじーんと熱くなる。
凪ちゃんが幼馴染みでよかった。
「そしたら、今日はどうしようね」
朝食を食べ終えて、微睡みの時間を過ごしていたら、やおら凪ちゃんが問いかけてきた。
どうする、って? 一瞬頭が白くなった。
何も考えてなかった。昨日の事件で頭がギリギリだったのだ。
「あー、散歩はどう? 市場に行かない? 気分転換にさ」
「市場、いいね! 豪華な夕食作ろうよ!」
決まりだ。近くは港で、毎日開催している魚市場がある。
いつも通ってるし、凪ちゃんも昔は通ってたはずだ。
「いまならまだ新鮮な魚残ってるだろうし、早めに向かおっか」
「うん……警察にはいつ連絡する?」
「あー」そうだね。でも。
それよりも前に連絡しないといけないところがある。
ネット上で検索した情報に、きっちり電話番号は載っていた。
無味乾燥な呼び出し音のあとで、接続がつながった。
「もしもし、喫茶日野でしょうか」
スマホ越しに、やや焦燥した低い声が聞こえてきた。
『ええ。間違いありません。申し訳ありませんが、現在取材はお断りしていますので――』
「ち、違うんです! 火堂ケイと申します!」
縋り付くように声を上げた。
『火堂?』と、声が凍り付く。
息をのむ。電話越しでも、相手の顔が強張るのがわかった。
「……はい。茉莉さんのクラスメイトで、先日訪問しました」
『やはりか、無事に帰れたかっ?』
切迫とした声が耳朶を震わせる。
オレはスマホに絡めた指を強くさせて、
「はい、無事です。茉莉さんのおかげで、それより、店長さんは……」
『ああ、あのじゃじゃ馬娘に店を荒らされたが、ひとまずは落ち着いたよ』
よかった。心のしこりが取れて、安堵の息が漏れた。
「それより申し訳ないです。オレ、パニックになって逃げちゃって」
『いや、正しい判断だよ。命があってこそだ』
「……ありがとうございます」
肩の力が抜けた。
心配そうにこちらを窺う凪ちゃんの視線に頷き、椅子に腰かけた。
「茉莉さんに助けてもらいました。詳しい事情は伺ってますか?」
『ああ。正体不明の犯人に命を狙われたのだね? 辛いだろうね、周囲を頼って、身辺の警護を高めよう。それで、警察に、君の電話番号を教えても構わないかな? 後に参考人として事情聴取に伺いたいそうだ』
「ええ、もちろんです。オレに協力できるなら」
『そうか……ただ、君の心労もあるだろうから、警察の方々にも便宜を図らってもらうように伝えておくよ。今日はゆっくり休みなさい』
「えと、ありがとうございます……」
『それと、事態が解決したらもう一度珈琲を飲みにきてくれ。君は美味しそうに飲んでくれるからね』
ではね、と電話が途切れる。
ツー、ツー、と無機質な機械音が心に余韻を生んだ。
「沁みるぅ……」
ダンディだなぁ。てっきり、怒られるとばかり思っていたが杞憂だった。どころか、こちらに気を配ってくれた。
巻き込んでしまって申し訳ない気持ちでいっぱいだけど、謝れる機会をくれた。
警察に関しても、追って連絡が来るだろう。
「ごめん、用事終わった。詳しい話は道すがら話そうか」
軽く着替えて、凪ちゃんに振り返る。
久しぶりのふたりの時間だ。積もる話もあるし、ゆっくりと歩こう。
「ていうか、スマホ契約したなら連絡してよ」
「……すっかり忘れてました。ごめんなさい」
めちゃくちゃこってり絞られて、おはようの挨拶と就寝前の電話が義務づけられた。
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