「うまく巻いたみたいね……」

「オマ、体力ないなら……無茶すんなよ……」

「ご苦労、ナイスフィジカルよ」


 ぐっじょぶ、と親指をたてられる。

 それを撥ねのける体力も残されてなかった。

 

「やかまし、いわ」


 辛うじて、声を絞り出した。

 茉梨を下ろし、荒い息を必死になだめつける。

 つ、つかれた……!

 辿り着いたのは、緑公園。

 オレは草の大地に体を投げ出した。

『喫茶日野』から逃げ出したオレたち→茉梨、五十メートル地点で体力尽きる。

 オレ、茉梨を抱えて走る→死。

 人生で一番走ったんじゃないだろうか……?

 坂道が地獄だった。よくここまで走れたな、オレ。

 火事場の馬鹿力ってやつかな。


「あなた、怪我はない?」

「おかげさまで」


 まさか命を狙われるとは。

 死の実感が、背筋を薄ら寒くさせた。

 ぜひゅー、ぜひゅーと、乱れた息が喉を掠れさせる。

 口内に分泌されたなにかしらの成分が、舌に乳酸菌みたいな味わいを生み出していた。

 太ももパンパンだし、脇腹が張って痛い。もう二度と動きたくない。


「のんびりしてられないから、早く回復しなさい」


 げしげしとステッキでつつかれた。

 それが出来れば、苦労はしねェ!!!


「回復薬、使うしかないか。便利なアイテムって終盤まで取っておきがちだけど、四の五の言ってられないものね」


 取り出したるは、毒々しい色をした液体が詰まったボトル……!


「まて、なんだそれ……!」

「様々なエキスを配合したポーションよ。つくってみたの」


 てってってー、てってっててー、と小気味のいいリズムを口ずさみながら、彼女はオレの口元にボトルをあてがう。

 破滅的な味と退廃的な臭いが感覚を蹂躙していき……!


「げぼ、死、ぬ……!」

「んん~? なにか間違ったかな?」


 茉莉が、一子相伝の暗殺拳の次男モドキみたいな台詞で、首をかしげたのを最後に。

 かくん、と頭を支えていた力がなくなった。

 そこから意識はない。

 ……あ、お母さん? 元気してる? 

 なんか、キラキラした三途の川らしき清流の向こうから『こっちに来てはいかんぜよ』と険しい顔で見つめてるな……

 あれ、おじいちゃんにおばあちゃんもいるな……? 親父? あーーぼちぼちうまくやってるよ。えー、せっかくみんなと会えたのに。しゃーねーし帰るわ。


 目覚めると、既に日は暮れていた。

 跳び上がるように上体を起こした。


「こ、ここは……?」

「そこの弟子、やっと目が覚めたか」

「茉莉か……うっ、頭痛がする」


 舌の上に混沌があった。


「あまりのんびりしてられない、急ぎなさい」

「こいつ……澄ました顔で言いやがって……!」


 何かされたな、と漠然とした感覚だけしか残ってない。

 意識を失う直前の記憶がないけれど、深い恨みは感じた。


「そうだ、オレ殺されかけて……」

「ええ、あの憎き騎士にね」

「お、おう」思考に割り込まれた。なんだ? 犯人は複数いた気がするけど。


 強制的に上書きされた意識に違和感を覚えながら、やおら立ち上がる。


「ともかく、助かったよ」

「いえ、礼には及ばない」


 殊勝な態度だった。

 よく見れば、彼女の目はひどく眠たげだった。

 いつもエネルギーいっぱいの魔女っ子ってイメージだったが、命の危機を体験して疲労が回ってきたらしい。

 それも当然か、日野茉莉はただの人間なのだ。中二病の究極系に位置するだけの高校生。思い込みが激しすぎるだけで、同じ人間だ。

 なるたけ頭を使わせない会話をしたいが、そうも言ってられない。

 オレは机上に空想を差し出す。


「茉莉は、あの女性から魔法についてどこまで聞いたの?」

「別の世界があること。魔法によって発展した文明、あとは幻想より出でる生物たち。火を噴く竜や岩の肌を持つ巨大なトカゲがいる自然……まるでホルヘ・ルイス・ボルヘスの世界観ね」


 ……オレと認識は同じか。

 俄かには信じ難い。テレビかなにかのドッキリだと信じたいのが本心だ。


「信じる気になった?」

「……認めないと、殺されそうだしね」


 あれは、常識外の狂気だ。

『あなたは勇者なので殺します』

 どんな動機だよ。叫びだしたくなるのを噛み殺し、茉莉の目を見据える。


「オレは運命が見えるみたいだ」

「そ、中二病?」


 顔が熱くなる。

 いたずらっぽく微笑まれて、オレは羞恥心に悶えた。

 茉莉にだけは言われたくないが!


「っていうか、中二病って言葉知ってたの?」

「虚飾に満ちた蔑称ね、忌々しい」

「急に機嫌悪くなったな……となると、言われた覚えあり?」

「ありよりのあり」


 なんてことだ。中二病の知識あってこの振る舞いか。

 オレは唖然とする。茉莉を、魔女たらしめる所以ゆえんは『無知』だと思っていた。他人からの悪意を知らないからこそ、差別やイジメを受ける痛みを知らないのだと。

 違った。痛みをこらえて、愚直に幻想と向き合っているのだ。


「ならどうして、平気な顔をしていられるんだよ」

「他者がなにを言おうと関係ない。わたしはわたしを貫くだけだから」

「いや他人顧みろ。オマエの行動で迷惑するひともいるんだ」

「唐突なマジレスね……」


 げんなりとした表情である。


「話を戻そう、オレは茉莉とあの騎士が言う〝運命瞳フォルトゥーナ〟が使える……たぶん」


 本物じゃなければ、ただ幻覚を見るやべーやつ。

 眼科いきたい。


「もう自在に扱えるの?」

「たぶん、できるはず」


 自転車と同じだ。最初は補助輪がなければ運転できなくても、何度も経験すれば体が覚え始めて、やがて自在に運転できるようになる。

 視界の位相を切り替える。

 かちり、と脳内でスイッチが入る音。

 自然な動作で〝運命瞳〟の電源がついた。

『クラス:魔王』『クラス:勇者』

 運命が見える。

 不快感はなく、視界の情報をありのままに受け止められた。


「……できた。読める、読めるぞ!」


 乾いた声で笑った。

 正体不明だった魔法の手綱を握れて、得体のしれない昂揚感に襲われる。


「ようやく入り口に至ったか……」


 はしゃぐオレを見て、茉莉は小ばかにしたように鼻で笑う。

 ムッと、オレは唇を尖らせた。


「なんだよ、できないことができるようになったんだぞ」


 たどたどしく反論した。


「褒めてほしいの~?」

「じ、冗談でもやめろよ!」


 頭を撫でようとしてきた不遜な手を諫める。

 自分より二回りも小柄な同級生に慰められる趣味はない(早口)。 

 しぶしぶと手を引っ込めて、茉莉は興味津々といった様子で瞳を覗き込んできた。


「なるほど……〝運命瞳〟が開眼している間は、瞳の色彩が変化するのね」

「え、嘘だろ」と、オレはスマホのカメラを起動させた。


 鏡代わりに自撮り機能で瞳を観察する。

 ……なにも変化はない、な。

 視線を茉梨に戻すと。しれっとした顔をしている。またやりやがったな。


「ええ、嘘よ……けれど、間抜けは見つかったわね」

「いま見つけてどうする」


 嘆息して、また話が脱線していることに気づく。

 茉莉の独壇場だ。


「運命は『魔王』を示している?」

「ああ、茉莉の上には『魔王』で、オレには『勇者』だ」

「そう……」


 深刻な顔で、茉莉は思考の海に潜ってしまう。

 オレはかける言葉も見つからず、周囲に沈黙の帳が落ちる。

『勇者』と『魔王』の歴史は、橘クラリーサから聞かされて、十分に理解した。

 古くから争ってきた仇敵。互いが互いを憎み、殺し合う血まみれの運命。

 たかが運命の提示してきた運命とはいえ、意識せずにはいられない。


「茉莉は、信じるのか」


 気を紛らわせようと、そんな風に問いかけた。

 オレと違って、茉莉は魔法を使えないはずだ。実感を持たないのに、どうして。


「忘れたの? わたしのおばあさまは魔法使いだった。あなたみたいなひよっ子とは違って、立派な……」


 ふと、思い至る。

 橘クラリーサと同じように、茉莉のおばあちゃんも異世界の魔法使いだったのだろうか。


「ご明察、わたしのおばあさまも異世界から来た魔法使い」

「なるほど、それで茉莉は……」


 ナチュラルに思考を読んでくるのはスルー。

 ともかく、そういう経緯なら納得だ。


「もっとも〝隷属者デーモン〟は信じなかった」

「デーも……ああ、凪ちゃんのことか。あまり人の幼馴染を悪く言うなよ。あ、茉莉とも幼馴染なんだっけ」



 奇妙な縁だ。しみじみと呟き、肩をすくめた。


「異世界は実在する――あなたも、この認識で間違いない?」

「……認めなきゃ、足元すくわれて殺されそうだしな」


 まさか妄想に首を絞められることになろうとは。

 橘さんが振るおうとしていた、あの鋼の輝きが総身を震わせる。


「いいこと? 第三観測世界である此処は、魔力は微弱……魔法を行使しようにも、自由自在にはいかないはずよ」

「エネルギーがなければ運動は起こらない、原理は同じことだよね」

「然り。あなたを襲撃した魔法で、相応に消耗したと見て間違いない。チャンスはいまよ」

「なにか手立てがあるの?」

「これよ」と、彼女は懐から一枚の紙きれを取り出した。


 赤色で、幾何学的な模様が複数に重なっている。


「魔法陣……ってやつ?」

「あなたでも知ってたの」

「……そっち方面の知識には明るくないけど、これでも一般教養くらいはある」


 魔法陣といえば、魔法使いが儀式を行う定番のシステムだ。

 ロボットを動かすための基盤みたいなもので、悪魔を招来したり、誰かしらに呪いを付与したりする。

 もっとも、魔法陣なんて代物は一般教養には含まれないのだけれど。


「それ、まさか使えるの?」

「ええ、まさかよ。魔力を集中させれば、機能させられる――あなたなら、使えるはずよ」

 恐る恐る触れてみると、紙が仄かに発光した。

「すげー、光った!」

「そう、光るだけ……」


 感嘆に声を上げるオレとは対照的に、茉莉はわずかな落胆を吐き出していた。


「なにさ、不満げだね」

「本当なら火が灯るはずなの」

「やめろ、森を燃やす気か!」


 慌てて紙から手を離す。

 茉莉は魔法陣を拾い上げると、オレに向き直る。


「これはおばあさまから譲り受けたものだけど、あの騎士も同じ手段を選ぶはずよ」

「そうか、魔法陣で」


 オレを、殺すつもりか。

 ごくりと喉を鳴らす。真っ青になって、言葉を失う。

 より確実な手段で、より正確にオレを殺す……傍にまで聞こえてくる死神の足音が、心を恐怖で沈黙させる。


「だいじょうぶ、安心なさい」

「な、茉莉――?」


 手を握られていた。真っ直ぐな視線が、オレを見つめている。


「あなたはわたしの弟子。絶対に、あの騎士の好きにはさせない」

「……でも、オマエは『魔王』なんだろ? オレとは敵になるはずでしょ」

「……いいえ、でも。わたしは、あなたに肯定されたから」


 その目は、オレを慈しむようでいて。

 オレを、はかなんでいる。そんな、淡く濡れた寂寞の色。


「わたしの夢は嘘じゃなかった。それで満足なの」

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