5
「うまく巻いたみたいね……」
「オマ、体力ないなら……無茶すんなよ……」
「ご苦労、ナイスフィジカルよ」
ぐっじょぶ、と親指をたてられる。
それを撥ねのける体力も残されてなかった。
「やかまし、いわ」
辛うじて、声を絞り出した。
茉梨を下ろし、荒い息を必死に
つ、つかれた……!
辿り着いたのは、緑公園。
オレは草の大地に体を投げ出した。
『喫茶日野』から逃げ出したオレたち→茉梨、五十メートル地点で体力尽きる。
オレ、茉梨を抱えて走る→死。
人生で一番走ったんじゃないだろうか……?
坂道が地獄だった。よくここまで走れたな、オレ。
火事場の馬鹿力ってやつかな。
「あなた、怪我はない?」
「おかげさまで」
まさか命を狙われるとは。
死の実感が、背筋を薄ら寒くさせた。
ぜひゅー、ぜひゅーと、乱れた息が喉を掠れさせる。
口内に分泌されたなにかしらの成分が、舌に乳酸菌みたいな味わいを生み出していた。
太ももパンパンだし、脇腹が張って痛い。もう二度と動きたくない。
「のんびりしてられないから、早く回復しなさい」
げしげしとステッキでつつかれた。
それが出来れば、苦労はしねェ!!!
「回復薬、使うしかないか。便利なアイテムって終盤まで取っておきがちだけど、四の五の言ってられないものね」
取り出したるは、毒々しい色をした液体が詰まったボトル……!
「まて、なんだそれ……!」
「様々なエキスを配合したポーションよ。つくってみたの」
てってってー、てってっててー、と小気味のいいリズムを口ずさみながら、彼女はオレの口元にボトルをあてがう。
破滅的な味と退廃的な臭いが感覚を蹂躙していき……!
「げぼ、死、ぬ……!」
「んん~? なにか間違ったかな?」
茉莉が、一子相伝の暗殺拳の次男モドキみたいな台詞で、首をかしげたのを最後に。
かくん、と頭を支えていた力がなくなった。
そこから意識はない。
……あ、お母さん? 元気してる?
なんか、キラキラした三途の川らしき清流の向こうから『こっちに来てはいかんぜよ』と険しい顔で見つめてるな……
あれ、おじいちゃんにおばあちゃんもいるな……? 親父? あーーぼちぼちうまくやってるよ。えー、せっかくみんなと会えたのに。しゃーねーし帰るわ。
目覚めると、既に日は暮れていた。
跳び上がるように上体を起こした。
「こ、ここは……?」
「そこの弟子、やっと目が覚めたか」
「茉莉か……うっ、頭痛がする」
舌の上に混沌があった。
「あまりのんびりしてられない、急ぎなさい」
「こいつ……澄ました顔で言いやがって……!」
何かされたな、と漠然とした感覚だけしか残ってない。
意識を失う直前の記憶がないけれど、深い恨みは感じた。
「そうだ、オレ殺されかけて……」
「ええ、あの憎き騎士にね」
「お、おう」思考に割り込まれた。なんだ? 犯人は複数いた気がするけど。
強制的に上書きされた意識に違和感を覚えながら、やおら立ち上がる。
「ともかく、助かったよ」
「いえ、礼には及ばない」
殊勝な態度だった。
よく見れば、彼女の目はひどく眠たげだった。
いつもエネルギーいっぱいの魔女っ子ってイメージだったが、命の危機を体験して疲労が回ってきたらしい。
それも当然か、日野茉莉はただの人間なのだ。中二病の究極系に位置するだけの高校生。思い込みが激しすぎるだけで、同じ人間だ。
なるたけ頭を使わせない会話をしたいが、そうも言ってられない。
オレは机上に空想を差し出す。
「茉莉は、あの女性から魔法についてどこまで聞いたの?」
「別の世界があること。魔法によって発展した文明、あとは幻想より出でる生物たち。火を噴く竜や岩の肌を持つ巨大なトカゲがいる自然……まるでホルヘ・ルイス・ボルヘスの世界観ね」
……オレと認識は同じか。
俄かには信じ難い。テレビかなにかのドッキリだと信じたいのが本心だ。
「信じる気になった?」
「……認めないと、殺されそうだしね」
あれは、常識外の狂気だ。
『あなたは勇者なので殺します』
どんな動機だよ。叫びだしたくなるのを噛み殺し、茉莉の目を見据える。
「オレは運命が見えるみたいだ」
「そ、中二病?」
顔が熱くなる。
いたずらっぽく微笑まれて、オレは羞恥心に悶えた。
茉莉にだけは言われたくないが!
「っていうか、中二病って言葉知ってたの?」
「虚飾に満ちた蔑称ね、忌々しい」
「急に機嫌悪くなったな……となると、言われた覚えあり?」
「ありよりのあり」
なんてことだ。中二病の知識あってこの振る舞いか。
オレは唖然とする。茉莉を、魔女たらしめる
違った。痛みをこらえて、愚直に幻想と向き合っているのだ。
「ならどうして、平気な顔をしていられるんだよ」
「他者がなにを言おうと関係ない。わたしはわたしを貫くだけだから」
「いや他人顧みろ。オマエの行動で迷惑するひともいるんだ」
「唐突なマジレスね……」
げんなりとした表情である。
「話を戻そう、オレは茉莉とあの騎士が言う〝
本物じゃなければ、ただ幻覚を見るやべーやつ。
眼科いきたい。
「もう自在に扱えるの?」
「たぶん、できるはず」
自転車と同じだ。最初は補助輪がなければ運転できなくても、何度も経験すれば体が覚え始めて、やがて自在に運転できるようになる。
視界の位相を切り替える。
かちり、と脳内でスイッチが入る音。
自然な動作で〝運命瞳〟の電源がついた。
『クラス:魔王』『クラス:勇者』
運命が見える。
不快感はなく、視界の情報をありのままに受け止められた。
「……できた。読める、読めるぞ!」
乾いた声で笑った。
正体不明だった魔法の手綱を握れて、得体のしれない昂揚感に襲われる。
「ようやく入り口に至ったか……」
はしゃぐオレを見て、茉莉は小ばかにしたように鼻で笑う。
ムッと、オレは唇を尖らせた。
「なんだよ、できないことができるようになったんだぞ」
たどたどしく反論した。
「褒めてほしいの~?」
「じ、冗談でもやめろよ!」
頭を撫でようとしてきた不遜な手を諫める。
自分より二回りも小柄な同級生に慰められる趣味はない(早口)。
しぶしぶと手を引っ込めて、茉莉は興味津々といった様子で瞳を覗き込んできた。
「なるほど……〝運命瞳〟が開眼している間は、瞳の色彩が変化するのね」
「え、嘘だろ」と、オレはスマホのカメラを起動させた。
鏡代わりに自撮り機能で瞳を観察する。
……なにも変化はない、な。
視線を茉梨に戻すと。しれっとした顔をしている。またやりやがったな。
「ええ、嘘よ……けれど、間抜けは見つかったわね」
「いま見つけてどうする」
嘆息して、また話が脱線していることに気づく。
茉莉の独壇場だ。
「運命は『魔王』を示している?」
「ああ、茉莉の上には『魔王』で、オレには『勇者』だ」
「そう……」
深刻な顔で、茉莉は思考の海に潜ってしまう。
オレはかける言葉も見つからず、周囲に沈黙の帳が落ちる。
『勇者』と『魔王』の歴史は、橘クラリーサから聞かされて、十分に理解した。
古くから争ってきた仇敵。互いが互いを憎み、殺し合う血まみれの運命。
たかが運命の提示してきた運命とはいえ、意識せずにはいられない。
「茉莉は、信じるのか」
気を紛らわせようと、そんな風に問いかけた。
オレと違って、茉莉は魔法を使えないはずだ。実感を持たないのに、どうして。
「忘れたの? わたしのおばあさまは魔法使いだった。あなたみたいなひよっ子とは違って、立派な……」
ふと、思い至る。
橘クラリーサと同じように、茉莉のおばあちゃんも異世界の魔法使いだったのだろうか。
「ご明察、わたしのおばあさまも異世界から来た魔法使い」
「なるほど、それで茉莉は……」
ナチュラルに思考を読んでくるのはスルー。
ともかく、そういう経緯なら納得だ。
「もっとも〝
「デーも……ああ、凪ちゃんのことか。あまり人の幼馴染を悪く言うなよ。あ、茉莉とも幼馴染なんだっけ」
奇妙な縁だ。しみじみと呟き、肩をすくめた。
「異世界は実在する――あなたも、この認識で間違いない?」
「……認めなきゃ、足元すくわれて殺されそうだしな」
まさか妄想に首を絞められることになろうとは。
橘さんが振るおうとしていた、あの鋼の輝きが総身を震わせる。
「いいこと? 第三観測世界である此処は、魔力は微弱……魔法を行使しようにも、自由自在にはいかないはずよ」
「エネルギーがなければ運動は起こらない、原理は同じことだよね」
「然り。あなたを襲撃した魔法で、相応に消耗したと見て間違いない。チャンスはいまよ」
「なにか手立てがあるの?」
「これよ」と、彼女は懐から一枚の紙きれを取り出した。
赤色で、幾何学的な模様が複数に重なっている。
「魔法陣……ってやつ?」
「あなたでも知ってたの」
「……そっち方面の知識には明るくないけど、これでも一般教養くらいはある」
魔法陣といえば、魔法使いが儀式を行う定番のシステムだ。
ロボットを動かすための基盤みたいなもので、悪魔を招来したり、誰かしらに呪いを付与したりする。
もっとも、魔法陣なんて代物は一般教養には含まれないのだけれど。
「それ、まさか使えるの?」
「ええ、まさかよ。魔力を集中させれば、機能させられる――あなたなら、使えるはずよ」
恐る恐る触れてみると、紙が仄かに発光した。
「すげー、光った!」
「そう、光るだけ……」
感嘆に声を上げるオレとは対照的に、茉莉はわずかな落胆を吐き出していた。
「なにさ、不満げだね」
「本当なら火が灯るはずなの」
「やめろ、森を燃やす気か!」
慌てて紙から手を離す。
茉莉は魔法陣を拾い上げると、オレに向き直る。
「これはおばあさまから譲り受けたものだけど、あの騎士も同じ手段を選ぶはずよ」
「そうか、魔法陣で」
オレを、殺すつもりか。
ごくりと喉を鳴らす。真っ青になって、言葉を失う。
より確実な手段で、より正確にオレを殺す……傍にまで聞こえてくる死神の足音が、心を恐怖で沈黙させる。
「だいじょうぶ、安心なさい」
「な、茉莉――?」
手を握られていた。真っ直ぐな視線が、オレを見つめている。
「あなたはわたしの弟子。絶対に、あの騎士の好きにはさせない」
「……でも、オマエは『魔王』なんだろ? オレとは敵になるはずでしょ」
「……いいえ、でも。わたしは、あなたに肯定されたから」
その目は、オレを慈しむようでいて。
オレを、はかなんでいる。そんな、淡く濡れた寂寞の色。
「わたしの夢は嘘じゃなかった。それで満足なの」
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