4
駅とは真逆の方向に、オレは足を向けていた。
閑静な住宅街の一角、年季と気合いの入ったアパートが、章の家だった。
スマホの案内を止め、ポストから『林崎』の名字を探す。……あった、二階か。
さび付いた鉄製の階段を上る。
ピンポーン、と扉の傍の呼び鈴を押す。
程なくして、中からふくよかなおばさんが出てきた。
「ども、クラスメイトの火堂ってもんです」
「あら~~! あきくんの友達!?」
「へへへへ」曖昧に笑って後頭部を掻いた。
友達かどうかはわかんない。章がオレを悪く思っていなければ友達だけど、本人がどう感じているか次第だなぁ。
章のお母さん(暫定)は、
「章くんに届け物がございまして」と、ノートを差し出した。
まだ入学したてだから、授業は本格的になっていないけれど、不登校が続けばついていけなくなってしまうかもしれない――ということで、オレなりに三日分の授業をまとめたノートだ。
五島先生は、これを渡すと伝えたら「えらいね~!」と頭を
章のお母さんは、自分のことのように喜んでくれた。
「あらも~! 章ったら、ノートを忘れたのね! どうも、届けてくれてありがとう!」
「いえいえ、道すがら寄っただけですから」
「章ももうすぐ帰ってくるはずよね、ちょっと寄り道多い子だから~帰るの遅いのよね~!」
違和感が浮上する。
いまいち、会話が噛み合ってない感じがする。
「……外出してるんですか?」
「学校帰りにゲームセンターに寄ってるんじゃないの?」
「あ、そうでしたね」
あははー、と
……そうか、お母さんには不登校を伝えてないんだな。
心配させたくないのか、言いにくいのか。
どちらにせよ、章の意思を尊重すべきか。
「章くんって、楽しそうですか?」
「ええ、中学よりよっぽど。奇声もあげなくなったし」
中二病の頃を思い返しているのだろうか。
章の中学時代を詮索するのは憚れた。本人が秘密にしたがっている以上は、不用意な追求は避けるべきだろう。
「じゃ、長居するのも悪いんで」
「とんでもないわ、そうだ!」と、エプロンのポッケから取り出した飴ちゃんを手渡された。
「ありがとうございます……」「仲良くしてあげてね」
会釈を残して、帰路に戻った。
冬の名残を映し出す夕暮れの街並み。
田舎とは違って明かりが多い分、どうにも季節の感覚が鈍りそうになる。
いま、オレが取れる選択肢は多くない。
なにが出来るか、なにをすべきか。互いを照らし合わせながら、オレは歩を進める。
「ああ、いらしたいらした。探しましたよ」
突然、うなじに向けて声をかけられた。
ぞぞ、と悪寒が走る。
「勇者様。お迎えにあがりました」
振り返ると、いつぞや見かけた紅髪の女性がいた。
クールビューティー……!
腰まで届く長髪は抜き身の刀身を彷彿とさせる危険な輝き。
左目を、枝垂るように前髪が覆っている。
鋭いが愛嬌のあるつり目には、どことなく親愛の情を感じさせて……って、いま、彼女は何を口にした?
勇者、だと?
「あなたは、どなた?」
止まった思考のまま、疑問だけが声になった。
「皇国シュリアより、あなた様を歓待に参りました――
名前が橘ってことしかわからなかった。
恭しく優雅な一礼は、まさしく騎士そのもの。
オレは、茫然と彼女の頭を見下ろし続けるしかできなかった。
チリンチリン、と間の抜けた自転車のサイレンが横を過ぎ去る。
「――はっ!」フリーズしていた脳が解かれた。
体感で三分間くらい彼女の頭を下げさせてしまっていた。
彼女は彼女で、そのままの体勢で微動だにしない。
これ、オレの許しがいるとかそういうやつなのかな?
「あ、頭をあげてください」
グィイン、とすごい勢いで頭が持ち上がる。
あまりにも力強く、オレはクレーンみたいな重機を連想した。
背筋をぴんと伸ばした姿は、オレより頭ひとつ分でかい。モデルさんみたいな長身だ。
「……場所を移しましょう、あなたはなんかすごいこう、とても人目につく」
「仰せとあらば」キメ顔とでも言わんばかりの微笑であった。
◆
「おや、女性連れだね。内密の話かい?」
と、茉梨のおじいさんは奥の席に迎え入れてくれた。
「先達としての忠告だが、複雑な女性関係は一時の快楽と引き換えに、致命的な結末を招くよ」
地を這うような声で耳打ちされ、冷水を浴びたと錯覚するほどの悪寒を感じた。
とんでもない誤解が生まれてる……!
オレいま、複数の女性と交友してるって思われてるのでは……!?
誤解を訂正しようにも、オレは目前の不安要素で精一杯だ。
からん、とテーブルに置かれたグラスが氷を転がした。
「橘クラリーサさん、でしたよね」
口火を切った。緊張のあまり、舌がもたついた。
正面の謎の女性は、凜としなやかな佇まい。
豹を想う。黒い外套に、尖った瞳。獣の敏捷さで、狙った獲物を必ず仕留めるのだ。
「仰る通りです」
整った卵形の顔を引き、首肯する。
心臓の鼓動が数段早くなった。
年上の綺麗な女性と会話した経験は、凪ちゃんを除いてほかにない。
同年代ならまだしも、年上の方となると必要以上に体がこわばってしまう。
「あなたは、オレを勇者だと?」
「ええ、ボクは魔法界より、勇者様を送迎する任を仕りました。恐れ多くも相席の悦をいただけるとは、至上の誉れと心得ております」
ボクっ子だとぉ――!? 心の中で山田さんが、雷撃をバックに驚愕する姿が浮かんできた。邪念去るべし。南無三。
とんちんかんな事を言うひとだ。茉梨の回し者だろうか。
「ごめん、さっきから何を言っているかさっぱりです。可能なら最初から順を追って話してもらいたいです」
「かしこまりました」
彼女は、淀みの無い溌剌とした発音で語り掛けてくれた。
人類史は魔法の文明史と同義であり、我々は常に魔法と共にあった。
魔法は人々を豊かにし、発展を促してくれた。
しかし魔法を悪用し、支配するものもいた。
野生の魔獣と共に、文明の滅亡を目論む邪悪な存在を、我々は魔王と呼んだ。
人類を救うべく、我々は勇者に適する魂を探し求めた――
「……なるほど」さっぱりわからなかった。
オレは宇宙をバックにぽかんとした表情になる。
渋面をつくり、こめかみを軽く親指で打つ。
彼女の話は異次元の文面で、こう……映画のエンディングロールみたいに下から上に流れていった。星間戦争をする某SF映画のオープニングとも言える。
「なんか、遠い国の話を聞いてるみたいだ」
「勇者様のあらせる世界と、我々の世界の歴史は大きく異なります。自然を軸にした文明と魔法を軸にした文明……発展する文化が違えば、あらゆる差異は生まれましょう」
「話が壮大で、ちょっと把握しきれないですね」
たまらず、背もたれに身を任せて大きく伸びをした。
ここ最近、自分の常識外のことで説法を受けている。
都会ってこういう場所なのか?
「あの……日野さんのお知り合いですか?」
「ヒノSUN……いえ、覚えがありません。力添えできず、申し訳ありません」
「ああいやこちらこそ」
調子狂うなぁ。橘さんは熱心に気配りをしてくれる。
どういう態度で接すればいいのやら。
「日本語、達者ですね」
「ああ、こちらですか――――――」
後半、まるで聞き取れなかった。
唇は動いているが、何を発しているか、脳が理解を拒んだ。
特殊な言語だ。雑音が混じって正確に伝わらない。
「と、魔法で調整しています」
「……はぁ、すごいですね」
「光栄です!」
にぱー、っと朗らかな笑みを向けられた。
某未来猫の秘密道具に、自動で言語を翻訳してくれる食べ物があったけど、それみたいなものだろうか?
「それで、ホントはどんな用件なんですか?」
「ですから」と口調を強め「あなたを迎えるのが、ボクの本懐です」
橘さんの真意が読めない。
勇者を迎えに来たって……新手の宗教の勧誘としか思えない。
「オレ、魔法なんて知らないし、勇者に至ってはまったく知らない。オレでは力になれそうにありませんので、どうかお引き取りを」
「ご謙遜を。それに、ご自覚がないだけかと」
「自覚もなにも『オレは勇者です』なんて言いふらしてみてよ、たちまち珍獣扱いです」
そんでたちまちカウンセリングのお世話になりそう。
「ボクも、あなた様と同様の瞳を持っています」
「……全然目の色違うけど」
オレは淡いブラウンで、橘さんは鮮烈な紫だ。
「外見ではなく、本質の話でございます」
「視力は良い方ですけど」
「まだ半覚醒状態でしょうが、勇者様は既に魔法を宿しています」
「はは、そうなんですね」
愛想笑いを浮かべた頬がひきつく。
……逃げられない。
「〝
「付き合ってられないです」
グラスの水を飲み干し、会話を打ち切る。
茉梨と同じ人種だ。ちっともこちらの言い分を聞きやしない。
頭痛がする。こめかみの奥に、針が突き刺さっているような感覚に目眩がした。
「申し訳ありません! あなた様を煩わせるつもりでは……!」
「なら、茉梨……日野さんと共謀して中二病に巻き込むつもり?」
知らず語気が荒くなった。
いい加減うんざりだ。
ひとをからかうのも大概にしてもらいたい。
「橘さんが日野といっしょに楽しんでるのは構わないけど、オレとはソリが合わない……ちゃんと気に留めてもらいたいです」
橘さんは、考え込む表情になり顔を俯かせた。
心苦しいが、最近の経験を通して理解した。彼女ら中二病は別の角度の常識を持っている。同じ言語を扱うが、意思が重なることは滅多にない。
「止むを得ません、どうしても魔法を納得いただけないのなら」
心底残念そうに、彼女は溜息をこぼした。
オレの心に冷たいものが走る。
なんだ、なにを企んでいる?
紫水晶の瞳とぶつかる。
顔が熱くなった。顔が、近い。
「僭越ながら、あなた様の体に魔力を流し込んで納得いただきます」
「どうする――つもりだ?」
「ふふ、どうしてほしいんですか?」
蠱惑的に微笑んで、彼女はオレの世界を狂わせた。
視界に魔力が満ちる。
見えてはいけないもの、聞こえるはずがないものが、確かな感触と共に訴えかけてくる。
『クラス:女子高生』と、揺れる文字。
『お、ユーシャサマ! ヒサしぶり!』
いつぞや目撃した妖精が、快活な声をかけてくる。
見えない、見えない、見えない!
心に唱えながら、頭を抱えて突っ伏した。
「第三観測世界である此処では、微弱な魔力しか扱えませんが……あなた様の御身に魔法を定着させる栄光のためなら、決して困難ではありません」
「言ってる意味がわかんねーんだよ!」
奥歯を軋らせ吼えた。
「中二病だ! こんなの!」
耐えがたい苦痛だった。
自分が否定してきた妄想の産物。
そんなの差し出されたところで、オレは不安になるだけだ。
噛みつくように、オレは向き直る。
「オマエだな、茉梨にオレが勇者だって伝えたの」
「……おや、まさか、魔王と交流がありましたか」
日野茉梨。魔王。
今日、茉梨は『騎士が教えてくれた』と囁いていた。
彼女は知らないはずなのに。
いまさら推理するまでもない。茉梨に密告したのはこの人だ……!
「勇者様、ご存知でしょうか。我々は魔王と幾千もの間戦争をしてきました」
夢遊病に犯されたような酩酊感のなかで、声だけが響く。
彼女の声には、遠い時代の空気を感じた。
血の退廃が孕んだ、戦いの乾いた風だ。
「多くの土地が枯らされました。多くの尊き命が失われました。多くの騎士が、故郷を守るために剣を握り、破り去りました。幾多もの戦いの因縁を精算できるのは、あなた様の高潔なる魂だけです」
『ま~アタシはどっちでもいいんだけどナ!』
ケラケラと不快な笑い声。
「あなた様の魂をお連れする手段は、ふたつ」
ぴんと、彼女はしなやかな指をひとつ立てた。
「巨大な魔力を
『そしてそして!? もうひとつは!?』
「魂魄の癒着を解剖する、こちらは手荒な手段になりますが、あなた様のご意思は関係ありません」
淡い色の唇が、小鳥のように呟く。
「すなわち、殺す」
「本気、なのか?」
「あなた様にボクが嘘をつけるとでも?」
正直な分タチが悪いな!
唇を噛み、痛みで意識を刺激する。
胡乱な意識を引き戻し、彼女を仰ぐ――と。
「では、参ります」
信じられないものを見た。
身の丈はあろう西洋剣。最低限の装飾と、刀身に刻まれた異界の文字。
どこから取り出したのか、彼女はそれを軽く握りしめ、オレに突きつけた。
「場所を移しましょう。あなた様の説得は、そちらで」
混乱で痺れた思考は、体を動かさない。
まずい、まずい死ぬぞ、オレ! こんなふざけた動機で殺されて、なにも出来ずに!
「あ、」
目前にまで迫る凶刃は。
「伏せなさい!」と、鋭い声が飛んできたのと同時にピタリと止まった。
窓を突き破り、人影がテーブルの中央に着地した。
遅れて、破片がパラパラと周辺に転がり落ちる。
「な――」ローブを翻し、中二病の少女は現れた。「茉梨……?」
「ええ、あなたの師よ!」
「魔王っ! 魔法も扱えぬ貴様が、どうやって拘束を抜け出した!?」
「ナンセンスね、騎士」
言いつつ、茉梨は上品にローブの裾をつまみ上げた。
「能ある鷹は爪を隠す――レディの嗜みは、決して表に晒さないものよ?」
まさか、茉梨も魔法を?
ごとん、と物騒な音が手元から鳴った。
ん? と視線を向けると、テーブルの上に煙をぼうぼうと上げる煙玉が五つ転がっていた。
サーっと顔が青ざめる。思いっきり物理だ。
「お許しください、おじいさま!」
瞬間、光と音が炸裂。
ば、爆発オチかよ!?
「来なさい、バカ弟子!」「ちょ――!」
「待て、卑劣な!」
背後の怒号を置き去りにして、ひたすら走る。
「な、なんだよアイツは!」
「不明、いまは走ることだけを考えなさい!」
舌を打ち、焦燥に駆り立てられるように足を急がせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます