周囲との関係はおおむね最悪。

 授業中、投手不明の小さな消しカスが付近を飛び交うようになった。

 都会式のイジメの恐ろしさは結束力に在る。

 決して犯人を特定させず、集団で対象の不安を培養するのだ。

 章の決断は早かった。高校デビューの失敗を悟るや、不登校に転身。もう二日は姿を見ていない。「体調不良です」と、五島先生は朝のホームルームで告げたが、不登校ではないか、なんて疑惑が浮上している。

 オレとしては、彼が再び登校できるような環境作りをしていきたい所存。風評被害を取っ払えたら、そっからは本人の意思に委ねるとしよう。

 そんなこんなで昼食の時間がやってきた。


「ご飯食べよう、火堂君」

「よしきた」と、オレは山田さんの机に椅子を寄せた。


 山田さんは変わりない。

 今日もオレと食卓を囲む所存の模様。


「火堂君って許せないものは何?」

「第一声、踏み込んだねぇ」


 野球実況みたいな口調になる。間の抜けた声が漏れた。

 メロンパンの袋を開封しながら、山田さんを見据える。

 なんで、そんなの聞くんだろ。


「やっぱしイジメ? 見るからに正義漢だし」

「それもあるけど、あんま好き嫌いはないつもりだよ」

「てなると、イジメ賛成派なんだ」

「飛躍しすぎだろ。虐める気持ちはわかるけど」

「ほう、その心は」

「弱いものイジメって楽しいもんな。それこそ、対象が弱いほど際限なく。もっとも、擁護する気持ちは欠片もないね」


 アリの巣を水攻めする心理みたいだ。

 自分が絶対的な支配者になった快感。


「単純に好きじゃないし、したこともするつもりもない感じ」


 へ~。相槌あいづちを打ちながら、山田さんがオレのメロンパンをかじり取った。


「……おい、なにすんだ」

「糖分を前にすると理性が働かなくって、ごめんなさい……」


 殊勝な態度だったので、今回の狼藉ろうぜきは不問にした。次は打ち首だ。


「しかし、オレと話してて大丈夫なの?」


 オレが言っちゃなんだが、オレのいまの立場はひどく危うい。

 茉梨や章と同じ派閥であると認識されかけているので、イジメの対象にロックオンされかけているのだ。それを理解できない山田さんではあるまい。


「へーきへーき。私、こう見えて強いんだよ?」

「まっさか~」アメリカンに肩をすくめた。

「わたしのフォロワーは530000です」

「フリーザかよ、ぜってえ嘘だぁ」

「…………」

「……え、ほんと、なのか?」


 目がマジだった。オレはちょっと山田さんが怖くなる。


「火堂君って、ひょっとしてまだ、自分は特別って勘違いしてる?」


 100%の力を解放し、主人公の傲岸をただそうと厳しい現実を突きつけてくる弟キャラみたいな台詞だ……。

 オレは手を振って答える。


「山田さんはいきなり斬りつけてくるから怖いなぁ。辻斬りですか? なにがし抜刀齊ばっとうさい?」


 おどけた調子で言ったが、山田さんはにっこり笑顔のまま。


「質問を質問で返さないで?」

「……はい」こっわい。質問にはちゃんとしたアンサーを用意しましょう。教訓。


 茉梨、オマエに言ってるんだぞ。


「だけどさ、山田さんって結構会話が飛ばし飛ばしなんだよ。いきなり斬りつけられるから、こっちは返す言葉が用意できないんだ」


 そして気づけば致命傷を負っているという。


「それはごめん。順序立てて説明するのが苦手なんだよ、アタシ」てへっ、とウインク。

「難儀ですなぁ」

「火堂君って、自分は特別って勘違いしてる?」


 クエスチョンがカムバック。

 オレが言いたかったのは、その質問に至る過程を用意してくれってことなんだけど、意図は伝わらなかったみたいだ。……まあ、いいか。どうせ昼休みの話題だ。脳みそ使わないで話しましょう。


「勘違いもなにも、特別だって自負してるよ。世界におけるオンリーワンだ」

「へ~。なんかね、火堂君は『自分が特別』って認識できるだけの根拠を持ってる、そんな風に感じるんだよね」


 魔法や勇者、様々な要素が脳裏を掠めていった。

 煙を払うように、頭を掻いた。悪霊退散。


「立派な考えだぜ。自信を持てるひとって羨ましい」

「山田さんは自信なさげ女子?」

「うん。自分が好きになれない。だから、ついつい周囲の評価にすがっちゃう。知ってる? 女子高生ってだけで、ネットの中じゃ神様みたいな扱い受けられるんだぜ?」


 自虐に歪んだ笑み。

 眼鏡越しの視線が曇っていた。


「アタシは拠り所があるからいいけど、何処にも縋れない子って脆いんだよ」


 ……ふと、公園の事件現場に立ち尽くす茉梨を思い出した。

 そうだね。誰だって同じだ。帰る場所がないと安心できない。

 茉梨にとっては、魔法が拠り所。ただ、その魔法とやらのために、その他諸々……家族とか学校とか、周囲の評価とか、そういう人間性を犠牲にしているのは非常にいただけない。

 中二病は『特別でありたい』とか、コンプレックスを覆うために訪れる一過性の発作。

 特別であるのが、そんなにも大事なのか?

 苛立ちを誤魔化すように、メロンパンを口いっぱいに頬張った。


「わお、間接キスだ」

「…………!」喉につまらせてしまった。


 く、くるしい……! 超神水を飲んだ直後の悟空のように呻いた。

 ほい、と差し出された紅茶のストローに食らいつく。


「なんか雀に餌あげてるみたいだ。ちなそれも間接キスです。かかったな間抜けめ!」

「……げふっ、げふっ!」


 噎せた。やめろよ、ハレンチな……!

 恨ましや、と山田さんを睨む。


「あんま挑発しないでよ!」

「初心なフリしてるだけじゃないの?」

「フリなんかしてるもんか!」


 口元を慌てて拭い、目を逸らす。それから、何を見ればいいかも分からず、山田さんに視線を戻した。山田さんはにまにまとご満悦である。

 いい気になるなよ……!


「からかい甲斐があるね~」

「人をからかって楽しいか、このチェシャ猫!」

「楽しいね! 煽りとヤジが生き甲斐だもん!」

「最悪だな……」

「そんなアタシみたいな連中が群がってるのが、現代のインターネットです」

「最悪だな……」


 不意に山田さんは真面目な顔になる。

 オレも居住まいを正した。


「初めての間接キスの味、どう?」

「……オレ、山田さんとソリが合わない気がする」

「奇遇だね、アタシもだ」


 言葉面では刺々しいが、険悪な空気にはならなかった。

 喧嘩を売られているわけではなさそう。

 次の焼きそばパンを開封。


「火堂君は根っこから陽キャって感じするもん」

「……ようきゃ?」

「人は陰と陽で大別できるんだ。陰キャと陽キャは決して相容れないの」

「……オレ無知だからよくわかんねーけど、そうやって区別する必要ないでしょ? 一緒にいて楽しけりゃ、そこに隔たりはないぞ」

「やめろ……その言葉はアタシに効く」


 うおおお、とエクソシストが読み上げる聖書に悶える悪霊のように呻く。

 このまま成仏してくれないかな、ほんと。


「しかしね、人生の開始地点がマイナスである人間ってのはケッコーいるもんだよ」

「開始地点? そんなの、みんなオギャったら一緒じゃないの?」

「違う、違うのだ!」


 超人みたいに迫真の表情だ。

 オレは思わず焼きそばパンを運ぶ手を止めた。


「容姿のステータスとか、親とか、環境とか……様々な条件でマイナスになるの。コンプレックスってのは厄介だよ。ちょっとでも種が植えられると、芽がどんどん育つから」

「確かに……」

「偉い人にはわからんのですよ」


 ぷりぷりと怒る山田さん。

 シリアスな雰囲気じゃないので焼きそばパンにありついた。ジューシーでおいしい。

 炭水化物on炭水化物は最強なのだ。


「火堂君は勉強の必要ありだぜ。サブカル方面で」

「サブカル……?」

「サブカルチャー、いわゆるオタク文化」

「え~~~~」露骨に嫌な顔をした。


 ちょっと敬遠する気持ちがむくり。


「だいじょうぶだいじょうぶ! 先っちょだけだから!」

「まことか~~?」


 絶対に先っちょじゃ済まなそう。


「林崎君のことを理解したいなら、サブカルに明るくないと!」

「はあ? どういうこと?」

「こういうことです」


 スマホを突きつけられた。

 画面に表示された文字群に視線を流す。


「『異世界でチート魔法使いになって、魔女と恋に落ちる話』? なんだ、これ」


 すごい丁寧なタイトルだ。内容がぱっと見で判断できる。

 小説、だよな? でもジャンルが分からない。


「現代ラノベだよ。いまや誰だって自分の理想を共有できる時代なの」

「なんだその胡散臭い謳い文句」


 夢とか理想とか絡んでるキャッチコピーは大抵不審なのだ。

 オレは怪訝に眉をひそめる。


「これがどう章に繋がるのさ」


 彼女は、声を潜めて耳打ちしてきた。


「この小説に、彼の理想が凝縮してる……と言ったら?」

「なに?」つまり、章はこの小説の影響を受けたのかな。


 好きな作品に傾倒する、なんてことはよくあるし。

 バイブル、ってやつかな。


「章はこれを読んで、中二病になったのか?」

「逆だよキミィ」


 露悪的に山田さんの頬が歪む。


「作者は〝闇魔ダークネス〟……林崎章、彼本人だよ」

「え、すごいな。章って小説書けたんだ。言ってくれればいいのに」


 この場にいない本人に苦言。


「リアルの知り合いに言えるもんか。こんな自分の好きな性癖ばっか詰め込んだ小説……黒歴史の象徴みたいな感じだし」

「ならなんだって教えたの」

「面白そうだし。それに……馬鹿にしないでしょ、火堂君は」

「そりゃしないよ、知り合いが作ったもんだ。誇らしいよ」


 間断おかずに答えた。


「そういうとこが陽キャなの、太陽か。太陽礼拝のポーズしてなさい」


 ぴしっ、とYの字で腕を広げる山田さん。

 恐る恐るマネすると、周囲から不審がられた。すぐにやめた。


「しかし……章と交流あったんだな、山田さん」

「へ? なんでそう思うの?」

「え、だって章の小説知ってるじゃん」

「関わりはないって。アタシはエゴサの達人だぜ? エゴサの応用で、クラスメイトのネット情報を暴くなんて容易い」

「ひどくおそろしいことを聞いた気がする」


 なんだこの厄介な生物は、と本能がオレをおののかせる。

 誰か対処しないとみんな絶滅するぞ。


「いいかね、ワトソン君。現代において、情報の価値は塵芥も同然だ。情報を集められるのは当たり前。如何に有効な情報を集め、また情報をまとめるか、そこに価値が集約しているのだよ……」

「含蓄がある言葉だなぁ」

「では失敬」講義代にデザートの生ショコラを剥奪された。こいつ、蛮族か。


 まあ、真偽はどうあれ有用な情報だ。勉強させてもらおう。

 スマホを取り出し、先ほど目にしたタイトルをグルグルさんに打ち込み検索する。

 検索上部にヒットしたサイトを開く。


「『小説家になろう』……なるほど、インターネット上に小説を公開できるんだな。と、すごい、本屋さんにも市場展開してるのか。匿名で小説を投稿できて、しかも本棚みたいに活用できる。手軽に小説が読める。こう、勉強終わったあとの疲れた頭でも読む気力が生まれそうだ」

「ステマか?」と、ジト目を向けられた。

「失敬な、率直な印象だ」


 本を読むのは好きだ。

 知識という源泉を咀嚼し、自分の血肉にする感覚は得がたい体験だ。

 かっこつけた言い方をしたけど、もっぱら読むのは飛翔系漫画である。

 最近ではチェンソーを振り回す男の漫画が熱い。


「しかし、小説って結構繊細なもんでしょ? あんまり詮索していいんだろうか」


 小説とは、程度の度合いはあれ、作者の心情を赤裸々に映すものだ。章は良しとするだろうか? 良い顔をするのは、想像できない。


「そうだね、秘密にしてるくらいだしね」


 でもね、と。

 彼女は視線を落として呟く。


「自分の好きを理解してくれる人間がいない、この苦悩はケッコーキツいんだ。それがどんなに醜い趣味趣向であれ、理解者は必要なんだよ」


 あまりにも寂しげな言葉だった。

 少なくとも、昼休みの教室で話す言葉じゃない。


「どんなに誹謗中傷を重ねられても、作者にとっては読者の感想以上に、心に届く言葉なんてありえないんだぜ」

「そうか……定型文だけで飾った読書感想文は無駄じゃなかったんだな」

「それはぶっちゃけ無駄かと」


 そっかぁ。宿題で出される読書感想文、ほんとに苦手だ。廃止されないかな。


「山田さんは、オレが章の秘密を知って悪用するとは思わないの?」

「誰かを貶めないでしょ、あなたって」


 内面を透かし見るような視線に居たたまれなくなる。

 ふと、思い至る。

 ほとんど初対面なのに、どうしてこんなにも話が弾むのだろう。


「山田さんって、オレとどっかで会ったことある?」

「……来世、とか?」


 遠くを見る眼差しだった。嘘くさい。

  

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