2
「まさかホントにちっとも更生してないとはね」
悩ましげな溜息を吐き出し、こめかみをもみもみしている。
生徒会室。眉間に苦悩を寄せた凪ちゃんに、
「粗茶ですが」
「ありがと……」と、溜息ながらに口にして「おいしい……」
凪ちゃんの悩みの種はひとつ。好き勝手に部活動説明会を荒らした日野茉梨だ。彼女は追っ手を振り払い、そのまま街に消えていった。世紀の怪盗並の手際だった。
ほんとに何者なんだ、あいつ。
「日野さんの素性、聞いてもいい?」
お茶を
彼女自身に窺っても、聞きたい回答はもらえないし。クラスメイトに尋ねても悪意しか覗けなかった。端的に言えば回答の大体が愚痴か悪口でした。まともな情報が集められない始末だ。
人望なさすぎて泣けてくるね。あ、無論、茉梨の人望である。オレじゃない。ないったら。
「……幼馴染みなの、彼女とは」
衝撃の事実にお茶を噴き出しそうになった。
「そうだったの……」
「もちろんケイくんのが先に知り合ったよ?」
心配しないで。とはにかむ凪ちゃん。
なんだろう、安心感。ほかの厄介な人とは違って、凪ちゃんは事情を細部まで説明してくれる。会話が成立するのがこんなにもありがたいとは。
ほんわかとするオレに反し、凪ちゃんは険しい表情だ。
「私、療養のために引っ越したじゃない? ケイくんとこにお世話になってる間も、都心の病院に通ってたんだけど、たまに日野さんと話してて」
「そうなんだ……」昔の凪ちゃんを思い出して心が暗くなる。
オレと凪ちゃんの出会いは、十年前までさかのぼる。
当時彼女は体が弱く、ご両親の『都会の空気より田舎の空気が体に良いはずだ』という意向で家族総出で引っ越してきた。
もっとも、田舎の空気は、体にはよくとも精神面ではよろしくなかった。
ウチの付近の方々は排他的なひとばかりで、都会から越してきた碧木家を冷遇した。集団のなかに異分子が混じると、不安と緊張を誤魔化すために迫害するんだ。胸くそのよろしくない話である。同郷の身分としては恥ずかしい話だ。
色々あって、凪ちゃんは心身共に回復して、中学に進学するのをきっかけに都心に戻っていった。
「その頃、日野さんは……彼女のおばあちゃんが入院してるから通ってたの」
日野の祖母。茉梨が曰く、本物の魔法使いなる人物だ。
そんで、絵本作家だったとか。
「そのひとに会ったことある?」
「うん、会っちゃった。日野
「ああ、知ってるよ。彼女から直接聞いた」
「……私が知らない間に仲良くなったのね?」
凪ちゃんの視線が冷たくなる。
時々凪ちゃんはすごく支配に貪欲だ。
見るに恐ろしいので窓辺に視線を預けた。お、グラウンドが一望できる。みんな部活がんばってるなぁ。誰か助けてー、ってコールしたら誰か来てくれるかな。
「この件については一旦保留。後々言及いたします」
死刑宣告に近いものを聞かされた気分だ……!
情状酌量の余地はなさそう。
「十年前だから……ちょうど日野さんが五歳ね。彼女、そのときから魔法使いを公言してたの」
「筋金入りだね」十年間は魔法使いを自称しているわけだ。大した胆力してる。
茉梨の言を借りれば、身近に魔法使いにいたから、その影響だろう。
……まあ、この範囲の話ならば把握済み。
しかし、となると彼女は『中二病』に該当するのだろうか?
オレの調べでは、中二病は思春期真っ盛りに発症する一過性の情熱。茉梨は一過性どころか、恒星なみに
知れば知るほど、正体不明になっていく……
「中学で久々に再会したんだけど、いまの調子のままで……授業をボイコットしたり、化学室で怪しげな薬を調合したりして、根っこから問題児なの」
「よく高校に進学できたね」
「学力だけは高いの」
うわ、人生で一番むかついた。誇張ですが。
世の中は力こそ正義。ジャスティスの誕生かよ。
「キャラクターみたいね」
くすくすと笑う凪ちゃん。
……これだなぁって思う。
茉梨のことを調べようとすると、どんな所でも悪意が絡んでいた。でも、凪ちゃんは温かい。言葉の節々に、親愛の情がにじみ出ている。
誰かと話すなら、なるべく温かい空間であるとよし。冷え切った空間だと死んでしまう。そう考える変温動物です。雰囲気に左右される生き物なのだ。
「そうだ、林崎章ってご存じ? クラスメイトなんだけど、日野さんと交流歴あり」
おそらく、と心中で補足する。
小出しにされた情報によれば、章と茉梨は中学が一緒だった説濃厚。
「日野さんとは別々で活動してたね……彼は小規模だけど」
「へぇ、小規模。しかし別々とな?」茉梨的には、同志がいれば真っ先に勧誘しそうなものだけど。
「う~ん、言葉を選ばずに言うとね」と、悩ましげな表情。「中途半端だったの、彼」
中途半端……?
「日常では素行は普通そのものなんだけど、放課や部活の時間に欲望を解放するっていうか」
「理性的なグリードだね」
「日野さんは徹底的なプロ意識があるから、そこが気に入らなかったみたい」
「魔法使いになるには学問と羞恥心捨てなきゃいけないのか……」
なんて無駄に険しい道だ。
絶対に渡りたくない。
ふと、会話が途切れた。浮き上がった話題を回収するのも微妙だ。
意を決する。
「章ってイジメ受けてたの?」と、踏み入った。
凪ちゃんの瞳を見据える。
湖面が如き瞳が、僅かに揺れるのを見た。
確定だ。
犯人が誰とか、方法はとか、そういう具体性は要らない。
ただ、事実確認をしたかった。
「私が把握したのは高校受験が終わったあと。彼、自作したコスチュームを着た姿で、全校集会のときに全生徒の前に晒されたの」
そこでようやく明るみに出た、と。
楽しい、好きだから。
そんな情熱は、きっと無数の視線を前にして鎮火させられただろう。
火は酸素がないと燃えないのと同じように、章も『中二病』としての姿で息ができなくなってしまったのだ。
疑問は解けた。同時に、重たい気持ちがのしかかってくる。
「……それで、高校デビューに至るわけだ。反対に茉梨はどうだったの?」
「茉梨?」と、一瞬怪訝な表情。なんか怖い。
でも、いまは真面目な話をしているのだ。
凪ちゃんは咳払いで切り替えた。私情はしまいこんでくれたみたい。
あぶねー、名前呼びも引っかかるのか。
「日野さんは……誰も触れられなかったね。彼女って孤高でしょ? 現実のことなんて歯牙にもかけないから、変な噂話ばかり蔓延してた。牢獄みたいに取り囲んで、なるべく自分達の縄張りに寄せ付けないように……みたいな」
なるほど。出る杭は打たれるが、飛び上がった杭は打ち落とす手段がないと。
「ケイくんは日野さんをどう思ってるの?」
「我が儘でイライラする」
「わあ、感情論だ」
「……でも、納得いかない結果に対して、立ち向かい続ける精神は脱帽のひとことです」
「そうだね、日野さんは現実と妄想との綱渡りが危ういっていうか」
「そうそう。なまじ本物の魔法使いを見てる(本人曰く)から、『妄想だー』って踏ん切りつけられないんだよね」
口が滑った。
話題がファンタジーの歯車に切り替わる。
「ケイくんは、魔法があるって思う?」
「なしよりのあり派。あって欲しいと願いはするね。もっとも、面白そうだからって動機しか持ち合わせてない、正直なところは」
告げると、凪ちゃんは深く考え込んだ。
『幼馴染みが変になった』みたいなことは考えてないと良いな(楽観)。
「……日野さんの影響?」
「ソウデス」ロボットボイスで白状した。
どうして、と視線で問われる。
魔法の当事者になった。
それで理由は十分だけど〝運命瞳〟はあまりにも不可解だ。
ただの幻覚の類いにしか思えない。……でも、幻覚なら、なんだって見えるのだろうな? 知らず狂気光線をずびびっと浴びていたのだろうか? 茉梨なら浴びせてきそうだけど。オマエも魔法使いになれ! とか言って。
「……なら、任せていいね」
と、不穏な呟きが耳朶に染み付いた。
なんだ、なにを考えてるんだ……!
「私ね、日野さん……じゃなくて、茉梨ちゃんを前に向かせてあげたい」
これまで聞いていた『日野さん』は外聞向けだったのか。
茉梨ちゃん、と彼女は本心を発露させた。
「ひとりでいると、自分の嫌なところとか、自分の過去とかばかりに目が向いちゃうでしょ。だから、一緒にいてあげてほしいの。少しの間だけでいいから」
それは、暗に。
自分では傍に居られなかったと、懺悔しているのか?
「……オレなんかで更生でき」「更生しなくていい」
できるのか、そう問おうとしたのを、凪ちゃんは固い声で遮った。
しかし、どういう風の吹き回しだろうか。
凪ちゃんと茉梨とのファーストコンタクトはファーストインパクトで終わったはずだ。
手を出すなとか、茉梨に忠告してなかったっけ?
「あの子にとって現実は息苦しい。妄想に逃げ込もうとする……彼女が呼吸できるだけの空気を送り込んであげて。そしたら、きっとだけど、よくなるはず……めいびー……」
「すごい自信なさげだ……まあ別に頼まれるようなことでもないけど」
面倒みれるかどうか、あの問題児。
「あの子ってば、ちっとも行動を掴ませないから……きっと苦労するだろうけど」
「それならだいじょうぶ、今日の分のアポは多分とれてる」
しゅぴっ、と腕を交差させた。
「なにそれ?」と首を傾げる凪ちゃん。「埼玉のポーズ?」
ちがわい。自分でやっといてなんだけど、これすっごい恥ずかしい。
「ともかく、凪ちゃんの要求ばかりは聞き入れられないな」
「取引するの? まさか……体?」
肩を掻き抱く素振り。オレは頭をドリルにせんばかりに首を振った。
「ちがうちがうオレはそんなことしません」
「うわあ、ドリルみたい。でも頭の回転は遅い……鈍いね、相変わらず」
回転停止。オレはゆっくりと息を吐く。
「クラスにイジメの兆候があるんだ。生徒会執行部の権限って、どれだけ強いの?」
「うーん、生徒間のいざこざには介入できないかな」
駄目か……同じ学年に明確な敵を作ってしまったし、事を穏便に済ませる手段がほしかったのだけれど。小学校のころなら、頭を使わずにイジメに反抗できたのに。
「けど、私個人の権力なら別……」
「おっと雲行きが怪しい。オレは帰らせてもらう」
「私が根回ししてあげる。対価は……ケイくんの体ね」
「いやです」取引はノーボディでフィニッシュです。
「……むぅ、ダメかぁ。あわよくばって思ったけど」
「執行部には所属できないけど、頼むよ」
「ズルいね、ケイくん。私が断れないって知ってるくせに」
初耳ですが。
しかし、凪ちゃんの協力が得られるのはありがたい。
「となると、作戦会議が必要だよね……」
凪ちゃんはボソリと呟き、細い顎に指先を添える。
ひとり思案を巡らせて、
「週末、ケイくん家にお邪魔させて?」
「……熟考の結果、その案は採用を見送らせていただけないくらいの冷たい眼差しだ!」
ものっそい睨まれた。
「決して凪ちゃんのお眼鏡に適う場所ではないよ?」
「いいの、ケイくんの家ってかなり居心地いいんだからね」
さらりと気恥ずかしい台詞。
顔を逸らしながら、オレは軽く頷いた。
「まあ、いいけど」
「決まり! 久々で緊張する~!」
一瞬『クラス:聖女』なんて文字を、凪ちゃんの頭上に目撃した。
当然スルーした。もう、魔法は無視するのだ。
オレは腹をくくる。
あの少女の魔法を解く。そんで章のデビューを支援する。
魔法とは徹底抗戦。イジメ駄目絶対。
幻想に向き合い続ける少女に、現実と妄想との境界線を引かせる手伝いをしよう。
方針が決まれば、心も穏やかになると思っていた。
でも、予想に反して心の濁りはちっとも消えない。
茉梨がオレを見つめる眼差しに込められた感情の正体を、オレは暴いていなかったのだ。
その日、茉梨はオレの前に姿を現さなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます