「まさかホントにちっとも更生してないとはね」


 悩ましげな溜息を吐き出し、こめかみをもみもみしている。

 生徒会室。眉間に苦悩を寄せた凪ちゃんに、れたばかりのお茶を差し出した。


「粗茶ですが」

「ありがと……」と、溜息ながらに口にして「おいしい……」


 凪ちゃんの悩みの種はひとつ。好き勝手に部活動説明会を荒らした日野茉梨だ。彼女は追っ手を振り払い、そのまま街に消えていった。世紀の怪盗並の手際だった。

 ほんとに何者なんだ、あいつ。


「日野さんの素性、聞いてもいい?」


 お茶をすすりながら、あの自称魔法使いについて言及。

 彼女自身に窺っても、聞きたい回答はもらえないし。クラスメイトに尋ねても悪意しか覗けなかった。端的に言えば回答の大体が愚痴か悪口でした。まともな情報が集められない始末だ。

 人望なさすぎて泣けてくるね。あ、無論、茉梨の人望である。オレじゃない。ないったら。


「……幼馴染みなの、彼女とは」


 衝撃の事実にお茶を噴き出しそうになった。


「そうだったの……」

「もちろんケイくんのが先に知り合ったよ?」


 心配しないで。とはにかむ凪ちゃん。

 なんだろう、安心感。ほかの厄介な人とは違って、凪ちゃんは事情を細部まで説明してくれる。会話が成立するのがこんなにもありがたいとは。

 ほんわかとするオレに反し、凪ちゃんは険しい表情だ。


「私、療養のために引っ越したじゃない? ケイくんとこにお世話になってる間も、都心の病院に通ってたんだけど、たまに日野さんと話してて」

「そうなんだ……」昔の凪ちゃんを思い出して心が暗くなる。


 オレと凪ちゃんの出会いは、十年前までさかのぼる。

 当時彼女は体が弱く、ご両親の『都会の空気より田舎の空気が体に良いはずだ』という意向で家族総出で引っ越してきた。

 もっとも、田舎の空気は、体にはよくとも精神面ではよろしくなかった。

 ウチの付近の方々は排他的なひとばかりで、都会から越してきた碧木家を冷遇した。集団のなかに異分子が混じると、不安と緊張を誤魔化すために迫害するんだ。胸くそのよろしくない話である。同郷の身分としては恥ずかしい話だ。

 色々あって、凪ちゃんは心身共に回復して、中学に進学するのをきっかけに都心に戻っていった。


「その頃、日野さんは……彼女のおばあちゃんが入院してるから通ってたの」


 日野の祖母。茉梨が曰く、本物の魔法使いなる人物だ。

 そんで、絵本作家だったとか。


「そのひとに会ったことある?」

「うん、会っちゃった。日野彩賀あやかさんって覚えてる? 日野さんのおばあちゃんって、むかし私達が一緒に読んだ本の作者さんなんだよ」

「ああ、知ってるよ。彼女から直接聞いた」

「……私が知らない間に仲良くなったのね?」


 凪ちゃんの視線が冷たくなる。

 時々凪ちゃんはすごく支配に貪欲だ。

 見るに恐ろしいので窓辺に視線を預けた。お、グラウンドが一望できる。みんな部活がんばってるなぁ。誰か助けてー、ってコールしたら誰か来てくれるかな。


「この件については一旦保留。後々言及いたします」


 死刑宣告に近いものを聞かされた気分だ……!

 情状酌量の余地はなさそう。


「十年前だから……ちょうど日野さんが五歳ね。彼女、そのときから魔法使いを公言してたの」

「筋金入りだね」十年間は魔法使いを自称しているわけだ。大した胆力してる。


 茉梨の言を借りれば、身近に魔法使いにいたから、その影響だろう。

 ……まあ、この範囲の話ならば把握済み。

 しかし、となると彼女は『中二病』に該当するのだろうか?

 オレの調べでは、中二病は思春期真っ盛りに発症する一過性の情熱。茉梨は一過性どころか、恒星なみに煌々こうこうと輝き続ける不滅の意思だ。まじでなんなんだアイツ(暴言)。

 知れば知るほど、正体不明になっていく……


「中学で久々に再会したんだけど、いまの調子のままで……授業をボイコットしたり、化学室で怪しげな薬を調合したりして、根っこから問題児なの」

「よく高校に進学できたね」

「学力だけは高いの」


 うわ、人生で一番むかついた。誇張ですが。

 世の中は力こそ正義。ジャスティスの誕生かよ。


「キャラクターみたいね」


 くすくすと笑う凪ちゃん。

 ……これだなぁって思う。

 茉梨のことを調べようとすると、どんな所でも悪意が絡んでいた。でも、凪ちゃんは温かい。言葉の節々に、親愛の情がにじみ出ている。

 誰かと話すなら、なるべく温かい空間であるとよし。冷え切った空間だと死んでしまう。そう考える変温動物です。雰囲気に左右される生き物なのだ。


「そうだ、林崎章ってご存じ? クラスメイトなんだけど、日野さんと交流歴あり」


 おそらく、と心中で補足する。

 小出しにされた情報によれば、章と茉梨は中学が一緒だった説濃厚。


「日野さんとは別々で活動してたね……彼は小規模だけど」

「へぇ、小規模。しかし別々とな?」茉梨的には、同志がいれば真っ先に勧誘しそうなものだけど。

「う~ん、言葉を選ばずに言うとね」と、悩ましげな表情。「中途半端だったの、彼」


 中途半端……?


「日常では素行は普通そのものなんだけど、放課や部活の時間に欲望を解放するっていうか」

「理性的なグリードだね」

「日野さんは徹底的なプロ意識があるから、そこが気に入らなかったみたい」

「魔法使いになるには学問と羞恥心捨てなきゃいけないのか……」


 なんて無駄に険しい道だ。

 絶対に渡りたくない。

 ふと、会話が途切れた。浮き上がった話題を回収するのも微妙だ。

 意を決する。


「章ってイジメ受けてたの?」と、踏み入った。


 凪ちゃんの瞳を見据える。

 湖面が如き瞳が、僅かに揺れるのを見た。

 確定だ。

 犯人が誰とか、方法はとか、そういう具体性は要らない。

 ただ、事実確認をしたかった。


「私が把握したのは高校受験が終わったあと。彼、自作したコスチュームを着た姿で、全校集会のときに全生徒の前に晒されたの」


 そこでようやく明るみに出た、と。

 楽しい、好きだから。

 そんな情熱は、きっと無数の視線を前にして鎮火させられただろう。

 火は酸素がないと燃えないのと同じように、章も『中二病』としての姿で息ができなくなってしまったのだ。

 疑問は解けた。同時に、重たい気持ちがのしかかってくる。


「……それで、高校デビューに至るわけだ。反対に茉梨はどうだったの?」

「茉梨?」と、一瞬怪訝な表情。なんか怖い。


 でも、いまは真面目な話をしているのだ。

 凪ちゃんは咳払いで切り替えた。私情はしまいこんでくれたみたい。

 あぶねー、名前呼びも引っかかるのか。


「日野さんは……誰も触れられなかったね。彼女って孤高でしょ? 現実のことなんて歯牙にもかけないから、変な噂話ばかり蔓延してた。牢獄みたいに取り囲んで、なるべく自分達の縄張りに寄せ付けないように……みたいな」


 なるほど。出る杭は打たれるが、飛び上がった杭は打ち落とす手段がないと。


「ケイくんは日野さんをどう思ってるの?」

「我が儘でイライラする」

「わあ、感情論だ」

「……でも、納得いかない結果に対して、立ち向かい続ける精神は脱帽のひとことです」

「そうだね、日野さんは現実と妄想との綱渡りが危ういっていうか」

「そうそう。なまじ本物の魔法使いを見てる(本人曰く)から、『妄想だー』って踏ん切りつけられないんだよね」


 口が滑った。

 話題がファンタジーの歯車に切り替わる。


「ケイくんは、魔法があるって思う?」

「なしよりのあり派。あって欲しいと願いはするね。もっとも、面白そうだからって動機しか持ち合わせてない、正直なところは」


 告げると、凪ちゃんは深く考え込んだ。

『幼馴染みが変になった』みたいなことは考えてないと良いな(楽観)。


「……日野さんの影響?」

「ソウデス」ロボットボイスで白状した。


 どうして、と視線で問われる。

 魔法の当事者になった。

 それで理由は十分だけど〝運命瞳〟はあまりにも不可解だ。

 ただの幻覚の類いにしか思えない。……でも、幻覚なら、なんだって見えるのだろうな? 知らず狂気光線をずびびっと浴びていたのだろうか? 茉梨なら浴びせてきそうだけど。オマエも魔法使いになれ! とか言って。


「……なら、任せていいね」


 と、不穏な呟きが耳朶に染み付いた。

 なんだ、なにを考えてるんだ……!


「私ね、日野さん……じゃなくて、茉梨ちゃんを前に向かせてあげたい」


 これまで聞いていた『日野さん』は外聞向けだったのか。

 茉梨ちゃん、と彼女は本心を発露させた。


「ひとりでいると、自分の嫌なところとか、自分の過去とかばかりに目が向いちゃうでしょ。だから、一緒にいてあげてほしいの。少しの間だけでいいから」


 それは、暗に。

 自分では傍に居られなかったと、懺悔しているのか?


「……オレなんかで更生でき」「更生しなくていい」


 できるのか、そう問おうとしたのを、凪ちゃんは固い声で遮った。

 しかし、どういう風の吹き回しだろうか。

 凪ちゃんと茉梨とのファーストコンタクトはファーストインパクトで終わったはずだ。

 手を出すなとか、茉梨に忠告してなかったっけ?


「あの子にとって現実は息苦しい。妄想に逃げ込もうとする……彼女が呼吸できるだけの空気を送り込んであげて。そしたら、きっとだけど、よくなるはず……めいびー……」

「すごい自信なさげだ……まあ別に頼まれるようなことでもないけど」


 面倒みれるかどうか、あの問題児。


「あの子ってば、ちっとも行動を掴ませないから……きっと苦労するだろうけど」

「それならだいじょうぶ、今日の分のアポは多分とれてる」


 しゅぴっ、と腕を交差させた。


「なにそれ?」と首を傾げる凪ちゃん。「埼玉のポーズ?」


 ちがわい。自分でやっといてなんだけど、これすっごい恥ずかしい。


「ともかく、凪ちゃんの要求ばかりは聞き入れられないな」

「取引するの? まさか……体?」


 肩を掻き抱く素振り。オレは頭をドリルにせんばかりに首を振った。


「ちがうちがうオレはそんなことしません」

「うわあ、ドリルみたい。でも頭の回転は遅い……鈍いね、相変わらず」

 回転停止。オレはゆっくりと息を吐く。


「クラスにイジメの兆候があるんだ。生徒会執行部の権限って、どれだけ強いの?」

「うーん、生徒間のいざこざには介入できないかな」


 駄目か……同じ学年に明確な敵を作ってしまったし、事を穏便に済ませる手段がほしかったのだけれど。小学校のころなら、頭を使わずにイジメに反抗できたのに。


「けど、私個人の権力なら別……」

「おっと雲行きが怪しい。オレは帰らせてもらう」

「私が根回ししてあげる。対価は……ケイくんの体ね」

「いやです」取引はノーボディでフィニッシュです。

「……むぅ、ダメかぁ。あわよくばって思ったけど」

「執行部には所属できないけど、頼むよ」

「ズルいね、ケイくん。私が断れないって知ってるくせに」


 初耳ですが。

 しかし、凪ちゃんの協力が得られるのはありがたい。


「となると、作戦会議が必要だよね……」


 凪ちゃんはボソリと呟き、細い顎に指先を添える。

 ひとり思案を巡らせて、


「週末、ケイくん家にお邪魔させて?」

「……熟考の結果、その案は採用を見送らせていただけないくらいの冷たい眼差しだ!」


 ものっそい睨まれた。


「決して凪ちゃんのお眼鏡に適う場所ではないよ?」

「いいの、ケイくんの家ってかなり居心地いいんだからね」


 さらりと気恥ずかしい台詞。

 顔を逸らしながら、オレは軽く頷いた。


「まあ、いいけど」

「決まり! 久々で緊張する~!」


 一瞬『クラス:聖女』なんて文字を、凪ちゃんの頭上に目撃した。

 当然スルーした。もう、魔法は無視するのだ。

 オレは腹をくくる。

 あの少女の魔法を解く。そんで章のデビューを支援する。

 魔法とは徹底抗戦。イジメ駄目絶対。

 幻想に向き合い続ける少女に、現実と妄想との境界線を引かせる手伝いをしよう。

 方針が決まれば、心も穏やかになると思っていた。

 でも、予想に反して心の濁りはちっとも消えない。

 茉梨がオレを見つめる眼差しに込められた感情の正体を、オレは暴いていなかったのだ。


 その日、茉梨はオレの前に姿を現さなかった。

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