三章 中二病

 翌日。茉梨は学校に来ていない。ひょっとしたら登校してくるんじゃないか、と淡い期待はあったけれど、案の定って印象が強い。

 事件に巻き込まれた可能性は……無い、と断定できない。

 心臓が絞られるように、絶え間なく苦しくなった。


 教室に着くと、既に隣の山田さんはいた。


「山田さん、見てくれ。ねんがんのスマホを手に入れたぞ」


 銀縁の眼鏡がきらりと輝く。

 隣の山田さんは「そう、かんけいないね」と眼鏡を押し上げ、スマホを取り出した。

 言葉とは裏腹な行動に首を傾げる。


「か、関係ないか……?」しょんぼりと肩を落とした。

「え、もしかしてほかの選択肢だった?」


 彼女は『やっちまった』って表情だけど、オレは煙に包まれたみたいで判然としない。

 いまの、なにか含みがあったのか?


「殺してでも奪い取った方がいい?」

「なんでだよっ!」

「ごめん、ジョーク。ゲーマー以外には通じないよね」

「……オレだってゲームはやるぞ」

「ダウトだね、それ。ちなみにさっきの『ねんがんの』って行(くだり)が有名なフレーズでした。話通じると思って舞い上がってごめんなさい」

「あ、こちらこそ……」無知でごめんなさい。

「まぁ気にせず不退転の心を抱いていこうね。心が世界だ」


 お坊さんみたいなことを言うんだな。

 気を取り直すように、山田さんは明るい笑みを浮かべた。


「スマホって便利だぞ~! アタシ、異世界になにを持ってくかって言ったら即答でスマホ持ってくね! 使えるかは別として、お守り代わり!」


 電波通じないと宝の持ち腐れでしょ……

 話が止まったタイミングで、章が登校してきた。

 章は、オレを一瞥いちべつすると、そのまま席に座ってしまう。


「火堂君はさ、一般ピーポーだよね」

「一般……まぁ、そうだけど」

「そうだよね。そのまま……あまり偏らない方が身のためだぜ」


 と、真剣味を帯びた警告を放たれた。

 眼鏡越しの視線は、オレじゃない誰かを見ている。


「なんて、ガラでもない警告だけど。隣人としてのよしみだ」


 イタズラっぽく切れ長の目を細め、彼女は舌を出した。

 コロコロと表情が変わる。

 猫を彷彿とさせる仕草だ。


「……警告ってったって、なにに対してさ」


 愚痴るようにこぼして、席を立つ。


「何処へ?」

「別に、どこだっていいでしょ」


 突き放すように言って、オレは章に近づく。


「おはよ、調べたぞ、中二病」

「……オマエも俺を笑い物に?」

「はあ?」オレは眉をひそめた。


 なんだその被害妄想。

 顔を上げた章の表情は、随分と元気がない。


「知ったんだろ? 中二病……頭おかしかったんだよ、あの時期は」

「知ったけど、章のことは知らないんだよ。なにひとりで拗ねてるんだ」

「ほっといてくれ、ほとぼりが冷めるまで」


 ほとぼり? 眉を持ち上げ、暗い顔を見つめ返す。


「……オマエのためにも言ってるんだ。でないと巻き込まれるぞ」

「あ、いた!」


 弾んだ声に振り返る。

 明るく化粧した肌、鮮やかに染め上げた茶髪。

 見覚えの無い女子生徒が、こちらを指差してクスクスと笑っている。


「おっじゃま~」と、三人が教室に入ってきた。


 男子ひとりに女子ふたり。共通しているのは、酷薄な笑み。

 制服のリボンからして、たぶん同学年(学年別にリボンの色が違う)。


「ウチになにか用? 知り合い探してるの?」


 尋ねると、彼らは一瞬つまらなそうな顔をして、オレを押しのけた。

 オレのリアクションを待たずに、彼らは章に詰め寄る。


「元気してた? 寂しかったよ~」


 ……悪寒がする。胸を騒ぎ立てる感覚には覚えがあった。

 一昨日、茉梨が登校してきた日と似ている。

 教室内の空気が張り詰めて、不気味な静寂が訪れるのだ。


「ね、またアレやってよ」「闇の炎に、とか」「なんの呼吸使えんだっけ?」


 彼らの詰問だけが、室内で響く。


「や、やめろよ~! 昔の話だろ?」


 と、章が強ばらせた顔のまま無理矢理笑っていた。

 聞くだけで、心を蝕むほどに弱々しい声。


「いいじゃん! お前だって楽しんでたっしょ?」

「はやくやれよ、ちょっとやるだけだろ。あんま拒否んなよ、うぜー」

「はい、やーれーやれやれやれ~!」


 浮ついた声が連続する。いつの間にか、教室内の誰かの声も混じっている。

 章は、わずかに腰を浮かした。

 引き結んだ唇が『やめてくれ』と、精一杯の矜持で泣き出しそうな言葉を塞いだのを見た。その姿が、昔のあの人と重なる。

 決定的だった。


「あんたら帰れ。人を貶めることでしか笑えないなら、相当寒いぞ」

「はあ?」と、彼らはオレを試すように見る。


 ちょっと我慢できない。

 無意識に、語気が荒くなる。


「ノリが違うんだ。そっちが楽しくても、こちらは大変冷めつく。感性を疑う」

「なんて? ノってんの見えんの?」

「あと、イジメはいけないことだぞ」


 告げると、胸がすいた。

 スッキリした。章がオレを避けたのは、イジメにオレを巻き込まないため。

 それから、茉梨がいるとイジメの効果が倍増するから、積極的に離れていた。そんで、茉梨とオレが接点を持ち始めてるのを察して、警告した。大筋はこんな感じかな。

 どうしてイジメを受けているとか、茉梨との関連性とかは一旦保留。

 章に関する疑問がほぼ解けて、大変気持ちが晴れやかです。


「なにこいつ、冷めるわ」


 名も知らぬ男子が机の脚を蹴り、一団は教室を去っていった。

 すれ違い際、睨み付けられるのと同時に「覚悟しとけよ」と呟かれ、オレは小便ちびりそうになる。ちびらなくてよかった。


「巻き込まれたね、どうにも」

「なにしてんだよ、バカが……何考えてんだ……!」

「オレ、あいつら、嫌い」


 言って、荒く鼻を鳴らす。理屈じゃない、感情論だ。

 席に戻ると、山田さんが何か言いたげにこちらを見ていた。 


「絶対後悔するよ」と、山田さんはうれしそうに言う。「ブレイブだね、火堂君」


 なんでうれしそうなんだ。

 彼女は片目をすがめる。


「勇者みたいじゃん。弱きを助けて」


 思いがけない単語に不意をつかれて、心臓がドキリと跳ねる。

 勇者。オレの抱えた運命。

 特別意識してこなかったくせに、胸の底にこびりついていた。


「思わずアタシも火堂君の隣々々人になってしまいそうだ」

「距離離れるね、マス目二つ分くらい」

「さよならだね。グッバイスローライフ!」

「ええ……そんなテーマパークのキャストさんみたいな明るいトーンで言うこと?」


 能天気な山田さんは、なははーと気の抜けた笑いと共にスマホゲームに没頭してしまった。会話が途切れた瞬間これだ。中々のマイペース。

 最初の警戒に満ちた対応はどうしたんだ。これじゃ気まぐれな猫と変わらない。

 しかしまあ、山田さんが間接的に警告を促してくれたのは伝わった。

 オレはたぶん下手こいた。

 和みかけた意識を引き締める。

 敵を作ったのは確実だ。田舎でのイジメには覚えがあるけど、都会式となると結構変わるかもしれない。……人間ってどうして集団になると誰か虐めたがるんだろ。

 穏便に事態の収束に従事しよう……


 午後の授業は、すべて部活動説明会に回された。

 時折、ヒソヒソとした声が聞こえてくる。

 居心地の悪い時間は継続中。顔見知りのいない空間は、心理的によろしくない。

 知り合いがいないなら作ればいいのだ、とクラスメイトに果敢に話しかけるも「あ~悪い用事が」「ちょっとごめんよ、兄ちゃん」などと、惨敗に終わった。


 露骨に避けられている。

 章はといえば、空き時間は机に突っ伏すかトイレに向かうかの二択。決して誰ともコンタクトを取ろうとしない。

 どうしたものか。ぼんやりと考えるも、名案は浮かばない。

 頬杖ついてぼーっと部活動説明会を眺める。


「つぎはサッカー部の紹介で~す!」


 ゆるい声で五島先生がユニフォーム姿の男子たちを招き入れる。

 数人の、よく日焼けした肌の先輩方があらわれた。


「サッカー部です! オレたちで目指そうぜ、甲子園!」

「それ野球部!」と、キャプテンらしき少年にツッコむ先輩。


 陽気な笑い声が教室中に広がる。

 ……いいな、サッカー部。このまま友達が出来なかったらボールを友達にするかぁ。

 楽しそうと思うことは時々あれど、全体を通してピンとくる部活はなかった。

 勧誘方法は様々だった。

 運動系は情熱とパフォーマンス。

 文化系は自主制作のチラシを黒板に貼り付けていった。


「最後に、生徒会執行部のみなさんです!」

「失礼します」と、聞き慣れた声。


 がく、と顔を支えていた腕が崩れる。

 せ、生徒会!?


「生徒会執行部所属、生徒会長の碧木凪です。みなさんとは入学式以来ですね」


 凜々しい声が教室に澄み渡る。

 すう、と少女が一礼した。

 淡く、微笑んだ。

 その一連の仕草だけで、教室中の心を掴んでしまった。


「すっごい、綺麗」「ほんと顔ちっちゃい」

「やべえ、タイプ」「彼氏いんのかな」


 黄色い歓声と野太い声が入り交じる。

 浮き足だった雰囲気を制するのは、ただ一声。


「お静かに」声の渦を掻き分け一閃。


 生徒会長の声は、凪いだ湖面のように静かだった。

 ややあって、静寂が落ちる。脅威的なまでの求心力だ。正直かなり怖い。


「私の挨拶をもって、レクリエーションは終了です。所属したい部活動は決まりましたか? 焦らずじっくり検討しましょうね。生徒会は、あなた方の有意義な学生生活を支援します」


 ぷるぷると震えるオレを補足し、彼女は笑みを深めた。


「もしも、生徒会への所属を希望される方は、部活動との兼任もできますので」

「ひぇ……」


「俺立候補しま~す」と、さっきオレが話しかけた佐藤くんが恐ろしく素早い挙手。オレじゃなきゃ見逃しちゃう。いいぞその意気だ! とオレのなかの全米が喝采。


「残念ながら、既に枠は埋まっています。来年度を期待してください」


 冷たくあしらい、凪ちゃんは教室をあとにする。

 最後に、オレを一瞥した……気がした。気のせいです。

 視線を水平に流して、交錯した視線を逸らした。


「生徒会でした~!」


 ひとり拍手を上げる五島先生。

 先生の言葉で、一瞬殺伐とした空気が穏やかになる。

 知らず緊張していた。溜息をついて弛緩する。


「火堂君はなに系男子? 運動系? 文化系?」

「ニュートラル系かなぁ」

「わお、おもしれー男……」

「へへ、照れる……照れすぎて、照り焼きチキンになる」


 山田さんとの会話は頭を使わなくて良いから楽ちんだ。

 部活かぁ。なににしよう。どこかしらに所属しなきゃいけないだろうけど。

 部活……茉梨が作ろうとしてたっけ。

『魔術研究会』。活動内容および部員数が不適切という、至極真っ当な理由で凪ちゃんに「却下デース」された設立以前の部活。

 論外デース。

 吟味する猶予は一週間ほど。

 体験入部もあるし、ゆっくり決めよう。

 さて、ホームルームだ。欠伸を噛み殺しながら、正面を向く。


「これよりは、我らが時……」


 日野茉梨があらわれた。不遜な表情である。

 あいついっつも突然あらわれるなぁ。

 五島先生が手際よくつまみ出している。


「離しなさい、無礼な」じたばたもがく哀れな小動物。


 しかし、よかった。無事だったんだな。

 姿を確認できて安心した。

 一夜にして急速に成長していた罪悪感が、かすかに消える。

 拠り所が壊れてショックを受けているだろうに、茉梨は変わらずの傾奇っぷりだ。


「何度も重役出勤して! 今日ばかりは只じゃおきませんよ!」

「はーなーせー」


 相棒ぉお! と悲鳴をのこしてフェードアウト。

 かと思えば、五島先生の蛇がごとき拘束を抜け出してカムバック。

 扉のレールをステッキで塞ぎ、茉梨は籠城の姿勢を取る。

 機敏な動きで背後の扉に回り、同様の処置。


「魔術結界〝スクエア〟」

「めっちゃ物理でしたけど」


 苦言をスルーし、茉梨はオレに近づいてくる。

 同時に、胸に黒い不安が忍び寄ってくる。なにかしでかす気だな。


「あなたは――勇者、なのね」

「えっ」と、確信をもって放たれた指摘に耳を疑った。


 つられて、俯きがちだった顔を上げる。

 紅蓮の双眸が、オレを睨むように見つめていた。

 ただならぬ気迫に息を引き切る。


「わたしは騎士に出逢い――真実を悟った。すなわち、わたしとあなたはは不倶戴天であると」

「ちょ、ちょっと待てよ。そっちの土俵で語りすぎだ。何を言いたいかさっぱりだ!」


 頭を掠めたのは〝運命瞳〟とやらで見た光景。

 勇者と魔王。オレと茉梨は、対照的な関係に在る。

 でも、茉梨は魔法を使えないはずだ。

 オレの運命を悟っているわけがない。


「って、騎士?」


 昨日見かけた女性が脳裏に蘇った。

『クラス:女子高生』の文字が浮かんでいた、炎のような女性。

 長いまつげに縁取られた深紅が細まる。

 茉梨は、鋭さを帯びた瞳でオレを見据えた。


「ええ、騎士……あなたとの運命をたしかに見破ったの。でも安心して、わたしは――」

「いい加減にしろよ」


 固い声で遮ったのは、章だった。


「まだ続ける気かよ、そんなママゴト」

「あなたは……」と、茉梨が重たい眼差しを章に流す。


 次いで、小首をかしげる。


「どなた……?」

「……いや、忘れてるならいい」


 忘れてるっていうか、おそらく茉梨の性格的に認識すらしていない可能性も……


「知らないのか?」と気になったので問う。すごい勢いで首を振られた。知らないらしい。


 章がなんだかとても不憫だ。

 不服そうに、章が告げる。

 

「……〝闇魔ダークネス〟だ」

「ああ〝闇魔〟か」


 心に落ちるものがあったのか、茉梨は頷く。

 だーくねす? とオレは疑問符を浮かべる。

 疑問に答えるように、茉梨が補足してくれる。


「第五級の魔法使い見習い未満。平たく言えば雑魚」


 とんでもない罵倒だった。

 旧知であるのは判明したけど、穏便な仲ではなさそう。


「ちょっと日野さん?」


 五島先生、帰還。ステッキだけの籠城は意味をなさなかった。

 そして、先生は凪ちゃんを連れてきていた。

 オレは、教室が戦場になるのを察する。

 茉梨も分が悪いと察知したのか、離脱を試みる。


「生徒会長からは逃げられない!」と、隣の山田さんが声を上げていた。


 茉梨は身を躍らせ、ローブを翻して机の上を駆ける。パルクールめいた挙動で、瞬く間に窓際から飛び出ていた。

 黒猫を彷彿とさせる機敏さだ。


「待って、日野さん!」「茉梨!?」


 最後に一瞬、彼女はしゅぴっと腕を交差させた。


「逃げたな」

「やつは、とんでもない物を盗んでいきました」


 深刻そうな顔で山田さんが言う。


「あなたの心です」

「……いや、ないない」


 そんなこんなで、放課後を迎えた。

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