三章 中二病
1
翌日。茉梨は学校に来ていない。ひょっとしたら登校してくるんじゃないか、と淡い期待はあったけれど、案の定って印象が強い。
事件に巻き込まれた可能性は……無い、と断定できない。
心臓が絞られるように、絶え間なく苦しくなった。
教室に着くと、既に隣の山田さんはいた。
「山田さん、見てくれ。ねんがんのスマホを手に入れたぞ」
銀縁の眼鏡がきらりと輝く。
隣の山田さんは「そう、かんけいないね」と眼鏡を押し上げ、スマホを取り出した。
言葉とは裏腹な行動に首を傾げる。
「か、関係ないか……?」しょんぼりと肩を落とした。
「え、もしかしてほかの選択肢だった?」
彼女は『やっちまった』って表情だけど、オレは煙に包まれたみたいで判然としない。
いまの、なにか含みがあったのか?
「殺してでも奪い取った方がいい?」
「なんでだよっ!」
「ごめん、ジョーク。ゲーマー以外には通じないよね」
「……オレだってゲームはやるぞ」
「ダウトだね、それ。ちなみにさっきの『ねんがんの』って行(くだり)が有名なフレーズでした。話通じると思って舞い上がってごめんなさい」
「あ、こちらこそ……」無知でごめんなさい。
「まぁ気にせず不退転の心を抱いていこうね。心が世界だ」
お坊さんみたいなことを言うんだな。
気を取り直すように、山田さんは明るい笑みを浮かべた。
「スマホって便利だぞ~! アタシ、異世界になにを持ってくかって言ったら即答でスマホ持ってくね! 使えるかは別として、お守り代わり!」
電波通じないと宝の持ち腐れでしょ……
話が止まったタイミングで、章が登校してきた。
章は、オレを
「火堂君はさ、一般ピーポーだよね」
「一般……まぁ、そうだけど」
「そうだよね。そのまま……あまり偏らない方が身のためだぜ」
と、真剣味を帯びた警告を放たれた。
眼鏡越しの視線は、オレじゃない誰かを見ている。
「なんて、ガラでもない警告だけど。隣人としてのよしみだ」
イタズラっぽく切れ長の目を細め、彼女は舌を出した。
コロコロと表情が変わる。
猫を彷彿とさせる仕草だ。
「……警告ってったって、なにに対してさ」
愚痴るようにこぼして、席を立つ。
「何処へ?」
「別に、どこだっていいでしょ」
突き放すように言って、オレは章に近づく。
「おはよ、調べたぞ、中二病」
「……オマエも俺を笑い物に?」
「はあ?」オレは眉をひそめた。
なんだその被害妄想。
顔を上げた章の表情は、随分と元気がない。
「知ったんだろ? 中二病……頭おかしかったんだよ、あの時期は」
「知ったけど、章のことは知らないんだよ。なにひとりで拗ねてるんだ」
「ほっといてくれ、ほとぼりが冷めるまで」
ほとぼり? 眉を持ち上げ、暗い顔を見つめ返す。
「……オマエのためにも言ってるんだ。でないと巻き込まれるぞ」
「あ、いた!」
弾んだ声に振り返る。
明るく化粧した肌、鮮やかに染め上げた茶髪。
見覚えの無い女子生徒が、こちらを指差してクスクスと笑っている。
「おっじゃま~」と、三人が教室に入ってきた。
男子ひとりに女子ふたり。共通しているのは、酷薄な笑み。
制服のリボンからして、たぶん同学年(学年別にリボンの色が違う)。
「ウチになにか用? 知り合い探してるの?」
尋ねると、彼らは一瞬つまらなそうな顔をして、オレを押しのけた。
オレのリアクションを待たずに、彼らは章に詰め寄る。
「元気してた? 寂しかったよ~」
……悪寒がする。胸を騒ぎ立てる感覚には覚えがあった。
一昨日、茉梨が登校してきた日と似ている。
教室内の空気が張り詰めて、不気味な静寂が訪れるのだ。
「ね、またアレやってよ」「闇の炎に、とか」「なんの呼吸使えんだっけ?」
彼らの詰問だけが、室内で響く。
「や、やめろよ~! 昔の話だろ?」
と、章が強ばらせた顔のまま無理矢理笑っていた。
聞くだけで、心を蝕むほどに弱々しい声。
「いいじゃん! お前だって楽しんでたっしょ?」
「はやくやれよ、ちょっとやるだけだろ。あんま拒否んなよ、うぜー」
「はい、やーれーやれやれやれ~!」
浮ついた声が連続する。いつの間にか、教室内の誰かの声も混じっている。
章は、わずかに腰を浮かした。
引き結んだ唇が『やめてくれ』と、精一杯の矜持で泣き出しそうな言葉を塞いだのを見た。その姿が、昔のあの人と重なる。
決定的だった。
「あんたら帰れ。人を貶めることでしか笑えないなら、相当寒いぞ」
「はあ?」と、彼らはオレを試すように見る。
ちょっと我慢できない。
無意識に、語気が荒くなる。
「ノリが違うんだ。そっちが楽しくても、こちらは大変冷めつく。感性を疑う」
「なんて? ノってんの見えんの?」
「あと、イジメはいけないことだぞ」
告げると、胸がすいた。
スッキリした。章がオレを避けたのは、イジメにオレを巻き込まないため。
それから、茉梨がいるとイジメの効果が倍増するから、積極的に離れていた。そんで、茉梨とオレが接点を持ち始めてるのを察して、警告した。大筋はこんな感じかな。
どうしてイジメを受けているとか、茉梨との関連性とかは一旦保留。
章に関する疑問がほぼ解けて、大変気持ちが晴れやかです。
「なにこいつ、冷めるわ」
名も知らぬ男子が机の脚を蹴り、一団は教室を去っていった。
すれ違い際、睨み付けられるのと同時に「覚悟しとけよ」と呟かれ、オレは小便ちびりそうになる。ちびらなくてよかった。
「巻き込まれたね、どうにも」
「なにしてんだよ、バカが……何考えてんだ……!」
「オレ、あいつら、嫌い」
言って、荒く鼻を鳴らす。理屈じゃない、感情論だ。
席に戻ると、山田さんが何か言いたげにこちらを見ていた。
「絶対後悔するよ」と、山田さんはうれしそうに言う。「ブレイブだね、火堂君」
なんでうれしそうなんだ。
彼女は片目を
「勇者みたいじゃん。弱きを助けて」
思いがけない単語に不意をつかれて、心臓がドキリと跳ねる。
勇者。オレの抱えた運命。
特別意識してこなかったくせに、胸の底にこびりついていた。
「思わずアタシも火堂君の隣々々人になってしまいそうだ」
「距離離れるね、マス目二つ分くらい」
「さよならだね。グッバイスローライフ!」
「ええ……そんなテーマパークのキャストさんみたいな明るいトーンで言うこと?」
能天気な山田さんは、なははーと気の抜けた笑いと共にスマホゲームに没頭してしまった。会話が途切れた瞬間これだ。中々のマイペース。
最初の警戒に満ちた対応はどうしたんだ。これじゃ気まぐれな猫と変わらない。
しかしまあ、山田さんが間接的に警告を促してくれたのは伝わった。
オレはたぶん下手こいた。
和みかけた意識を引き締める。
敵を作ったのは確実だ。田舎でのイジメには覚えがあるけど、都会式となると結構変わるかもしれない。……人間ってどうして集団になると誰か虐めたがるんだろ。
穏便に事態の収束に従事しよう……
午後の授業は、すべて部活動説明会に回された。
時折、ヒソヒソとした声が聞こえてくる。
居心地の悪い時間は継続中。顔見知りのいない空間は、心理的によろしくない。
知り合いがいないなら作ればいいのだ、とクラスメイトに果敢に話しかけるも「あ~悪い用事が」「ちょっとごめんよ、兄ちゃん」などと、惨敗に終わった。
露骨に避けられている。
章はといえば、空き時間は机に突っ伏すかトイレに向かうかの二択。決して誰ともコンタクトを取ろうとしない。
どうしたものか。ぼんやりと考えるも、名案は浮かばない。
頬杖ついてぼーっと部活動説明会を眺める。
「つぎはサッカー部の紹介で~す!」
ゆるい声で五島先生がユニフォーム姿の男子たちを招き入れる。
数人の、よく日焼けした肌の先輩方があらわれた。
「サッカー部です! オレたちで目指そうぜ、甲子園!」
「それ野球部!」と、キャプテンらしき少年にツッコむ先輩。
陽気な笑い声が教室中に広がる。
……いいな、サッカー部。このまま友達が出来なかったらボールを友達にするかぁ。
楽しそうと思うことは時々あれど、全体を通してピンとくる部活はなかった。
勧誘方法は様々だった。
運動系は情熱とパフォーマンス。
文化系は自主制作のチラシを黒板に貼り付けていった。
「最後に、生徒会執行部のみなさんです!」
「失礼します」と、聞き慣れた声。
がく、と顔を支えていた腕が崩れる。
せ、生徒会!?
「生徒会執行部所属、生徒会長の碧木凪です。みなさんとは入学式以来ですね」
凜々しい声が教室に澄み渡る。
すう、と少女が一礼した。
淡く、微笑んだ。
その一連の仕草だけで、教室中の心を掴んでしまった。
「すっごい、綺麗」「ほんと顔ちっちゃい」
「やべえ、タイプ」「彼氏いんのかな」
黄色い歓声と野太い声が入り交じる。
浮き足だった雰囲気を制するのは、ただ一声。
「お静かに」声の渦を掻き分け一閃。
生徒会長の声は、凪いだ湖面のように静かだった。
ややあって、静寂が落ちる。脅威的なまでの求心力だ。正直かなり怖い。
「私の挨拶をもって、レクリエーションは終了です。所属したい部活動は決まりましたか? 焦らずじっくり検討しましょうね。生徒会は、あなた方の有意義な学生生活を支援します」
ぷるぷると震えるオレを補足し、彼女は笑みを深めた。
「もしも、生徒会への所属を希望される方は、部活動との兼任もできますので」
「ひぇ……」
「俺立候補しま~す」と、さっきオレが話しかけた佐藤くんが恐ろしく素早い挙手。オレじゃなきゃ見逃しちゃう。いいぞその意気だ! とオレのなかの全米が喝采。
「残念ながら、既に枠は埋まっています。来年度を期待してください」
冷たくあしらい、凪ちゃんは教室をあとにする。
最後に、オレを一瞥した……気がした。気のせいです。
視線を水平に流して、交錯した視線を逸らした。
「生徒会でした~!」
ひとり拍手を上げる五島先生。
先生の言葉で、一瞬殺伐とした空気が穏やかになる。
知らず緊張していた。溜息をついて弛緩する。
「火堂君はなに系男子? 運動系? 文化系?」
「ニュートラル系かなぁ」
「わお、おもしれー男……」
「へへ、照れる……照れすぎて、照り焼きチキンになる」
山田さんとの会話は頭を使わなくて良いから楽ちんだ。
部活かぁ。なににしよう。どこかしらに所属しなきゃいけないだろうけど。
部活……茉梨が作ろうとしてたっけ。
『魔術研究会』。活動内容および部員数が不適切という、至極真っ当な理由で凪ちゃんに「却下デース」された設立以前の部活。
論外デース。
吟味する猶予は一週間ほど。
体験入部もあるし、ゆっくり決めよう。
さて、ホームルームだ。欠伸を噛み殺しながら、正面を向く。
「これよりは、我らが時……」
日野茉梨があらわれた。不遜な表情である。
あいついっつも突然あらわれるなぁ。
五島先生が手際よくつまみ出している。
「離しなさい、無礼な」じたばたもがく哀れな小動物。
しかし、よかった。無事だったんだな。
姿を確認できて安心した。
一夜にして急速に成長していた罪悪感が、かすかに消える。
拠り所が壊れてショックを受けているだろうに、茉梨は変わらずの傾奇っぷりだ。
「何度も重役出勤して! 今日ばかりは只じゃおきませんよ!」
「はーなーせー」
相棒ぉお! と悲鳴をのこしてフェードアウト。
かと思えば、五島先生の蛇がごとき拘束を抜け出してカムバック。
扉のレールをステッキで塞ぎ、茉梨は籠城の姿勢を取る。
機敏な動きで背後の扉に回り、同様の処置。
「魔術結界〝スクエア〟」
「めっちゃ物理でしたけど」
苦言をスルーし、茉梨はオレに近づいてくる。
同時に、胸に黒い不安が忍び寄ってくる。なにかしでかす気だな。
「あなたは――勇者、なのね」
「えっ」と、確信をもって放たれた指摘に耳を疑った。
つられて、俯きがちだった顔を上げる。
紅蓮の双眸が、オレを睨むように見つめていた。
ただならぬ気迫に息を引き切る。
「わたしは騎士に出逢い――真実を悟った。すなわち、わたしとあなたはは不倶戴天であると」
「ちょ、ちょっと待てよ。そっちの土俵で語りすぎだ。何を言いたいかさっぱりだ!」
頭を掠めたのは〝運命瞳〟とやらで見た光景。
勇者と魔王。オレと茉梨は、対照的な関係に在る。
でも、茉梨は魔法を使えないはずだ。
オレの運命を悟っているわけがない。
「って、騎士?」
昨日見かけた女性が脳裏に蘇った。
『クラス:女子高生』の文字が浮かんでいた、炎のような女性。
長い
茉梨は、鋭さを帯びた瞳でオレを見据えた。
「ええ、騎士……あなたとの運命をたしかに見破ったの。でも安心して、わたしは――」
「いい加減にしろよ」
固い声で遮ったのは、章だった。
「まだ続ける気かよ、そんなママゴト」
「あなたは……」と、茉梨が重たい眼差しを章に流す。
次いで、小首をかしげる。
「どなた……?」
「……いや、忘れてるならいい」
忘れてるっていうか、おそらく茉梨の性格的に認識すらしていない可能性も……
「知らないのか?」と気になったので問う。すごい勢いで首を振られた。知らないらしい。
章がなんだかとても不憫だ。
不服そうに、章が告げる。
「……〝
「ああ〝闇魔〟か」
心に落ちるものがあったのか、茉梨は頷く。
だーくねす? とオレは疑問符を浮かべる。
疑問に答えるように、茉梨が補足してくれる。
「第五級の魔法使い見習い未満。平たく言えば雑魚」
とんでもない罵倒だった。
旧知であるのは判明したけど、穏便な仲ではなさそう。
「ちょっと日野さん?」
五島先生、帰還。ステッキだけの籠城は意味をなさなかった。
そして、先生は凪ちゃんを連れてきていた。
オレは、教室が戦場になるのを察する。
茉梨も分が悪いと察知したのか、離脱を試みる。
「生徒会長からは逃げられない!」と、隣の山田さんが声を上げていた。
茉梨は身を躍らせ、ローブを翻して机の上を駆ける。パルクールめいた挙動で、瞬く間に窓際から飛び出ていた。
黒猫を彷彿とさせる機敏さだ。
「待って、日野さん!」「茉梨!?」
最後に一瞬、彼女はしゅぴっと腕を交差させた。
「逃げたな」
「やつは、とんでもない物を盗んでいきました」
深刻そうな顔で山田さんが言う。
「あなたの心です」
「……いや、ないない」
そんなこんなで、放課後を迎えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます