「君さえよければ、今後とも茉梨と仲良くしてやってくれ」

「そんな、オレでよければ」

「実を言うとね、茉梨が誰かを連れてくるのは初めてなんだ。君みたいな誠実な子だとはね、なかなかどうして、僕も歳を取るものだよ」

「はぁ……」


『喫茶日野』をあとにして、ふたり並んで歩く。

 夕暮れだ。てっきり今日はお開きかと思ったが、茉梨は「もう少しだけ探索しましょう」と提案してきた。これを渋々了承したのだった。(コーヒーとケーキご馳走になったし)

 足が向かう先は駅とは真逆の方向。

 発展した都心部とは打って変わって、段々建物の平均の標高が低くなっていく。

 茉梨はなにも喋らない。


「ねえ、どこに向かってるの?」

「……幻想と夢の狭間」

「どこだ、地名かなにか?」


 尋ねると、また黙り込んでしまった。

 夕陽の赤みが差した頬は、拗ねたように膨らんでいる。

 ……わからない。なにが気に障ったんだ。尋ね方かな。


「茉梨は、どうして魔法使いになったんだ?」

「愚問」と、茉梨は閉ざしていた口を開く。


 茉梨のローブが風を受けて揺れた。


「酸素が無ければ呼吸ができないのと同じ。魔力が無ければ魔法使いは死んでしまう。現実はひどく息苦しい」


 少女は、喘ぐように口にした。

 茶化す気にもなれず、オレは頭を掻いた。


「つまり、いまは酸欠ってこと?」

「ええ、そうね。死活問題なの」


 茉梨は困ったように笑う。


「あなたは『まほうつかい と くろいくに』を読んだことある?」

「あの絵本か、当然だよ。いまの世代ならみんな読んでるはずだよ」


 魔法使いと妖精を描いた傑作の絵本だ。

 ちょうど小学生になる前。

 凪ちゃんと一緒に読んだ思い出の作品。

 魔法が発動したのは、その絵本を図書館で茉梨が朗読していたときだったか。


「あれはね、実話を描いたものなの」

「いきなり何を言い出すんだ」


 怪訝けげんに目を細めた。

 実話? 絵本だぞ。

 頭でも打ちあそばれましたか。

 茉梨は坂を駆け上がり、オレを振り返った。

 彼女の重たく下がった前髪の奥、深紅の光が灯っている。


「わたしのおばあさまが書いた本だから」

「そうだったんだ……でも実話じゃないでしょ」

「いいえ、実話」


 繰り返し、今度は強い口調で唱えた。

 その鬼気迫る表情に、オレは言葉を呑み込む。


「おばあさまは本当の魔法使いだった」


 オレは返答を迷う。

 ハッキリと否定できないのは、自分自身が経験してしまったから。

 オレが見た幻は、真に迫る現実感に満ちていた。


「魔法は、現実にあるの?」

「ある、あるのよ……! ……おそらく」


 なさそう。最後になんか付け加えただろ。

 オレはげんなりとした。

 しかし……あの絵本の作者が、茉莉のおばあさんなのか。

 大まかな内容は覚えている。


『まほうつかい と くろいくに』


 ひとりの魔法使いが迫害を受けて、妖精と出会い、やがて……魔王となって国を襲う物語。

 人々を救うはずだった魔法使いなのに。

 魔王は人々を苦しめて、勇者に倒される。

 従来の英雄譚でなく、邪悪な魔王に焦点フォーカスを合わせた作品。

 現実での話ならともかく、舞台は中世風なファンタジーだ。

 とても実話に結びつく物語じゃない……童話やお伽噺の部類だろ。


「脚色こそあれ、実話に基づく話」

「ほんとに~?」


 うさん臭い。絶対に嘘だ。

 茉梨の目が険しくなる。


「わたしの祖母は偉大なる魔法学の祖よ。ひよっこのあなたが侮辱するだなんて――! あなたは我らが学問に唾をかけた。これが意味するところ、わかっていて?」

「……どうなるの、オレ」

「死よ」


 ……そうDeathか。

 相変わらずの飛躍した理屈だ。まあ、けなす意図はなかったにしろ、身内をバカにされて良い顔が出来るはずもない。素直に敗北を認めよう。おまえがナンバーワンだ。


「悪かったって、そんなねないでよ」


 茉梨に足が追いつき、再び並んで歩き始めた。

 しかつめらしい表情だ。しかめっ面とも言う。

 出来の悪い弟子を嘆くように、彼女は口を開く。


「童話やお伽噺の多くは、教訓や信仰を孕んだ学問よ」

「教訓……てなると、イソップ童話の嘘をついたら鼻が伸びる、みたいなやつ?」

「然り。その土地を由来とする風習を、物語の上で人々に伝えているの」

「なるほどぉ。風習なら覚えがあるな。ウチ付近だと結構残ってる感じする。朝のクモは殺してはいけない、夜ならばサーチアンドデストロイだ」

「ええ。その風習は『クモは天気がいい朝にしか巣を張らない』という、縁起の良さを由来とするものね。晴れを告げる生き物だったから、殺さないでおきましょう、って」


 なお、諸説ありである。

 茉梨は声を弾ませ、楽しげに語る。


「童話は風習を比喩するもの。おばあさまは、妖精の歴史を伝えたの」

「……そんなメッセージ性あったっけか」

「妖精は実在する。でも、文明に退去させられた――人類の灯した篝火かがりびが、夜空から星を亡くしたように、ね」


 胸で粘つく疑念は、未だに晴れない。

 茉梨の言葉に嘘はない。真実を告げる潔白な声音だ。

 立て続けに起こる不思議な現象。

 信じられない、ってのが正直な気持ち。


「……けれど」


 それでも、と思わされてしまった。

 魔法はあるんじゃないか? 

 疑念の方向性が、否定から肯定に転換していくのを、薄らと感じ始めていた。


「ここよ、幻想と夢の狭間。忘れ去られた妖精の大地」


 沈思していたせいで、周囲が見えていなかった。

 茉梨が鷹揚に腕を広げる。

 唐突に、街の中に森が現れた。

 オレは辺りを見渡し、茫然と立ち尽くした。

 四季折々の植物が、夕陽を受けてみずみずしい赤色に燃えていた。

 風にも、麗らかな自然の香りがある。


「こ、ここが……!?」


 取り乱すオレ。微笑む茉梨。


「ええ、ご覧……雄大な神秘よ」

「……そこの石碑に縁公園って書いてあるけど」

「真実から目を背けないで」

「いたいいたいたい頬をつねるな」


 ひどい言論弾圧を見た。

 ヒリヒリとする頬を押さえた。くそ、思いっきりつねったな。

 公園……もとい、幻想と夢の狭間を眺める。

 実家付近の森は見飽きたが、趣向を考えて配置された木々は、普段見る自然とは違った根付き方をしているようだ。心が安らぐ。


「おばあさまは、幼いわたしを此処に連れてきてくれた」


 黒縫いのケープが、茉梨の動きではねのように揺れる。

 くるくると踊るように。

 目深にかぶった帽子の下で、雪細工かと紛う白い肌が夕焼けに溶ける。

 少女の微笑みは、胸を熱くさせた。


「妖精があなたを護る。妖精があなたを導く。あなたに祝福がありますように」


 魔女が言祝ことほぐ一文。

『まほうつかい と くろいくに』の文節だ。

「この先よ。あなたなら、きっと妖精が見えるよね?」


 見えるわけない、理性が囁く。

 見せてあげたい、胸の奥から声が響いた。

 火の明かりに誘われる蛾のように、オレは茉梨の後ろを歩く。

 と、茉梨が足を止めた。


「うそ……」


 静かな絶叫だった。

 憔悴した背中、荒く吐かれる息。

 茉梨の小柄な体では、オレの視界は塞げない。

 その先を見て、言葉を失った。

 地面深くまで抉る爆発痕。

 周囲の木は吹き飛び、見る影もない。

 自然豊かな景色の中で『Keep out!』と黄と黒の警戒色で構成されたテープが、惨状を取り囲んでいた。


「なんだ、これ」


 息が止まりそうになった。

 なにがあったんだ? 火事か?

 でも、火事でこんな破壊になるなんて聞いたことがないし……


「どうして?」


 涙のない、冷えついた慟哭が茉梨からこぼれていた。

 思い出の景色が破壊されて、崩れ落ちそうなほどに縮こまっている。

 オレは唇を引き結び、鼻から息を吹いた。

 自分の中にある言葉を、必死に手繰り寄せる。


「茉梨、離れよう。なにか事件があったのかもしれない。残念だけど」

「やめて、話しかけないで」


 拒絶された。彼女の顔を見て、知らないフリをして逃げ出したくなった。

 明確に言葉にされて、茉梨との距離に愕然とする。

 思い上がっていた。彼女の理解者になれた気分だったんだ。

 思い返せば、なにひとつ知らないんだ。

 チュウニ病も、章や凪ちゃんとの関係も。


「待てよ、いい加減にしろよ……!」


 茉梨は立ち入り禁止のテープをくぐり、破壊の中心に立つ。


「危ないぞ、入るなって!」

「きっと、魔法を扱う協会が隠蔽に破壊したのね……」


 言いながら小さくうなずく。

 なんでそんなめちゃくちゃな結論になるんだ。


「魔法なワケないだろうが! いいから離れろよ、危ないってんだろ!」


 思わず怒鳴っていた。

 こんな状況、普通じゃない。なにが起きるか分からないんだ。

 魔女の装いで繕った茉梨は、肩越しに振り返った。そして、ひどく幼い表情になる。

 寂寞せきばくの色に満ちた瞳。

 視線を受け止められず、オレは顔を背けた。

 呻くように呟いた。


「魔法なんてありえないだろ」

「……知ってるよ、ばか」


 沈黙が訪れた。

 ……やっぱり、知ってるじゃないか。

 唇を噛んで、困惑のままに叫んだ。


「なら、なんだって子どもみたいなことばっか言うんだよ!」


 理解できない。

 高校生にもなって、絵本の世界を信じ続ける精神……どうかしてる。

 肩で呼吸する。こんなに感情的になったのも久しぶりだ。

 湿った地面の臭いが空気に混じる。


「そうじゃないと、生きていけないの」


 警戒色の内側で、彼女は取り残されたみたいに佇む。

 なにか言おうと口を開こうとしたとき、遮るように彼女は声を上げていた。


「今日は付き合ってくれてありがとう」


 決別が短剣となって、胸を貫いた。

 

 

 知る必要がある。

 帰りの電車で、真新しいスマホを操作した。

 グルグルとした検索サイトに『チュウニ病』とたたき込み、電子の海に潜る。

 情報を探る度、顔をしかめる。


『中二病』

 少年少女が、思春期に発症する精神病――ではない、らしい。

 医学的な観点から検証すれば、まったく存在しない病。

 インターネットで生まれた俗語で、思春期特有の『自分は特別』などという、自意識過剰な思考、あるいはコンプレックスが形成した趣味趣向……


『特別だと勘違いしていた恥ずかしい時期』。英語では《That awkward age.》……

 概要を把握して、オレは的外れな馬鹿馬鹿しさに頭を抱えた。

 めっちゃくちゃ複雑な気持ちだ。

 深刻な病だと結論を急いでいた。

 一般的な思春期の機微じゃないか。なにも問題ない。

 なんだってあんな真面目な顔で章は語れたんだ? バカぁ?

 でも茉梨のは、中二病とは違う雰囲気がある。上手く言えないけど。

 それと……オレの魔法は、病、なんだろうか。該当する項目はない。


「ともかく杞憂、でいいのかな……」


 あれこれとスマホを弄っている間に終着駅だ。

 山と海の街。それから田んぼ。やたらと坂が多く、何処へ行くのも一苦労。

 愛しき故郷は、もう夜のとばりを下ろしていた。

 今日は幸い、晩飯の用意がある。


「ただいま、親父」


 帰宅したままの足で、居間の奥にある仏壇の前で手を合わせた。


「ただいま、母さん」


 よし、さっさと晩飯を食べよう。


「帰ったか、ケイ」と、背後にくたびれた姿の親父がいた。

「うん、ごめん遅くなって……スマホの契約してきた」


 そうか、と短く答えて、親父は冷蔵庫からビールを取り出した。

 あとを追い、サランラップで包んだ晩飯を運ぶ。


「これ、碧木さんからのお裾分け。昨日渡してくれたんだ」

「そうか……凪ちゃんは元気にしてたか?」

「逞しく育ってたよ」


 極限に人間力が上がってた、苦笑交じりに答えた。

 いただきます。それきり、無言に箸を進める。

 居間のテレビが、夜九時頃のニュース番組を映し出した。

 ハキハキとした丁寧な発音で、女性キャスターがニュースを読み上げる。


『昨日未明、名古屋市公園にて爆発が発生したと、近隣住民の110番通報で判明しました』


 口にした肉じゃがを噴き出しそうになった。

 辛うじて嚥下し、テレビを凝視する。

 アレは、どうして作られた惨劇なのか。犯人は、方法は。


『爆発の原因は不明で、現在警察が捜査中です。緑公園にお立ち寄りの方は、現場付近には十分な警戒を――』


 結局なにも分からなかった。

 軽い落胆の気持ちで肩の力が抜けた。


「……現場と高校、近いな」と、低い声で親父が呟く。

「あぁ、うん。びっくりだ」

「友達はできたか?」

「なんとかふたり。凪ちゃんだっているし、心配いらない」


 もっとも、章と茉梨とは絶賛仲違い中だけど。

 それっきり、ぎこちない探り合いの会話は終わる。

 ニュースの淡泊な声だけが、居間に響いていた。

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