最後の鐘が終業を告げた。小さく溜息を漏らす。

 終業五分前辺りから、また日野が乱入するんじゃないかとヒヤヒヤしていたのだ。

 日野は学校に来ず、平和な一日を過ごせた。

 ……学校に来ないのは来ないで問題だけど。


「明日は部活動の説明会がありますからね~! みなさん、どの部活に入るか、じっくり検討しましょう!」

「部活……」


 そういえば、日野も部活を作ろうとしていた。 

『魔術研究会』とかいう、とんちきな部活。

 ……入るやついるのかな?

 取り立てて所属したい部活のない身分だ、じっくり考えよう。

 駅に着いた。

 西の空は淡いオレンジ色で、高層ビル群には春の水っぽい大気が反射している。直に夕暮れを迎える駅周辺は、多種多様な人の群れが川のように流れていた。

 去り際「駅で待ち合わせましょう」と、約束を取り付けられたのだけど……

 雑踏の中から、日野を見つけられるだろうか……

 いくら特徴的な外見とはいえ、この人混みだと埋もれてしまう。


「ちゃんと具体的な集合場所決めとくんだった……」

「後ろよ」

「やだ、オレの背後ガラ空きすぎ……!?」


 日野茉梨。影のように現れていた。

 あまりにも気配がない。下忍くらいの隠密スキルはありそう。

 彼女の異装も相まって、女幽霊が現れたみたいだ。

 じっとりと嫌な汗が肌に張りつく。心臓が変な音を鳴らしていた。


「そのストーキング体質どうにかならない? とっても心臓に悪い」

「善処しましょう」


 あ、絶対またやるなコイツ。


「しかし、この人混みの中でよく見つけられたね」

「魔力を辿ったの」

「へ~」


 嘘つけ。大方、学校を出る辺りから後を付けていたのだろう。


「じゃあ行こう。スマホを契約しに」

「契約……素敵な響きをする言葉よね」

「謎な感性だね」


 嘆息と共に歩き出した。


 苦節三〇分。

 現代の文明に手を染めるつもりか。貴様も俗物に成り下がるつもりか。などの、日野の厳しい意見を諫め続けて、とうとうスマホを手に入れた。ヤジが酷すぎる。

 ほんとなんで付いてきたんだよオマエ。

 店員さんのお辞儀に見送られながら、携帯ショップをあとにする。


「よし、これでオレの予定は終わりだ」

「ええ、頃合いね……場所を移しましょう」


 キョロキョロと周囲を見渡し、日野は落ち着かない様子でそう切り出した。

 急にしおらしくなった。どうしたんだろう。


「なにあれ、コスプレ?」「人形みたいでかわいい~」「魔女っ子だよ」


 女子高生が、クスクスと笑いながらすれ違った。

 なるほど。衆目に晒されては、さしもの日野であれ居心地の悪さはあるのか。

 絶妙にわからない習性だなぁ、と溜息をつく。


「わかった。なら喫茶店にでも寄ろうか」

「サ店に行くぜ!」

「テンションの振れ幅すごいね」


 日野の先導で通りを進んでいく。

 道中、彼女の異装はひどく目立った。

 奇異な視線を向けられる度、オレは肩を狭くさせる。


「……その帽子、外せないか? どうにも歩きづらくて仕方ない」

「嫌」

「……そりゃまたどうして」

「魔力を扱う者としての最低限の身嗜みだし、なにより――わたしが好きなの」


 不遜な表情である。

 だよね……オレの言葉で動くほど、日野は簡単じゃない。


「あなたの〝運命瞳フォルトゥーナ〟は発動してる?」

「え……ああ、魔法ね。まったく影もないよ。やっぱ錯覚じゃないかな」

「いいえ。誇りなさい、火堂ケイ――あなたは、真性の魔法使い。魔力が満つるとき、必ず魔法は発現する。時計の針が位置を同じくする瞬間、鐘の音を響かせるように」

「……ええと、条件がそろってないってこと?」

「然り」と、厳かに頷く。


 日野の厄介な点は、いかに荒唐無稽な話であっても説得力を持たせる才能(カリスマ)だ。彼女の声音は、万人には無視できない響きを持つ。


「〝運命瞳〟は魂のあざなを術者に告げる――謂わば究明の瞳。第三観測世界における、その魂が持つ天性の才能を見抜く。つまり、異世界での役割ね」

「もっと簡単に話してくれ……」


 む、と日野の眉間にシワが寄る。


「そうね、不祥の弟子のためだ、道すがら魔法の使い方を教えましょうか」

「……お手柔らかに」

「あなたは魔眼の担い手。絡繰りシステムは単純。『目視すること』が術の発動と同義。眼鏡やコンタクトをするのと同じ要領ね。魔力というフィルターにより、視力を補正する」


 辛うじて理解できた。

『魔法』という名前を冠した眼鏡をかけるイメージか。

 眼鏡により、本来は弱い視力を強くする。

 魔法により、本来は無い機能を付ける。

 真偽はともかくして、経験したことあるから、いまの解説は呑め込めた。

 早速実践ね、と魔女が声を弾ませる。


「魔力の痕跡は追える? 運命は見える?」

「何も見えません」

「なら、ほかに異常は感じ取れる? 世界の綻びとか、結界とか、そのへんのヤツ」

「色んなお店が充実していて、大変素晴らしい街並みだなぁと存じます」

「しっかりなさい。初歩の段階で挫けていては、いま以上の魔法を修得できないわ」

「面目次第もございません」


 赤点をいただいたところで、日野が足を止めた。

 やや駅から離れた郊外。住宅街の中に、時代錯誤な建物があった。

 喫茶店だ。中世の欧州文化を彷彿とさせる、落ち着いた外装。


「へ~、日野も結構いい趣味してるな。なんて店だ、ろ……」

『喫茶日野』えっ。

「いま戻ったわ」

「へ?」と、看板に面食らうオレをそっちのけで、日野は手慣れた様子で入店――


 凄まじく嫌な予感。

 戻ったって、まさかおまえ……!


「おや、いらっしゃい。茉梨の友人かい?」


 店に入ると、白い髭を上品にたくわえた老紳士が、微笑で迎え入れた。

 なんと答えたらいいか分からず、オレはしばし固まった。


「……学友っていうか、クラスメイトっていうか」

「おお。それはそれは。よく来てくれたね。茉梨について行ってくれ、珈琲をごちそうしよう。ミルクは?」

「たっぷり甘めで……じゃなくて、日野……いや、あなたは茉梨さんの」


 老紳士は苦笑する。

 オレの予感を裏付ける微笑みだった。


「ああ、祖父だよ。成寿なりひさだ。じっくり話をしたいところだが、こんな老いぼれと話していては君も枯れてしまう。早く茉梨の下に行ってあげなさい。怒らせたら、手が付けられないぞ?」


 それはマズい。一礼して、足を急がせる。

 店内の一番奥のテーブル席。

 涼しげな顔をした日野が「遅かったじゃない」と声をかけてきた。

 ふかふかのソファに座り、正面の日野を睨んだ。


「先に自分とこの店って言ってくれよ。緊張したでしょうが」

「愚かね。魔法使いが他人の領域に迂闊に踏み入ると思って?」


 昨日、日野が窓から登校した記憶と繋がる。

 なるほど、そういうあほな事情があったんだ。げんなりする。


「はい、珈琲。ホットでよかったね?」

「…………」

「あ、どうもです」


 会釈と共に、コーヒーふたつを迎える。

 アルバイトは雇っていないのか、店長こと日野のおじいさんが直々に運んでくれた。 


「それでは、あとはお若いふたりで」

「…………」

「いただきます」


 あ、美味しい。

 ミルクと砂糖で調整されてるけど、甘すぎるワケでなく、程よい苦みを残した味わいだ。コーヒーの上質な香りが抜けていき、口内に気持ちのいい余韻を生む。

 カップを置きつつ、感嘆の声を漏らす。


「すごいな、日野のおじいさん。ああいう歳の重ね方をしたいもんだね」

「ええ、そうね……」

「どうしたんだ、歯切れ悪い」


 アレか。身内がいるから恥ずかしいのか。外行きでの自分を見られたくないのか。だったら何でこの喫茶店を選んだんだよ。


「その、下の名前で呼びなさい」

「下の? 別に日野でいいじゃないか」

「駄目。誤解を招くもの」


 誤解って……下の名前で呼ぶ方が招きまくるでしょ。

 そりゃ、いまは日野の家族いるし紛らわしいけれど。


「師のわたしが許可する。本来ならば、真名とは神聖不可侵のあざな。これを承諾するのはつまり、あなたとわたしとの関係……ではなく、魔力的な繋がりをより強固にする意味を持つ。魔力が充填することで、あなただって魔法を自在に扱えるようになり、更なる発展が望める」

「あまり、早口で喋るなよ――わからなくなるだろ」


 負けじとかっこつけたが、オシャレポイントが低かった気がする。

 いまいち聞き取れなかったけど、只ならぬ熱意は伝わった。


「ならオレも名前で呼んでくれよ。名字でいいから」

「ええ、ケイ」


 一瞬、それが自分の名前だと分からなくなるくらいに、清涼な発音だった。

 くそ、先手を打たれた。

 なんのためらいもなく、日野は言いのけた。

 ……それもそうか。

 相手は魔女だ。オレと同じような青い感情なんて持ち合わせていないのだ。


「ほら、あなたの番よ」


 言って、彼女は気恥ずかしげに顔を逸らした。

 朱色に染まった頬と、夕焼けに染まりつつある店内の色彩が目に焼き付く。

 幾百年もの時を過ごした絵画を彷彿とさせる神秘的な光景。

 鮮烈な光景が、胸の深層を抉って。


 どうして、と胸を打つ声があった。


 視界のピントがズレる。

 魔力が眼球を巡っていく。

 眺める景色に情報の羅列が差し込まれた。

『クラス:■■』『クラス:女子高生』――


「えっ、女子高生?」

「……なに、意地でも呼ばないつもり?」


 拗ねたような表情で食い入られた。

 目に見えた単語を呟いたせいで、勘違いされてしまった。


「ちがうちがう。魔法が出たんだけど、変な文字が見えて」

「魔法?」と、魔女の目の色が変わる。「なにが見えるっ?」


 つんのめって、オレの瞳を覗き込んできた。

 彼女の奥に『女子高生』の正体がある。

 オレは妙な熱気に囚われた。立ち上がり、窓を窺う。

 これまで非現実的な運命しか見えなかったのに、どうしてだろう。

 情報の先をたぐる。

 細身の人影。

 その運命の下には、鮮烈な紅の髪があった。

 腰にまで伸びた長髪は炎のように揺らめき、外套コートは影のような漆黒。

 幻想から出でた女騎士。

 そんな、現実に在りえるはずもない印象が頭から飛び出てきた。


「ちょっと、どこを見てるの……わぁ、すごい美人さんだ」


 切なく細い息で、魔女から嘆美の声が漏れていた。


「ビックリだ。茉梨でも素直な感想って言えたんだな」

「ちょっと、失礼ね――」


 茉梨の文句が止まる。

 ぱくぱくと、水面で空気を求めて喘ぐ魚のように、口を開閉させている。


「あ、なた……名前で」

「やめて、なんか死にたくなるからあまり気に留めないで……!」


 かなり勇気使ったんだからな! スルーしてほしい!

 自然な流れで悟られずに、って注意を払ったのに。

 うわあああ! なんかこう、布団にくるまって叫びたい気分だ。そんで部屋の照明のヒモにシャドーボクシングかましたい。

 胸に湧いた羞恥と達成感がい交ぜになって混沌としている。

 発散しなければ爆発してしまいそうだ。


「ともかく、これでいいね」

「ええ、うん。よくってよ?」

「なんだその口調」


 いま、流れる空気がたまらなく暖かくて。

 オレは苦笑を浮かべた。悪くない、居心地のいい時間だ。

 魔女だの魔法使いだの、彼女を敬遠する理由は枚挙に暇がないけれど。

 白状すると、茉梨を好きになりかけてた。

 感情表現が不器用で、魔女の姿で己を演出するアホさ加減。

 過去に何かをしたのか、どうして魔法に憧れているのか。

 そんな疑問なんて些細なものに思えた。

 ……途端に、視界に異変が訪れる。

『クラス:魔王』

 日野茉梨の頭上に現れた運命が、オレと彼女との相容れぬ因縁を突きつけてきた。


「は……?」


 茉梨の運命を隠していた闇が剥がれて、不吉な単語が現出した。


「どうしたの? 急に目を押さえて……まさか、世界の綻びを見つけたっ?」


 運命の二文字が、笑顔で揺れる彼女に付き従い、滑稽なオレたちを嘲笑う。

 急速に意識が冷却される。

 血の気が引くのを感じた。


「なんでもない……」


 こんなの、幻だ。

 己に言い聞かせて、かぶりを振る。

 視界を掠める異変。

 目を疑う。

 窓に張り付く、小柄な人形。

 背には二対のはね


『見・つ・け・タ! マオウだ!』


 つんざくような声が耳朶を打ち、頭を貫かれたのかと錯覚する。

 甲高い声を上げ、その異形はふわりと身を躍らせた。

 浮遊、というより飛行。

 優雅でいて、軽やかな軌跡を描き、それは踵を返した。

 気が遠くなる。

 なんだ、今の。


「ちょっと、まだ外に気を囚われているの? ――解呪っ!」

「いてぇっ!」頭をステッキで叩かれた!


 瞼の裏がチカチカと明滅。

 腰を上げ、茉梨をとがめる。


「なにすんだ!」

「正気を取り戻したわね」

「元から正常だ!」

「そう? 余計なお世話だった?」


 茉梨はついと細い顎を持ち上げ、見つめてくる。

 う、と口ごもる。

 殴られたおかげで、幻覚は綺麗さっぱり消えていた。

 あながち余計だったとは言えない。手段は間違えてるけど。


「それで、なにを見たの? 妖精?」


 彼女の大きな瞳が輝いていた。

 オレは狼狽うろたえる。たしかに、さっきの影は妖精みたいだった。

 手の平サイズの小人。宙を自在に駆ける翅。

 童話や伝説に登場する架空の生物。

 オレが見た幻は、まさしく妖精そのもの。

 だけど、オレは首を振った。


「なにも……ながっだ……!!」

「そう、残念」


 手がかりを得られず口惜しいのか、茉梨の声の調子は暗かった。

 魔法を認めるわけにはいかない。

 認めてしまえば、オレが生きてきた常識というか、もっと言えば世界が崩れしてしまいそうで……ひどく恐ろしかった。


「茉梨は、魔法が使えるとしたらどうしたいんだ?」

「使えたら?」


 茉梨は視線を宙にさ迷わせ、考え込む。

 ……不安から逃れようと吐いた質問に、茉梨は真剣に向き合って。


「世界を滅ぼす」

「は――?」


 なんて、とんでもない結論に至った。


「ど、どうしてさ」

「……この世界は息苦しいの、とにかく」


 絞り出すように言って、茉梨はコーヒーを飲み干す。

 一気に飲んだせいでせていた。

 えっ、そういう息苦しさ? 閉塞感が嫌だとかではなく?


「えほっ、えほっ、にがぃ……!」

「間抜けすぎでしょ」


 テーブルのナプキンを差し出し、溜息を吐いた。

 毒気抜かれた。魔王だの世界を滅ぼすだの、そんな大層な肩書きや目的は、茉梨には不釣り合いだ。

 茉梨は唇に宛がったナプキンに咳き込み、まなじりに涙を浮かべた。


「見栄を張ってブラックを頼むからだ」

「……おじいさまは黙ってて」


 いつの間にか傍に居た老紳士が、微苦笑と共にショートケーキを運んでくれた。


「すまないね、うちの茉梨が手荒いマネをした。コブになってないかな?」

「平気です。それよりも、これは……」

「お礼にと用意したんだけど、お詫びに替わっちゃったね」

「そんな、恐縮です」


 ご厚意が胸に染み渡る。

 なんて繊細な気遣いができる御仁だ……!

 茉梨はほんとにこの方の血縁なのか? 礼節を学んでいただきたい。

 ジト目で見たら、テーブルの下から蹴られた。

 そういうとこだぞ!

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