二章 日野茉梨

 眠気が、登校までの足取りを重くさせていた。

 日野が妙に気がかりで、昨夜は眠れなかった。


「悪いことしたなぁ」


 溜息交じりで呟いた。

 胸の奥に刺さった魚の小骨のような微痛が、罪悪感となってオレを一晩中むしばんだのだ。いくら日野に振り回されて腹が立ったからって、強く当たりすぎたと猛省。

 次に顔を合わせたら謝ろう。


「…………」


 昨日とは打って変わって、駅の構内は通勤や通学する人々でごった返していた。

 すげ、ウチの近くじゃ祭りでもこんなに集まらないぞ。

 駅に着き、改札を抜ける。

……と。

 視界の端を、見覚えのある人影が掠めた。

 とんがり帽子と小柄な制服姿。

 日野茉莉ひの まりである。柱の影にてなにやら潜伏中。


「なにしてんだ、アイツ」


 あ、目が合った。すぐさま視線を逸らされた。

 昨日の件もあり、日野も顔を合わせ辛いのか。

 ……わずかに、ためらう。どう接しよう。

 ええい、悩んでも考えは浮かばないし、正攻法でいこう。

 すなわち当たって砕けろ戦法である。相手は死ぬ。


「おはよう、日野」


 近づいて、声を掛けながら右手を上げた。

 肩をねさせる日野。

 くるりと身を躍らせ、オレと向き直る。


「ご機嫌よう、我が弟子」

「師弟関係まだ続いてたの」


 溜息が漏れてしまう。

 あれだけ拒絶されて、まだりてないのか。呆れた辛抱強さだ。

 ……なんてのは思い違いだ。日野は気丈に構えてこそいるが、瞳が濡れている。

 強く見られたいのか、弱みを見せたくないのか。


「昨日はごめん、強く言い過ぎた」

「構わない。あなたの有用性を鑑みれば些細なこと」

「……なんだよ、人を物みたいに扱って」


 文句を声にして呟く。


「あ、いいえ、いいえ、違うの……!」


 慌てて手を振る日野。

 魔女と呼ぶには程遠い少女らしい所作に、思わず笑みがこぼれた。

 素の愛らしい彼女があるから、オレは日野を嫌いになれない。


「ウソウソ、気にしてない。ともかく、そういうことだから」


 じゃ、と軽く手を振って離れた。

 背中を掴まれた。くそ、逃げられないか。


「……まだなにか?」


 しゅぴっ。無言で構えられた。


「放課後に会おうってやつ? でも、今日の放課後スマホ契約しに行くから付き合えないぞ」

「同行するわ」


 ええっ。しばし返答をしぶる。

 ……まあ、問題ないか。ちょっと店に寄るだけだし。


「いいけど……面白いもの無いぞ」

「妖精探索をする、あなたの瞳が必要不可欠なの」


 強い意志をたたえた瞳に見つめられた。

 溶岩のように煮え立つ紅蓮の双眸そうぼう

 はたと思い出す。オレの目に起こった異変のこと。ひょっとして、魔法とは章の話していた〝チュウニ病〟も関連しているのだろうか?

 一応、その点も聞き出したいところだ……


「……了解だ、ただし授業は受けなよ」

「譲歩しましょう」

 

 絶対に授業受けるつもりないな、この子。見え透いた嘘だ。

 

 教室に着いた。案の定、日野は登校しなかった。

 人混みに紛れて、いつの間にか姿を消していたのだ。

 なんで無駄にそんなスキルが高いんだよ。


「おはよ、章」

「……おう」と、章は気だるげに応じ、そのまま机に顔を突っ伏した。


 自分の席に座り、わずかに息を吐く。

 ……見られている。教室に入ってから席に至るまで、一挙一動をクラスメイトに観察されている感覚がする。被害妄想だろうか。

 勘違いなら構わないけど、どうにも落ち着かない。

 破裂寸前の風船を眺めているようで、ハラハラする。


「ちょっといいか?」と、ぎこちない笑みを張り付けて、章が話しかけてきた。

「昨日の件?」

「ああ。あの時は俺もどうかしてた、だから……」


 だから? 続きを待とうにも、二の句が口の奥に消えた。

 章は唇を噛み、


「いや、なんでもない。オマエも気をつけろよ、虐められたくないだろ?」


 忠告を残して、章は席に戻っていく。

 ……嫌な含みがある言葉だ。

 日野は、おまえに何をしたんだ?

 胸裡きょうりに泥のような粘着質な不安が絡みつく。


「……どうしてそんなこと言うんだ」


 くそ。ハッキリとモノが言えないのかよ。

 分からないことが多すぎる。

 こういうときは人に訊こう。思考の転換。コペルニクスさん的なあれだ。


「山田さん、聞きたいことがあるんだけど」

「え、アタシ?」


 隣の席の山田さんが、ぎくりと面食らった。

 眼鏡越しの瞳が困惑に揺れている。


「章……じゃなくて、林崎って、中学はどんな感じだったんだ?」

「え、ぅ……」と、彼女は細い顎に指を添えて、「アタシは他校だから知らないよ」


 そうか……

 山田さんは、困ったように顔を伏せる。


「でも、多少は噂は聞いてる」

「本当?」身を乗り出した。


 山田さんは、細く頼りない声で耳元に囁いてくる。


「中二病で、かなり暴れてたって……自分を魔法使いだって言いふらして」

「魔法使い……?」


 なにかの隠語か?

 と、単語が記憶の淵に引っかかっていた会話を引き上げる。

 日野は、初めて会ったときに『魔法使いになりたい?』と問いかけてきた。

 チュウニ病と魔法使い、このふたつが事態の核心にあると見て間違いないだろう。


「なるほど、要するにヤンチャしてたんだな」

「まあ、平たく言えばそうかな」

「ありがとう、ついでに聞きたいんだけど、チュウニ病って?」

「ぅ、知らない? ネットを見れば何処にでも載ってるような情報だよ」


 インターネット、か。


「ごめん、スマホ持ってなくって」

「ウソ、どうやって生きてきたの」

「そこまで言うか」


 山田さんは原始人を見るような目だ。

 田舎だとテレビと新聞だけで事足りていたけど、現代を生きる上では必需品となるのか。


「か、火堂君もスマホは持っておくべきだよ。連絡とれなくて不便だろうし」

「だね、山田さんの言う通りだ」


 気の利いた返しも思い浮かばず、淡泊な返事で会話が終わる。

 ホームルームまでの間、沈思する。

 チュウニ病か。

 そこまで有名な病とは、勉強不足が浮き彫りになった。

 しかし、山田さんのおかげで糸口が掴めた。

 スマホを手に入れ次第、チュウニ病について調べる。これで事態は粗方解明できるはず。

 胸が軽くなった。

 ふと、章はオレが病について知るのを嫌がるだろうか、と思う。

 精神的な病であるとは、なんとなく察しがついている。

 となれば、否応なしにデリケートな問題になるのだろうけど……


「……知らないままで、おまえと友達になる資格があるとは思えないしな」


 教室内のざわめきに消えるくらい、小さな声でつぶやいた。

 

 昼休みの余暇で、図書館に来た。

 市内随一の進学校を謳うだけあり、蔵書の数がとんでもない。読み尽くすには年単位の歳月を要するだろう。

 医学関連の本棚をぐるりと回るが、めぼしい書籍は見当たらない。

 と、懐かしい本を見つけた。

 優しく繊細せんさいなタッチで描かれた表紙の絵画。

 郷愁で、つい頬が綻ぶのを自覚する。


「好きなの、絵本?」

「ああ、昔読んでて――」


 誰だぁ!? 鈴と鳴る声の正体は背後から。

 こんな声のかけ方をするのは、オレが知る中ではただひとりだけ――!


「日野茉梨……!」

「ご名答、今朝方ぶりね、弟子よ」


 とんがり帽子に魔女のローブ。

 なぜか装いを改めた姿で、オレの背後にいた。


「わかっちゃいたけど、授業受けなかったね」

「ええ、不合理だもの」


 フワァ、と髪をなびかせて優雅に答える。

 相変わらず、態度ばかりは立派だ。


「勉強しないなら、なんだってここに入学したのさ」

「土地間の利便性ね」

「……家が近かったからか、贅沢だな。怠惰ですらある」

「そういうあなたは勤勉ね。せっかくだし、なにか訊いてみたいことはなくって?」

「……日野から納得できる答えは貰えないと思う」

「失礼ね、散々説明したのに」

「あんなの、何も言ってないのと同じだろ」


 断ち切るように吐き捨てて、本を棚に戻す。


「それで、好きなの?」

「は、なにがだ」


 投げかけられた質問に戸惑う。


「『まほうつかい と くろいくに』、名作よね」

「ああ、絵本の話ね」


 気がなく応えた。

 丁寧な所作で、日野は手にした絵本をめくる。

 手に取り、めくる。そのひとつひとつに行われる慇懃な態度が、彼女の絵本に対する思いを感じさせた。


「『ある王国にひとりの魔法使いがいました。魔法使いは国を救い、讃えられました』」


 滔々とうとうと、淀みない声で語る。

 敬虔な信者が祈るような、何者にも侵し難い神聖な声音――


「『しかし、魔法使いはしだいに国に疎まれ、ついには追放されてしまいます』」


 彼女の声に宿る息吹が、オレの瞳に熱を送り込む。


「『追放された先で、魔法使いは妖精と出会います』」


 彼女が絵本に落としていた紅蓮の瞳が、幽かに持ち上がる。

 瞳が合った瞬間、オレの視界は狂った。

 ぐにゃりと、一瞬だけ目に見えるすべてが歪んだ。


「うわ、またか――」


 慌ててその場で丸くなる。

 急な行動に不審げに言葉を止め、日野が腰を下ろす。

 すると、瞬く間に熱が冷めていった。

 た、助かった……! この感覚、電車酔いに似て気持ちが悪くなる。

 あまり味わいたくない。


「突然どうしたの? 具合が悪い?」


 心配はいらない。いま抱えている悩みの種に比べれば些細なもの。

 恨みを込めて立ち上がる。


「日野、おまえは何なんだ」

「〝希代の魔女ディザスター〟退去された幻想を、再び復権する魔法使い」


 そういう額面を聞きたいんじゃない。

 日野は、いままでに無い体験を、あり得ない感覚をオレに突きつける。

 頭は熱を持って混乱し、その度に意識が酩酊で眩む。

 まさか、この錯覚こそが〝チュウニ病〟とでも言うのか……!?


「断っておくけど、オレは魔法使いなんかになるつもりはないからね」

「いいえ、あなたは魔法使いになる運命。運命を変えたいと望むのならば、魔法使いになるしか方法はない」

「…………」


 意味がわからなかった。

 どんな会話も、日野のペースに嵌められてしまう。

 いずれにしても、彼女は架空の作り話を語っているだけにすぎない。

 頭から信じるわけにはいかない。聞き流すくらいがちょうど良い。


「現実を見ろよ、日野が言う魔法や妖精なんてのは何処にもない」


 オレは事実を諭す。


「ありえないんだろ、勉強してればいくらでも分かるはずだ。現実とフィクションの違いくらい、日野だって区別できるだろ?」

「いいえ、違うの」


 また、あの目だ。

 豪雨を彷彿とさせる深い寂寥せきりょうの色。

 瞬きの後に、彼女は決意を湛えた瞳で見つめてくる。


「あなたがいた。正真正銘の魔法。おばあちゃんみたいな、本物の魔法使い――」


 彼女はやや上目遣いに覗き込んでくる。

 こちらまでも安心してしまいそうなほどに、安らかな表情に胸が震えた。


「あなたがいるから、嘘じゃなくなる」


 知らず、後ずさりしていた。

 日野は、眩しいくらいに純粋だ。それこそ、お伽噺とぎばなしを盲信してしまうほどに。

 直視できずに、視線を逸らした。


「嘘じゃなくなるって……いや、ないない。どっちかっていうと、オレは現実主義だし」

「いいの? わたしの知識なら、あなたの異変も解明できるのに」


 解明する必要なんかない。ただの錯覚。

 第一、日野が関わらなければ済む話だ。


「火堂ケイ、あなたは一度、魔法使いになりたいと願った」

「いつの話だ。子どもの頃を引き合いに出すなよ」


 知らず、語気が荒くなった。

 彼女の『何もかもお見通し』って態度が、ひどく癪に障る。

 駄目だ。日野の雰囲気に話が呑まれてる。

 話題を変えよう。


「そういえば、碧木さんとはどんな関係だったんだ?」


 凪ちゃんとは幼馴染みだけど、長らく疎遠だったから知らない事が多い。

 昨日、彼女の家にお邪魔したが、日野に関することは聞けなかった。


「〝隷属者デーモン〟との因縁は中世にまで遡るわ」

「ええっ、急に風呂敷を広げすぎだ。もっと最近の出来事に絞ってくれ」

「仕方ない、我が儘な弟子だ」


 鷹揚に肩をすくめて、彼女はやれやれと首を振る。

 おまえが言うな……!

 腹立つが、ぐっと苛立ちを堪える。ひとまずは彼女の言い分を聞こう。


「彼女は司法の犬よ」

「大きく出たな」

「規律に支配された存在……ゆえに、隷属れいぞくした者」

「ああ、ごめん。日野の認識っていうか、主観はいいかな。事実だけ教えてくれ」


 あとはこっちで判断するから。

 日野は先入観っていうか、世界観が独特すぎて話が掴めない。


「彼女はわたしを縛り付けようとした――」

「……悲壮な感じで言ってるけど、あのひとは真っ当に指導しただけでしょ」


 簡単に想像できる。

 授業をボイコットする日野をいさめる凪ちゃん。

 この上なく腑に落ちた。なら、これ以上は聞く必要はないか。


「ありがとう。そろそろ教室に戻るよ」

「待ちなさい、話は終わっていないわ」

「まだなにか? 放課後にでも聞くよ」


 廊下に向けていた足を止め、日野に振り返る。


「……本当に?」

「もちろん」頷き、不安で見つめてくる日野に視線を返す。


 それで安心したのか、日野は溜息をついた。


「あと、昨日みたいに突然来るのはやめてくれ。駅で待ち合わせよう」

「了解、まかせて……そうね、密会のときに、話しましょう」


 彼女は、宝箱の中身を見せるような、そんな笑みで。


「また、放課後」と、腕を静かに交差させた。

「ああ、放課後ね」


 短く告げ、足早に歩き始める。

 急激に喉が渇いていた。無意識のうちに緊張していたらしい。


「……また放課後」


 背中で感じる視線が、いつまでも絡みついて離れなかった。

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