第53話 母親の居ない夜

「いってらっしゃい、気を付けて」


 ルードルフを抱いたまま兄夫婦を見送る。

 今夜は新年に向けてのカウントダウンパーティーが王宮で開かれる為、夫婦揃って出掛けるのだ。


 俺は可愛い甥のルードルフとお留守番、子守も使用人達も居るから二人きりではないけど、帰省している者も多くいつもより人は少ない。


「ルディは良い子だから叔父さんとお留守番できるよね~」


 顔を覗き込むと手を伸ばして俺の口に指を突っ込んでくる、唇でハムハムと食べる真似をして遊ぶ、そんな俺達の姿を兄夫婦は目を細めて微笑む。

 使用人達も微笑ましく眺めている。


「はは、クラウスに任せるなら安心だな」


「本当に、私よりもあやすのが上手でしてよ?」


「今夜は一緒の部屋で寝るので安心して出掛けて下さい」


 ルードルフの指から唇を離し、請け負った。


「ああ、頼んだ。 では行ってくる」


「「「「いってらっしゃいませ」」」」


 屋敷の皆に見送られてエミーリア義姉様をエスコートして伯爵家の家紋の入った馬車に乗り込んで出掛けて行った。

 カウントダウンの夜会なので出掛ける時間も遅く、ルードルフはもう寝る時間になっていた。


「もう九時だから寝かせてあげないとね、ルディのベッドは俺の部屋に運んである?」


 家令に問うと俺のベッドに並べて置いてあるらしい。

 夜中の授乳用母乳も冷凍してもらっている、この日の為に水魔法の液体操作を特訓したのだ。


 火魔法で体温まで温めてから液体操作で飲ませる、完璧な作戦だ。

 出掛ける直前に授乳してもらったのでしばらくは保つだろう。


「じゃあお部屋に行こうね」


 ルードルフに話しかけながら俺の部屋へ向かう、方向転換した途端に事件は起きた。


 ゴバァ


 そんな擬音で表すような乳吐きにより、俺とルードルフは乳まみれになり、その場は一瞬静寂に包まれた。


「仕方ない、一緒にもう一度お風呂に入るよ。 すまないが浴槽の準備をしてくれる?」


 家令にそう言うと、控えていた執事にテキパキと指示を出した。

 執事の一人は水魔法が使えるので、すぐに浴室の準備が整えられた。


「五分したら俺達の着替え持ってルディを迎えに来て」


 子守がルードルフを受け取ろうとしたがミルク塗れなのでそのまま俺が抱っこして連れて行く事にした。

 俺が風呂に入れると言うと皆が凄く心配そうな顔をしていたが、大丈夫だからと何とか宥めて一緒に入る事にした。


 脱衣所で胡座をかいた上にルードルフを乗せ、上のパジャマを脱いでからルードルフを脱がせ、そのまま片手で抱っこした状態で下のパジャマと下着を脱ぎ捨てる。


 お湯の温度を確認して抱っこしたまま優しく洗う、一度お風呂に入っているから汚れた部分だけでいいだろうと自分もミルクが掛かった部分だけを洗い、一緒に湯船に浸かる。

 気持ち良さそうにお湯に浸かる姿は何度見ても可愛い。

 もう少しで首が座りそうだが、縦に抱いていると突っ張って身体を起こそうとしているが途中で力尽きた様に倒れ込む。


 たまにコレで頭突きを喰らうが結構痛い。

 なのにルードルフが泣かないから不思議だ。


 幸せそうな顔でお湯に浸かっているルードルフを見ていたらすぐに脱衣所のドアがノックされてお迎えが来た。


「ルディ、お迎えが来たからお風呂から出るよ。 すまないが中まで受け取りに来てくれる?」


 抱っこしたまま腰にタオルを巻くのは難しいので、下半身が浴槽で隠れるように中で受け渡しを頼んだ。

 俺が入ってるから執事が来るかと思ったのに子守が来たからびっくりしたけど…。


 乳母は母乳が出ないといけないから若い人が多いけど、子守は子育てがひと段落した祖母より若い程度の年代なので遠慮がない。


 ある意味安心安全な人なのでちょっとくらい裸を見られても笑ってやり過ごせる人選だ。


 バスタオルに包まれ、今にも寝そうな安心した顔で運ばれて行った。

 俺も少しだけ肩まで浸かって温まってからすぐに出た。


 二人でホカホカになって寝室に移動し、湯冷ましを飲ませて子守にも休んでもらった。

 きっと使用人達だけでカウントダウンもするのだろう。


 お子様二人組は就寝の為にベッドへ直行。


 夜中に兄夫婦が帰って来た気配がしたが、ルードルフがぐっすり眠っていたのでそのまま眠った。

 本当に可愛くてたまらない、カール兄様が俺を溺愛してくれる気持ちが理解できてしまう。


 外がほんのり明るくなる頃にルードルフがぐずり始めた、眠い目を擦りながら抱き上げるとオムツが濡れている。

 清浄魔法で綺麗にしてもまだグズっているので母乳が冷凍してある厨房へと向かうと揺れが心地良いのか泣き止んだ。


 母乳の入った器を取り出し、火魔法で人肌より少し熱めに温める。

 この寒さだとすぐに冷めてしまうだろうし、子供の体温は高めなのでそれ位が丁度良い。

 一緒にストールに包まってると、とても温かくて幸せな気持ちになる。


 魔力操作の為に立ち止まるとすぐにグズり出してしまったので温度を確認して母乳を飲ませてあげる、いつもと違う感触なせいか飲み辛そうではあったが空腹に負けたのか大人しく飲んでくれた。


 部屋へ戻る時に肩にハンカチを置き、縦抱っこをして背中を下から上へとさすりゲップを促す。

 当時女子高生だったけど子守はプロ級だったなぁと思い出していると、ケプッと可愛いゲップの音と共にタラリとミルクが少量口の端から流れ出る。


 この為の肩のハンカチだ、軽く拭き取って口元も綺麗にした。

 俺の子守に隙はない、薄闇の中でニヤリと笑って自室に戻り、もう少しだけルードルフと微睡んだ。


 翌朝、朝食の時に兄夫婦に子守の礼を言われた。


「俺が居る時なら一緒に寝ますから、いつでも言って下さいね」


 昨夜は本当に幸せだった、もう少し大きくなったら同じベッドで寝る事も可能だろう。

 ふと見るとアドルフ兄様がお腹をさすっている。


「どうかされたんですか?」


「いや…、ちょっとお腹の調子が…な」


 その時気付いてしまった、とある可能性に。

 昨夜は一度も授乳をしてないエミーリア義姉様、普通なら胸が張って痛くなる時間が経っている。

 そして昨夜は夫婦二人きりで、きっとパーティーでお酒も入っただろう。


「お腹を壊すといえば…、母乳って大人が飲むと栄養価が高過ぎてお腹を壊すらしいですよ、好奇心に負けない様に気を付けて下さいね」


 にっこり笑って注意を促す。

 給仕する為に食堂に居た使用人達が一斉に俯いたのは気のせいだろうか。

 家令は堪えきれずに肩を震わせている、もしかしたら自分も経験済みなのかもしれない。


 朝食後にはルードルフがお腹を空かせて泣き出した。

 泣き声に反応して胸が張るのだろう、食事が終わってすぐだったがエミーリア義姉様がいそいそと食堂から出て行った。

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