第37話 美女の香り

 保養所の食堂は休息する為の施設なだけあって夜にお酒が飲める様になっていた為、俺達年少組は早々に大浴場へ向かった。


 アルバン訓練官から中には酒癖が悪い人も居るから、そういう人が泥酔する前に部屋に鍵を掛けて休む様にと言われている。


 三階まで駆け上がり第三寮用の大浴場に向かう。

 お酒を飲みつつ食事をする人も多い為、まだ誰も大浴場には居なかった。 


 今日の午後の行動の報告をし合った時に町の食堂の手伝いをしたと言ったら女の子を助けた事より驚かれた。

 まぁ、普通の貴族なら絶対やらないというか出来ないだろうから当たり前か。


 誰も入って来なかったのでゆったりと三人で入浴して部屋に戻る事にした。


「アルバン訓練官が部屋に戻るまで一人か~、二人の部屋に遊びに行ってたら怒られるかな?」


「もしも部屋に戻る時に酔っ払いに絡まれたら大変だからな、やめといた方がいいだろう」


「そうだね、クラウスも大変だし、何より酔っ払いに絡まれたと知ったカール様が激怒しそう」


「仕方ない、早めに寝るかな…」


 二人にも反対されたので一人部屋で大人しくする事に決めた。


 二階から一階への階段に差し掛かった時に三階辺りから声が聞こえた。


「おい、凄く良い匂いがするぞ!」


「本当だ! どこかの令嬢でも来てるのか!?」


「こんな良い香りを纏ってるのは絶対美人だろうな~!」


「下に行けば面会に来てたら見れるかもしれないぞ」


 どうやらこっちに向かって来ている様だ。


「おい、コレお前の匂いの事だと思うぞ」


 アルフレートが急かす様に俺の腕を掴んで階段を降りる。


「間違いなくクラウスだよね、早く部屋に入って鍵を掛けておきなよ」


 ヒソヒソと話しながらライナーも焦っている。


 俺達の部屋の前辺りに見覚えのある人が居た、カール兄様とヨハン先輩だ。

 何だかヨハン先輩が萎縮してる様に見える、川での事情聴取でも受けてたりして。


「良かった、カール様がいる。 クラウス、部屋に一緒に入ってもらうか、弟だとアピールしてもらえ。 他の騎士達への牽制になるから」


 急ぎ足でカール兄様の元へ向かう。

 子供特有の軽い足音に気付いたのか振り向き、慌てているのに気付いたのか寄ってきた。


「どうした? そんなに何を慌ててるんだ?」


 抱き上げ様としたのか軽く腕を広げて俺の脇の下に手を入れようとする動作をしたので、カール兄様の両袖を掴んでそれを阻止した。


「カール様、クラウスが使っているお風呂用品の香りで女性がいると騒いでこっちに向かってる人達がいるんです」


「だからちょっと怖くて早く部屋に入ってしまおうと思って急いで戻ってきたんです」


 アルフレートが説明してくれたので補足した。


「あー…、そういや第三寮でも最初騒ついたもんな。クラウスが使ってるってわかったら皆納得してたけど」


 カール兄様の後ろからヨハン先輩が言う。

 なぜ納得なんだ!?

 前に言われた厳つい人物が使って無かったから許せるってやつなのか!?


「ならば女性は居ないと分からせる為にもここで俺と居ればいい。 ここに来ている奴らなら大抵俺の事は知っているだろうし、俺の弟だと分かっていれば余計な手出しもするまい」


 ニヤリと不適に笑う。


「アルとライナーは先に部屋に戻ってていいぞ、クラウスは俺が一緒にいるから安心しろ」


「「はい、おやすみなさい」」


 そう言って二人は部屋に入って行き、カチリと鍵を掛ける音がした。

 直後に先程の声の主達が降りてきてこちらへ向かって歩いて来る。

 あと少しですれ違う時にカール兄様が口を開いた。


「この香りはブリジットと同じ物か、お前に自分と同じ香りの物を送ったと言っていたが、改めて見ると髪の色を除けば良く似ているな」


 わざと見せつける様に俺の髪の匂いを嗅ぐ。

 降りてきた集団は通り過ぎる時にさりげなく、しかし確実に俺の香りを深呼吸するみたいに嗅ぎ取って行き、通り過ぎてからヒソヒソと話してこちらを見た。


 一人とぱちりと目が合い、サッと逸らされた。


「クラウスが良い匂いの使ってるのはそういう事だったんですね、一時はクラウスの心は女性疑惑が出たんですよ。 女性的な香りがするし、料理は上手いし、優しいし、可愛いし」


 ヨハン先輩が指折り数えて疑惑の要因を挙げていく、カール兄様がヨハン先輩をギラリと睨む。

 すると慌てて手を振って否定する。


「俺が言った訳じゃ無いですよ!? それにヨシュアって見習いが完全否定してましたから。 あんな全てをさらけ出した男らしい風呂の入り方するやつは見た事ないから絶対違うって」


 一瞬カール兄様の顔が目を点にして固まり、ゆっくりとこちらを向く。


「まさかクラウス…入り方をしたのか? 腰にタオル巻いてると言ったのは嘘だったのか?」


 目が笑ってない笑顔で顔を近づけ問い詰められる、なんてこったい。

 まさかヨハン先輩から江戸っ子スタイルで入浴した事がバレるなんて考えてもいなかったよ!

 ていうか、ヨシュア先輩何て事言い触らしてくれてるんだよ!!


「い、一回だけですよ? 初めて大浴場に行った時に家と同じ感覚で入って行ったらヨシュア先輩に笑われたので次からちゃんとタオル巻いて入ってます!」


 仕方ないので正直に白状した。

 するとカール兄様は凄い肺活量だなと思ってしまうくらい深い、深いため息を吐いた。


「こんな事ならやはり目の届く近衛騎士団に入れるべきだったか…」


「ダメですよ? 違う視点からの情報をアドルフ兄様に届けるという目的もありますが、俺が第一寮にいたら要らぬ諍いが起こりそうですから。 カール兄様はご自分が思っているより憧れている方達が居る様なので」


 ビューロー侯爵令息の事を臭わせ、寮でのカール兄様の軽率な行動を嗜める。

 騎士科での騒ぎはきっとカール兄様の耳にも入っていると思って言ったのだが、どうやら狙いは当たった様だ。

 グッと言葉に詰まった様子を見てヨハン先輩がフォローを入れる。


「カール様、ご安心下さい。 クラウスは素直で可愛いから皆にも好かれてますし、同室のサミュエルも信頼できる良き保護者と評判です。 俺…私もふざけ合うくらいには仲が良いので妙な輩が近付かない様に目を光らせておきますから」


「わかった…、それではく・れ・ぐ・れ・も頼むぞ!」


 ガシッとヨハン先輩の肩を掴んで念を押し、こちらに振り返る。


「そろそろ酒を飲む為に降りて来る奴らが増える時間だ、部屋に入って鍵を掛けておくんだぞ。 おやすみ」


 言って俺の頭にキスを一つ落とす。

 身を屈めて待っているので、俺も頬にキスを返してから部屋のドアを開ける。


「おやすみなさい、カール兄様。 ヨハン先輩」


「おやすみ」


 ドアを閉めるまで二人が見守っているのでドアを閉めて鍵を掛けた、アルバン訓練官も鍵を持ってるから眠ってしまっても大丈夫だろう。 

 鍵を閉めるとドアの外の気配が左右に分かれて離れて行った。



 夜中にカチリと鍵を開けた音で意識がぼんやりと浮上した、人の気配と共に酒精を含んだ呼気が近づく。


「普段も良い匂いだけど、風呂上がりだと一層良い匂いだなぁ。 嫁にも使わせてやりたいから今度店の名前教えてくれよ~」


 頭の辺りで鼻から大きく息を吸い込む音が何度もした、俺じゃなくて嫁に使わせてから好きなだけ匂いを嗅いでくれ。

 そんな事を考えた気もするが、昼間歩き回ったせいか意識はすぐに闇に飲み込まれた。

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