一章 記憶

 文字通りの死。


 身体を焦がす燃えるような熱さを腹に感じた。そののち、右脚にその熱さを上回る灼熱の業火が巡った。


 ああ、切られたのか。崩れゆく身体に力が入らない。途切れゆく思考の中で、生へと手を伸ばす。


 零れるような思考の後、意識が混濁する。薪が燃やされ灰になり、やがて風に飛んで何処かへ消えていくように。


 生命の灯火は消えた。



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 そのはずだった。


 だが、目を覚ませば、身体に痛みは嘘のように消えていた。


 むしろ、痛み一つ感じない。


 脚の痛みもなく、頬を焼くような熱気も感じない。


 強いて言うなら、妙な阻害感を感じるのだ。動かしたくても動かせないような、自分の身体が自分のものでないかのような、妙な感覚だ。


 言葉も話せない。声帯で音を震わせることが出来ないのだ。


 …ここまで、言葉を濁すのには訳がある。


 現実逃避である。


 そう、赤子になっていた。赤子である。


 意識が乗り移ってしまったのか、記憶を残して輪廻転生してしまったのか、わからない。

 意識が覚醒してから驚きと、思う様に動かない身体、眠気と気だるさが抜けない日々が続いた。


 ただ、赤子としての記憶は微睡まどろみと共に流れ、気付いた時にはよわい五つとなっていた。


 私が新たに生を受けたのは崋山派が勢力を伸ばす領域内であった。


 今世の父親が近場の槍を主体とする小門派※1の門人と旧友だった縁で、槍を握ることになった。


 年を重ねる内に、過去の自分が死して、すぐに赤子として生を受けたことがわかった。


 十の頃、師父を殺した王正華が崋山の五長老の一人になったのだ。その祝いで領民に酒が振る舞われた。


 私は、僕は理解した。


 いつもいつも幼い頃から師が頭の中で囁いていた。


 『全て燃やせ、生きろ』、と。


 私はかつて物心つく頃から住み、師父に武功を学んだ屋敷を燃やした。だが、生き伸びることはできなかった。


 あの優しい師父から命令口調で発せられた言葉は後にも先にもこれらの言葉のみだった。


 常に冷静であった師父の最後に見たあの表情を死んでも忘れられない。


 脳裏に焼き付いた濛濛とした記憶が頭の中で蠢いている。


 僕は憤っていたその心の内を槍に込めた。


 丹田から湧き上がるこの底知れぬ感情の波は単なる怒りによるものか、それとも純粋な追悼によるものか、十二を数えた時には自覚していた。


 前世かつては、純粋な武術への興味と楽しさを理由わけに続けていた研鑽の日々は遠い過去の記憶である。今世では苦渋と辛酸に満ち、血の滲む努力には果てが無いように感じている。


 過去の研鑽を反芻していく中、手に取ったのは杖では無かったのは幸か、それとも、不幸か。


「秦!いつも言っておるだろう!槍の払いは此処ぞという時に使うのだ!」


 前世の棒術の癖か、つい思った時に突きと払いの型が出てしまう。自分でも直す気が無いためか、直らないのだ。それを快く思わないのか、今世で槍の師となった亭漢位ていかんいも秦を嫌っているようだった。


 それともう一人見知らぬ人が亭師父の横に立ち、何やら思案顔でこちらを見ていた。


「申し訳ありませぬ、とう殿。秦は不肖の弟子でして、筋や修練への取り組みは悪くないのですが、どうも自分の考えと身体が合わないようでして、早いうちから矯正しないと変な癖が着いてしまいますので」


「…いや、構わぬ。この秦だけかね?」


 兄弟子との仲があまり良くない為、兄弟子が道場を使わせてくれず、仕方なく、外の庭で一人練習していたのだ。


「いえいえ!道場内で我が優秀な弟子達が稽古しておりましょう!さぁ、此方へ!」


「ほう、そうなのか…ふむ」


 陶殿、と呼ばれていた肩幅の広い五十代程の男は此方を一瞥し、道場へ向かった。


 今世は、あの王正華の喉元を切り裂くために、己の刃を、牙をただひたすらに磨いていた。前世で学んだ技術を活かせば、大抵の者には負けないことだろう。だが、陶殿と呼ばれたその男の底が見えなかった。


(化境※2に達する前の超絶頂※3だろうか?かつての師父と同程度の実力を持っているだろう。どちらにしても今の自分では勝てないが、一手ご教授願いたいものだ。)


 そんなことを考えていたが、それはあり得ない話であったため、あまり気にしていなかった。


 ただ、その男とはそれだけで終わらなかった。


 自分の門派へ入門するよう奏に打診が来たのだ。


 次の日、門人である亭からそれを告げられ、荷物であるかのように返事さえ伝えることができず、連れていかれたのだ。


 そうして、あれよあれよといううちに小門※1の出から華山派の槍の達人の目に留まり、才能を買われたがために、華山派の一門である槍華門の内門弟子※4となった。


 私は死んですぐの世に転生を果たし、皮肉にも同名の秦として生を受け、十八年の歳月がたっていた。


 ――――



 春の日差しが差し込む庭にある種の郷愁を感じてしまう。


 この槍華門そうかもんは歴史ある槍の大門派であるため、あの庭とは異なるが何処か似ていた。


「秦よ、其方は時折、何処か遠くを見つめ、悲しい目をしているな」


 陶関岳とうかんがく。それが今の師の名である。槍の名手として名を馳せ、武林でも有数の達人である。人材発掘が趣味と言う。珍しい御仁であった。変人であり、槍に関しては右に出る者はおらず、人を導くことに長けた御仁であった。自分で教えることは珍しいらしく、特別目を掛けた者にのみ教えているようであった。しかし、いつの頃からか、私には自分で好きにやらせた方が伸びる事に気付いたようだ。師父は私に何かをやれとは言わなくなった。ただ、見られながら、何か違和感を感じれば、脚の動きが歪だ、とか、少し、腕を修正しなさいなど、助言してくれるのだ。


「この庭には何処か懐かしさを感じるのです」


「そうか、お主を十二の頃、最初に連れてきて、その後、この庭を見ながら話したのだったな」


「…はい」


「今日は伝える事があると言っていたのを覚えているか?」


「勿論です、師父」


 何か、重々しい空気で昨日のうちにこの庭に来るように伝えられていたのだ。


「そうか、それでは伝えるとしよう」


「我が門派だけで囲うのはその才が勿体無い。華山派の若く有望な人材が集まる梅華閣へ推薦しておいた」


「私を、ですか?」


―――――――

※1 中小門派: 大門派以外の門派のこと。大門派は大きな門派を指す。

※2 化境:武の極みに達したばかりの人をやめた何か。

※3 超絶頂:まだギリギリ人である人。

※4 内門弟子:門派の弟子や長老が連れて来た有望な弟子のこと。

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