序章 流転

「…早かったな、御三方」


 先程、庭にいた三人が、屋敷の方から少しだけ煤けた衣に身を包み、近付いてくる所であった。


 三つの影が大きく揺らめく。あの様子だと、炊事場だけでなく家中が火の海だろう。


「小癪な若造が…。木の棒を振ることしか脳が無い癖によう吠えるわ」


 張松山、と師父に呼ばれていた男の傍らに居たのは静かな雰囲気を纏った熟年の男だった。張松山と同様に剣を腰に差していた。


 張松山を含めこの三人とは面識が無い。何分、師父の門派に入ってこの方、外に出ても近くの村に食料や薪がたりなくなったときに出たぐらいだし、普段から商人がひと月ごとに持ってきてくれるのだ。


 そもそも、修行に明け暮れていたのだから仕方ないことだ。


 外に興味が無かった訳では無いが、別段関わりを持つ必要を感じなかったのだ。だが、このような状態になってしまえば話しは別である。


 我々の門派でないにも関わらず、許しもなく敷地に入りこみ、我が物顔で師父に難癖をつけ、毒を盛る奴らだ。


 とは言っても、実質の門派は師父と自分の二人だけである。


 師父は小姐を可愛がるあまり未だ書物を読むように言いつけているだけであったし、後は家の手伝いに来てくれる熟手の婆やぐらいだ。


「一体、貴方達は何故こんなことを?」


 何故、他門派の武功を、命を掠めとろうとするのか。


「は!語る事など無いわ!魔に魅入られた者に道理が通づるとは思っておらん!」


 うすうすわかっていたが、張松山というこの三人の中では一番若そうに見える男はどうやら言葉が通じぬらしい。


「魔に魅入られていようが無かろうが、貴方のような者が正派に居ることに驚きを隠せませぬ。他門派に言いがかりをつけ、毒を盛り、我が物顔で他の門派の土地を闊歩するとは余りに烏滸がましいとは思いませんか」


「黙らんか!この…!」


 スっと張松山の言動を遮るように手を挙げたのは先程の熟年の男であった。髭を蓄えているが、皺は少ないためか威厳を保ちつつ若さを感じさせる男だ。


「…埒が明かないであろう。小童、『金華清麟闘棍』と『聖骨死転義』の武功書は何処いずこだ?」


「そんな書物はこの屋敷にありはしませぬ。よもや、口訣※1だとは言うまいな。私は師父のため街へ医者を呼びに行かねばなりませぬ故」


「そんな言葉に応じると思ってか?ああ、あの王麟道も今頃は既に息絶えておろう」


 そう宣いながら髭を弄り、熟年の男はカカカッと嗤う。


「巫山戯た事を!師父はあれしきの事で死なぬわ」


「彼が飲んだのはあの毒龍が作った人工毒の一つ鳳仙火毒である。服用した後ゆっくりと身体が侵され、半刻ほどで弾けるような痛みと共に死に至る。百毒不信※2であろうとも助かるまいよ」


 なんてものを持ち出して来たのだ。それでは師父は…!


「なっ…なんと言う事を!そんなもの…助かる訳が!」


 三人とも何を当たり前の事をと言う様に不適な笑みを浮かぶのみ。


「安心せい。どうせ武功書の場所を吐かぬなら、すぐに師の元に送ってやるとも」


 そう言って、熟年の男が剣を引き抜く。それに追従するように張松山ともう一人が腰の剣を抜く。


 目の前の男が剣を引き抜いた瞬間にえも知れぬ威圧が襲う。


「くっ!」


 片手に持っていた杖を、両手で持ち、突きの構えをとる。構えていなければ、怯え動けなくなるような錯覚を覚える。


「ふむ、この人剣※4たる崔高順に対して臆すること無く立ち向かうとは良い心持ちである」


 人剣…。正派の達人の中でも有名な者の一人では無いか。


 青成三剣の口伝を受け継ぐ者の一人。まさか、こんな人物だったとは。


「何故、貴方程の人がこんな事を…!」


「それはお主の師が武林※の均衡を崩しかねぬからである。『聖骨死転義』とは幻の武功であり、流転の外法に他ならぬ。太平の世に出てはならぬのだ」


 人剣である崔高順の厳しい眼は自分が正しいと疑っていない。


「私はそんなもの聞いた事も見た事も無い!」


「ふむ、どうやら嘘は言っていない様だが、仕方無し。既に賽は投げられている。せめて苦しむ事無く送ろう」


 そう述べた瞬間、人剣の身体は目の前にあった。


「くっ…!」


 瞬歩か!


 振り下ろさせる銀閃に思わず、身をひねりながら、杖で受け流す。そうして受け流した勢いで払う。それに難無く対応され、距離を取られるが、払った杖をピタリと人剣の頭の位置で止め、踏み込みながら、突きを打つ。


「ほう…」


 人剣は片手で持っていた、剣を両手で持ち、斜めに傾けながら、杖を受け流し、そのまま切り結んでくる。


 想定はしていたため既に杖の突きを打った瞬間に踏み込んでいない方の足に重心を置き、一気に引いた杖をもう一度突き出す。


「ふむ、存外やるな」


 彼にとっては数合打ち合えば終わると思っていたのにも関わらず、対応されていることに驚きを隠せないのだろう。


 自分でも驚いている。人剣と言えば、引きこもりの自分でも知ってる程に有名な傑物だ。


 剣の腹で突きを対応されたが、距離をとる事が出来た。


 このまま、


「何を考えている。相手は私だけでは無いぞ?」


「なっ!」


 人剣の影から張松山ともう一人の男が左右から低姿勢を維持し、切り込んでくる。


「この…!!」


 右側から切り込んできた張松山の剣を思い切り、地面に刺した杖で受け止め、腕の筋力で勢いをつけて身体を中に浮かせる・・・・


 そして、その勢いのまま、もう一人の顔に向かって蹴りを放つ。


 予想外の対応だったのか、相手は反応が出来ず、何とか剣の腹で受け止め、後退する。そして、地面足をつけた同時に杖を引き抜きながらしゃがみ、張松山の剣をはね上げる。


 流石に張松山は剣を離さなかった。が、体勢を崩していた。


 追撃をしようとしたが、殺気がしたため、身体の上で杖を回転させ、体勢を整える。そうして、視線の正体である人剣を見つめ返す。


「王麟道がこんな弟子を隠し持っていたとは。もし二年後であったら危なかったであろう」


「何が言いたい」


「何としてでもこの時、この場所でお主を消す」


 今まで全力では無かったのだろう。これまで手加減をしていた訳では無かろうが、全身全霊を持って、倒そうとは考えていなかったのだと人剣の気の変化が物語っている。


 舐められている間にどうにか打開策を打ち出すべきであったが、そんなものあるなら遠の昔にやっている。


 ギリギリだったのだ。咄嗟に対応出来たのも、師父との常日頃の打ち合いのお陰であり、紙一重の攻防であった。


 どうにかして打開策を、と考える猶予は無く、三人が向かってくる。


 あのとても横暴な張松山ですら、格上であるのだろう。剣筋は目で追えず、頼りは反射的に対応するこの身体のみ。対応出来ない剣戟が出始め、傷は増えていく。長槍のように勢いよく踏み込んだ突きを繰り出す事は隙に繋がるため繰り出せず、大振りの薙刀のような払いも出来ず、ただただ、多くの剣戟に対応できるよう小回りの効くように受けに徹する。


 毒を盛られた師父の最後の言葉が脳裏をぎる。


 屋敷は火の海となっていた。後ろの納屋の外にも火が出てきていた。前後を炎に囲まれた状態での孤軍奮闘。逃げるような隙は無く、限界も近かった。


 そして、燃える屋敷から人影が現れた時、絶望した。


 王正華。


 奴が剣に紫色の気を放ちながら、ゆっくりと現れた。


「師父は…!!っ」


 言葉を発したが為に人剣から剣戟を貰う。


「既にこの世におらぬ」


 師父が死んだ。あの優しかった師父が死んだ。人と会話する事が好きであった。師父の奥方の忘れ形見である鳳華を見て、いつも優しく微笑んでいた。私を本当の息子のように育ててくれた。親を知らぬ、私の本当の父のようであった。


「王正華ああああああ!!」


 先程まで受け身で戦っていた三人を嘘のような怪力で押しのけ、わき目も降らず、怨敵へ走りながら怒号を上げる。


「不殺の誓い、破ろうとお前だけでも!」


「やはり我が亡き義弟の弟子だな。死に際の言葉も同じとは」


「私が死して尚、お前の不義は!師父の仇であるお前を、お前たちを忘れはしない!必ずや復讐してやる!」


 明確な殺意を持って、手に持った杖を王正華の首へと突き刺す。人生で初めて心に抱いた殺意であった。この男だけでも。そう願った、一殺の突きはこの生涯において、最高の突きであっただろう。齢25の自分がなんと言おうと結局は皮肉以外の何物でもないだろうが。


「そうか。師父共々、死後も地獄の炎に苛まれるがよい」


 そして、その言葉が耳元に届いたと刹那、紫煙の一閃が視界を覆いつくした。


 ―――――――

 ※1 口訣:口で伝える秘伝

 ※2 百毒不信:百種の毒が効かなくなる。その上位互換に千毒不信がある。

 ※3 武林:武術を身につけた者たちが所属する社会

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