嘘の代償④




「行ってらっしゃい。 気を付けてね」

「うん。 行ってきます」


真鈴は母親に挨拶をし、学校へ行くことにした。 準備も何もかも憶えている。 玄関の前に立っているのが“記憶にない”友達の美樹という、少女であるということ以外は。


―――大丈夫、怖くない。


両親の相手ですら不安なのだ。 それ以上に緊張するのは無理なかった。 恐る恐る玄関のドアに手をかけ、顔を覗かせる。

それに気付いたショートカットの少女が、満面の笑みを浮かべてみせた。


「あ! 真鈴、おっはよー!」

「お、おはよう、美樹」

「はは。 慣れるまで、ちゃん付けでもいいよ」

「・・・ありがとう」


美樹の態度はサッパリとしていて、真鈴としても好感が持てた。 まるで、自分が記憶を失っていないかのように振る舞ってくれている。 奇妙な感覚だが、感謝している自分がいた。


―――美樹とは、どのくらいの間仲よしでいるんだろう。

―――・・・いつから知り合っていたんだろう。


自分の記憶のことについては、まだ何も分かっていない。 というより、意図的に隠しているような気がした。 それにはもちろん、自分自身も含まれている。

ノートに書くことも、できたはずなのだから。


―――美樹のことは、ノートにたくさん書かれていた。

―――多分、その日新しく分かったことを書き足していたんだろう。

―――だから私も、ノートに書かれていないことが分かれば書き足さないといけない。


それは明日に繋げるためだ。 今の自分は、明日になれば消えてしまう。 美樹の記憶も忘れてしまい、最初から始まる。

それを考えると身体が震えそうになったが、今までそうしてきた自分がいると考え踏ん張った。


「あ、そうだ! ピアノ教室の友達が、真鈴のことを紹介してほしいっていうんだけどさ。 もちろん女子ね。 勝手に『無理』っていうことにしちゃったけど、よかったかな?」

「え? あ、うん」


よく分からないが、今の自分に新しい友達なんて無理だということは分かっている。 ただ、気にならないかと言われると嘘だった。


「その子引っ込み思案な子で、友達があんまりいないみたいなんだよね。 で、まぁ・・・。 真鈴と私が一緒にいるところを、見かけたらしくて」


当然、そんな記憶はない。 今の自分にとっては、目の前の美樹ですら初対面の気分なのだ。


「『どんなことを話したの?』とか『何をして遊んだの?』とか、聞いてきてさ。 適当にはぐらかしておいたけど、真鈴も・・・。 あー、えっと、私以外と仲よくしたいとかがあったら、話は別だけど」


おそらく気を遣ってくれているのだ。 昨日までの私が『友達がほしい』とでも、言ったのかもしれない。


「ううん、私は美樹がいてくれるのが一番嬉しい。 ごめん。 多分、色々と大変だと思うんだけど」

「あ―、いや、全然全然! すまないねぇ、変なこと言うてしまってぇー」


美樹は変な顔をしながら、老婆の物真似をするかのような声を出した。 誤魔化すためなのだろうか、笑わせるためなのだろうか。


「ふふ、何それ! 美樹は面白いなー」

「あっははは。 真鈴は笑っている時が一番可愛いよ!」

「え、あ、ありがと」


真正面から褒められ、真鈴は少し頬を染めた。 美樹と両親に学校の先生、そして医者以外に自分の事情を知る者はいない。 変に気を遣われるのを避けるためだ。

明るく笑う彼女に、真鈴は本気で感謝していた。 事情を知っている学校が、美樹と同じクラスにしてくれているのも知っている。 

つまり、彼女一人にほぼ全ての負担がかかっているということ。 学校にはクラスメイトがたくさんいるはずなのに、ノートには美樹のことしか書かれていなかったのだから。

学校へ着き教室に入ろうとした時、近付いてきた男の子に声をかけられた。


「あ、あの、真鈴さん」

「?」

「今度の日曜日は、どうかな? 一緒に遊べる?」

「え? あ、えっと、その日は用事が・・・」


知らない顔の知らない少年。 同じクラスメイトなのだろうが、やはり困惑するだけだ。


「はいはーい、ストーップ! 宮内くーん、私の真鈴に無許可で話しかけないでくれるかなー?」

「な、何だよ、篠崎。 お前には関係ないだろ」

「大いに関係ありまーす! 私は真鈴のマネージャーなんですから」

「はぁ・・・!? 何だよ、いつもいつも」


美樹は宮内と呼んだ少年と真鈴の間に、強引に割り込んだ。 後ろに持ってきた手で、小さなノートを広げている。


“隣のクラスの宮内英樹。 サッカー部のエース。 女子の間で“割と”人気があるけど、それを鼻にかけた言動とナルシスト具合で、一部女子と男子から不評。 真鈴は可愛いからたまに誘ってくる”


美樹はノートを手に戻し、パラパラとめくりながらわざとらしく言う。


「その日は、朝から分刻みのスケジュールがびっしり! 暇を持て余した宮内くんの、入る隙はありませんねー」

「くそッ・・・」


そう言い残し、宮内は隣のクラスへと戻っていった。 姿が消えたのを確認すると、美樹が手を寄せて囁いてくる。


「アイツあんなのだけど、結構人気があるから。 こうやってハッキリさせておいた方が、変なことに巻き込まれなくていいのよね。 しっかし、真鈴は相変わらずモテますなー! 羨ましい限りで」

「全然嬉しくないよ・・・」

「まぁ、そうだよね。 顔も名前も知らないんだから、怖いだけだよね」

「・・・うん。 ありがとね、美樹凄く頼もしくてカッコ良かった」

「か、カッコ・・・!? ・・・カッコー! カッコー!」


突然、鳥の物真似をし出したため思わず笑ってしまう。 ノートに、美樹の名前しか書かれていない理由も分かった気がした。 こうして必要になる度に教えてくれるのだ。


「・・・本当に、ありがとうね」


教室へ入りながら、小声でそう呟いた。 美樹には聞こえていなかったようだが、それで構わない。 仲よくなってもどうせ明日には忘れてしまう。 

それならできるだけ、関わる相手は必要最小限にしたい。 人と人は、決まった相手を除けば毎日関わるわけではないのだから。



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