嘘の代償③
二時間目が終わった雷は、教科書とノートを持ち職員室へと向かっていた。 授業で分からないところを聞くためだが、その場で聞くことはできない。
雷が嘘つきだと知っているクラスメイトにからかわれるため、それどころではないのだ。
「あれ、雷? 職員室に何しに行くの?」
職員室に入ろうとしたところで、クラスメイトに話しかけられる。 本当のことは言えない。 大袈裟で分かりやすい嘘を吐くことでしか、雷は自分の存在を他に示せなかった。
「校庭に隕石が落ちたの知ってる? 大量の土砂と草が巻き上がって、校長先生の銅像が迷彩柄になったから、報告をしにね」
「・・・もしそうなら、もっと騒ぎになっているだろ」
人によって反応は様々だ。 笑ってくれる者もいれば、馬鹿にする者もいる。 こうやって、冷静に返してくる者も。
「はは」
「あまり嘘ばかり吐いていると、誰もお前の言葉を信じなくなるぞ」
胸がチクリと痛んだ。 嘘は雷をがんじがらめにしているということを、自分でも分かっている。 相手が自分に何を求めているのかも、よく分からなくなってしまっていた。
―――・・・正直に言うのが、正解だったのかな。
だが、もうそれは無理だ。 嘘を吐くことを期待してる相手に、正直に言ってしまうとしらけてしまい、もう話しかけてこなくなるだろう。 嘘を求めてくる相手と、真実を求めてくる相手。
どちらの比率が多いかは、よく分かっている。
「まぁ、それが雷の個性なんだろうけど。 じゃ」
そう言うと、彼は立ち去った。
―――俺の個性。
―――・・・嘘を吐くことが、俺の個性。
雷は職員室へと足を踏み入れた。 先生には気を引かせるよう、嘘を吐いたりはしていない。 ある意味では、本当のことをありのまま口にできる空間。
しかも担任は新任の女性で、そもそも雷のことを嘘つきだと知らないのだ。
「雷くん? どうしたの?」
「さっきの算数の授業で、聞きたいところがあって」
「どこ?」
雷の根は真面目である。 家での予習復習は欠かさないし、本当に成績がいい。 嘘つきである自分が、唯一誇れる何かを持つために頑張った。
ただ雷に張られたレッテルは、それを人に簡単に信じさせてはくれない。 聞きに来たことはただ別解があることに気付き、自分の考えが正しいかどうかを確認するためだ。
先生もそのことを感心してくれた。 くれたのだが――――
「・・・ねぇ雷くん、聞いてもいい?」
「はい?」
「雷くんは、テスト中にカンニングとかしていないわよね?」
それを聞いた時、身体が震えそうになった。
「・・・していないに決まっているじゃないですか」
するわけがない。 周りにいるクラスメイトよりも、自分の方が成績がいいのにする必要がない。
「そ、そうよね」
「先生も俺のことを疑っているんですか?」
「そういうわけじゃなんだけど、何ていうのかな・・・。 えぇと、あの、その・・・」
「・・・もういいです」
「あ、待って・・・」
雷は身を翻すと、黙って職員室を後にした。 おそらくは先生も、自分が嘘つきであるという噂を生徒に聞いたのだろう。
嘘つきの自分が満点を取っているならカンニングもする、そんな風に考えたのかもしれない。
「あ~ぁ」
職員室は、嘘で塗り固めた自分でいなくていい数少ない場所だった。 だがそれも変わってしまったと思うと、心からの溜め息が漏れる。
―――大袈裟な嘘でも言って、笑わせるくらいの方がよかったかな。
そう思うが、やはりできない。 勉強を頑張ったことは、天才でも何でもない雷にはかなり大変なことだった。 その結果の好成績がカンニングを疑われるという理不尽、納得できるはずもない。
“だから最初から勉強なんてせず、大嘘だけを吐いていればよかったんだ”
「うるさいよ、本当」
“そうすれば傷付かなくて済む。 あの時みたいに、人を傷付けることもない”
「うるさいうるさいうるさい!」
心の声が煩わしい。 奴は塗り固めた嘘の壁をすり抜け、心の深層にするりと入り込んでくる。 頭をぐしゃぐしゃと掻き乱し、それを追い出そうとした。 それには、小説を読むのが一番いい。
―――いいよな、嘘のようなことが現実にある世界。
背中に隠していた小さな文庫本を取り出し、読み始める。 雷にとって唯一趣味があるとするならこれだ。 ワクワクする世界に、まるで自分も入り込んだような気になれる。
「危なーい!」
そんな雷に、突然声がかかった。 慌てた雷は、文庫本を落としそうになる。
「え、あ、わッ!?」
猛スピードで駆けてくる黒い猫。 それを尻もちをつきながら避けると、目の前を猫を追いかける上級生が横切った。
―――何で、猫が・・・?
立ち上がり、ズボンを叩いていると一人の少女が近寄ってくる。 おそらくは、自分に危険を教えてくれた子だろう。 身長は低めで名札の色からして下級生、しかも新入生だと分かった。
「よかった、間に合った」
「・・・えっと、ありが、と。 どうして猫が・・・」
「分からないけど『俺のちくわ返せー!』って言ってたよ。 隠れて持ってきていたのかな」
「はぁ・・・」
何だかよく分からないが、少女もよく分かってない様子だ。
―――そう言えば、素直に礼を言ったのって久しぶりな気がする。
普段友達と当たり前の交流をしていない雷にとって、それは珍しいことだった。 咄嗟だったからというより、少女が初対面だったからだろう。 自分のことを知らない相手に、嘘を吐いたりはしない。
「ん、どうした?」
少女は何故かうろうろとするばかりで、この場から離れていかない。 だからと言って、自分に用があるようにも見えないが、一応聞いてみることにした。
「・・・音楽室の場所が、分からなくて」
よく見れば、音楽の教科書を持っている。 音楽室は職員室とはまるで逆側だ。
―――新入生なら、知らなくても不思議じゃないか。
「音楽室は最上階だよ。 あっちの校舎に移って、階段を・・・」
そこまで言いかけて止まる。 音楽室がある実技棟の階段が、補修中で通れないことを思い出したのだ。 そこへ行くには、回り道である渡り廊下を通っていかなければならない。
「?」
「いいや、直接そこまで案内するよ。 俺に付いてきて」
「ありがとう!」
まだ休み時間は十分ある。 彼女を案内してからでも、問題なく戻れると思って歩き始めた。 だが――――一緒に移動しているところで、運悪く同級生と出会ってしまう。
「どうしたんだ、その子?」
「え? あ、えっとー・・・」
自分を嘘つきだと知っている相手。 しかも雷の嘘をよく思っていないタイプだった。 嘘を吐くことも本当のことも言えず言葉に詰まっていると、彼は口元を歪めた。
「君、気を付けてね? コイツ、大嘘つきだから」
「嘘つき?」
「あぁ。 本当のことなんて絶対に言わない。 今どういう状況かは知らないけど、絶対に騙されている」
「え、そうなの?」
少女が不安気に見つめてくる。 嘘なんて吐くつもりはない。 だが自分にのしかかる嘘つきという重圧が、逃げ場を奪った。 もうこれ以上は無理だと判断する。
「・・・そうだよ。 俺は大嘘つきなんだ。 このまま君を、暗くて狭くておっかない場所まで連れていこうと思ったんだけど、残念。 タイムリミットだね」
「ッ・・・」
脅かしてやると、少女はたじろぎ雷から距離を取った。
―――・・・うん、これでいいんだ。
「じゃあ、あとはこの子を頼むわ。 音楽室の場所が分からないって言うから、案内してやってよ」
「は!?」
雷は二人の様子を確認することもなく、黙ってこの場から走り去った。
“彼女の前ではさぁ、素直でいたいって思っていただろ?”
「・・・」
“もう認めたら? 本当は素直になりたいって。 自分の心にまで、嘘をついてどうすんのさ”
それでも雷のプライドと生きてきた積み重ねが、心の声を否定することができなかった。
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