其の五

 一瞬、観客はしんと静まり返った。


 だが、次には歓声の嵐に包まれていた。一部を除いては、


 そう、あの”アングリー・バンディッツ”の連中は、腕を組み、全員渋い顔をして押し黙った。


 ケージが開き、ダイゴが降りてくる。彼は目をつぶり、以外と素っ気ない態度で観客に応え、花道を去ってゆく。


 俺は籍を立ち、後を追っ

『あんちゃん、どこ行くんや?!』

 ドレッシングルームへの入り口には、ゴリラが二匹いて、俺を睨みつけながら行く手をふさごうとするが、低音を効かせ、高圧的に出ると、向こうは予想外にあっさりと引き下がる。


 ああいう手合いには、案外この手が威力を発揮するというのを、俺は改めて知った。


 人が二人すれ違えるかという、狭い廊下を早足で歩いてゆくと、ようやく、

『選手控室』という札のあるドアが並んでいる一角にたどり着いた。

 その中に、『ダイゴ』とぞんざいな文字で紙が貼ってあるドアをノックし、中からの返事を待たずに俺はノブを奥に向かって押した。


 縦長の薄暗い部屋だった。


 鏡と机、それにベンチが一つ。そのベンチの端に、

”ダイゴ”こと倉橋大吾が柔道衣を着たまま、首からスポーツタオルをぶら下げ、手にはドリンクのプラスチックボトルを持って腰かけていた。


『あんた・・・・誰だ?』

 いきなり入って来た俺を、彼は訝し気な目で眺めながら答えた。


 俺は黙って、認可証ライセンスとバッジを、彼に提示する。


『乾・・・・宗十郎?私立探偵?』

『そうだ。ある人から君の事を探してくれって依頼を受けてね』


『ある人ってのは?』


『お前さんを探して欲しいって人間は、この世にたった一人だけだ。こういえばすぐに思い当たるだろう?』 


『妹か?美奈子だろ?』

 俺は頷き、彼女が今度結婚をすること。そしてたった一人の身内である兄の彼に、是非式に出席して欲しい事。そして当然ながら、その結婚相手が”女性”であることを付け加えることも忘れなかった。

 当然、俺は大吾が目を向いて怒りだすだろうと予測していたが、意外にも彼は落ち着いた顔で、


『そうか』と答えを返す。


『なんだ。あんた、俺が髪の毛を逆立てて怒り狂うとでも思ったか?』

『ああ、その通りだ。名探偵もが回ったな』


 彼は手のバンデージを巻きなおしながら、呟くような声で続けた。

『俺は散々妹に迷惑をかけてきたからな。今更彼女あいつが誰と一緒になろうと、腹を立てたり、ましてや反対したりする資格なんざねぇよ。その相手が何もんか知らねぇが、あいつを幸せにさえしてくれりゃ、何も文句はねぇ』


『出来た兄貴だな』


『堕ちるところまで堕ちりゃ、人間却って丸くなったりするもんさ。』


『じゃ、結婚式はどうするね?』


『断る理由はねぇ』


 彼はベンチから立ち上り、拳にした片手を、もう片方の掌に叩きつけて答えた。


『だがよ、探偵さん、たった一人の妹の晴れの日だ。手ぶらでって訳にも行くまい。引き出物に何か持って行ってやりてぇんだ。分かるだろ?俺の言いたい事』


 彼の目の中で炎が燃えた。いや、大袈裟な表現じゃないぜ。

 本当にそうなったんだ。


『分かる』

 俺は大きく頷いた。


 すると、ドアがノックされ、丸坊主にTシャツ姿の男が顔を出し、


『ダイゴ、出番だ!』と叫ぶ。


『見ててくれや、頼むぜ』


 彼は両肩をぐるぐる回し、大股で部屋を出て行った。







 







 

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