エピローグ

晴れ晴れ

第100話 神楽坂小夜は一緒にいる

 好きな人がいる。


 この前の文化祭で恋仲になった普通の女の子が――




「痛ってえなあ!どこ見て歩いてんだよ」


「悪い。次からは気をつけとく」


「てめえ、Dランクのくせに余裕ぶってんじゃねえぞ!」


 昼休みの廊下でモブ男に絡まれた俺、梓伊月は引きつり笑いを浮かべる。


 変わんねえもんだな、空気って。


 私立荘戒そうかい高等学校では生徒全員がにA、B、C、Dの順に位分けされている。


 クラスごとではなく、一人単位で分けられているので、要は同じクラスにAとかDが入り混じっているのだ。


 腕章を見れば誰が何のランクかはすぐにわかるようになっている。


 まあ、もう今の俺にはあまり関係のないことだが。


 比較的少ない人数に調整されているDランクは言わば、虐げるには格好の的なのだ。


 何かの手柄は全て上級のランクに。悪事はだいたいDランクのせいにされる。


 だからどうした。掌から大切なものが零れ落ちていないのなら、それで十分だ。


「おい、何がおかしい? 舐めてんのか、ああっ!?」


 とりあえず放課後は江地たちとゲームでもするか。許可をとってゲーム部なるものをあいつらが作ったんだしな。風見と遊びに行ってやろう。


 今度は胸倉を荒く捕まれ、腹に重い膝蹴りを――



「伊月くんを離して!」



 蹴りが到達する前に、ハーフアップのさらさらした黒髪をなびかせ、恋人の神楽坂小夜が言った。


「あっ……えー、……チッ」


 モブ男はばつが悪そうに舌打ち。踵を返して廊下の遠くへ消えていく。


 すると、神楽坂小夜は温かい声音を俺に注ぐ。


「大丈夫ですか? 一見、怪我はなさそうですけど」


「ああ、胸倉を掴まれただけで、大事には至ってないな」


 俺は無理をしてるわけでもなく、本音で大丈夫だと語ると、


「伊月くんが言うなら大丈夫だと信じますけど、あまり無理はしないでくださいね」


「わかってる。何か困ったことがあったらすぐに小夜に言うから」


 廊下での出来事だから、周囲にはそれなりの人だかりができている。ヒソヒソと、いや、存外通った声で胡乱げな言葉が紡がれる。


「神楽坂さんとあのDランクの男子、できてるんだって」


「やっぱそうなんだね。あの冴えない感じのどこかいいのやら」


「文化祭の演劇から距離が縮まったんだって」


「違うだろ? あのふたり、実は幼馴染だって聞いたぞ」


「マジ!? どこ情報だよ、それ」


「えー……たしか先輩の友達が言ってたって」


「信用ならねー」


 とまあ、俺と小夜がふたりでいるところを目撃されると、大体こんな感じでうわさされる。少なくとも、良い印象ではないようだ。


 結局、小夜のランクはSランクのまま。下がった、というより退学処分になって消えたのは龍我陽介の方だった。


 文化祭のかたわら。病院やら警察やらが巻き込まれていくうちに、龍我の過去の悪事が暴露されていき、摘発。


 それでもこの学校の闇はうまいこと隠ぺいされた。東雲や火暮、そして理事長を筆頭とした面子が何とかしたのだろう。一筋縄ではいかないようだ。


 小夜は背伸びをして、俺の耳元まで顔を持っていき、囁く。


「じゃあ早く、いつもの場所に行きましょう」


「わかった。グダグダしてたら昼休みも終わるしな」


 後ろ手に組み、爛々とした足取りで、俺の前を歩く。


 俺は後を追うように小走りで、小夜の隣に肩を並べた。


「今晩、伊月くんのバイト先にお邪魔してもいいですか?」


「別にいいけど……あぁ暗根か」


「そうなんです。牛丼を食べないと暴れてしまいそうだと言うもので」


「巻き添えにされそうで怖いんだが。んで小夜も食べたいんだろ? 新作の牛肉と豚肉と鶏肉が全部乗った丼」


「もうっ! 私をただの食いしん坊だと思ってませんか?」


「よくわかったな。さすが小夜」


「……このおたんちん」


 ふたりの世界に入ったことを代償に、周りの音が何も聞こえない。気にならない。いつの間にか、俺はただ小夜の横に並び、目的地である屋上への階段を踏みしめる。


 一歩、また一歩と、外の世界へと近づいていく。いつかは辿り着く。


 辿り着いた後も隣に小夜がいる、その光景を思い浮かべると、自然に笑みがこぼれる。


 夏祭りの夜、小夜は言った。悲しみの中に俺がいればいい、と。


 この学校には確かにつらい思い出が多い。


 でも、まあ。


 そんなことを言ってくれる相手に出会えたのは何よりの幸運だと俺は思う。


 とにもかくにも、俺の人生は総合的に見れば幸せなのかもしれない。




 だって、俺はDランクだろうが神楽坂の彼氏になれたんだから。




 屋上への扉を開けると、さわやかな風と雲ひとつない青い天井が俺たちを迎え入れた。

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