第90話 神楽坂小夜は思い出させる

「ここは……」


「覚えていますか?」


 神楽坂に連れてこられたのは、駐輪場前の小さなスペース。


 そこにある小さな段差に腰かけた。


「あれから一年経ってるのか」


「早いですよね」


 ここは去年の文化祭で俺と神楽坂が信頼のおける関係に一歩進んだ場所。加えて、神楽坂が俺の前で涙を流してくれた場所。


 神楽坂が窮地に陥った、大変な事件だったが、あの一件があったからこそ神楽坂のことをより深く知るきっかけとなったと言っても過言ではない。


 そんな思い出の場所に連れてこられ、俺は少し冷静になれた。まるで故郷に帰ったかのように。


 あのときと同じように、俺たちは語らいを始めた。


「もしかしなくても、何か悩んでいますよね?」


 そう切り出したのは神楽坂だ。


「……まあ、神楽坂には関係のないことだ」


 突き放した言い方になった。


 けれど、実際にそうではないか。


 新垣との軋轢は中学時代のこと。神楽坂は何も知らない。


 知らなくていい。というかそんな情けなかったこと、知られたくない。


 裏切られた?騙された?


 何でも神楽坂と共有できるのはいいことだが、取捨選択の権利は俺にもあるはず。


 こんなクソみたいな過去まで神楽坂に背負わせる意味がない。いや、むしろマイナスまである。


 神楽坂は神楽坂ですでに重荷となっている過去がある。


 そんな彼女に、俺が重荷を追加するようなことするわけにはいかない。


 神楽坂のためを思うなら、自分の中で解決した方がいい。


 俺は口を真一文字に引き結び、静かに拳を握った。


 俺の挙動に気づいたのか、神楽坂は何を言うでもなく。ただ、俺の震える拳に自身の手の平を重ねた。


 一分。いや、それ以上か。


 五臓六腑が氷漬けにされていたような感覚も、神楽坂のおかげでじわじわと溶けだしていた。


「あのさぁ」


「何でしょう?」


 俺が口を開くのを信じて待っていたのだろうか。


 流れるような、それでいて包み込むような返答を神楽坂はしてくれた。


「正直に言うと、俺が抱えている悩みを神楽坂には言いたくないって思ってる自分がいるんだ」


「うん」


「今、俺がそれをさらけ出したら、神楽坂にとってはただのいい迷惑だ」


「うん」


「それでも訊きたいか?」


「ブーメラン」


「え?」


「ブーメランって言うんですよね?たしか」


 素っ頓狂な声を上げる俺。


 対して小首を傾げ、穏やかな笑みを崩さない神楽坂。言い慣れないネットスラングを不思議そうに紡いだ。


「迷惑かけろって言ったのはどこの誰なんですか?」


「あぁ……」


 バカだ。


 突然の新垣との邂逅に動揺しすぎていた。


 まさしくブーメランだ。


 神楽坂は余裕そうに続ける。


「『心配かけるくらいなら迷惑かけろ!』でしたっけ?」


「そうだな……」


「『迷惑かけたんなら恩を返せばいい』とも言ってましたね」


「ああ」


「ブーメラン」


「わかったよ。わからされたよ!」


 肩の力が一気に抜けた。もう俺は神楽坂に完全に心を許しているのだろう。


「それともあれですか?梓くんは私のことをまだ不審者だと思っているんですか?そうでしたら残念……と言いますか非常にこたえる事実発覚ですね、それ……」


「言ったな、俺。そんなこと超言ったわ」


 意趣返しのつもりか。神楽坂はあのとき俺が神楽坂にかけてやった言葉をほとんどコピーして言ってきた。


「にしてもよく覚えていたな、俺の言ったこと」


「そんなの当たり前ですよ、何言ってるんですか(笑)」


「おい、バカにしたような笑いやめろ」


 元気を取り戻した俺は、口角を緩めながらそう言った。


 対する神楽坂も、目を細め、クスッと笑った。


 そして、重ねていた手を動かし、俺の指に彼女の指が絡んできた。


「あの日の梓くんの言葉に救われたんですから、当たり前です」


 真っすぐに俺の眼差しを射抜いて。


 どこにも行かない。どこにも行かせない、という神楽坂の強い意思が胸に焼き付いた。


 少し溜めてから。


 手を握り返した。


「聞いてくれるか?俺の話を……」


「ええ。私でよければ、いつまでも……」


 それから俺は事のあらましを語った。


 俺の過去。何に悩んでいるのか。包み隠さず全てを。


 去年と同じく、今回も神楽坂は俺から紡がれる言葉で泣いた。


 だが、意味合いが全く違う。


 俺が生きてきた道のりを神楽坂は、追体験的ではあるが、確かにその足で歩いてくれた。そして涙を流したのだ。


 俺は間違っていなかった。


 さっきの新垣といい、中学の奴らは遊びの延長線だと言った。マジにするなと。


 あまりに多くの人間がそう言うものだから。特に中学時代は俺が間違っているのかと。


 それが高校生活でも足かせとなっていて、その結果がDランクというレッテルだけれども。


 それでもこの瞬間。今。


 神楽坂が初めて、俺の過去を。俺の生き方を肯定してくれた。認めてくれた。


 嬉しいを通り越して、報われた気分になった。


 だから去年と違うことは。


 俺が何より泣いた、ということだけだ。


 もとより、駐輪場付近は、誰も通りかからない。


 俺と神楽坂の二人きりの時間であり、世界。


 頭を撫でられる感触が心地よい。


「今までよく頑張りましたね」


 誰にも言われなかった。ずっと誰かに言って欲しかったその言葉は、これからの俺の一部となり、生きる自信になるだろう。


 そんな俺たちを祝福するかのように、晴れ間がのぞいた。


 在りし日の俺なら、この日差しを眩しいと感じ、目をすぼめただろう。


 けれど、今は。


 もっと見上げていたいと、そう思っていた。

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