文化祭本番

第91話 梓伊月は頼まれる

「そういえばさ」


「はい?」


「俺に何か用があったんじゃないか?」


「あっ!大事なことを忘れていました!」


 もうとっくに俺は泣き止んでいた。


 少しぼーっとしていた矢先、俺は神楽坂が元々、俺を急いで探していた様子だったのを思い出したのだ。


 気軽に尋ねたつもりだが、神楽坂の方はそうではないらしく、事態の緊急性を案じさせた。


「岡沢君が腹痛で劇に出られないって!」


「そうか……」


「ん?梓くん、ちょっと反応薄くないですか?」


「え?ああ、いや突然のことで声が出なかっただけだ。めちゃめちゃびっくりしてる」


 うまく取り繕えただろうか。


 岡沢の腹痛。


 思い当たる節はある。


 だが、このことについて俺は何も知らないというふうに振る舞わなければならない。


 それがあいつらとの約束。


 いや、約束とは少し違うような。


 どちらかと言うと、あいつらの願い、と言った方がいいのか。


 いずれにせよ、俺はあいつらの思いを無駄にするわけにはいかない。


 だから、俺は何も知らない。知らなかった。


 俺と神楽坂の二人の物語の外野で勝手に起こった出来事でしかないと。


 俺は、何とか驚愕の声音を作って、言葉を神楽坂に届けた。


「それで!クラスの劇は大丈夫なのかよ!」


「人手はいっぱいいっぱいで代役を立てる人数的余裕はありませんでした。ですので、このままでは主役不在となり、劇は続行不能です……」


「マジかよ……」


「ですが」


 神楽坂はその場で立ち上がり、俺に手を差し伸べてきた。


 それだけで、俺は神楽坂の意図に気づいた。


 いや、まあこうなるようにあいつらが頑張ってくれたわけだが。


 俺は彼女の手を取り、自分の足で立ち上がった。


「俺がロミオになればいいと」


「はい。私のロミオはあなただけです」


 ボゥッと顔を上気させる俺と神楽坂。


「ば、バカか。何、劇のセリフよりクサいこと言ってんだよ」


「そ、それはだって……別に、思ったことをただ言っただけで……」


「……」


「……おたんちん」


「どっちが……」


 恥ずかしくてまともに顔を見れない。


 コホンッと神楽坂が咳払いをして、クイッと俺の手を引っ張った。


「では早く行きますよ。セリフはともかく、劇の段取りなどを梓くんに教えないといけないですし」


「それが一番不安だな」


「でも梓くんならできるでしょう?」


「大した信頼だこと」


「余裕そうですし、アドリブもお願いしますね」


「それは勘弁してくれ」


「冗談ですよ」


 神楽坂はクスクスと微笑む。


 これは何としても、信頼に応えなければならない。


 これでも俺は神楽坂の練習に何度か付き合っていたものだ。


 大体の流れは押えている。


 セリフも本番前に詰め込めば問題ない。


 ここにきて、神童と呼ばれる所以となった頭の回転の速さに感謝する。


 よし、戻ろう。


 見せつけるんだ。


 俺には神楽坂がいるし、神楽坂を一人にさせない。


 唯一無二の関係を。


 この学校のカーストに縛られている生徒たちに。トラウマの元凶である新垣に。


 そして、過去の梓伊月に。


 そう意気込み、俺たちは劇を行う、体育館へと足を運ぶ途中で――




 ―――――ゴフッ!ガハッ!!




 おそらく他校から来たであろう学生を。


 血まみれになるまで痛めつけていた龍我陽介に鉢合わせてしまった。

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