第61話 神楽坂小夜は見られたい

 文化祭最終日。1年2組のコスプレ喫茶でのシフトが終了し、静かな所で一服するためにお祭りムードで賑やかな校舎を俺は一旦抜け出した。


 今、駐輪場の前にある、小さな段差に一人腰かけている。


 中庭で行われているであろう、軽音部のライブの軽快で楽しげな音楽が意識せずとも耳に入ってくる。


「祭りだなぁ」


 文化祭は実行委員として深く関わったので他人事という感覚はなく、一種の感慨に耽っていた。達成感とも言える。


「色々あり過ぎた。めっちゃ疲れたわ」


 両手を挙げて、ふんっ、と伸びをしてソファにもたれ掛かるみたいにそのまま仰け反ったら、目の前に缶コーヒーとスポーツドリンクを持った神楽坂が視界に映った。


「あっ」と言わんばかりに口をポカンと開けている上に、何やら意味ありげに缶コーヒーを持っている右手を俺の顔付近で所在無げに彷徨わせている。


「不意打ちでほっぺたに缶ジュースをピトってくっつけるあれ、やりたかったのか?」


「どんな反応してくれるか楽しみにしていましたのに……。どうして先に後ろ見ちゃうんですか?性格悪いですね」


「わざとじゃないし。それにそういうのって男が女にやるもんじゃないのか?」


「別にどちらでも大差ないでしょう。やってることは同じなんですし」


 いやー結構違うと思うよ。あれは女の子が「ひゃっ!」みたいな可愛い反応をするから良いのであって、俺が「うわっ」とか言っても需要ねえだろ。


 神楽坂が「んっ」と特に何も言わず缶コーヒーを差し出してきたので、「サンキュ」とだけ言って受け取った。


 そして、流れ作業のように俺の右隣に腰を下ろし、ふうと短く息を吐いた。


「何ですか?その、コーヒーは無糖が良かったみたいな顔は」


「え?あ、いや、せっかく買ってきてくれたものに文句は言わねえよ。てかなんで?」


「あなた、ちょっと残念そうな目をしてましたよ。正直すぎません?」


「ほっとけ」


「買うと運気が上がるっていう壺を私のメイドが出店で売っているんですけど、お一つどうですか?」


「騙されるか!」


「フフッ。面白い人……」


「俺はこの文化祭で神楽坂と漫才をする仕事はなかったはずだが」


 笑い交じりに冷静にツッコんでから、缶コーヒーのプルタブを開け、中身を呷る。


 今まで飲んでなかっただけで、微糖も悪くないと思った。


 神楽坂は仕事で喉が渇いていたのか、存外勢いよくスポーツドリンクを飲んでいる。


 ていうか。


「神楽坂、巫女服似合うな」


「へぁ!?い、いきなり何なんですか!?おたんちんっ!」


「え?あ、ご、ごめん。なんで謝らされてるかわからんけどごめん!」


 神楽坂は顔をリンゴみたいに真っ赤にして抗議してきた。


 お世辞とか抜きに、神楽坂と巫女服は実際すげえマッチしていた。


 神楽坂の真っ赤な顔に負けないほど綺麗な緋袴ひばかま(巫女服の下半身の赤い部分)に、彼女の清廉潔白さをアピールしているかのような白衣はくえは神聖なオーラさえ感じた。


 また、彼女は上品なシルクのような黒髪を後ろで一つにくくって、少し長めのポニーテールにしていた。


 顔を動かすたびにフリフリと揺れるその髪はとても艶やかで、気が付けば目で追ってしまうほどだ。


 そんな彼女はスポーツドリンクの入ったペットボトルで、赤くなった顔を隠すようにしながら、蚊の鳴くような声を発した。


「に、似合ってるって……もう一回……」


「え?なんで?」


「そ、そんなこと言わせないでください!嬉しいからです!」


「言っちゃってるじゃん……」


 ま、まあ俺じゃなくても似合ってるって言われるのは女子にしては嬉しいものなのだろう。おしゃれに敏感なことくらい、彼女のいない俺でもわかることだし。


 改めて言い直すのはさすがに少し面映ゆくて、俺の方もボソッという形になった。


「に、似合ってるぞ、その衣装……」


「あ……ありがとうございます……」


「……」


「……」


 中庭で行われている軽音部のライブはどうやら大詰めに入ったのか、観客の合いの手も聞こえてきた。


それとは対照的に、俺たちの間では屋外にもかかわらず、わずかな衣擦れの音さえも感じ取れて、少しでも動けば空気ごとひび割れてしまいそうな繊細さが漂っていた。


 だから俺はちょっと話題を振るのが遅くなった。


「とりあえずさ。あれから困ったこととかはないか?」


「ええ。特には」


 神楽坂の無実が証明されたとき、あらゆる人間が手のひらを返して彼女に謝ったり、逆に神楽坂に罪を着せた先輩たちを咎めたりしていた。


 謝るのはまだいいんだが、自分は悪気があったわけではなかったとかああ言うしかなかったとか言い訳している人たちのことは見てられなかった。


 とはいえ、あと2年以上そういう人達と同じ空気を吸って学校生活を過ごさなきゃいけないわけだから、そこに文句を言っても仕方ないだろう。


 俺はおどけるようにしらばっくれた発言をする。


「まさかあの先輩たちが犯人だったなんてな。未だに許せないよ……」


「ねえ」


「うん?」


 神楽坂は膝の上でペットボトルを弄りながら、訊いてきた。


「あなたが何かしてくれたんですよね?」


「何かって?」


「とぼけないでください。先輩方が悪事を自供したことにあなたが一枚噛んでいるんでしょ?暗根が言っていたわ」


「あのメイド、言うなって……」


「もしそれが本当なのでしたら、質問したいことがあります」


「……なんだ?」


「どうして私を助けてくれたんですか?」


 彼女の青みがかった鈍色の瞳が穏やかに揺れる。


 答えてくれるまで逃がしませんと目が主張している。が、その芯の強さがあの時言われた『関係ない』という言葉を思い出させ、すでに終わったはずの心配と安堵を含んだ怒りが、静かに湧き上がってきた。


「それに答える前にまず俺からの質問に答えてくれ。なんであのとき、関係ないなんて言ったんだ?」


「それは……」


「確かに俺は神楽坂が全部の信用を預けられるほど、過ごした時間に密度も長さも足りなかったのかもしれない。でも少しくらいは。せめてラブレターの件くらいは俺に相談してくれよ!なんだよ、口外するなって書いてあったからほんとに口外しないって。状況的にも十分怪しいのに何、律儀に守ってんだよ。バカ真面目か!」


「ば、バカですって!いくら状況的に胡乱げでもあのラブレターが本物であった可能性もあったはずです。裏付けも取れてないのに、私の都合で嘘呼ばわりするなんて絶対できませんでした!」


「だからこそ俺に相談してくれって言ってんだ!なんでも一人で抱え込もうとしないでくれ!」


「私は!……私はただあなたを厄介事に巻き込みたくなかった。私のせいで……誰かに迷惑をかけたくなかったの!」


「いい加減しろぉ!!」


 ガッと神楽坂の両肩を掴む。想像以上に華奢なその肩が震え、余計に弱弱しく感じた。


「心配かけるくらいなら迷惑かけろ!頼れ!誰かを信頼するっていうのはイコール迷惑をかけるって意味なんだよ!たった一回や二回迷惑かけて離れていくような奴は元々その程度の関係だったってことだ。その代わり、迷惑かけたんならあとで倍以上にして恩を返せば良い。どれくらい返せばいいかわからないんなら自分の気が済むまでだ。そうやって迷惑と恩を交換し合っていくもんだろ。人って」


 らしくない。自分の口から出たとは思えない言葉たちだが、不思議と本心であることは断言できる。


「それともあれか?神楽坂は俺のことまだ不審者だと思ってるのか?だとしたら残念……というか結構きつい事実発覚だな、それ……」


「ち、違うの……。私、あなたを信じてないわけじゃ――」


「俺は神楽坂のかなりの頑固さにめっちゃ怒ってるし、めっちゃ迷惑してるんだよ」


 俺は彼女の肩を掴んでいた両手をそっと離し、空を見上げた。



「だからさ。気長に待ってるから、俺に恩を返してくれよ」



 右肩に重みを感じた時には、すでに彼女は泣いていた。


 いつまでそうしていただろうか。


 正確な時間はわからないが、神楽坂が頭を俺の方に預けたまま呟いた。


「私、あなたに怒られてすごく嬉しかったです」


「え、どういうこと?」


「変な意味じゃなくてですね。今まで怒られたことなんて一度もなかったんです。学校ではお嬢様だからか、必要以上に丁重に扱われるし、親は……うん、怒らないどころかって感じですし」


「うん」


「ですから嬉しいんです。私を普通の女の子として普通に怒ってくれたから……」


「そうか」


「そうなんです!」


 良い意味で神楽坂っぽくないニカっとした笑顔の花を咲かせた。


 ああ、そうか。


 俺は神楽坂のこういう笑顔を見たくて、そんで守りたくて頑張ってたんだな。


 体育祭のときから俺は恋に落ちていたってことか。


 一目惚れとはまた少し違う気がする。


 まあそれが二目惚れだろうが三目惚れだろうが変わりなくて。


 神楽坂が俺のことを恋愛対象として見てくれる日はくるのだろうかとかそんなこと考えられないくらい、俺の彼女への恋心は膨らんでいたようだ。


 パンパンに膨らんだ桃色の風船のごとき恋心を俺は神楽坂に気づかれないように破裂させた。



「んで。さっきの、なんで神楽坂を助けたのかって問いだが……」



「助けることに理由なんて必要ない……なんていうつもりは毛頭ない」



「俺が神楽坂と一緒にいたいって思ったからだ!100%俺のエゴだが、なんか問題あるか!?」



「一緒にって……!?」


「気が付けば無茶してるからほんと見てて心配だし、ほっとけない」


「ああ、そういう……」


「あとは……」


「あとは?」


「いや、なんでもない。気にすんな」


「その区切り方で気にするなはひどくないですか?」


「口を割るくらいならひどいままでいい」


「そんな人質根性見せないでください」


 クスクスと相好を崩し合う俺たち。


 そのまま流れるように俺は神楽坂にこう提案する。


「文化祭最終日でお互いもう仕事もないしさ。今から一緒に回らないか?」


「いいですよ」


「まさかの即答!?」


「何かおかしいですか?」


「いやおかしくないけど。俺が誘ったんだし。でもいいのか?俺なんかと回っても?」


「ここまで言っといて、私を試しているんですか?私は多くの生徒からの信頼より、あなた一人の信頼を選びます」


「それは素直にうれしいな」


「それに私は私自身が見て判断したものしか信じない。誰かが貼ったレッテルなんて無意味です」


「そりゃあいいな。神楽坂らしくて」


 神楽坂は立ち上がって、軽やかな足取りで校舎へと足を踏み出す。


 転瞬、ゆっくり腰を上げた俺の方へ振り返り、彼女は言った。


「どこから回りましょうか??」

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