第17話 神楽坂小夜が食べに来た

 日曜日の午後2時半。


 俺は牛丼屋でバイトをしていた。


 すでにお客さんが多く入店する時間は過ぎており、今は店内に一人も客がいない状態だ。


 神楽坂からの貴重な誘いを断ってしまったのは非常に悔いが残るが、予定は予定。


 私用で勝手に抜けてしまったら、バイトの人たちに迷惑をかけてしまう。


 それに、親からの仕送りはあるものの、多少は生活費を自分で賄っている身。


 休日の勤労は大切な財源なのだ。


「あー暇だなー」


 そう言ったのは、通う高校は違うが、同い年のバイト仲間、片山星弥かたやませいやさんだ。


 金髪で、口調もグイグイ来る感じなので、いわゆるヤンキーの男子という印象だ。


「なあ梓。眠いし、カウンターで寝てきていい?」


「一番ダメなやつです」


「どれくらいダメ?」


 ニヤリとしながら片山さんは訊いてきた。


 彼が悪そうに笑うときは何か気の利いた事を言わないといけない合図だ。


 こういうときはテンポが大事なので、俺は即答した。


「30前半で独身の店長に結婚の話をするくらいダメなやつです」


「店長ー。梓が早く結婚しろだってー」


 すると、控室で休憩中の店長から返事が返ってきた。


「梓と片山、勤務終わったらお仕置きな」


「え?オレもっすか?」


「俺は結婚しろとか言ってないですし、完全に巻き添えですよ……」


 俺が苦笑いを浮かべていると、片山さんが愉快に笑いながらこう言った。


「梓、オレとはタメ口で良いって言ってるだろ?同い年なんだからさ」


「あー別に片山さんと距離取るつもりとかはなくてですね。なんか仕事って意識すると敬語が抜けないんですよ」


「あーそうなん?」


「はい。むしろ片山さんは人として好きな方なので気にしなくていいですよ」


「おもろ」


「え、何がですか?」


「アッハッハ!おもろいって!そんなん面と向かって言えるとか笑わん奴おらんって」


 俺にはよくわからないが、片山さんはドツボに入ったらしく、笑いを必死に堪えている。


「オレ梓より女の子に好かれたいんだけど」


「あれ?片山さん、前に一個下の女子と付き合ったって言ってませんでした?」


「あーその子とはもう別れたんだよ」


「え!?1か月経ってないじゃないですか?何でですか?」


「くそ性格悪かったんだよ。いや、まあ性格悪いは百歩譲るにしても、そいつオレの金こっそり盗んでたんだよ。ずーっと」


「マジですか」


「マジマジ。最初は気のせいかと思ってたんだけど、ついに彼女がオレの財布から金パクってるとこ見ちゃってさ。それで別れた」


 片山さんはタハハと笑いながら話してくれた。メンタルが強いというより、慣れたと言った方が正しいだろう。


「どっかに顔も性格もいい女の子いねえかなー」


「めちゃくちゃ都合良い話ですね」


「だって男はバカだからつい顔で選んじゃうんだよ」


「そういうものですか?中身で女の子を見るって言ってる男子よくいると思うんですけど」


「ちげえって。男はみんな顔で選んでるさ。口では綺麗事言ってるけど、実際は顔の良い女の中身しか覚えてねえんだって。こいつブスだなと思ったら見なかったことにするバカな生き物なんだよ、男は……」


「俺にはよくわからないです。人は誰だって中身を見るべきでしょうに」


「梓って彼女できたことあったっけ?」


「……いや、ないです」


「だよなー。だって羨ましいくらいピュアだし。あと毎週休日の昼にもバイト入れてる奴に彼女なんているわけないよなー。ゴメソゴメソ」


「誠意が足りてないです」


「いやいや。だって図星だろ?まさか女の子からのデートのお誘いを断ってまでバイトしに来てるわけでもないだろうし」


 うぐっ……。


 いや、でも神楽坂のあれは別にデートとかじゃなくて、ただ単にチケットが余るのがもったいないからであって。


 決して勘違いするな、俺。


 ここで勘違いする奴が後で痛い目を見るんだぞ。


 片山さんは俺の肩を優しくトントンと叩いて、励ます。


「まあ、オレでも彼女くらいできるんだ。梓なら真っすぐだし、面白い奴だから彼女くらいすぐできるって。元気出せよ」


「いや、俺は落ち込んでたわけじゃ――」


「あ、入客来たぞ」


 そう言われ、俺は気持ちを切り替えて視線を入り口に移す。


 ガラス越しに見えるのは若い女の子二人組のようだ。


 どちらも芸能人のお忍びコーデみたいな恰好で、溢れ出てるオーラが明らかに牛丼向きじゃない。


 フォアグラとかトリュフ要求してきそう。


 まあ、サメみたいに怖い店長ならいるけど。


 ピンポンピンポンと入店を知らせるベルが鳴り響く。


「いらっしゃいま……せ?」


 俺ははっきりとした違和感に気づいた。


 この女の子見たことあるぞ。


 というか彼女たちって……。


「お好きな席へどうぞ」と促しながら、俺は彼女たちが腰を下ろしたテーブル席へ足を運ぶ。


「……神楽坂だよな?」


 二人のうちの一人がビクッと体を震わせる。


「……いえ、人違いでは?」


「いや、サングラスかけててもわかるから」


「んぐっ……よくぞ見破りましたね。褒めて遣わします」


「なんで上から目線なんだ……」


 にしても、神楽坂ってこういうとこにも来るのか。意外と庶民派なとこあるよな。


「小夜様は初めての牛丼屋にテンションがお高くなっているんですよ。優しく見守ってあげてください……」


「あ。やっぱりお前は暗根だったか」


 豪奢な二人組は俺のよく知る女子だった。


「そういえば、暗根って今日用事があるって言ってなかったか?」


 たしか、神楽坂が俺を水族館に誘うときに、暗根が用事で行けないから俺を誘ったって言ってた気がするけど。


 そう訊くと、彼女たちはコソコソと俺に聞こえないように話し出した。


「ほら。だから言ったじゃないですか。私が行くと怪しまれるって」


「だってだって。梓くんが働いているとはいえ、私牛丼屋さんって初めてだし。こ、怖かったんだもん」


「ん?二人とも何話しているの?」


 怪しまれるとか初めてとか断片的に言葉は聞こえてきたけど、内容が聞き取れるほどではなかった。


「いえ、問題ありません、梓様。私が暇になったのはターゲットを案外早く始末できたためです」


「し、始末……?」


「怖いのでしたらこれ以上深堀しないように……」


「あ、はい……」


 こっわ。もう言わないから怜悧な目で俺を串刺しにするのは止めて。


「と、とりあえずこれ、メニューだから決まったら呼んでくれ」


「あ、ちょっと待ってください。私こういうお店に来たことなくてよくわからないんです。なので、どういったものなのか教えていただけませんか?」


「小夜様。梓様にもお仕事がございます。私たちの都合で引き留めてしまうのは愚策かと……」


「いや、大丈夫だよ。今他にお客さんいないし」


「ありがとうございます……」


 おもちゃ屋で目を輝かせる子供みたいにニコニコしながら神楽坂は俺からのレクチャーを一通り受けた。


「よし。じゃあ注文を聞いていくぞ」


 すると、神楽坂がハイと小さく手を上げて口を開く。


「では、私は牛丼の超特盛!…………ではなく、小盛で……」


「小夜様。見栄を張るのもよろしいですが、それだけじゃどうせ家帰ってからカロリーメイト爆食いしますよね?超特盛でよろしいのでは?」


「なっ……!?わ、わざわざ梓くんの前で言わなくてもいいでしょー!!もーっ!!」


「やっぱ神楽坂って食べるの好きだよな……」


「うぅぅ……。い、一番大きいので……お願いします……」


「小夜様、たまごはよろしいのですか?」


「あ、じゃあそれも……」


 顔を赤くしたり意気消沈したり、神楽坂は忙しいなと内心思う俺。


 よく食べる女の子は健康的で可愛いと思うんだけどな。


「暗根はどうする?」


「牛定食並のつゆだくで。あとセパレーター持ってきてもらえますか?」


「お前、実は結構牛丼屋来てるだろ」

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