第9話 神楽坂小夜はチェスで勝ちたい

「へえ~ここが梓くんの部屋なんですね」


 リビングでも掃除が行き届いてた辺り、予想はしていたけど。


 やっぱり、梓くんの部屋も綺麗にされていた。


 ベッドのシーツもしわになっていない。


「そんな見まわしても特に変わったものはないよ」


「あ、これがラノベというものですね」


 私はそう言って、本棚を眺める。


 ところどころ、表紙が見えるような置き方をされているのは、こだわりでもあるのかな。


 パッと見、可愛い女の子の絵が描かれているのが多いけど、一冊一冊絵の線のタッチが違ったりして、面白い。


 それから梓くんにラノベの面白さやいくつかおすすめされたものを持って帰って読むことにした。


 その後、私はあるものを見つけた。


「これは……チェスですか?」


「ああ。俺、チェスが好きでさ、よくやるんだよ」


「誰か一緒にやる相手がいるんですか?」


「え。いや、俺が一人で二役やるんだけど……」


「あ、あの……すみません……」


「ま、まあ気にしないでくれ。スマホのアプリとかでならコンピューターだったりオンライン対戦だったりはしてるからさ」


「そうなんですね。梓くんが楽しめているなら良かったです」


「あ、あの。神楽坂が良かったらさ。一戦だけでいいからしないか?」


「チェスをですか?」


「そう。俺、一回実際のチェス盤で対人戦してみたかったんだよ。一回だけ。一回だけでいいから」


「で、でも私、あと一時間もここにはいられないですし」


 今は暗根が私に変装して、なんとかやり過ごしてくれているだろうけど。


 帰りがあまりに遅すぎると、暗根の負担になってしまう。


 そうならないために、あと約一時間後位に暗根がここへ迎えに来てくれることになっているのだ。


「だろうな。俺もそんなに長く居座らせるつもりはなかったよ。だから互いの持ち時間は30分までってしないか?」


「なるほど。それなら早く終わりそうですね」


 それに、普段あまり自分から何がしたいって言わない梓くんがこんなにワクワクした目をしているんだ。


 そういうの何かレアな気がして、私も喜ばせたくなる。


「でもいいんですか?私はあらゆる本気の勝負事には負けたことがないんです。圧勝しちゃっても泣かないでくださいね?」


「お。いいな。そういうこと言われると俺は燃えてくるタイプなんだよ」


「意外ですね。もっと落ち着いているものだと思っていました」


「ずいぶん余裕みたいだけど、神楽坂はチェスしたことあるのか?」


「ええ。それなりにたしなんではいます」


 それなり、とは言えど、実は結構暗根とやってたりする。


 やり始めは暗根に手取り足取り教えてもらっていたけど。


 今では連戦連勝で暗根の機嫌を毎回損ねてしまうまでに。


 いつもごめんね、暗根。


 というわけで、口では謙虚に振る舞ったが、内心かなり自信がある。


 だからずるいけど、私はこういう提案をする。


「では、普通にやるだけというのもスリルがないですし、勝った方は何でも一つお願いができるというのはどうでしょう?」


「いいな。よし、その勝負乗った!」


「ふふっ。言質取りましたからね。絶対ですよ」


「そこまで言われると、何お願いされるか不安になってきたんだが」


「あれ?もしかして梓くん、勝つ自信がないんですか?」


「ふんっ。まさか。神楽坂もそういう安い挑発してくるんだな」


「ただ訊いただけだったんですが、そう捉えてしまいましたか……」


 お互いにバチバチと視線で火花を散らした。


 コトン、コトンとチェス盤に駒を並べていく。


 梓くんがキングを置いたのを見届けてから、私は心の中で誓う。


 勝って、を絶対叶えてやる……と。


「じゃあ、やるか」


「ええ。始めましょう」


 そうして私の先攻でゲームが始まった。


――二分後。


「先に中央を支配されてしまうなんて。梓くん、やりますね」


――十分後。


「ああ……。そ、そこは……ダメ……」


――四十分後。


「え。ビショップがただ取りできる?罠?いや、でも詰みが見えないし、取りましょうか」


――五十分後。


「ううぅ……負けました……」


「ありがとうございました」


 何?何なの?梓くん強すぎるんですけど。


 わ、私、初めて勝負事で負けたんですけど。


 ちょっと動揺が隠し切れないかも……。


「いやーめちゃくちゃ楽しかったよ。やっぱ面と向かってできるっていいなぁ」


「は、はい……そうですね……」


「でも、神楽坂めっちゃ強いな。今までやってきた中で一番強かったし、楽しかったよ。ありがとな!」


「そ、それならよかった……です……」


「あ、あれっ?え、えと神楽坂さん?あ、あの大丈夫ですか?」


 梓くんが本気で心配するように私の顔色を窺い始めた。


 そ、そんなに私、今落ち込んでいるのかしら。


 だとしたら至急明るくならないと。


「い、いえ。べ、別に何もないですけど。初めて何かで負けちゃって悔しいとか、そんなの全然ないですけどっ!」


「神楽坂、え?ちょっと目、ウルってなってない?」


「なってません。これはただ塩化ナトリウムが少量含まれたH2Oに過ぎません」


「それ涙って言うんじゃ?」


「泣いてません。私はそんなお子ちゃまじゃありませんっ」


 ううぅ。今の言い訳も完全に子どもっぽい。


 梓くんがせっかく私と遊んでくれたのに、そんな気持ちを不意にするような態度を取っちゃダメってわかってるのに。


 負けるって結構悔しいなぁ。


 ああ。お願いもしたかったな。


 けど、約束は約束。


 勝ったのは梓くんだし、私は誠心誠意梓くんのお願いを聞くべきだよね。


「じゃ、じゃあまあ約束通り、俺のお願いを聞いてもらうんだが……いいか?」


「は、はい。約束ですしね」


 彼は優しく目を細め、諭すように言った。


「なら、神楽坂に神楽坂のお願いを叶えてもらうってどうだ?」


「え?」


「いや、俺はさ。正直誰かと、ていうか神楽坂とチェスできただけでも結構楽しくってさ。十分満足できたんだよ」


「う……うん」


「んでもって神楽坂、やけにお願いに気合入ってたし、どうしても叶えたいことがあるのかなって。だから俺は神楽坂のお願いを聞いてみたいと思ったんだ」


「梓くん……」


「それでいいか……?」


 彼はすごく大人だなと思った。


 常に誰かのことを考えて行動して。


 これは私が梓くんを好きすぎるからそう見えているだけではなくて。


 彼の本質なんだと思う。


「ほんとにいいの……?」


「ああ」


 そんな優しい彼に対して、私は私欲にまみれたお願いをするのはちょっと遠慮したくなるけど。


 他でもない彼が言うなら、ほんの少しなら、甘えてもいいよね。


 私はそういう期待を込めて、言い放った。


「じゃ、じゃあ私。梓くんのベッドに寝転がりたいです!」

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