第3話

 俺がのぼせて数分。俺は風呂場からそっと顔を出した。

 キッチンの方から換気扇の音が聞こえた。ということは、今シチューを茹でているところなのだろう。

 と思えば、今度はトントンと包丁の音も聞こえてきた。どうやらもう1品何か足すらしい。

 まあ、シチューだけじゃおかずが物足りないといえば物足りないけど、そこまでしなくても別にいいんだけどな。

 キッチンを除くと、丁度武田さんがサラダを盛り付けていた。


「あ、出たんだ」


「ああ」


「ちょっとシチューだけじゃ足りない気がして、もう1品追加しちゃいました」


 サラダにはキュウリとサラダ菜と海藻が入れてあり、その上にミニトマトが乗っていた。

 

「ご飯は冷凍のがあったから、そっち使ってるよ」


「そっか。ありがとう」


 武田さんがお茶碗にご飯を移している間、俺はシチューとサラダを机に置いておいた。

 そして、武田さんがご飯の乗ったお茶碗を机に置いた。


「ビーフシチューか」


「そう。結構じっくり煮込んだから、お肉も柔らかいよ」


「頂きます」


 スプーンで掬って、シチューを口に運んだ。

 心地よい酸味に、とろけるような甘み。

 肉も柔らかくて美味しいし、じゃがいももホカホカだ。

 

「ゲロうまい」


「汚いなー」


「褒め言葉だよ。最近仲間内なかまうちで使ってる」


「えー……? 美味しいのかまずいのかどっちかにしてよ」


 いや、そんなもん決まってるだろ。


「それは……めっちゃ美味しい」


「……良かった」


 武田さんの柔らかな笑みを見て、心なしか、身体の芯が温まった気がした。


「ねぇ」


 武田さんの声が、静かな家の中に響いた。そして、武田さんは、真っ直ぐ俺の目を射抜くように見た。


「私のこと、もっと頼っていいんだよ。私、大輔が大学行けるように応援するから」


 なんで、武田さんは俺の事をこんなに思ってくれているのだろう。こんなに執着したところで、俺ができることなんて何も無い。

 でも、素直にそう思ってくれていることは嬉しかった。


「武田さん、お願いがあるんだけど」


「何?」


「俺、勉強をしたいんだ。第1志望、少し無理して受けてるから。だから、親が旅行行ってる間だけで良いから、その間だけ家事を手伝って欲しい。俺じゃ家事出来ないから、頼りっぱなしになるかもしれないけど、それでも出来ることはするから」

 

 長々と話したが、その一言一言を、武田さんは真剣に聞いてくれた。


「うん。私に出来ることならなんだってするよ。だから、大学受験、絶対受かってね。応援してる」


「……ああ」


 まさか、こんなに真っ直ぐな気持ちを返されるとは思わなかったので、俺は思わず動揺して、声が震えてしまった。


「大輔、早く食べちゃおう。このままにしてたら、私の帰る時間遅くなっちゃうから。早めに洗い物したいし」


「そうだな。あ、いや、いいよ。洗い物くらい俺がするから」


「ううん。私、食器使っちゃったから、だから一緒に洗お」


「……じゃあ、そうしよう」


 シチューを一口食べて、そして俺は牛乳を1口飲んだ。


「なんか、ゲロ甘いな」


「……ちょっと、牛乳でそれは洒落にならないからやめてよ」


「あ、ごめん」


 武田さんが家に来たのは久しぶりだった。でも、家事を手伝ってもらって、一緒に夕飯を食べるのなんて初めてだ。

 まあ、そもそも俺が武田さんと2人きりなんて状態が普通なら有り得ないし当然か。

 だって、これじゃあまるで――夫婦みたいじゃないか。


「ゲホッゲホッゴホゴホ!!」


「ちょっと、大丈夫?」


「ごめん、器官が消滅した」


 危ない危ない。むせたものの、なんとか武田さんの目の前で口の中のものをぶちまけずに済んだ。


「もう……ゆっくりでいいからね?」


 微笑みながら武田さんに言われたものの、俺はペースを早めて食べて、完食するなり直ぐに食器をシンクに持っていった。

 幅70センチ位のシンクに、2人並んで食器を洗っている。

 武田さんはスポンジで食器を洗う係。そして、俺は水ですすいでタオルで拭く係だ。

 食器を洗っていると、洗剤の柑橘系の香りに交じって、花のような甘い香りが鼻孔をくすぐる。

 腕があたったりすると、その度にドキッとしてしまう。これはもう、食器洗いどころではない。

 柔らかくて、か細い腕。頼りになるけど、でも繊細な人なんだと、俺は思った。


「なんか、夫婦みたい」


 と、武田さんが小さく呟いた。

 多分、俺には聞こえないだろうなと思っていたのだろう。でも、俺の耳は聴き逃してはくれなかった。

 俺も、出来るならこの状態で聞きたくはなかった。

 だって、今の状態じゃ、雰囲気が違うのに勘づかれるどころか、耳が赤くなったのまで気づかれてしまう。

 俺は、武田さんが洗い終わるまで、必死に顔を隠し続けていた。

 

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