葵夏

@aokarium76

第1話 ヒマワリヒトデ

「見て見て!あれUFOだ!」


7月の終業式の帰り道。五人で浜辺のガードレール沿いを歩いて帰っていると、ムッちゃんは元気良く一人だけ前へ飛び出して青空に浮かぶ光る何かを指差した。

学校に半刻ほど残っていた為だろうか。近所の小中学生は既に下校を終えていたようであまり人は歩いていない様子だ。海町の大通りは、私たちくらいしか騒いでいる人は居らず、すこし静かに感じる。


「そんなわけないでしょ。きっと人工衛星か何かだよ。ほら、宿題たくさん出されたんだから早く帰らないと。」


私は目をきらきらと輝かせているムッちゃんに対し、一つため息をついたのちに少し現実主義気味な自分の意見を淡々と述べて返答してみる。しかしムッちゃんはそんな私の意見を気に入らなかったらしい。


「ぶー、タイちゃんのサドリアリストー」

柔らかな頬を膨らませて、何処で覚えたのか定かでない言葉で反抗する。…風船みたいに膨らんだほっぺたは釣られた時のフグにようにパンパンだ。



タイちゃんというのは、私のあだ名だ。海野向日葵のヒマワリからヒマをとって、ヒマそうに見えるから。退屈そうに見えるから、タイちゃんなのだそうだ。それならば普通にヒマちゃんでいい気がするのだけれど。


きっとあだ名をつけたときは捻りたい気分だったのだろう。ムッちゃんはいつも気分で人のあだ名も自分のあだ名も決めるから困る。しかもそのヘンテコなあだ名がいつのまにか人に浸透するから尚更だ。…まぁ、もう慣れたけれど。




しかし、リアリストはまだしもサドまで言われるとは。正直それに反応するのもどうかと思ったが、呼ばれたからにはリクエストには答えたほうがいいだろう。弟に対して叱る姉のように頬をつまんで遊んでみることにしてみれば、ムッちゃんは文句を言いたげな子供のような顔をする。




ムッちゃんは「いはーい!」と言いながら抵抗していたが、面白いのでちょっと続けてみることにした。すべすべでもちもちで、よく伸びるほっぺだ。…こういうおもちゃ、あるよなあ。すると、



「まあまあ」


後ろから変声期を迎えたばかりの低めのが聞こえた。なんだろうと思い振り返るれば後ろを歩いていたシズちゃんがいつの間にかこちらに来る。伸びてきた手はそっと私の手を掴み、ムッちゃんのほっぺたから引き離した。…止めに来たのだろうか?しかしながら、そう思うやいなやシズちゃんは空に浮かんだ衛星を見つめて言った。



「今、昼間だからなあ。衛星が輝いてもそんなに目立つものじゃないし…そう言った観点から考えても多少ファンタジックだがそう言った考えに陥ってもまあ痛い子だと思われる以外は問題ないと思うけど…。」


「それ大問題じゃないかな。」



シズちゃんが静かに言った感想に対してムッちゃんんはそうツッコむように返すと、「冗談だ」とからかうように言った。ムッちゃんは「シズちゃんのバカー!」と拗ね、シズちゃんは「それはムーの方だろ」と無表情で返す。




ぎゃあぎゃあとシズちゃんに対して文句を言うムッちゃん、ムッちゃんの言葉にはいはいとやる気なく返事するシズちゃん。こりゃあと5分は続くなあと予測すると目を逸らすように横目で海を見つめた。


今日は降水確率20%で晴れのち曇り。海は凪いでいた。海が青々しく輝く。



「わー…海が青いね。また今年ももうじき海開きかな。」と言った彼女のふわふわした髪が風に揺れる。潮の匂いがふわりと鼻をくすぐった。


「そうだね。また、泳ぎに行こっかミヤビ」

「うん!でもその前に宿題だね。」


ミヤビは苦笑いを浮かべる。そういえば今年も宿題はたんまりだったっけ。

「そうだね」

私もまた苦笑いで返した。




ギャーギャーと怒るムッちゃんにそれをからかうシズちゃん。喧嘩のように見える光景も実際のところ、全部シズちゃんに論破されているから成立していない。…シズちゃんは2個上だし、頭もいいから口喧嘩で勝てるわけもないのに懲りないなぁ。


そろそろ止めようか、ため息をついたのち右手を上げてチョップのポーズを取る。頭をごちんと一発やれば大人しくなるはずだ。構えて、一点に集中する…………と、後ろの方向から大きな声で誰かに呼ばれる。振り返ってみれば、ものすごい勢いで走ってくるのが見えた。




「皆待ってー!靴紐解けてたのー!」


道の向こうから息をぜえはあと切らしながら誰かが近づいてくる。そういえば幾分か静かに感じたのは、彼女がいなかったからかもしれない。




「ごめんユリ姉、靴紐ほどけたって言ってたの忘れてた。」


「酷っ⁉︎」


「ついでにユリ姉の存在も忘れてた。」


「うわーん⁉︎ちょっと待って泣いちゃうよ⁉︎タイちゃんお姉ちゃん泣いちゃうよ⁉︎」



笑顔でそうからかえば、ユリ姉は目をウルウルとさせてきた。なんだか昔やってたCMのチワワを彷彿とさせるその顔を見ると、思わずからかいたくなってしまう。




「冗談だってばー。忘れてたのは本当だけど」


「ひどい!妹がひどい!タイちゃんのバカー!」


ユリ姉は半泣きの表情で私の背中をポカポカと叩いた。正確には姉じゃなくて従姉だけれど、こういうじゃれあいはわりと好きな方だ。



あわあわとしながらユリ姉を止めようとするミヤビに、ニヤついた顔で眺めるシズちゃん。…ムッちゃんはいつもならどちらかに参加するはずなのに静かだなと思えば、なんでか海を見つめていた。子供だ子供だと思ってたけど、もう中学1年生になったんだから、多少は成長したのかもしれない。そう、思っていたのだけれど



「そうだ!」


「わっ!?ど、どうしたのムッくん」


次の瞬間、手のひらを叩きムッちゃんは大きな声で言った。急な大声にどうしたのと聞こうとすれば、それよりも前にミヤビが動く。


「あのさ、今から自由研究しようよ!」


なんの脈絡もなく、前振りもなく。キラキラした目で、ムッちゃんはそう言った。…何がどうして、その提案に至ったのだろう。



「はぁ?どうしたムー、頭打ったか?」



しかし、そう思っていたのは私だけではなかったらしい。シズちゃんが半笑いで小馬鹿にしたように聞けば、ムッちゃんは「無事だから!」とちょっと怒ったように言い、そして続ける。




「ほら、理科の夏休みの宿題で自由研究があるでしょ。小学生の頃な十円磨いたりとか、レモンで電池作ったりとかやってたけどなんかそんなのよりもっと楽しいのやりたいじゃん。それでね、僕考えてたんだけどさ。この海辺のさ、生物調査とかどうかなって思って!


理科のコバセンが言ってたけど、調査範囲とかテーマが大きいものって評価いいらしいし!…それに僕、後にしたら忘れそうだしさ。みんなでやったら楽しいしいいかなって思ってさ。ね、ね、やるでしょ?」



アヒルとポッキーが並ぶ通知表のムッちゃんのことだ、評価はさほど気にしていないはずだ。だからこの場合、忘れないようにすることのほうが大事だろうに。…まぁ、みんなでやったほうが楽しいというのもわかるし、なによりその目は先ほどUFOを見たと言った時よりも輝いているように見える。


それに来年になれば1つ年上のシズちゃんとユリ姉は高校生になってしまうからこんなことをできるのも今年までだ。楽しい思い出にもなるしいいかもしれない。




「まぁ確かにそういうのよく表彰されてるよね!去年タイちゃんもやってたし」


「まぁね。でも調査とかにするならテーマがはっきりしてたほうがいいんじゃない?私は

ヒマワリの品種研究だったし」


「じゃあ、貝殻の研究にしよう!」


「じゃあいったん荷物置きてーし、帰ってからの方がいいんじゃないか?」


「そうだね。それじゃあお昼ご飯を食べて、着替えて、1時になったら集合って感じにしようか」




一人が賛成すれば、二人、三人四人と続いていって。とんとん拍子で決めれば一斉にみんなでうなずく。終業式の帰り道、夏休みの一番さいしょの予定を果たすためそれぞれの帰路へと一目散に分かれていった。




「じゃあ、女子陣はこの岩より向こうをお願い。シズちゃん、僕たちは岩場をやろっか」


家に帰り昼食を食べ、着替えて集まって。なんだかんだと作業をし始めたときには、太陽は空の一番高いところに佇んでいた。


熱くさらさらとしていて、歩くたびに細かな粒が足にまとわりつく砂浜を歩く。制服じゃないからマシなはずなのに首元、ちょっと暑いなあ。右手につけていたゴムで結びポニーテールにしてみる。…うん、少しだけマシになった気がする。




「タイちゃんー!ちょっと来てー!」


「はーい」


私が準備をしている間に先に始めていたユリ姉がこちらへ向かって手を振ってきた。何事だろうと思いながら返事をして、砂浜を駆ける。塊のない砂を踏みしめて走った。結べない伸びた前髪がさらさらと海風に攫われる。




「どうしたの?」


「ふっふっふ、タイちゃんにとっておきのものを見せてあげよう。…くらえー!」


潮風を心地よく浴びながら走り、ユリ姉の元へ辿り着いて聞けば。彼女はニヤついた表情で手を開けると声を上げてその物体をこちらに放り投げた。羽をもたないそれは飛べないまま落ちてゆき、地面へ着く前に悲鳴が上がる。


「きゃああああ!」


甲高い悲鳴は投げつけられた私のものでも、投げつけたユリ姉のものでもなく。すぐ側にいたミヤビは私の背中にしがみ付き声もなく震えていた。虫もおばけも嫌いなミヤビは女の子らしくてかわいい。私はそんな要素がないから、少しうらやましいくらいだ。




「はーい、リリースしまーす」


「うわぁっ!?…つまんなーい、タイちゃんも少しくらい驚いたっていいのにー」


「残念ながら虫なんて怖いと思ったこともないのよね。田舎生まれ田舎育ちなめないでくれる?」


「うう…タイちゃん。わたしだって生まれも育ちもここなのに虫ダメなんだけど…」


「だいじょーぶ!あたしここ育ちなのに泳げないよ!」


えっへんと、ない胸を張りながらユリ姉はそう言って見せた。…それは自信満々に言うことじゃあないと思うんだけど、まぁいいか。


「もうー、ユリ姉。ミヤビは虫ダメなんだから、あんまり変なことしちゃダメでしょ?ほら、サボってたらムッちゃんたちに怒られちゃうから真面目に捜索しよ?」


「確かに…ごめんねミーちゃん」




思い出したようにユリ姉を叱り、そう空気を切り替えるように言えば彼女は素直に謝って。ミヤビはといえば、「うん、大丈夫だよ」とあっけなくそれに返答をした。




三人で黙々と、しかし少し談笑しながら砂を掘っては貝殻を集めて行く。地元民以外の海水浴客の来ないこの海の砂浜に漂着物以外のゴミはない。また、その漂着物も景観保全のためと月1の掃除があるためだろうか。海には人が持ち込んだ貝殻は無く、自然のままのものがゴロゴロと転がっていた。


一つ一つ、砂を払いながら貝殻を拾って透明なビニール袋に入れていく。桜色、白色、少し青いもの。様々な色の貝殻がある。まるで人みたいにたくさん、いろんな色や形をして自己主張するそれを見つめた。青い、青い。海よりも青い貝殻を見つめながら、少し昔のことを思い出す。




『太陽みたいにみんなを照らすように。だけど大きな夢を持てるように。だからあなたは、向日葵なのよ。』


おばあちゃんが、昔に言ってくれた言葉。幼い頃から仕事ばかりの両親に変わって私を育ててくれたおばあちゃん。私が誕生日なのに誰もいないとぐずった時に、言ってくれたのだっけ。


『貴方はね、名前っていうプレゼントを貰ってる。それはとても素敵なものよ。だってずっと名前は変わらないし、変えられないものだからね。』


そう言いながら私の髪を撫でるように梳いたおばあちゃん。向日葵は、二つの花が含まれてるから、美人になるわね。と言ってくれたっけ。…懐かしいなあ。




「おーい!」


そんなふうにして昔の追想にふけっていると、岩の向こうから聞こえた声に引き戻される。何か見つかったのだろうか。…もし先ほどのユリ姉みたいなことだったらまた怒ってしまいそうだ。そう思いながらも「今行くー」と返事をすると、貝殻の袋を手に握って砂浜を走って向かう。


「なになに、どうしたの?」


「まぁ待てよ、ほら」


砂浜をしゃくしゃくと音を立てて走り、岩場を超えて少し息を切らしながら真っ先に聞いたユリ姉。それに対してシズくんは握っていた右手を開き見せてみせる。…真っ白な貝殻だ。傷一つなく、艶めいた白色をしている。


「綺麗…。」


「でしょー!」


「いやいや、見つけたの俺だから」


「そうでしたー」


この巻き方と、この特徴的な形はホネガイだろうか。ただ、この貝はなかなかこの辺りでは見つけられるものじゃないから、ここに住んでいる貝の調査にはならないだろう。


「うーん…でもここの調査にはならないよね。…けど、きれいだから誰か持って帰る?」


「はいはいはーい!!」


真っ先にユリ姉がと大きな声で手を挙げて返事をする。早い。さすが人間に対してもものに対してもきれいなものに食いつきやすいユリ姉だ。



「いい?シズくん」


「もう言っちまったんだから渡すよりほかないだろ。どのみち俺もいらないし」


「確かにそれもそうだね」


「ま、ムーもいいの見つけたみたいだし?」


どのみちこの感じだと調査に使えるようなものでもなさそうだけどホネガイの他にいいもの、というと。同じように貝殻か、それともシーグラスかなにかだろうか。。


「そうだった!」


「忘れてたのかよ。しっかりしろよな、ムー。」


「だってー…あ!あのね、タイちゃんに見せたいものがあるんだよ!」


なんて、私が考えるのも気にせずに、シズちゃんが小突いてムッちゃんは口を尖らせる。しかしながらそれも一瞬のことで、すぐにころりと表情が変わった。あふれんばかりの笑顔だ。




「なになに?」


「へっへー、見て驚いてね…じゃーん!」


声を上げたかと思うと、両の掌を開く。シーグラスでも貝殻でもなく、ヒトデだ。予想外のものに対して何も言えずに黙っていると、ムッちゃんは「あのね」と切り出す。




「昔に、タイちゃんが引っ越してきたときにさ。タイちゃん、星の髪飾りつけてたよね。確か、おかあさんから貰ったっていう星の髪飾り。」


…あぁ、思い出した。お父さんとお母さんが仕事の都合で家にいることができないからと、祖父母の家に預けられることになった時。ウィーンへ行くその直前、お母さんから髪飾りをもらったんだっけ。


「ただあの時僕、今よりも子供だったからさ。きらきらしたタイちゃんの髪飾りが欲しくなっちゃって、どこかになくしちゃったことあったじゃん。あの時タイちゃんさ。涙こらえながら授業受けて、誰もいなくなった教室で泣いてたよね。


けど、タイちゃんと仲良くなってから面と向かって謝れる機会なんてそうそうなくなっちゃって。なんていうか、仲良くなればなるほど自分が犯人だって言い出しづらくなっちゃって。ずっと、謝れないままでいたよね。


…だから、その。これは髪飾りじゃないけど。その時の償いとか、そういうのじゃないけど…え、えっと、綺麗なヒトデ、見つけたからあげたいなあって、思って。」


そういうとムッくんは私の手に青色の綺麗なヒトデを置いて、にへっと笑った。…なんでそんな昔のこと、言い出したんだろう。もうとっくに本人も忘れていたようなことだったんだから気にしなくてもいいのに。…っていうか、ヒトデ生きたまま渡したら育てないといけないじゃんか。でも


「…ありがとう」


その綺麗なヒトデが綺麗だったからか、ずっと覚えていてくれたのだと思うと少しうれしくて。感謝の言葉を言えばムッちゃんは「どういたしまして」言って、かと思えば「だけどね」と続ける。


ふわり。ムッちゃんの手が視界を横切った瞬間、結んだ髪になにかがそっとささる感覚がした。


「でもね、僕。タイちゃんは星よりも太陽が似合うと思うな。みんなタイちゃんはクールだから星が似合うって言うけど、タイちゃん、ひまわりって名前なんだから。ほら、かわいい」


ムッちゃんの瞳の中に映るのは、向日葵の花を髪につけた私で。しっかり落ちないでつけられたことを確認すると「よしっ」と言ってそのまま貝殻の捜索を始めてしまう。




急に昔やってしまった罪の告白をして、急にヒトデを渡して。挙句の果てに人の神に向日葵を挿したかと思えば、似合うなんて言って…かわいいなんて言って。ほんと、自由人にもほどがある。振り回されて、振り回されて、戸惑ってしまう。


「…ちょっとヒトデ、別の袋に入れてくる」


先ほどのまでのことなんて何でもなかったかのように作業をするみんなを背に、逆の方向へと踵を返す。あつい、暑いいや…熱い。じりじりと照り付けるような日差しよりも、ゆだってしまうような気温よりも。自分の中からこみあげてくる熱のせいで、頬が熱い気がした。




海辺を吹き抜ける潮風が、何かこれまでとは違う感情を運んできたような。そんな気がした、夏休みのはじまり。


私はこの感情の名前を、まだ知らないままだった。




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