第2話 束の間の平穏

「ねえ、今日も一緒に帰っていい?」

「良いよ」

「ふふっ、じゃあ帰ろっか」

 進はと言うと野球部の練習が多く、実はそんなに一緒に帰ったことがない。どっちも用事が無ければ今日のように美咲と帰るのが定番だ。まあ、家が隣だから、わざわざ別々に帰るのも変というのが主な理由だ。

「あのさ、博己は好きな人とかいるのかな?」

「突然なんだよ!?」

「良ければ真剣に真剣に答えてほしいかな……ねえ、何か言ってよ」


「美咲のことが好きだ!俺と付き合ってください!!」

「ホントに?」

「冗談で言えるほど俺はプレイボールでも今業平いまなりひらでもないよ」

「その、ありがとう。私も博己が大好きです!」

「お、おう」

「えへへ、照れるね」

「だな……」

「とりあえず帰ろっか。また明日」

「!?」

「ファーストキスだよ」

 明日からどうすればいいのだろうか……

 家の鍵を取り出そうとしていると何やら視線を感じる。しかし周りを見渡しても誰の姿もなく、自身が舞い上がっていることに気づかされた。単細胞万歳。


 翌朝、いつも通りに玄関先で自然と集合する。進は例にもれず朝練だから登校も別々。もしかしてそこまで親友っぽくないのかも?

 そんないつもの朝であるはずなのに妙に緊張する。細胞も人格も容姿も何もかも昨日と同じなのに。「幼馴染の女友達」から「幼馴染の彼女」と関係の名称が変わるだけでこうも世界が違って見えるのか……

 なるほど、確かに「前の関係の方が良かった」と言い残して、戻れるはずもないのに破局を迎えるカップルが絶えない訳だ。とは言え今日こんにちにおいては他人事ではなく、まさしく明日は我が身かもしれない。近いからこそ離れるのも早い。一般的な距離感にするだけでよいのだから。何とも儚い。だからこそ人は愛をたっとぶのである。

「ねえ~博己聞いてる?」

「ああ、ごめん、昨日寝不足でさ」

「もう。でも、私もドキドキして昨日はあんまり寝れなかったんだ」

 かわいい。これがイチャイチャってやつか。正直たまらん。

 長い通学路をこんなにも早く感じたのは初めてだった。

「……?」

「美咲、どうかした?」

「なんだか誰かに見られてる気がして」

 気になって俺も辺りを見渡したが誰もいない。

「気のせいだったよ、えへへ」


「マジかよ!とうとう付き合ったのかお前ら!?」

「進もいい子見つけなよ」

「美咲ちゃんは気軽に言うけど、モテない上に部活が忙しくてろくにデートの時間も割けないような男を好きになってくれるような天使はどこにもいないんだよ~」

「しばらくはボールが彼女だな」

「美咲ちゃんと付き合えたからってコイツ~!!」


「じゃあ、帰ろっか」

「お、おう……」

 気まずさとは少し違う謎の緊張感。人は甘酸っぱいだとか表現するかもしれないが、何となくそれが最適解ではないような気がした。

 今度は打って変わって、これ程までに、家が遠く感じたのも初めてだった。初めて図尽くしに高揚とある種の焦燥感にも似た複雑な心情だった。幸い、心を乱す絵の具の色は鮮やかで恍惚とさせる色彩だった。これがあまりにも深く、同じ赤色をとっても、情熱の赤なのか、はたまた静脈血を彷彿とさせるような暗褐色かどうかで人生は変わってしまう。

「手、つないでもいいかな?」

 俺は比較的手汗の多いタイプだったから、一瞬躊躇したが、彼氏らしく手を差し出した。彼氏らしく。今までになかった判断基準に我ながら驚きながらも、僕の手汗を受け止める柔らかくて小さな手に意識は全て持っていかれた。




 と言い訳するつもりはない。俺は人生にもたらされた平和に浸り過ぎて、不穏というものを忘れていた。一番忘れてはならない時に―――


「aaaaああああ!!!」

 突然美咲が発狂した。俺の手は振り払われ、白昼夢を観ていたかのように、一瞬にして平穏は消え去った。夢が覚めると同時に悪夢が始まる。美咲のすぐ近くに、それは俺の近くでもある訳だが、突如としてが現れた。夕焼け空に輝く、腰の上にまで伸ばされた髪は、闇の具象ぐしょうのように、落ちようとしている太陽の明かりを吸収している。そしてその光に反射して俺の視界を狭める鋭利な刃物。脊髄反射で「ヤバい」と精神に緊急信号を発信する。

「ひろき……助けて」

 右腹部に傷を負った美咲は何とか俺に助けを求める。

「おい!!」

 言葉が上手く続かない。

「博己君をけがした罪人は極刑に値するんだよ。だから安心してね。私がこれからもず~と守ってあげるから♡」

「な、なにを」


「いいから美咲から離れろよ!!」

「はぁ、またダメなんだね」

「いい加減にしないとしらないぞ!」

「アンタもね!!」

 日常会話のように話し続けていたこの女は突然大声を出し、今の状況も相まって恐怖は頂点となった。

「ま、いいよ。私のことを嫌っている博己君は本物じゃないし」

「早くどっか行けよ!」

「さよなら」



 再び日常が舞い戻ってきたのは、夕方はおろか夜ですらなく、数日後のお昼時だった。俺は生涯、寝たきりで声を出すこともできなくなり、そして何より美咲を失ってしまった。捜査はその後何の進展もなく、依然としてあの女は見つかっていない。あの黄昏に現れた魔女はいったい何者だったのか。その答えすらも聞けそうにない。

「今度こそさよなら♡」


END2 「愛別離苦」





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