第19話 墓を離れる霊

「木口の情報と、なにか先輩が持つ日記帳やボールペンの情報が手に入ったっすね」


 吉田君はそう言ってほっと一息つくと、私の手に持つ日記帳を見ながらまた言葉を続けた。


「その日記帳、今は開かないっすかね。もし中身が観られたら記憶も蘇りそうっすけど」


 それもそうだ。私はこの日記帳を肌身離さず持っているが、どんなに力を入れても開けることができなかったし、そもそも日記帳のベルトを外すこともできなかった。でも、少しでも木口やこの日記帳の情報を知れた今では開くかもしれない。私は吉田君に頷いて、日記帳を再び開こうと試みた。

 なんと、今まで微動だにしなかった革製のカバーベルトが外れた。特に力を込めたわけでもないのに外れた、ということは日記帳本体も開くはず。私は恐る恐る日記帳を開こうとした。


「……なにか先輩? ――開かないっすか」


 どうやら開かない。ベルトは外したのに、表紙だけをもって傾けても日記帳の中身が観られるわけでもない。何かの力が込められているのか、以前の様にどれだけ力を込めて表紙さえ開くことができない。


「まぁ、そのベルトが外れただけでも嬢ちゃんにとっては前進だろう。焦らないことだよ」


 確かに、この老人の霊の言う通りかもしれない。少しづつでも、確実に私は私自身に近づいているんだ。焦る必要はどこにもないんだ。


 朝か昼にこの墓場に来てから、呼び出したルーフのお腹に顔を埋めてショックを紛らわしている今の間にどれほどの時間が経ったのだろう。お日様は西に傾きつつある。そしてカラスが三つほど高く鳴くと、どうやらこの一日も終わるのかと思ってしまうんだ。


「嬢ちゃんたちは、これからも情報を集めるのかい」

「あぁ、それが今のところ俺達の目標だからな。じいさんはこれからどうするんだ」


 ルーフのやわらかいお腹に顔を埋めている間に、老人の霊と吉田君の会話が聴こえてくる。そう言えば、この霊は家族と離れる時に何か言っていた気がする。何だったか。


「わしはな、明日から守護霊になる」

「守護霊、凄いじゃないか。よかったなじいさん」


 思い出した、この老人の霊は家族に対して『明日にはもうここにはいない』なんて言っていたんだ。守護霊とはなるほどと私は納得したが、守護霊ということはやはり誰かを守る為に憑くということだ。私についているルーフのように。


「墓で四年間ひたすら待つのは長かったが、これでわしにも来世がありそうだな」

「四年で守護霊はありえないくらい早いな。普通は三十年くらいかかるもんだが、よかったな爺さん。精々守ってやんな」


 この老人の霊は四年間動かずにこの場所にいたという話が私には少し衝撃だった。何で動けないのかが疑問だったが、ふと墓地の四方にある石の柱を目でとらえると納得した。そう言えば、他の霊も外に出ることができてなかったな。


「守護霊ってでも、ぶっちゃけ何するんかな。わしも初めてのことで少しコワイな」

「守護霊ってのは、ただ外敵から宿主を守ればいいのさ。あ、因みにこのルーフも守護霊だ。今なにか先輩についてる」


 老人の霊は目を丸くしてルーフと私を交互に見た。そして吉田君に顔を戻すと、何故か冷や汗をかきながら小声でつぶやいた。


「わしも、禍々しくなるのかのぅ……。ていうか、霊を宿主にする事ってあるのかい」


 老人が不安そうな瞳と口調で吉田君にうろたえながら質問をすると、吉田君は笑って答えた。


「ルーフもなにか先輩も少し特殊だから、普通はそうなる事は無い。それに、ルーフの見た目は宿主のなにか先輩が怨霊中の怨霊だからってのもある」

「そ、そうか! ふぅ、なんか守護霊って勝手なイメージだが、純白ってイメージがあるからな」


 二人は私達を見ながらそんな話をしているが、どうやら落ち着いたようだ。それに老人の霊が言う守護霊のイメージはたぶん合っていると私は思う。何故なら、街中の人間達から真っ白な霊が見え隠れしていたからだ。そして純白の霊は基本的に愛想がいい事も知っている。何故なら、私は何回か守護霊と話をした事があるからだ。……だいぶ震えていた気がするが。


「じいさんはじゃあ、これから新生児か霊替えか霊無しのところに行くのか。どっちだろな」

「結構行き場所の種類があるんだな。もしかして君も守護霊の経験が? 」

「いや、俺はない。ただそう言うのは詳しいぜ。何体か見てきたからな」


 吉田君はどれくらい霊をやっているのだろう。守護霊はありえないくらい早くても霊歴四年と彼は言っていた。しかし、普通は三十年ほどかかるとも言っていた。そんな守護霊を彼は何体か見てきたという。吉田君は死んでから何年経っているのか、想像するにその割には若そうな見た目なため、私は少し気になった。

 そのことを聞こうと手で引っ張って伝えると、吉田君はいつもの様に微笑んで答えてくれた。


「あ、霊は基本的に死んだ瞬間で年や容が固定されるっす。俺は三十三歳位で死んだんで、こんな感じなんすよ」

「君ずいぶん若い時に亡くなったんだな。わしが三十三の時は、もう五十九年前くらいか」


 私はどうやら誤解していたようだ。霊も年を越せば歳をとるのかと思っていたんだ。でもそういうわけではなく、霊体は死んだ瞬間の年齢がそのまま反映されるということらしい。ならば現在九十二歳の木口が中学生時代に贈物をした女性というのが、あながち私ではないとも言えなくなるんだ。

 それを思えば思うほど私の中で私自身に近づいているという喜びと、この日記帳の私との直接的な関連性がある様な気がして嬉しくなった。


 一人で嬉しくなる私は日記帳を抱きかかえながらルーフの背中の上でゴロゴロ転がっていると、懐かしく温かな気持ちが頭をよぎる。その懐かしさとは日記帳やラブレターに対してと、誰に対してか分からないけど、どの誰かに対する温かな気持ちだ。

 ふと日記帳を見ると、表紙だけが開いていた。そこに何も情報はないけれど、この表紙裏にこのラブレターを挟むのが本来のカタチのような気がした。そうする事で、不思議とさらに懐かしさが込み上げてくる。


「そろそろ、行かなきゃな。そんな気がする」

「ついてってやろうか」

「いいのかい? 」


 私はやわらかくふやけた顔をもとに戻し、ルーフの背中から老人の霊と吉田君を見つめた。どうやら老人の霊は守護霊として宿主の元に行かなくてはならないらしい。そしてどうやら、吉田君はそれに付いて行くと言っているらしい。


「なにか先輩、あれ? なんかいいことあったっすか? 」


 こちらに振り向いた吉田君がいきなりそんなことをいうので驚いたが、どうやら私の顔は元に戻りきっておらず、まだ笑みがおさまっていないらしい。しかたない、日記帳が開いたんだ。表紙だけだが。私はそのことを日記帳を見せて示した。


「お、まじすか。よかったっすね! 表紙開いたってことは後は早いっすよ」


 私もそう思う、もうじき全てがわかるんだ。全てがわかれば、私もルーフや老人の霊の様に守護霊になったりできるのかもしれない。


「嬢ちゃんも君も頑張ってるんだ、この老いぼれも頑張らんとな」


 老人の霊はそう言って自分の墓を離れた。墓地の細い道を歩き進み、とうとう石の柱の結界が貼られている階段にまでたどり着いた。


「これ、行けるよな? だってわし守護霊だし」

「いけるいける」


 老人の霊は少しおっかないように結界を見つめるが、吉田君は当然の様に頷いて答えている。そう言えば、私達はここから出られるのだろうか。私もなんだか心配になってきた。

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