第20話 まだ見ぬ宿主

「守護霊やそれになる霊に対しては、この結界は全くの無害だ。気にしなくてもいい、けど」


 吉田君がそう言うので老人の霊は頷いて石の柱の真ん中を通り、普通の霊や守護霊になる前の老人の霊が通れなかった墓場の結界を、老人の霊は何の障害も無く通ることができた。

 老人の霊が守護霊になった事によりこの結界が通れるのだとすれば、ルーフもおそらく素通りできるのだろう。だけど、私はどうなんだろう。そして吉田君も。私も彼も一応怨霊らしいし、もしかしたら守護霊になるまでここに閉じ込められるのではないか。


 そんなことを心配してると、となりにいる吉田君は苦笑いをして私を見て、階段の両脇にある石の柱を見た。


「しょうがないっすよ、目的のためなら」


 それはどういうことなのだろうか。吉田君は石の柱に触って、まるで何かを確認するかのように凝視しながら続けた。


「なにか先輩がこの場所に入ったことで、結界が崩壊しかけてるっす。だから俺も入ってこれたんすけどね」


 そう言えば、私はこの場所に普通に入ってこれた。吉田君の話によれば、ここは外と内の両方から霊を遮断するための結界が貼られている場所らしく、守護霊でもない霊の場合は相当に力が強くなければ侵入することも抜け出すことも出来ないらしい。

 それがどうやら私が無理やり侵入したせいで、墓場の結界が解かれつつあるという話だ。私は少しもうしわけなく思ったが、それでも私自身に近づく為とわがままかもしれないけど通ろうと思う。


「お前さん達、やはり怨霊なんだな。若い姿で可哀想に」

「どうかな。まぁでも目的を果たせば守護霊にもなれるさ。なにか先輩、行きましょう」


 老人の霊の哀れみをもった瞳を感じながら、私は吉田君の言葉に頷いて結界に触れて外に進んだ。


「あぁ――。まぁ、しかたないっすよ」


 私が石の柱を歩み越えた瞬間、石の柱に亀裂が走って砕け崩れた。そして墓場を囲う空間のような物が一瞬見えたと思えば、それはガラスが割れるような音を出しながら崩れていく。これがどうやら、結界という物らしい。


「お嬢ちゃん、君は何を恨んでいるんだ。どれほどの未練があればそれほどに……」


 背後に崩れ落ちる結界の前に立つ私を見て、老人の霊は私にそんなことを言った。何を恨んでいるのか、どんな未練があるのか、そんなことは私には分からない。だけど、たぶんもうじきわかることなんだ。きっとすぐそこに私自身の記憶があるから。

 ルーフは既に私の横にいるが、吉田君は結界が完全に消えてからヒョコっと後ろから追い付いてきた。


「あそこに葬られた者にとっては、あの結界のおかげで安寧の地だったんだろうけどね。また誰かが結界つくるさ」


 吉田君の言葉を聞きながら墓場の方を振り返ると、墓場の住民だった霊達が外を見つめて呆然としている。

 階段を降りながら今まで見た事や彼の言葉を振り返ると、今現在あの霊達はあそこから出られなかったのが出られるようになったということだ。さらに言うと今まで霊に入られなかったのが、今では怨霊でも入ることができるということだ。


「そうだな、アレだけ大きく石の柱が崩れていれば人間も何かしら気が付くだろう。それまでが少し心配だがな」


 老人の霊はそう言いながら足を進めるが、どうも足が遅い。もう日は暮れつつあり、上を見上げれば空は朱に染まりつつある。明日守護霊になるというのに、これで宿主にたどり着けるのだろうか。

 ――どうやら吉田君も同じことを思っていたらしい。老人の霊の肩を指で突いて彼は口を開いた。


「じいさん、日が変わるうちにたどり着けるのかよ」

「大丈夫だ、そんな遠くない感じがする。確実に憑く」


 老人の霊はそんなことを言いながらゆっくりと歩いている。駐車場を出て少しの砂利道を歩いた後に、……ようやく道路に出た。



 そう言えば、老人の霊は自分の憑く宿主が誰かを知っているのだろうか。そしてどこにいるのかがどうしてわかるのだろうか。老人の霊は『そんな遠くない気がする』と言っていたんだ。完全に知っているわけではないようなんだ。そしてそのことに対して吉田君は何も言わなかった。

 彼を横目で見てみると、特に疑問を持っていないように紫の空を見つめながらあくびをする仕草をした。……彼は眠くならないはずなのに、よほど退屈なのだろう。私は彼を突いて気になることを聞いた。


「守護霊になる霊は、基本的に宿主の人間を全く知らないっす。本当は生きている自分の大切な人につきたいんすけどね、そうもいかないんすよ」


 吉田君が言うには、守護霊は基本的に全く知らない人間に憑くのだという。なぜ他の者に比べて思い入れがありそうな生前の家族に憑けないのかというと、その人間には既に守護霊が憑いているから、交代でもない限り憑けないというのが大多数の理由らしい。

 その他の例とすれば、とても親しい二人の人間がパートナーを一人残して霊になったとしても、その霊がパートナーの守護霊になることはとても難しいらしい。理由はやはり既にいる守護霊がそうだが、その他には死んだ後に守護霊になるには相応の年数がいるため、守護霊になる前にパートナーも死んでしまうというのが理由だそうだ。


「そんな全く知らない人間なのに、なんでその宿主の場所がわかって憑けるのかというと、帰巣本能ってやつに近いっすね」


 帰巣本能とは何だろうか。私はまた続けて問うと、どうやら帰らなければいけないところに帰るという動物の本能らしい。守護霊になる霊には、宿主に対してその本能のような物が働き、全く知らない人間であっても大よそどこにいるのかがわかり、確実に憑りつけるとのことだ。


「お前さんやけに詳しいな。確かに、わしもなんとなくだが宿主の場所がわかる。なんだか鳩みたいだな」


 老人の霊はそう言って笑いながら両手を上下に振って、鳥が羽ばたくような真似をした。そんな時だ、遠くから高い音が鳴り響く。

 その音は聞き覚えがある。以前街でも聴いたことのある『救急車』という自動車が鳴らすサイレンという音だ。その音は遠くから徐々に近づき、その音源が猛スピードで私達を横切った。


「なにかあったのかな。妊婦とかだったらビンゴだな」

「やっぱ新生児かな。長い付き合いになりそうだな」


 吉田君はそう言って救急車去った後を見ており、老人の霊は頷いて笑った。仮にそうだったとしたら、あの自動車を追わなければいけないものかと思ったが、老人の霊は変わらず道を進んでいく。


「憑く場所は、初めから決められてるっす。宿主がどれだけ移動しようとも、守護霊になる霊が他の霊に襲われようとも、運命みたいに絶対に憑くんすよ」


 なんだか不思議な感じがした。でもきっと、そういうモノなんだと私はやわらかく納得をする。

 田畑から虫の鳴き声が聴こえるこの長い道を、私達はひたすら歩いた。空を見上げれば赤みが消え、その代わりに星が綺麗にちりばめられた濃い青色が上を覆う。どれだけ時間が流れたのだろう、相当に歩いた。


「見えてきたな。たぶんあそこだろ」

「わしもそんな気がする」


 少し遠くに明かりが多く見える。どうやら街の様だ。そして先ほど聞いた音が今度は後ろからやってくる。どうやら救急車が鳴らすサイレンという音だ。


 街を進むと大きな駐車場があり、その奥に大きな建物があった。どうやらそこは病院で、明かりと音が消えた救急車が止まっているのが見える。


「ここだな、間違いない。ここの三階だな」


 病院のガラス扉に人間が近づくと、扉は自動的に左右に開いた。しかし私達が近づいても扉は反応しないので、透き通って中に入って行った。

 老人の霊は浮遊をしないようで、階段を歩きながら目的の場所へ進んでいく。私は後をついて行くだけだったが、老人の霊は『分娩室』と書いてある叫び声が響く扉の前に立ち止まった。


「ここだ」

「いたいいいいいい!! お母さんだって痛いんだちくしょおおおおおっ! リキんどるわああああああ!! 」


 老人の霊の呟くような声は、分娩室という所から響く女性の絶叫によってかき消されていた。分娩室とは何なのだろうか、吉田君達が『新生児』と何度も言っていたのを思い出した。それでも女性の絶叫と怒声が聴こえる部屋に入るのには、少し躊躇した。

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