小説を書きたいなら女の子の痰唾を飲むべき10の理由

舞島由宇二

何があろうと小説を書くのだ。

 初夏である。しかし全国的に緊急事態の只中であり活動自粛期間中である。つまり学校は休みである。そして今は夜である。

 僕は公園にいる。ベンチには腰掛けず、地べたに座り込んでいる。

 傍目にはみっともない若者である。事実みっともない若者である。

 コンビニの前でうんこ座りをすることもある。

 傍目にはみっともない若者である。何度も言う、事実みっともない若者である。

 コンビニでウンコをすることもある。

 それはおかしな話ではないといえる。

 何故ならコンビニにはトイレがあるからである。しかしながら最近では感染拡大予防のため不特定多数の人間が出入りするコンビニのトイレは使用禁止になっている。

 僕の隣でこれまた地べたに座るシイナなどは、それなら仕方ないとコンビニの前でウンコをすると思う。

 それは嘘である。シイナは一応女性である。

 さすがのお前でもそれはないよな、と僕は言う。

 どうだろう断言は出来ないかな、とシイナは言う。

 おいマジか、と一瞬思うが、僕もしないと断言できる自信がないなと思う。

 はしたない行為に手を染めてしまうのに男も女も年齢も関係ないよな、とも思う。

 つまり、結局そんなことはどうでも良く、僕がやらねばならないことを思い出す。

 僕は小説を書かなくてはならないのである。

 つまり僕はどうしても小説を書かなくてはならないのである。


「なら私のたんを飲めば良いんだよ。」とシイナが言った。

 一瞬僕は何を言われているのか理解できず、夜中のブランコのように固まった。しかし、次の瞬間にはまるで英文を時間差で和訳されたようにシイナの言葉が頭の中にスルリスルリと入ってくる。

 シイナの言葉を頭の中で咀嚼し整理しまとめると、こういうことになる。

「小説を書くためにはシイナのたんを飲むのが良い方法である。」

 つまり、どういうことなのかさっぱりわからない僕はさらに考えを深めてみることにした。

 シイナはそれ以上何も言わず、ジャージのポケットからおもむろに取り出した縄跳びで遊び始める。

 シイナは縄跳びが好きなのだ。

 私は今地球にいる、地球にいない、地球にいる、地球にいない……などと呟きながら飛ぶのが好きらしい。

 あとシイナはスライム作りが趣味でもあった。

 またシイナは毎日同じジャージを着ている為、ジャージが小汚い。

 それとジャージのパンツをヘソが隠れる位にハイウェストで穿いている。

 お腹が冷えてしまうことが全ての不幸の始まりだと言っていた。

 コーラで醜く脱色された髪の毛がファサファサと揺れている。


 なるほど、おおむねわかった。

 なにゆえに小説を書くためにシイナのたんを飲まなければいけないのか、考えられる理由は大きく2つであろうと僕は推測する。


――仮説1――

たんの特質によって物理的側面から小説執筆がスムースになるという説。体内に摂取された痰が、血の巡りでもって四肢に届き、発汗によって、とろみはそのままに皮膚の表面ににじみ出てくる。痰に覆われた腕は以前よりも動き滑らかになり、パソコンであろうとも原稿用紙に手書きであろうとも主に腕から手にかけてを使い執筆する小説において痰は潤滑油(イギリスではローションと呼ぶ。)の役割を果たし、執筆が捗るのかもしれないよね、というもの。


――仮説2――

たんのぬめりはメカブのソレと同種のものである説。メカブのぬめりの主成分はアルギン酸やフコイダインなどの水溶性食物繊維であるわけで、つまりはシイナの痰を飲むことはそれら栄養素を摂取することと同様の効果が期待でき――それら栄養素はこぞって前頭葉を活性化させるという働きがあると勝手に仮定して――新たな小説のアイディアが次から次へとドクドクと溢れ出しアホの一つ覚えのように小説を執筆し続ける小説廃人と化すかもしれないよね、というもの。


 そこまで考えて僕は当然の決断を下す。

「シイナ、僕飲むことにする!小説が書きたいから、シイナのたん飲むことにする!」

 僕の言葉を聞いたシイナは縄跳びを中断し、待ってましたと言わんばかりに表情を輝かせる。待ってね、今準備するから、とシイナは先程コンビニで買ってきた食いかけの唐揚げを食べ始め、もぐもぐと咀嚼をしながら忙しなくチョコレートの箱を開け、ごくんと唐揚げを飲み込み、箱からチョコを鷲掴み、半分くらいをモシャモシャと食べたかと思うと、最後にカルピスで流し込んだ。

 たしかにカルピスを飲めば人によっては口の中に膜のようなものが生じるが――それが痰と結びつくのかは不明だが――果たして食べ物を食べる意味はあったのだろうか?

 僕の疑問など露知らず、シイナはカッカァッカァッッカッと喉を鳴らしている。まるで風邪気味のカラスのようだと思った。いや、ただの汚いおじさんのようだと思った。

「なるべく、いろんなものを食べて汚しとくの、痰に色をつけるのね、’’痰の色気’’って私はそう呼んでいるよ。」

 ’’痰の色気’’とやらの意味のわからなさに僕は急に不安に駆られる。

 そして思い出す、そういえば僕の中で勝手に痰と小説を結びつける推測をしただけでシイナに何一つ確認をしていなかった。

「なあシイナ、一応確認したいんだけどさ……僕が痰飲むじゃん、血で巡るじゃん、四肢に届くじゃん、発汗するじゃん、とろみそのままじゃん、腕ヌメヌメじゃん、小説書けるじゃん。そういうことだよね?」

という僕の問いかけにシイナ何も答えずにカッカッカァッを続ける。どうやら意識を喉に集中しているようだ。

――あっ早速出た、大きいの出た、などとシイナは自分の口を指差す。

「あっ、いや待って聞いてた?ねえ答えてよシイナ。いや、もしくはさ……痰飲むじゃん、痰ってメカブじゃん、アルギン酸じゃんフコイダインじゃん、前頭葉バチクソ刺激するじゃん、メカブジャンキーじゃん、だからドクドク脳内麻薬分泌止まらないじゃん、アイディアじゃん、アイディアという翼じゃん、僕はもはや小説ジャンキーじゃん、っていうことだよね?」

「知らない、何言ってんの。どうでも良いけど早く口開けて。」

 僕はその言葉に息を呑んだ。

 僕の立てた仮説、そのどちらでもない、ということだろうか?

 待ってシイナもう一回考えさせて、と言おうとしたところ、シイナに足払いをされ僕はあっという間に倒される。膝枕をされ僕の顔はシイナの手によってガッチリ固定された。そして同時に指で鼻の穴を塞がれた。

 甘く見ていた。シイナは口の開かせ方を熟知してやがる。

 息をするためにどうしたって開口してしまう。

「カハッァアっ、ねえ待ってマジで?待ってマジ?これどういう理屈なの?」

 シイナはもう何も言わない。

 最後の抵抗とばかりに僕は歯を食いしばる。悪あがきだと自分でもわかっている。こんなことをやっていたら息は続かない。

 案の定僕の食いしばりが弱まったところをシイナは見逃さず、荒々しい手つきで歯を掴み、力づくでこじ開ける。

 だめだ、もう口は開かれた、時は満ちたのだ。結局何故痰たんを飲んだら小説が書けるのかわからないままに僕は痰を飲むのだ。

「ほえじゃ、いふよ」

それじゃ行くよ、と言ったのだろう、喋りづらそうなのは痰が発射台にセットされているからだろう。

 シイナが口をすぼめる。

 僕は意を決する。

 そして目を凝らす。

――ッ!?いきなりどでかい痰がその姿を現した!

と思いきや、引っ込んだ。

次の瞬間にはまた出てきた!!

と思いきや、引っ込んだ。

(――こ、これは。)

 そう、これは痰の粘質を利用し、口から出したり引っ込めたりする世界で五指に入る下劣な遊びである。

 本来なら侮蔑の対象でしかないその行動に、何故だろうか僕の心は見事にかき乱されていた。

 白濁としたシイナの唾にまみれたジェル状の塊、僕の視線はそれに釘付けだった。

(痰が……出たり、入ったり、出たり、入ったり、)

 ああ、あれが今から僕の中に入ってくるのだね。

 僕は僕自身に確認をする。

(……まだ、なのだろうか……あぁ……じれったい。)

 出たり、入ったり、出たり、入ったり……そんな僕の心中を知ってか知らずか、シイナはわざとらしくゆっくりとゆっくりと痰を出したり引っ込めたりを繰り返す。

そのうちに、重力に逆らえなくなった唾が痰を残し僕の口に向かってゆっくりと伸びてきた。

――――ッ!?

 舌にねっとりとした感触が伝わる。

(あ、暖かい。シイナの唾って暖かい。)

 僕は感触に酔いしれた。

 味はしない。ただひたすらに人肌のように温いのだ。

 ああ、シイナは生きているのだな、僕はそんなことを思った。

―――ッッッ!!?

 そしてついに、痰が口の中に侵入してきた。

 そしてこれでもかと言わんばかりにシイナが口腔内から唾をかき集め大量の唾液を放出した。

 シイナの口の中を離れ一旦は外界に放り出された痰唾が再び安住の地を見つけた喜びいっぱいに次から次へと僕の口の中に押し寄せてくる、流れ込んでくる。わーいまた真っ赤で暖かな口の中だぞ。などという痰唾の声が聞こえてくるではないか。

 僕は痰唾を迎え入れ、固く口を閉じた。



「飲み込んじゃ駄目だよ、小説書けないよ。ちゃんとテイスティングして。口の中で転がすの。」

 一瞬意識を失いかけた僕の眼前に迫る嬉々とした顔。

 良かった、シイナが喜んでいる。

 僕はシイナの言われたとおりに口の中で痰を転がした――この時点で唾に関して言えばシイナのものと僕自身のものとで、そのどちらなのか、すでに判別はつかないミックスちゃんぽん状態になっていた。ただ一つ痰だけが僕の口の中で圧倒的な存在感を放っている――

「噛んで!噛んで!噛んで!」

「ダメだ、噛めないよ、上手く出来ない。逃げるんだ、シイナの痰が逃げるんだ。」

「じゃあ捕まえてよ!私を捕まえてよ!早く捕まえて、そして力強く噛み締めて!小説書きたいんでしょ!」

……シイナを捕まえて……力強く噛み締めて……小説を書く。

 その言葉に僕は自分の中の弱気を追い払う。

(そうだ、僕は小説を書きたいのだ!)

 心のなかで強くそう念じ、痰との勝負に出る。

 なるべく面積の広い奥歯の方へと痰を追い込み、ロックオン!

 つかめたぞシイナの痰!

 やってやる、やってやる、僕は小説を書くのだ!

「いけ!噛め噛め噛め噛め!!」

 シイナの言葉を合図に、僕は、強く、痰を噛む!!!



――ッッ!?

 何かが確かに弾けた。

 苦味とも、酸味とも、チョコの甘みとも唐揚げともカルピスとも思える味が口の中に広がり……そして同時に……

(これは光だろうか?)

 僕は光に包み込まれていた。

 この光の中は重力から解放されている、僕の心がそう言っている。

「痰とは混沌であり光である。」

 光の向こうからそんな声が聞こえた。

(貴方は松尾芭蕉ですか?それとも小林一茶ですか?)

 僕は光に問いかけるが、答えはない。

 そうだ、おそらくそのどちらでもない。

 誰も何も言っていないのだ。

 そう、それは僕自身の言葉、僕自身が見つけた言葉なのだ。

(そうか、これはもう小説なのだ……。)

 僕は光の中でそう確信をした。


「うーん!!やったやったね!噛んだね、噛めたんだね!私の痰を噛んだんだね!!」

気がつくと僕の目の前でシイナが興奮し、乱舞している。

 コーラで脱色した醜い金髪がファサファサと揺れている。口の中には未だシイナの痰が残っている。僕はそんなシイナの姿を見ながら小さく頷き、勢い良く嚥下した。


「どう?小説書けそう?いや、絶対書けるよ!だってよく噛んで味わって、飲んだんだもん、私の痰。」

 そうだ、僕はシイナの痰を飲んだのだ。

 つまりそれは小説が書けるということなのだ……いや違う、シイナの痰を口に含んだ瞬間に僕はすでに小説を書いたのだ。

「これはビッグバンだ。」

 僕は思わず声に出して呟いた。

「うん?ビッグバン?ビッグたんってこと?!HAHAHAHA!!」

 シイナがあまりにおかしそうに笑っているのでちっともおかしくないが僕も一緒に笑ってみた。そして笑いながら頭の片隅で思った。痰に甘えていてはダメだ。痰以外にも小説を書く術を見つけなければならない。

 僕は小説を書き続けなければならないのだ。

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