case9『梶谷 茉奈・無職25歳#1』
育ったところは凄く田舎でいつかは都会に出たいと思っていた。
幼馴染で恋人だった翔太にも告げずに故郷を出てから5年。
二度と帰らないと決めて出たはずなのに、懐かしい風景の夢をみる。
田んぼだらけの道や、コンビニなんてひとつもない町、知り合いだらけの窮屈な毎日。
優しかった翔太のことも。
何もかも捨てて家を出たはずなのに……
「翔太……元気かな、結婚したのかな」
翔太とは小学生の頃からずっと仲良しだった、お互いにその頃からそれは感じていたのかもしれないが、中学に入って初めての夏休みに思いを伝えた。
デートなんてする場所さえなくて
いつも待ち合わせ場所は、町外れの小さな公園だった。
ブランコに揺られたり、ギシギシいうシーソーに乗ってたくさんの話をしていた。
「私ね、いつか都会で有名になりたいの、モデルとか女優とか」
茉奈は、幼い頃から整った顔をしていた、少しタレ目だけど、黒目がちな大きな瞳、可愛いと言われながら育った茉奈は少し生意気だと思われることもあったけど、虐められることも無く、のびのびと育っていた。
そんな夢の話をする茉奈を翔太はいつも複雑な気持ちで聞いていた。
星が降るような夜、茉奈は長距離バスに乗った。
都会に出てから、たくさんのオーディションを受けた茉奈だったが、エキストラとしてドラマにほんの少しだけ出ることしかなく、いつまの間にか夢を追いかけるのもやめてしまっていた。
演技のレッスンのためにと始めたキャバクラでの仕事、既にそれだけで生活をしている。
何人かとは付き合ったけど、翔太より好きになれる人などいなくて都会に疲れ始めていた。
お酒を飲めたら良かったのかもしれないけど、少しも強くはならず毎晩のように飲み潰れて帰る日々。
いつしか薬を飲まないと眠れないようになってしまっていた。
朦朧とする朝、後悔ばかりの日々、頼れる男なんて一人もいないし、発作的に勤めていたキャバクラを辞めて今は全くの無職。
仕事を辞めてわかったこともたくさんある。
下心しかない男たち、辛辣な女たち、お金の価値さえ麻痺していく自分。
その全てを投げ出したくなったのは、あの夢のせい。
それとも、あの夢のおかげ。
夜の街の女たちが噂をしていた、不思議な喫茶店「Angel」
OPENと書いたプレートに小さな文字で書かれている言葉。
━━あなたの届けたい想いを届けます、お代は一切頂きません。━━
目の前にあるその店は、古びた何の変哲もない店。
爪を塗るのをやめた手で古くて重い扉を開いた。
カウンターから聞こえた声の主は、この店のオーナー西園寺 冬夜。
「いらっしゃいませ、どこでも好きな席にお座りください」
茉奈は小さな庭の見える窓際の席に座りメニューを開いた。
コーヒー
紅茶
ミックスジュース
ホットケーキ
ありきたりのメニューの中から、ミックスジュースを選んで手を挙げた。
「ミックスジュースをお願いします」
ゴツゴツした懐かしいグラスに入れられたミックスジュースをトレイに載せた冬夜が茉奈の座るテーブルにそっと
薄いクリーム色のジュースを載せた。
「あの、ここって自分の想いを届けるって本当ですか?」
茉奈は、冬夜の後ろ姿に声を掛けた。
「はい、そうです」
その優しそうな眼差しは、翔太に似てると思った。
懐かしくて今でも好きな人。
「座ってもいいですか?想いを伝えたい人は大切な人なんですね」
戻ってきた冬夜は、茉奈に聞いた。
「そうです、お願いします、私には伝えたい想いがあります、あの時は伝えられなかった想いです」
茉奈は故郷の景色や翔太の顔を思い浮かべながら冬夜の顔を見た。
冬夜の右のポケットに入ってる小さな石がふんわりと温かみを帯びた。
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