case7『風間 茜・主婦26歳#2』

 茜の夫である雅人はある日の仕事帰りに「Angel」という喫茶店の扉を開いた。


 ━━あなたの届けたい想いを届けます、お代は一切頂きません。━━


 その小さなプレートが気になったからでもあるのだが、疲れた顔で家に帰るのが辛かったからだった。


 外資系企業でこの春、昇進して仕事の量が倍になっている、子育てを一緒にするということが、茜と結婚する時に決めたことだったのに、少しも協力出来ない日々に自分でも抱え切れなくなっていた。


「いらっしゃいませ、ご注文はいかがなされますか」


 メニューを手にしながらも心はそこにあらず考え事をしている雅人は、自分より若いだろうと思われる店主に声をかけられ慌てて返事をする。


「アイスコーヒーをブラックでお願いします」


「かしこまりました」と席を離れた店主の後ろ姿に雅人は問いかけた。


「僕には気持ちを伝えたい人がいます、伝えることは出来ますか」


「もちろんです」

 振り向いた店主に「それでは追加でそれもお願いします」と言った。


「かしこまりました」

 軽く会釈をしてカウンターの内側へと入る冬夜には、その男性の気持ちもわかる気がした。


 ふと、自分もそうだったのだと思う、寄り添っているつもりでも、言葉に出さないと相手には伝わらないのだ。


 注文されたコーヒーを手に冬夜は雅人の前に座った。


「僕には伝えることができます、ですがそれは伝えるべき人がそばにいるのだから、自分で伝える方がいいと思います、僕にはその想いをまったく同じように伝えるのはきっと無理だと思いますから」落ち着いた声で冬夜は話し出した。


「それは出来ないと言うことなのでしょうか」と雅人は肩を落とした。


 冬夜は違いますと言うように首を横に振りながら言った。


「あなた自身の声で、あなた自身が伝えるべきだと思います、きっとその相手は、それを望んでいるのだと思います」


 雅人の頭には茜の顔が浮かんだ、自分が愛して死ぬまで一緒にいたいと思った彼女のことを思った。


 育児に疲れているのは分かるのに、感謝することも、優しい言葉をかけることも出来ずにいるそんな自分を責める日々にも雅人は疲れきっている。


 Angelを後にして自宅に戻ると、いつものように食事が用意されてる。

 豚の生姜焼きとけんちん汁は自分の大好物だ。


 茜と栞が眠る部屋を覗いて眠っている姿を見るのが自分のいちばんの癒しでもある。

 そっと二人の頭を撫でることしか出来ない夜、次の日に茜が家を出ることなど思ってもみなかった。



 ***

 冬夜は二人のことを想った。


 歪みかけた二人の想い……それは本当はお互いに求めあっていることに気がついていないのだろう。


 次の日にその想いはAngelの扉を開けた茜の姿を見ると尚更わかった。


 昨晩から祈りを込めて右のポケットの石に思いを込めていた。


 二人の思いはきっと繋がる。

 そう思える程にポケットから手のひらにのせた石からは柔らかな光を放ち輝いていた。



 ***

帰って来てくれたことに雅人は安堵した。

 

雅人は茜が栞を寝かしつけてる間も側にいた。

 その夜、お互いは正直に自分の思っていることを話しあった。


きっと二人はこれからも一緒に生きていける。

寄り添うことを選んだ二人は新たな朝を迎えるだろう。




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