case6『橋本 佐一78歳 皐月76歳#2』

 

━━あなたの届けたい想いを届けます、お代は一切頂きません。━━


 謎の喫茶店Angelで自分の気持ちを話してからは佐一は気持ちが落ち着いていた、自分の言葉が妻にちゃんと届いているのかは分からないが、穏やかな日が続いていた。


 病院への入院の手続きや、老人介護施設への入所の手続きがすべて終わり明日の朝にはこの家ともお別れだった。


 最初は小さなアパートに住んで二人で一生懸命働いて建てたこの家にはたくさんの思い出が残っている。

 大きな喧嘩もしたし、可愛い娘の死もこの家で乗り越えた。


 二人で寄り添って生きて来た。


「ホットケーキ美味しかったねお父さん」とにこにこ笑いながら話す自分の妻が愛おしかった。


 明日には二人は離れ離れになってしまう、いつかまた会える日が来るのならばと子どものように笑う皐月の頭をそっと撫でた。


 いつものように二人の手には小さな紐を付ける、小さな鈴を付けた赤い紐は二人だけのものだ。


 その日の夜、佐一は夢をみた、若くて美しかった皐月と二人で故郷の町をを歩く夢だった、繋がれた手の感触はまるであの日のようだった。


 チリンと鈴の音がして目が覚めると皐月は布団の上に座って佐一を眺めていた。


「皐月、どうした?トイレに行きたいのか」

 そう聞いた佐一に皐月は答える


「佐一さん、ありがとう、私はあなたの妻になって幸せでした、あの頃いつも散歩した大きなブナの木の下で待っていてくれるのをちゃんとわかってます」


 佐一は皐月を強く抱きしめた。


 小さな娘としてではなく、この世でいちばん愛した妻として。

絹糸みたいに細く滑らかな、皐月の髪、その感触が心地よくて、佐一は彼女に見つからないよう、ちょっとだけ泣いた。


 この奇跡はきっと冬夜が最後にくれた優しいプレゼントなのだろう。


 縁側に並んで座り、懐かしい話をたくさんした、雲の隙間から少しづつ姿を現した月は優しく二人を照らしていた。




 その頃、冬夜も空を見上げていた

 願いが叶うようにと右手の中の小さな石に思いを込めながら。

人は自分の気持ちを口にするのを躊躇う、それが後悔することになるなんて思いもせずに、冬夜ですら今になってからしか分からなかったことだ。

そしてどこかに疼きは残っても、それを懐かしさと呼んで語れる日が、たぶん自分にも来るのだ。

それがいつのことになるかは、まだ想像もできないけれど。


ぼやけて見えなくなった星の光を追いながら、本当にそうだといいな、と思った。

いまだに眠り続けている愛しい人やこれまで出会ったたくさんの人の思いを伝えるために今日も冬夜は店を開く。


満月の夜に思いを込めた。

その考えは流星のように空から降ってきて、冬夜の身体にすっと染み込んだ。




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